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美少年に転生したら男にモテる件について  作者: しらた抹茶
教会生活編
38/79

18

*第三者視点*


 スギナの両親は彼が八歳の頃。その年に起きた大雨による川の氾濫に巻き込まれ、遺体も見付からぬまま国から死亡と判断された。


 大洪水から逃れる直後、押し寄せる濁流に呑み込まれる寸前にスギナの父が多くの避難民が集う高台の坂に向かって彼を投げ入れた。両親は、その直後に濁る怪物のような波に流されてしまったのである。


 残されたスギナには何人かの親戚がいた。


 しかし、何処の家庭も幼いスギナを引き取るのに難色を示し、いくつもの親戚をたらい回しにされた挙げ句、父方の遠い親戚にプリヒュ教会に置き去りにされた。



「アンタが居るだけで、あたしたちまで暗くなるんだよ」



 三人の子を持つその女は、教会に向かう道すがら独り言のように、しかしスギナに聞かせる為にそう呟いた。



 邪魔だ。迷惑だ。アンタも両親と死ねば良かったのに。



 その女は、スギナを引き取ってから夫と口論が絶えず、年頃の子供達のスギナに対する阻害意識にストレスを抱えていた。


 耐えきれなくなった女は薄手のスギナを冷たい秋風の吹く教会の門前に立たせると、決して振り返らずに暖かい家族の待つ家へ帰って行った。



 自分も帰りたい。


 優しい母と父の居る家に帰りたい。



 そんなスギナのささやかな願いは、叶うことのない虚像の夢として儚く散った。



 誰にも必要とされない。愛して貰えない。


 その孤独と虚しさはスギナの人格と心を蝕んで行った。


 そんな折り、その本と出会ったのは正に天命だった。



 教会に寄付される少ない物質の中、"魔術剣士ダリーの冒険"と古ぼけた羊皮紙の表紙に掠れた文字で書かれた題名に、少しの興味を引かれて本を開けば、たちまちスギナはその本の虜となった。


 自分と同じ、幼くして親を無くして周りから疎外されるダリーは自分の境遇に良く似ていた。




「諦めない心が、奇跡を生む」



 その台詞は、真っ暗な人生と言う名の道に、小さな光を射し込んだ。


 諦めない心が、奇跡を生む。


 なら、俺にも奇跡を起こせる。


 諦めず、日々を努力すれば自分もダリーのような魔術剣士になれる。



 ダリーに憧れたスギナは、自分に魔力が無いのを知りながら愚直にも魔術剣士に拘り続けた。

 毎日続けた魔力訓練。それを馬鹿にせず教えてくれたアンジュ。自分を尊敬してくれるボーン。何も言わず付き合ってくれたトニー。スギナは、あの教会で人に恵まれた。


 だからこそ、此度の件はスギナが少しずつ築き上げた小さな自尊心と理想を打ち砕いたのである。



 意図も簡単に、脆い砂の城を崩すかのように。



 消沈したスギナを叱咤激励したニベウスの声も、彼には薄い膜が貼ったように何処かくぐもって聞こえてしまう。



 もう、どうでもいい。



 こんな俺でも、金にする価値があるならそうしてくれ。金貨にもならない価値かもしれないが、目に見えてそれを証明してくれるなら、見せて欲しいとも思えた。




 しかし、そんな投げやりの考えをしていたスギナの目の前で、信じられない光景が繰り広げられていた。




 どうやったかは知らないが、拘束されていた手足を自由に動かして戻って来たニベウスはスギナの縄を解くと逃げ出そうと目論んだ。


 その背後に近付く男の影にスギナが気付くも一足遅く、ニベウスの小さな頭は男の武骨な腕でなぐり飛ばされ、細い腰にどっかりと尻を置かれる。



 直感で理解した。



 ニベウスは殺される。


 咄嗟に助けようと男に掴みかかるも、蚊でも払うかごとく殴り飛ばされ地に伏したスギナの脳裏に浮かんだのは"諦め"だった。


 諦めない心が、奇跡を生む。


 あれほど信じたダリーの言葉。


 それはもう、スギナには御遊戯の幼稚な台詞にしか思えなかった。



 ニベウスの白い首に、男の日に焼けた指が食い込む。


 それを、膜の張ったボヤける視界で眺めていた。


 もう駄目だ。ニベウスも俺も、ここで殺される。




 そして、"それは"起きた。





「な、なんだこれ!!止めろ!!うわあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」




 狭い、小さな洞窟に男の悲鳴が響く。



 何が起きているのか、スギナにはとんと理解が出来なかった。



 ただ、目の前で繰り広げられる光景に、恐怖のあまり固まって目を離せずにいた。



 ニベウスの首を締め上げていた鶏冠頭の男は、"真っ黒い手"に巻き付けられ身動きが取れなくなっていた。


 ニベウスは気絶しているのか、全く動かない。


 だが、ニベウスの周りには奇妙な現象が起きていた。


 仰向けに倒れ、ぐったりとして動かないニベウスを中心に、綺麗な円を描いた"暗闇"がインクを落とした跡のように拡がっていた。

 そこからは無数の小さく真っ黒い子どもの手が細く伸び、男の身体に巻き付き、しがみ、じわりと拡がる円にゆっくりと引きずり込もうとしている。


 男はもがきながら叫んで逃れようとするも、男を捕らえる手は触手のごとき意志のある動きをみせて、男を解放しようとはしなかった。




―――アハハ!




