15. 契約の鈴
目を覚ました時、目の前にはゼロンの寝顔があった。
(こ……これは!?)
フュノは何事かと必死に昨日の出来事を思い出す。泣いてゼロンに抱き着いた所までは覚えているが、その先の記憶はない。
誰かがゼロンの寝室へ運んでくれたのだろうか。
『城に居ていい』とは言われたけど、馬小屋に住まわせてもらえる程度を考えていた。ゼロンの寝室継続とは、かなり想定外の事態。
さらに、ここ数日繰り返されていた『聖竜の動きを止めるための直魔素攻撃』を受けた様子もない。
その代わりに、ゼロンはフュノへ微量の魔素を送り込んでくれているようだった。
身体の魔素が、城内と同じ密度になるように魔素量を調整してくれているようで、目覚め直後だというのに、とても体が軽い。
ということは――。
(ふぉおお……神様!!)
フュノは自分の置かれた状況を認識し、慌てて鼻の付け根を抑える。
枕の代わりに、ゼロンの生腕。これがタルマウスの言っていた『腕枕状態』ということか。
程よく血管が浮いた、太く、健康的な腕。これを枕にしていたとか、贅沢すぎる。
ゼロンの腕を汚すまい――と、フュノは必死に鼻を押さえて鼻血を我慢する。
これまで、フュノが目を覚ました時にはゼロンが既にいない、という日々が続いていた。その寝顔も、今初めてお目にかかる。
銀色でふんわりとした前髪と、朝日に輝く長いまつ毛が尊い。最初に空で追いかけられた時は、悪魔のような魔竜だと思ったけど、これはもはや神が生み出した天使。
この瞬間を、脳裏にしっかりと焼き付けたい――。
フュノがじっくり天使を凝視していると、ゼロンの目がゆっくりと開く。
いつもは鋭い金色の瞳は、寝起きだからなのか、とても柔らかい。
「おはよう、フュノ」
「――!」
初めて、ゼロンに名前を呼ばれた。
その麗しい口から自分の名前が紡ぎだされるなんて、なんという奇跡なのだろう。あまりの衝撃に、フュノの全身がピシリと伸びて緊張する。
(私の名前、なんで知っているんだろう……?)
名前を呼ばれただけで、嬉しすぎて死んでしまうかもしれない。
フュノは自分の顔が熱くなるのを感じる。
そんなフュノにゼロンは優しく目を細めると、腕枕とは逆の手で、そっとフュノの頭を撫でる。
(ど……どういう、ことっ!?)
ゼロンに軽く抱きしめらた体制となり、フュノは必死で鼻血を堪える。
今は人生をかけてでも、鼻血を耐えるべき瞬間で間違いない。
頭を撫でてくれるゼロンの手から、その体温が伝わってくる。
その温もりに、これまでずっと張り詰めていたフュノの心が溶けるような安堵感があった。強いモノに守られるという、初めての安心感。
強張っていたフュノの体も、ゼロンの体温で溶かされるように、少しずつ解れていく。
フュノが体の力を抜いて、ゼロンの胸に顔を埋めると、ゼロンは満足そうにフュノの頭をポンポンと撫でた。
「体調は、大丈夫?」
やはり、ゼロンは魔素量を調整してくれているらしい。フュノはゼロンの胸に顔をうずめたままで、コクコクと頷いた。
ゼロンはフュノの感触を覚えるように、ギュムと一瞬強く抱きしめた後――フュノからそっと離れて起き上がった。
ひらりとベッドから降り、暖かそうな上着に袖を通してフュノの方を振り返る。
「そうだ、フュノ。キミに、お願いがあるのだけど」
フュノも体を起こし、ベッドの縁にチョコンと座って畏まる。
「はい、何なりと!」
『ゼロン様のお願いであれば、何でもしますけど!?』と、テンション最高潮にフュノは心の中で付け足した。
ゼロンとまともに会話ができる日が来るとは……あまりの嬉しさに、フュノは無意識に青竜の尻尾だけ出して、ブンブンと振る。
尻尾を振っても振っても、感情が追い付かずに振り足りない。今なら尻尾を高速に振って喜ぶポチの気持ちがよくわかる。
パタパタと忙しない青い尻尾を見て、ゼロンもクスリと笑う。
「キミが森に作った結界、もう要らないなら片付けてくれないかな?
