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こんばんは、と男が訂正した通り、扉から見える外の景色は薄暗く日が落ちかけていて、街灯の無い田舎の村では人が出歩くには心もとない時間帯と伺えた。
過疎化が進み、若者が減ったボシュルー村では見かけない若い男。
真っ黒いローブを着ているのも相まって、男の存在はどこか異質に見えた。
「申し訳ありません、お見苦しい所を......お祈り、ですか?」
ここ数ヶ月、ろくに人が来なかった教会に村人でもない男が夕暮れ時に現れるのは不自然にも思えた。
しかし、折角の訪問者を無下に出来ないのかリディは笑みを浮かべ男に訪ねる。
「いいえ、今日は彼を迎えに来たんです」
......誰を?
その場の全員が首を傾げる中、男がゆっくりとフードを外した。
まず、目に写ったのは明るい茶髪。癖のある毛先を遊ばせたミディアムヘアに、同じ色の瞳。露になった男の容貌は優しげな面差しで、地味な顔立ちながら爽やかな印象を受ける好青年である。
その男性に、俺は見覚えがあった。
「......ハーグ先生?」
謎の男の正体は、かつて俺の家庭教師を勤めてくれたフレア教会の神官、ハーグだった。
神官である彼が教会を離れてまでどうしてここにやって来たんだ?
そんな疑問を覚えながら、俺は久しぶりにハーグに会えた事に純粋に喜んでいた。だって、あの精神的に不安定だった頃の俺を支えて、勇気付けてくれた恩人に久々に再会できたんだ。
フレア教会を離れたあの日、見えなくなるまで手を振ってくれたハーグの姿を思い出した俺は、胸が熱くなって彼の元に駆け出していた。
「お久しぶりですハーグ先生!いきなり来るから驚きました」
きっとまた会えると信じていたけど、こんなにも早く、しかもハーグから出向いて来るなんて!
ハーグも馬でここに来たのかな?だとしたら、相当お疲れの筈だ。
「ハーグ先生も馬に乗って来たんですか?あれケツが痛くなってキツいっすよねー。先生のおケツは大丈夫です?」
「......ふふ......」
「......?」
俺のふざけた挨拶にハーグは可笑しそうに小さく笑った。
でも、その笑みはいつもの爽やかなエセイケメンスマイルではなかった。口角を上げる筋肉を引き吊らせ、グニャリと歪められた口元は笑いを堪える時の不自然な形に似ている。目元も下がり、三日月形に型どった瞳で俺の顔をねっとりと見詰めていた。
その目が、獲物を狙う猛禽類みたいに鋭い眼光で、明るいベッージュの瞳が鈍く淀んだ色に変わったように見えた。
俺の知ってるハーグなら、真面目に「大丈夫ですよ。何ともありません」って、爽やか笑顔で律儀に返答してくれると思うんだけど.......。
何だか今日は雰囲気が違う気がする。
はっきり言って......怖い。
「ハーグ先生って......オメー、もしかしてフレア教会のハーグ・ロビンソンか?」
しかし、その不気味な顔付きはフェルムットに話しかけられた途端に消え失せ、直ぐに他人行儀な綺麗な笑顔が張り付けられた。
余りにも一瞬の出来事だった為、俺はあの顔が幻だったのではないのかと奇妙な感覚に陥っていた。
さっきの何?蜃気楼??
「はい。お久しぶりですねフェルムット神官」
「集会以来じゃねーの。体調崩したって聞いてたが、もう大丈夫なのか?」
体調崩した?誰が?ハーグ先生が?
何だそりゃ、聞いて無いぞ!!
って、教会内部の出来事、俺みたいな部外者に伝える必要無いよな。知られないのは当然か。
「はい。大きなお休みを頂いたお陰で良くなりました。大分動けるようになったので、早速此方に伺ったのですけれど......すみません、連絡の一つ差し上げるべきでしたね......」
急な訪問に驚いていた皆の顔を見て、ハーグが恥ずかしそうに笑いながら後ろ頭を掻いた。
......うん、段々いつものハーグに戻って来たぞ。
「いや、それは構わねーが......どんな用件だ?迎えに、って聞こえたが」
「はい。今日は彼を迎えに来たんです」
彼、と言って視線を俺に向ける。
ん?
......俺?
「......ニベウスをか?」
「はい」
「......何故だ?」
「単純に、フレア教会で彼を迎える準備が整ったからです。本来なら、マーシュマロウ家の嫡男である彼がノアを離れるのは問題があります。フレア教会でしたら屋敷から通う事も可能ですし、マーシュマロウ家伯爵代理のユリウス様も、彼が戻る事を願っていました」
ユリウス様......て、お父様の弟......?
俺が爵位を相続するには駄目駄目過ぎるから、代わりに叔父が代理で引き受けるってどっかの誰かが言ってたような......。
「んだそりゃ......?そんな話し聞いてねぇぞ」
「すみません、私が一報入れるのを怠ったせいです......」
一方的に理由を説明するハーグに、フェルムットは方眉を上げ、怪訝な表情で目を細めた。
それに対し、他人行儀な態度を変えぬままハーグは頭を下げる。
え?じゃあ俺、帰るの?