 笑い声。


 甲高く、幼い子供の笑い声がスギナの鼓膜を振動させた。




―――クスクス

―――フフフッ

―――アハハハハハ!!




 複数の笑い声が暗闇の中から聞こえてくる気がした。


 男もそれに気づいたのか、怯えた男は更に暴れ終いにはスギナにさえも助けを求める。




「た、助けてくれ!!頼む!助けてくれぇ!!!」




 男のすがり声に、スギナはそれでも動く事が出来なかった。



 恐ろしい。



 身体が震え、歯がカチカチと音を発てていた。


 放って置けば、この男は得体の知れぬ闇に呑まれてしまうだろう。そしてきっと、二度と戻っては来れない。助けてやる義理はないが、それ以前にスギナは恐怖で身体をまともに動かす事さえ出来ずにいた。


 本能が、逃げろと自分の身体に命令をしている。


 それでも、硬直した筋肉は弛まずに震え続け、一人の人間が補食されるような光景をありありと見せつけられた。スギナは、声を上げる事も出来ず、ゆっくりと男が闇に飲み込まれて行く様を見届けてしまったのである。




「............」




 男は最後まで抵抗をしていた。


「お願いだ許してくれ!助けてくれよ!!」


 涙を流し命をこうた男は、最後には長く伸びる腕に口を塞がれて無様にもがきながら暗闇に沈んで行った。



 辺りは静寂に包まれ、子供の笑い声も聞こえなくなっていた。男を呑み込んだ暗闇も姿を消しており、洞窟には気を失ったニベウスと、自分だけとなっている。


 心臓が荒く脈打ち、その力強い鼓動の音はまだ自分は生きているのだと、スギナに実感させた。




―――逃げよう。




 逃げなくてはならない。


 この、美しい人間の形をした得体の知れぬ存在から。


 スギナの防衛本能がそう訴えていた。


 震える足を叱咤し、立ち上がったスギナは一目散に洞窟を出ようと......した。




「...はぁ...はぁ......」




 恐怖で、自然と息が荒くなる。


 早く逃げなくては。


 本能がこの場を一刻も去る事を命じている。しかし、スギナのなけなしの自尊心が、それを拒んでいた。


 自尊心。そう、彼は自尊心故にニベウスを見棄てる事を躊躇った。



 洞窟の口で、たたらを踏んだスギナはぎこちない動作で後ろを振り返る。



 脳裏に、自分を置き去りにした女の遠ざかる背中がよぎった。


 今、この人を見棄てて自分だけ逃げてしまったら、あの女と同じ人間になってしまう。


 人の痛みを顧みない、自分可愛さに人を傷付ける、あの人達と同じになる。



 それは、自分の命が危険に晒されるより、ずっと恐ろしい事だった。



 例え己の魂が腐り地に堕ちても、自分の知る痛みを他人に、自分自身が与えるのは死ぬことよりも恐ろしかった。




「......っ......ニベウス!」




 恐怖を振り払い、張り裂けそうになる心臓を押さえ込んでスギナはニベウスに駆け寄った。



 神秘的な美しさを持つその人は、雪のような白い肌を青白く染め、息は微かにか細く今にも途切れてしまいそうだ。




「ニベウス!ニベウス!」




 肩を掴み、譲ってみるが反応は無い。


 そっと触れた頬はヒヤリと冷たく、ここままでは命が危ないと物語っていた。



 迷っている暇など無かった。



 意を決したスギナは、ぐったりと力の抜けたニベウスを背負うと教会に向かい歩き出した。


 足場の悪い森の中を、自分とさほど身長の変わらない人間を背負って歩き続けるのは骨が折れる。


 ニベウスは確かに華奢だが、それでもその重みはスギナの身体に負担を与え、高い夏の気温は徐々に体力を奪って行く。

 しかし、立ち止まる事は許されない。


 スギナの頭は、ひたすら前に進む事だけを考えていた。


 余計な事は一切考えない。


 今は、教会に戻る事だけを考えろ。

 自分とニベウス、二人で帰るのだ。


 


 いつ、もう一人の男が人買いを連れて戻って来るか分からない。早くここから逃げてニベウスを助けなければ。



 ポタリと、スギナの頬に滴が落ちた。


 生暖かい水の滴だ。


 それを皮切りに、空から雨が降り始める。

 冷たくもない人肌の温度の雨は、心地悪く息苦しくもなった。


 喉が乾いた。滴る雨が髪をつたうのをすすり、物足りなさを覚えながらもスギナは歩き続けた。雨水を飲みたければ、一度ニベウスをおろして手のひらで器を作らなければならない。だが、今ニベウスを下ろして立ち止まってしまったら、今度こそ自分は動けなくなってしまう。




「はぁ......はぁ......ぐっ、げほげほ!!」




 咳き込んだ拍子に足を滑らしそうになった。


 バランスを取りづらい体制でもなお、何とか持ち直したスギナは休まず前に進む。


 じくじくと痛み始めた親指に無理な力を与えて歩を進める度、自分の周りに張っていた膜が溶けていくような気がした。


 雨音が鮮明に聞こえ、ニベウスの微かな体温が背中に伝わる。



 雨で視界が悪くなる中、ひたすら歩き続けたスギナが教会にたどり着いた時には雨は止んでおり、空の雨雲から黄昏時の日暮れが射し込んでいた。


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