『魔の大陸』寄りは、あの結界に触れるだけで怪我をする事もあるから、ちょっと危ないんだ」
「はい……わかりました!」
フュノは、颯爽と良い返事を返しはしたが――。
少し焼けてしまったけど、折角溜めたコレクションは絶対捨てられない。タルマウスにどこか部屋を借りて保管しておこう、と、同時に内心で企む。
メイド姿で城を探索している時に、この城にいくつか空室があることは既に把握済だ。
良い返事の中に少し違和感はあったが……あの結界が無くなれば、ゼロンも少し仕事が減って楽になる。
ポチが何度も上申してくれたおかげで、あの森は今や危険地帯として話題の土地になっている。
「ありがとう。
そうだ。フュノ、ちょっと上を向いて」
「……はい?」
フュノはゼロンに言われるがまま、素直に上を向く。
フュノの動きに合わせて、地下牢から身に着けている、オリハルコン製の首輪がじゃらりと鳴った。
突然。ゼロンがその首輪を引き千切り、フュノは慌てて首元を抑える。
「ゼロン様っ!? な、な、なんでっ!?」
フュノにしてみれば、これはゼロンからのプレゼントと脳内変換して、大事にしていた首輪の形をしたチョーカー。
それを、ゼロン本人に壊された……あまりの酷い仕打ちに、フュノは涙目でゼロンへ抗議をしようとする――。
そんなフュノの言葉を遮って、落ち着かせるように、ゼロンはフュノを優しく抱きしめた。
「大丈夫。フュノ、落ち着いて?」
昨晩、ゼロンはタルマウスから、フュノが首輪を脳内変換して大事にしているという話を聞いて、一通り爆笑済だった。
あそこまで笑ったのは本当に久しぶりだ。
ゼロンは窓枠に置いてあった小さな銀の鈴を取り――どこからかリボン状の細い布を取り出す。
その布へ、器用に小さな鈴をカチリと付けると、それを広げてフュノに見せる。
リボンは、光沢のある銀色の布に、金糸の刺繍がなされている。
フュノが執着していた、あのスカーフと同じ布地だ。
「この銀の鈴はね、『契約の鈴』というんだ」
ゼロンはフュノと同じ目線になるよう少し屈むと、リボンをフュノの首にそっと巻いた。
どうやって止めたのかは分からないが、そのリボンはピタリとフュノの首に巻きつき、喉元に小さな鈴が揺れる。
「フュノ、キミはこれからも、ここに居ていい。
だけど、ここは魔竜のボクが治めている国だから、『魔の大地』寄りのモノが多い。
聖竜がいると騒ぎになってしまうから、ここにいる間は、竜に戻らないって約束してくれないかな?」
(顔が……近いぃっ)
ゼロンの至近距離攻撃に耐え切れず、視線を泳がせたままでフュノはコクコクと頷く。
――その瞬間。
銀の鈴が『ちりん』と鳴り、契約は成立する。
仕組みはわからないが、『契約の鈴』を知らなかったフュノにも、それが理解できた。
ゼロンはもう一度フュノを引き寄せるように軽く抱きしめて、その頭を撫でる。
「もしキミが契約を破って竜の姿に戻った時は、鈴が鳴って、契約者のボクに伝わるようになっているから」
フュノは頷いて、そっと指先で鈴に触れてみた。
ゼロンとの契約。これは一体何のご褒美だろうか。
「あと、これは持ち主から離れた時も、鈴が鳴って契約を破った事になるから気を付けて。
これからは、これを肌身離さず着けていてね」
――つまり。
竜の姿に戻ったり、小動物に変身してチョーカーが外れた場合。ゼロンと契約を破った、という事になってしまう。
「この鈴が鳴らない限り、キミはこの城で好きにしてもらっていい」
「はい、ありがとうございます!」
そう言うと、フュノは満面の笑顔を見せた。
人の姿は特に不便も無いし、先代チョーカーであるオリハルコンの首輪とフュノの中でルールは殆ど同じ。
そこには、何の問題も感じられない。
ゼロンは最後にフュノの紅潮した頬に触れると、執務室へと向かうため寝室の扉を開ける。
扉の向こうには、既にタルマウスとポチが片膝をついた状態で控えていた。
「おはようタマちゃん、ポチ!
行ってらっしゃい、ゼロン様!」
タルマウスはブンブンと楽しそうに手を振るフュノの首元を見て、驚愕に目を見開いた。
(えェっ、うっそォ!あの鈴っ!?)
ゼロンが収集したお気に入りは、これまでに小さな鈴と、聖竜のみだった。
鈴が無くなった今、ゼロンのお気に入りは聖竜のみとなっていた。
読んでいただきましてありがとうございます!
すごく個人的な話ですが、ぷっくり浮いた健康的な血管が好きです!




