争う理由2
何が楽しいのか大口を開けて笑う「悪斬り」を横目にしながらセラフィムは向かい側のソファーに座る。
いつの間にか運ばれていた紅茶をお互いに口にし、一息ついたのちにセラフィムは改めて悪斬りと向かい合った。
「びっくりするほど紅茶が似合いませんね「悪斬り」」
「おーワシもそう思うわ。しかし教会で渋茶というのもそれはそれでなんとなくおかしいとは思わんか?人に合わせるか場に合わせるか…うーむ難儀なもんじゃの。それといちいち悪斬りと呼ばれると誰かに盗み聞きされるんじゃないかとドキッとしてしまうけんの。カルラと名で呼んじょくれ」
「ではカルラ、大人しくしていろと言ったのにフラフラされるのはこちらも困ります。盗み聞き以前に軽率な行動は控えなさい」
「ひゃはははは!ごもっともじゃ。なるべくきーつけるようにするわ」
中身を飲み干したカップをカルラが音もなく受け皿に戻す。
笑い方と喋り方は粗暴ではあるが、紅茶を飲む一連の所作に雑さはなく、おかしなちぐはぐ感を演出していた。
「…もしかして実家はそれなりの地位だったので?」
「なんじゃあ突然。まぁ見ての通り赤髪じゃからの。それなりではあったかもしれんなぁ…今となっては血族全員ワシ以外揃って仲良く墓の下じゃがの!地位に持ち物、そして髪色なんぞバラバラの骨になってしまえばそれまでよ!ひゃはははは!」
なぜみんな死んでしまっているのか、それを掘り下げるとおそらく疲れて終わることになるだろうことに加え、そこまで興味がある事柄でもなかったのでセラフィムはそれ以上は聞かなかった。
そして口を閉ざしてしまったセラフィムに代わり、今度は茶菓子を手にカルラが新たな話題を振り始める。
「それにしてもさっきの若いのはおもろかったのー!あんの言葉を全部正気のまま言っとるちゅーんやったら…将来は大物になるかもしれんなぁ」
「だといいのでしょうけどね。おそらく道半ばで折れるか…死ぬことになるでしょう。この世界は歪み切っている…恐ろしいほどの理不尽にまみれ、そしてそれを振りまいている者すらいるのですから。あなたもその一人なのでは?」
「クックックッ、ワシは「悪斬り」じゃぞ?あの若いのが道を踏み外さんのなら…ワシの刃の範囲外じゃ。ちと残念な気はするがの」
「人殺しには変わりないでしょうに」
「あぁその通りじゃ。じゃけんども人殺しには人殺しなりにルールがあるっちゅーやつじゃ。ワシなりの社会との折り合いじゃのう」
「折り合い…ねぇ。私には折り合いがついているようには見えませんよ。自らの欲望を抑えられない…どこか欠損した人間。それが自己だけで完結するのならまだいい…でもあなたはそれを他者にぶつける。どう取り繕おうと唾棄されるべき犯罪者に変わりはないでしょう」
「至極ごもっとも。しかしそんなワシじゃからこそ見えるもんもあるし、自分なりの折り合いは必要なんよ。名も高き聖女様に理解してもらおうと思うほど傲慢じゃなかつもりじゃがの!」
セラフィムはカルラをわざと挑発していたが、それらすべてに対し悪感情を一切のぞかせず茶菓子を摘まみながらカルラは笑って流した。
「はぁ…やはりどこかおかしいようですね」
「ほうかの~。いやおかしいのは自覚しとるんじゃが、ワシ自身が人様に殺したいっちゅう勝手を押し付けとるわけじゃけん、そんなワシが人様を否定したり文句つけたりするなんておかしな話はない…当り前の事じゃろ?ワシの勝手で死ぬ人間がおるように、他人の勝手にワシが巻き込まれても不満なんてない」
「…あなた自身、理不尽に殺されてもいいと?」
「おーむしろワシみたいなのの最後はそうなるんじゃろうなぁ~とぼんやり思うとるくらいよ。当然大人しゅう殺されるつもりなんかないが…ワシより強い奴に、もしくは不意を突かれて殺される。享楽殺人犯の最後にはおあつらえ向きちゅうやつよ」
「はぁ…やはり理解できませんね」
「そうじゃろうなぁ…世の中理解できんことばかりよ」
お前が言うなとセラフィムは口にしかけたが、同時に自分も一般的に見れば「理解できないこと」の範疇にいることを自覚しているために言葉にはしなかった。