「ですが.....」
「ああ......」
しかし、リディとフェルムットは何か引っ掛かるのか、難しい顔をしてお互いを見やるとハーグに視線を戻す。
「それにしたってよぉ、そんな話し、それこそオメーじゃなくて国の軍が通達に来るのが普通じゃねぇのか?今だってそうだ、迎えに来るなら護衛を勤める憲兵辺りが来るなら分かるが、どうして神官のオメーが使いっぱしりしてやがる?」
......確かに、それは言えてる......。
「ハーグ......オメー本当は何しに来たんだ?」
フェルムットに問い詰められたハーグの顔から、笑顔が消えた。
その顔は能面のように感情が抜け落ちた表情には人らしい温度を感じず、瞳からも光が消え、薄暗く揺らめいている。
「..................はぁーーー......」
ハーグが、肩を落として大きなため息を吐いた。
「穏便に済ませようと思ってたんだけど......そう上手くは行かないか......」
前髪を掻き上げ、自嘲しながら呟いたハーグはおもむろに右手を突き出した。
手は、ピストルの形を作っている。
全員が、ハーグの理解不能な行動を不思議に眺めていると、彼は人差し指を軽快に動かした。
「バーン」
子供がピストルを撃つ真似と同じく、ハーグはにっこりと頬を緩めながら遊び心残る大人の姿を見せた。
しかし、ハーグが銃声を真似た声をあげた途端
フェルムットの身体が吹っ飛んだ。
「―――がはっ!?」
身体をくの字に曲げ、勢い良く後方に飛んだフェルムットの身体は祭壇に大きな音を発てて叩き付けられた。
そのまま力なく床に倒れ、ピクリとも動かない。
え......?ハーグ先生、なにしてんの?
「神官!!!」
「フェルムットさん!!あんた、何て事してくれんのよ!!!」
リディが悲鳴に乗せて言葉を発すると同時に、大男が怒りを露にしてハーグに殴りかかろうと突進してきた。
その男にも、ハーグは指先を向ける。
「バーン」
男の巨体が宙を舞った。
礼拝堂の隅まで吹き飛ばされた大男は、そのまま壁に激突し気絶してしまう。
その惨事に、アンジュが大声で泣き声を上げる。
ちょちょちょ!?!?本当にどうかしちゃったのこの人!!止めなさいよ!
「止めてください!ハーグ先生......うわっ!?」
早くこの人間空気砲止めなきゃ!!
と、慌ててピストルの右手を降ろそうとしたら、逆にハーグから腕を捕まれて引き寄せられてしまった。
身長差もあり、すっぽりとローブの中に納められてしまう。
左腕でかっちりとホールドされて動けないんですけど。
......ナニコレ???
「ニベウスを離せ!!」
「駄目ですスギナ!!近付いては駄目!!!」
「止めるなリディ!!ニベウスが!!」
俺を助けようと駆け出すスギナに、リディが抱き付いて必死にひき止めていた。スギナが出てきても、フェルムット達みたいに吹っ飛ばされてしまう。
スギナの後ろで、呆然と立ち尽くすボーンとその後ろに怯えて隠れるトニー、そして顔を上げて泣きじゃくるアンジュの姿が見えた。
俺も身を捻って逃げようとするが、全く振りほどけない。くそ!やっぱり筋トレ続けてれば良かった!!
「じゃあこれで最後にしよう」
ハーグが、スギナ達に人差し指を向けた。
指の先から、黒い粒が生まれる。
次第に粒はぐるぐると回転しながら成長し、ピンポン玉サイズになっていった。
今までのとは違う。
ピンポン玉は小さな金属音に近い音を発てながら、高速に回転している。こんな物を撃ち込んだら、死んでしまうじゃないか!
「逃げろ!!」
「―――!!」
リディがスギナをハーグから遠ざけるように突飛ばし、前に出ると右手を突き出し何かを呟き始めた。
何してんだよリディさん!!逃げろって言っただろ!!
「早くにげ―――」
「バーン」
ハーグが、銃声を放った。
その瞬間、リディも叫ぶ。
「ミュデバル!!」
爆音。
目にも止まらぬ速さで撃ち込まれたそれは、彼女の目の前で破裂し爆風を巻き起こした。礼拝堂のベンチは壁に押しやられ、天井のシャンデリアは落ちそうな程大きく揺れる。
埃が立ち上ぼり、リディ達の姿が見えなくなった。
「へぇ、あれを防ぐだなんて中々やるな......」
爆風は、俺には伝わって来なかった。
多分、ハーグが魔法で防いでいるんだろう。透明な壁に守られてるみたいで、俺は髪の毛一本乱れていない。
でも......ハーグは何故、こんな事を.....
恐る恐る、ハーグの顔をみあげると、リディ達を眺めていた彼に気付かれ目が合う。
俺に顔を向けたハーグは、まるで愛しい恋人を見詰めるかのような甘く優しい笑みを浮かべた。
「やっと会えた」
その声も、嬉しさに震え俺を捕らえる腕に力が込められる。
ど、どうしたん??さ、三ヶ月そんなに会いたかったん???
さっきから行動も情緒もおかしすぎるハーグの行動に混乱していた俺を置いて、彼は薄い唇をゆっくりと動かした。
「それじゃあ......行こうか
――――――――――皐月」
........................え?
「............え?」
彼は、誰も知らない筈の、俺の名前を口にした。




