変人
深い溜め息が寒空に放たれた。白くなった空気が霧散していく。
「足、痛ぁ〜……久し振りなのにこんな歩くもんじゃないなぁ……魔王城に行った時ぶりかなぁ……」
サラはウンザリとした顔を作りながら、なおも歩く。雪が溶け、泥に塗れた道は、彼女の白い魔導服を確実に汚していく。
「もう魔法で舗装してやろうかなぁ……いやいや怒られちゃうかぁ……もう……」
ぶつぶつと文句を垂れながら歩いていく先に、僅かに煙が見えた。煙突から垂れ流される白い煙は、人の気配を示している。
泥だらけの道には少しずつ足跡が増えていた。
「やっと着いたよぉ〜! 早く休みたいなぁ」
サラの足は自然と速くなった。だが、サラの足は途中で止まった。「ふぅん……」と呟くと、また歩き出す。
村は小さいなりに温かみのある場所だった。遠くから見た限りでも子どもたちの走り回る姿が見て取れる。平和そのものだ。サラは顔を綻ばせた。
遠くから歩いてくるサラの姿を見つけた村人が、サラを指さして誰かに声をかけた。途端に村人たちは子どもを家のなかに隠し、大人たちが鍬や鋤を持って入り口に集まり始める。
「司祭長呼んでこい!」
遠くからでも聞こえるほどに、緊迫した声が響く。
「おやぁ……? なぁんであんなに警戒してるのかなぁ? 私、そんなに怪しいのかなぁ……?」
自分の服装を見下ろすが、足元が泥で汚れている以外は高級感のある真っ白いローブだ。片手には捻じくれた大きな杖も持っているが、だからといって怪しいとは思えない。
サラは首を傾げながら村の入り口まで歩いていく。
「あのぉ……すみません、旅の者なんですけどぉ……」
「……っ! す、少し待ってろ!」
村人たちは警戒心を隠すこともなくサラへそう怒鳴りつけた。サラは眉を八の字にさせて、言われた通り待つことにする。
やがて、奥から正トラス教会の礼服を着た小綺麗な男がやってきた。顎に整えられたヒゲを蓄え、髪には白が混じり始めている。
「……失礼しましたね。私はここシラルト村の司祭長を務めております、フロリアン・クラナッハと申します」
柔和な笑みを浮かべながら、フロリアンはサラから目線を外さなかった。
「あなた様は?」
「あ、私はサラ・アスピヴァーラですぅ」
「サラ……アスピヴァーラ……?」
途端にフロリアンの表情が固まった。サラは更に首を傾げる。
「どうかしましたかぁ?」
「……あ、いや……サラ・アスピヴァーラと言えば……あの……勇者とともに魔王を討ったという……?」
フロリアンは困惑したような笑みを浮かべながら、まるで馬鹿にしたかのように途切れ途切れに呟いた。だが、サラはフロリアンの言い方にも、ちっとも気にせず続ける。
「あ、そうそう〜それそれ。私、アレンの仲間だよぉ。今は宮廷筆頭魔導師やってるんだよねぇ」
いとも簡単にサラは言い切った。村人たちにざわめきが広がっていく。
「……そ、そんな嘘いくらでもつけるだろうが!」
集まった村人の中から、麦わら帽を被った中年の男が怒鳴った。嗄れたその声にサラはムッとした顔を作ると、杖を空に向けた。
「嘘じゃない」
その声は僅かに冷たさを帯びていた。
「『雲を集わせよ』」
サラは唇をあまり動かさずに唱えた。
途端に散っていた雲が村の上に集まりだす。そしてすぐに柔らかな雪が降り始めた。
疑いをつけた村人は手のひらを広げ、雪を受け止めると、手のひらのなかで雪はすぐに解けてしまった。
村人たちは慄いて一歩退く。だが、サラの表情は元の通りふわふわとしたものに戻っていた。
「ほら見てよぉ。どう? 信じてくれた? あとねぇ、この服、宮廷魔導師の魔導服だよぉ。いいでしょ?」
サラは両手を広げて得意げに言った。高級感のあるローブの裾が泥だらけというのが、彼女を更に怪しくしていることに、サラ自身は気付いていないのだろう。
「……わ、私は宮廷魔導師の服は存じ上げませんが……なるほど、道理でそれほど仕立ての良い服を……」
フロリアンは無理やり自分を納得させるように頷いていた。
「……申し訳ありません、アスピヴァーラ様。当村は野盗による略奪が続いておりまして。部外者には警戒するようにと呼びかけていたのでございます。アスピヴァーラ様ならば、警戒も不要というもの。ささ、中へどうぞ」
フロリアンは流れるようにそう言うと、集まっていた村人たちに「この方は問題ないから皆各自の仕事に戻ってくれ」と怒鳴った。そして、最も近くにいた村人に「この人を怒らせてはいけないと皆に言っておいてくれ」とひっそりと呟いた。サラにその呟きは聞こえていなかっただろう。
村人たちはサラに畏怖と尊敬の眼差しを浴びせながら散っていく。
「アスピヴァーラ様、まずは礼拝堂へお越しください。お茶でもお出ししましょう」