「その繋がり…っちゅうわけじゃないが銀神領とやらは実際のところどうなんじゃ?あの若いのが生き残れそうな場所なんか?」
「運しだい…でしょうね。あそこは人と魔物が常に、そして延々と争い続けている場所ですから」
「ほう?」
「魔物が人と同程度の知能を持つというのは悲劇です。人からすれば自分たちにできることはすべてできる上に、魔物としての強さまで持っている…そんな存在が隣にいると知ったならば争わずにはいられないでしょう。この世界に最も反映した種として。そして魔物も…意志を持ったからには争うしかない。そうでなければ奪われるのですから。あなたには楽しい場所なのかもしれませんね」
「いやいや、ワシから見ても最悪な地もいいところじゃ。戦争ゆーのは好かんのよ。命は一つ一つが尊い…だからこそ奪うことに意味があるんじゃ。命を消費されるだけの数いう概念に貶める戦争なんぞクソよ。バカしかやらん」
「なるほど、わかるようなわからないような話ですね。ただまぁ馬鹿…いえ愚かだというのは同意します。そもそも何のために彼らは争っているのかもすでに分かってはいないでしょうからね」
カルラがきょとんとした表情で首を捻った。
「戦争には意味がある…普通はそうでしょう。でも銀神領の彼らはもはやその意味すら喪失しているのですよ。ただそこに長年争っている相手がいるから…だから争う。始まりはどんな理由で、どんな憎しみがそこにあって、何が引き金となって、何を思い、どんな利益を望んで、誰のために戦争を起こしたのか…誰に聞いたって答えは返ってきません。これもまた…世界の歪みの一つなのでしょう」
「意味も通らなければ、理由もない。虚しいどころの騒ぎじゃあないのぅ」
言葉通りの虚しい沈黙が部屋に流れた。
しばらくして教徒の一人がお茶のお代わりと…何枚かの書類を手に現れた。
それらを受け取り、セラフィムは大きくため息を吐く。
「…そろそろ本題に入れそうかの?」
「ええ…いい加減あなたと話すのも疲れてきたところでしたからね。本題といきましょう」
なぜカルラが聖白教会にいるのか。
それは大司教の死体がみつかってから数日後の話だった。
突如おこった大司教の死…それの情報を集めるためにセラフィムは赤神領に間者を送り込んでいたのだ。
しかしセラフィムをして謎と言う霧の中にある赤神領…大した情報が得られるとは思っていなかったが、意外な情報がセラフィムのもとに届けられた。
――大司教を殺したという人物からの接触があったと。
そうして数々の苦労の末、カルラは聖白教会までつれてこられセラフィムと密会することになったのだ。
「まさか有名な悪斬りから接触があるとは思いませんでしたよ」
「こっちも切羽つまっちょったからなぁ…あきらかに赤神領の教会関係者じゃないやつが「ワシら」のことを調べよったけん、一か八か声をかけてみたんじゃ。それが当たりだったのはラッキーとしか言いようがない」
「当たりかどうかはまだわかりませんけどね」
「ほうじゃの…それでどうなんじゃ?何とかなりそうなんか?ワシの「ツレ」は」
「…正直、無理だというあきらめの言葉を送りたいところですが…しかしまだ匙を投げたくないという気持ちもあります。あなたの連れてきた「彼女」は…貴重なサンプルですから」
「おいおい勘弁しちょくれ。実験動物じゃあないんやぞ」
「わかっていますよ。しかしこちらとしても貴重なのです…「呪骸に侵された人間」と言うのは」
聖白教会に接触してきたカルラは商法と引き換えに一つの要求をした。
それは彼が連れていた一人の女性を助けてほしいというものだった。
セラフィムは最初その女は大けがを負っているのだと思った。
殺人鬼と共にいる女…そんな者が人知れず助けがいるとなれば想定される状況は多くはない。
少しでも赤神領の情報が欲しかったセラフィムはその取引を呑んだがカルラと共に連れてこられた女は怪我をしているわけではなかった。
それよりも遥かに酷い状態…そう、呪骸に体が侵食されていたのだ。
「一度生物の体内に入った呪骸は宿主を侵し、そして悍ましい何かに作り替える…そうなれば分離はできません。いえ…体内に入ってしまった時点で対処はできないと言ってもいい。そもそも呪骸なんてどこで手に入れたのですか?」
