再創星 第二節
ヨベクは、その無機物と魔力だけで構成された肉体と頭脳を駆使し、目の前でかつての主人が行っている「魔力固形」を再現しようと試みる。目標自体は非常に簡明直截だ。ただ自分の体にめぐる魔力を、物質として固形化させるだけでいい。
だが、既知の理論も技術も、いずれもそれを叶えるための答えを有していなかった。
「奇妙な術です。これが、竜の術、というわけですか」
ヨベクはネーパットの力をよりよく観察しようとするが、あらゆる側面からその術を観測しても、やはり手がかりの一つもなかった。
「竜の術?違うな。これこそ本当の魔術だ。今までお前たちが使ってきたものこそが、まがい物なのだ。神に匹敵する存在は竜の他いないのだからな」
ネーパットが右手をかざす。三人は強く魔力が発されるのに気づいて、すぐさまその場から離れた。目には見えないが、強力な魔力を帯びた何かが、三人が先ほどまでたっていた場所を的確に潰した。
「悔しいが、ネーパットの言う通りだ。私も竜の域に足を踏み入れたからわかる。私たちが使っている魔術と、竜の使う力は次元が違う。だからネーパットを倒すなら、二人も竜の力を得るんだ」
リャージャが中空を飛び回りながら、二人の友に助言をする。
「簡単に言ってくれるな!俺は竜因でもなんでもないんだぞ!」
「それはネーパットも同じ!あいつも竜因じゃない!竜因であることと、竜の力を使えるはまた別のことなんだ!」
リャージャの言っていることをサネトは全く理解できなかった。だがそれに手がかりを得たかのように、ヨベクは急速に答えに近づいた。
ネーパットの言うことが正しいなら、竜と神は、その由来こそ異なるが、存在としての本質は同一である。神術を起動させるには、神の言葉が必要になる。ならば真の魔術を起動させるのも、やはり言葉であるはずなのだ。
現代に使用されている魔術形式言語は、所詮人が作り出したもの。ネーパットが紛い物呼ばわりするのも頷ける。本当に必要なのは、創世よりも遥か前に生まれた竜が用いる言語であるはずだ。
『レアケ様!聞こえますか!ヨベクです!』
突如通信機越しに、ヨベクの声が聞こえきて、魔工の主であるレアケが咄嗟に手を耳にあてる。
『レアケ様、今、そこには竜因の方々も皆揃っていらっしゃいますね』
「あ、ああ。そろい踏みだぞ」
戸惑いながら、レアケはヨベクに応える。
その後、ヨベクの口から出た提案は、あまりに突飛なものだった。
ヨベク、魔工、竜因、全員による思考共有。
レアケは、これまで多人数を含めた思考共有は行ったことはある。だが、竜因はこの場に六人、魔工宗匠は合計七人いる。十人を超える思考共有はレアケにとっても未経験、しかも遠隔での思考共有など全く想定外だった。
「……目論見を聞きたいが、時間はなさそうだ。まずはいったん俺とお前で思考共有し、現状の把握がしたい。いいか?」
『ええ、構いません』
その言葉を聞いて、レアケは魔力と意識を極限まで集中させる。通信術の経路を精確に辿り、ヨベクと自分を結び付ける必要があるからだ。言うは易いが、実際には至難の業であった。音声や映像と違い、意識とは大量の情報である。端末から電波を通じて別の端末に映像を表示するのとは訳が違う。そもそも周囲のあらゆる電子機器、通信、大気魔力といった障害が多すぎるのだ。
しかしその難業をレアケはあっさりとやってのけた。レアケはヨベクと思考を同調させ、その目的や狙いを把握する。
「は、狂ったことを思いつきやがるな!いいぜ、やってやろうじゃねえか。おい、皆、集合だ」
レアケが後ろを振り返り、残りの魔工と竜因を呼びつける。
「なんですか、レアケ。我々に手助けできることなど」
「ある、あるぞ。竜大公。お前たち、竜の言葉は多少覚えているな?」
竜因の一人、ラフグアの問いにレアケは不敵な笑みをこぼしながら、そう返した。
「え、ええ。我らの名の由来となった一部の単語のみではありますが、代々受け継がれてきました」
「よーし。じゃあそれを全部、思いつくだけ思い出せ。そしたらそれを、私が思考共有を通じて、あのヨベクに伝えるから」
竜因たちどころか、魔工たちにさえ、レアケの提案は理解できないものだったようで、きょとんとした表情で皆、一様にレアケの顔を見つめる。
「ち。説明は面倒だ!とりあえず思考同調、ほら!適当に手でも何でもいいからやりやすいように体を接触しあえ」
レアケが自分の両手を差し出し、それを手に取るよう全員に目線で指示を送る。
おずおずと、魔工たちが先陣を切ってレアケの手を取り、遅れて竜因たちも各々の手を取り合う。魔工と竜因が輪となったと同時に、レアケは思考同調を行う。多人数かつ遠隔の思考共有。未経験の領域、レアケのこめかみに自然と熱が帯び、頭痛が走る。だがその苦痛がレアケの術を鈍らせることはなかった。