「やったぁ〜! もう長旅で疲れちゃったんだよぉ」
サラは満面の笑みを浮かべながらフロリアンについていく。礼拝堂は村の規模から考えても順当に小さかった。
礼拝堂の中に入ると、火が焚かれて暖かい。サラの表情は緩んでいく。
「……さて、アスピヴァーラ様。まずはこちらへ」
礼拝椅子に座らされると、フロリアンは奥の小部屋に入っていき、再び出てくると両手に二つのカップを持っていた。一つをサラが受け取ると、両手で包んで冷えた手に温度を移していく。
「アスピヴァーラ様」
フロリアンは腰掛けながらサラに呼びかける。
「なにぃ?」
「宮廷筆頭魔導師ともあろうお方が、こんな辺鄙な村へ何を?」
フロリアンはズズ、とお茶を啜りながら聞いてきた。サラは飲もうとはせず、手を温めながら答える。
「いやさぁ、教会と宮廷魔導師の仲が悪いのは知ってるでしょぉ?」
「ええ、もちろん。聖典は魔法の存在を許容していませんからな。魔法が無ければ立ち行かないために、その部分は無視されることが多いですが、正トラス教会の公式見解としては魔法は異端とされていますね」
何度も言ったことがあるように淀みなく答えた。サラはフロリアンを指さして微笑んだ。
「さっすが司祭長様ぁ! そうそう、そういうこと! だからねぇ、セヴァンと一緒に仲良くやろうとしてるんだけどねぇ」
「『セヴァン』と言いますと……かつてのお仲間の……今の大司祭様でございますか?」
「そうそうそのセヴァンだよぉ。お友達だからさぁ、教会と魔導師の関係改善しようねって頑張ってるわけぇ。でもさぁ、私政治とか苦手なんだよねぇ。だからぁ、一旦お休み! 一人旅でリフレッシュってわけぇ」
「な、なるほど……? 随分とまた、自由な……」
フロリアンは乾いた笑いを浮かべながら呆れたようにサラを見つめた。
サラはあっけらんとして続ける。
「まあ、これから先一年分の研究はもう終わらせて、部下に順番に提出するように言ってあるしねぇ。帝国は私がいないことにすら気付かないよぉ、きっと」
フロリアンは額に手を当て、目を瞑ってかぶりを振る。
「……ほう。流石ですな。天才魔導師は健在ですか」
「えへへぇ、照れちゃうなぁ」
サラはやっとお茶を一口啜った。そして思い出したかのように言う。
「そういえばさぁ、さっき『野盗に狙われてる』みたいなこと言ってなかったっけぇ?」
フロリアンは、目を開け、下を向いたままサラを見た。
「……ええ、ここ一年ほどでしょうか。野盗が現れて村人を襲うようになりましてね。用心棒殿が来てくれたお陰で被害は少なく済んでおりますが、それでも看過できぬ問題です。騎士団は東の反乱を抑えるのに忙しく、ここの領主には野盗を何とかしようという気すらないようでして……全く嘆かわしい……」
ズズズ、と茶を啜ってから、サラは何か考えるように上を向いていた。
「用心棒って、どんな人?」
サラのその声にはそれまでの柔らかさはなく、観察するかのような鋭さがあった。フロリアンは急な変化に戸惑う。
「え……? あ、ああ、用心棒殿ですか。少し変わった方でして、人付き合いが悪く村のはずれに住んでいます。盲目なのですが、魔法の達人でして、野盗を何度も追い返してくださっているのですよ」
「へ〜、魔法の達人なんだぁ……」
サラは何かを思いついたようにいたずらっぽく笑ってから、フロリアンに向き直った。
「私が野盗やっつけてきてもい〜い?」
「は!? アスピヴァーラ様がですか!?」
「そうそう! その代わり、どっかのお家に泊めてくれるように取り計らって欲しいんだぁ。あと、用心棒さんにも会いに行きたいなぁ」
得意げに指をピンと立て、つらつらと言った。フロリアンは顎髭を撫でながらしばし考えると、口を動かし始める。
「……分かりました。ですが、危険なことはしないでくださいね? アスピヴァーラ様がお怪我でもなされたら、私の責任問題になってしまうかもしれませんので……」
「分かってる分かってる! 引き際は弁えてるよぉ。じゃあまずは用心棒さんに挨拶してくるねぇ。どこにいるのぉ?」
うきうきした様子を隠しもせずに立ち上がり、空のカップをフロリアンに返した。フロリアンは何も言わずに受け取ると、立ち上がった。
「アスピヴァーラ様、もしや、用心棒殿と会うことが目的なのでは?」
「うっ……そ、そんなことないよぉ〜……」
「はぁ……まあ構いません。彼女は優秀な魔法使いです。彼女の名前は『リリット』。ここを出て、すぐに右の道をまっすぐ進めば彼女の家です。気難しい人ですから、あまり期待しないでくださいね?」
「分かってる分かってる〜! 魔法使いなんて変人しかいないんだからぁ!」
フロリアンは足早に駆けていくサラの背中を見つめながら呟いた。
「……まさに、その通りですね」