「…奪ったんじゃ。枢機卿とやらからのう」
「…まさか手を出したと?枢機卿に」
「ああ。あの婆さんは確か…「星が一…巨門…のなんちゃら」とか名乗っとったが、それをワシとツレで襲撃したんじゃ。そこそこ強かったがまぁ危なげもなく勝ったんじゃ。そこまでは良かったが婆さんは逃げ出しての…後にはその呪骸とやらが残っとった。そんでワシとあいつは約束しちょったんじゃ。呪骸が見つかったらツレに譲ると…ほんで…」
「取り込まれたと。枢機卿は正体不明の方法で呪骸に取り込まれずその力を行使できる…それを用いずに触れたとなるとそうなるのは道理でしょうね。事情は分かりました。しかし…やはり呪骸をどうにかするのは不可能に近い…目が覚めるたびに見境なく暴れていますしもはや殺すしかない…という段階まできかけています」
「いや…ちょい待っちょくれ!あんたなら何とか出来るかもしれん言うとったからここに来たんやぞ?もう少しこう…なんかないんかのう!」
「意外ですね。なぜそこまであの女性を助けようと?まさか恋仲…なんてことはないですよね?」
「そんなんじゃあない。ただアイツがああなっちょるのはワシの責任…言うのもあるし、それで死なれたら目覚めがわるい」
「目覚めがですか。しかし彼女は「あの状態」ですでに無視できない被害を出しています。「悪斬り」の仕事としては条件は十分ではないのですか?」
「なぁなぁなぁ!つまらんことを言わんちょくれ!ワシは理性のない化け物を斬る趣味はない。それで満足できるのなら最初から執行官になっちょる。ツレは確かにワシの獲物になりうる…じゃけども殺すならアイツがアイツであることが絶対条件じゃ。ワシは命を奪う相手は個を持つ相手と決めとるんじゃ。悪人しかりの」
ふう…とこの数時間で何度目になるのかもわからなくなってきたため息を吐いてセラフィムは手に持った書類を置いた。
そして考える。
セラフィムとて呪骸に取り込まれかけている人間と言うのは殺すにはあまりにも惜しいと考えているのだから。
もし対処法を確立できればそれ自体が赤神領に対する武器になるうえに、よしんば肉体と呪骸の分離ができたとしたら…完全な呪骸を一つ手にすることができる。
セラフィムの敵の力を暴くことができるかもしれないのだ。
このチャンスを手放すことはできない。
(しかしそうなると…一つだけ方法があるかもしれない)
セラフィムは黒神領での出来事を思い出していた。
あの時…メアに協力の要請をしたとき、確かにメアは目の前で呪骸に侵されていた魔物から剥がれ落ちた体組織の一部を破壊して見せた。
そして実際に目にしたわけではないがメアは呪骸と一体化した魔物から呪骸を取り出したかもしれないのだ。
ならばメアならば…。
そう考えたがメアはセラフィムにとって長い生の中で唯一愛した龍の遺したものだ。
自分の義理の娘のようなものでもあるためにカルラに紹介するという行為そのものが憚られた。
仮にカルラが何かをしようとしてもメアを害することはまずできないだろう。
しかしそれとは別で親心としてなんとなく嫌なのだ。
そこを自分に納得させるためには…なにか言い訳をする必要がある。
「助かる方法はあるかもしれません…しかしそれには対価が必要です。そう例えば…あなたがウチの教会に――」
「悪いがなんぼいわれても首輪を嵌められる気はない。それはワシの生きる意味を失くすも等しい行為だからの」
「…定期的に死刑囚をあなたのもとに送ります。それでもだめですか?」
「ああ。さっきも言ったがそれで満足できるのならワシは執行官にでもなっちょる。ワシはワシの意志で正面からどうどうと人を殺したいんじゃ。誰かに言われたまま殺したり、魔物の類を相手に満足するつもりはない」
「強情な…変なところでめんどくさいことを…ならばいくつか妥協案を出しましょう。それに加えて絶対条件としてその対処法について詮索しないこと…これが飲めるのなら手を尽くしましょう」
そこから数時間に及ぶ話し合いの末…最終的にカルラは首を縦に振った。