「同期成功」
その言葉を合図に、全員にヨベクの計画が共有される。
と、同時に、すさまじい量の計算と思考が駆け巡る。その量は星の上で行われる一年の計算量を、僅か一分で上回るほどだった。
言語復元、それこそがこの莫大な計算の目的だった。
僅か数単語、竜因が旧き星の時代から、幾度の文明崩壊を乗り越え生き残った竜の言葉。竜因にとっても、名前に使われる程度にしか思われていなかったもの。それを完璧に復元することこそ、この思考共有の唯一の目的だったのだ。
ネーパットは、竜の力こそ、真の魔術であり、神の知恵に匹敵するものであると説明した。ならば、その起動の原理も同様のはずだ。神の言葉が、神の術を発動させるならば、竜の術を動かすのは竜の言葉を置いてほかにない。
だがこの場において唯一の竜の言葉を把握するネーパットは、それを全て手話によって発動させている。伝説に語られるタミーナフの「十指に宿る究極」とは、このことだったのだろうと、ヨベクは理解していた。だがネーパットの魔術発動における動きは指を一本立てるなど、必要最低限なものだった。手話といえど、たった一動作で術を発動させるのは不可能だ。
であれば、あれは発話ではなく、省略記号のようなものであろうとヨベクは推論した。この推測を思考共有の中で聞いたレアケら魔工は最初は受け入れなかった。なぜなら「術式詠唱」の省略は、極めて困難であり、そしてそれは複雑で巨大な術になればなるほど不可能になっていく。既存の術式から一単語省略しただけで、魔工内では多額の懸賞金や奨学金が出るほどの偉業だ。
だがその反論をヨベクは珍しく、荒っぽい方法で否定した。「それができるから、彼/女は、伝説に名を遺したのだ」と。
論理も無ければ証拠もない反駁。普段なら決して受け入れないものだ。
だが、どうにもその言葉が持つ魔力を、彼らは完全に否定できなかった。そして何より、現に彼らはネーパットが行使した術の数々を目にして、そうでもなければ説明がつかないと考えざるを得なかった。
とはいえ、この議論は、ネーパットの動作が竜語の復元には何の役にも立たないことを説明しただけに過ぎない。勿論誤った仮説を立てて、そちらに向かうよりはよほど建設的であるが。
その後、本格的に言語の分析が始まる。しかし手元に使える単語は多くない。多くの竜因の間で共有されている竜の術を起動するための言葉。そして家族代々の名前に使用されてきた一部の単語。辞書の数頁にも満たない語彙数では、当然ながら言語の復元など不可能である。
しかし、彼らは魔工である前に、竜因である前に、魔術の使い手。魔術とは、魔術という言語を用いた術であり、従って優れた魔術師とは、優れた言語学者にほかならぬ。特に、魔工たちは本来の術師では一生かかっても書き切れぬ術式を大量に書く者たちである。
竜因の語彙、それを使って魔工が文法、語彙を復元する。しかし言うは易いが、それを実際に行うには、正誤の判定も含め大量の計算を必要とする。だからこそ、竜語の復元など、これまで誰も手を付けなかったのだ。勿論竜の言葉の持つ力を真に理解していなかったから、復元する価値を見出していなかったのも事実だが。
だが、今の彼らには、この世で最も高い演算能力を持つ存在が共にいるのだ。推論は魔工と竜因に任せ、ヨベクはただひたすら、彼らの提出する仮説を演算し、その結果を出力し返答する。
それを受けて、仮説を修正、再び理論を再構築し、再提出。その工程が百を超えたあたりで、ようやく彼らは、今まで語彙になかった新たな一語の復元に成功した。彼らの用いている魔術形式言語の祖語が、竜語ではないかという仮説のもとで、初めて前に進んだ第一歩だった。
だがこの一歩はあまりに大きな前進だった。それにより、竜語の中にみられる語形成の規則への極めて蓋然性の高い推測が立つためである。
そこから同じく百の工程を経て、彼らは単語の音韻体系を把握した。これにより単語を形成するうえで竜語であり得そうな組み合わせや規則に対する仮説を打ち立てた。この仮説から、今度は基礎語彙の発掘を始めた。
そしてもう数え切れぬ工程を経て、基礎語彙の復元に成功し、そこから文法構造の解析へと移る。勿論同時並行的に、新発見した基礎語彙を、第二段階で分析した音韻体系との照合を行い、常に現在の仮説の正当性の検証も続けている。戻っては進み、進んでは戻るという作業だった。光明が見えたかと思うとすぐさま暗幕が垂れ下がり、それをやっとの思いで潜ったかと思うと、その先には出口のない行き止まりだった。かと思い引き返せば、実のところ行き止まりと思っていた道に、隠し扉があったような。
言語の迷路の中を、何度も何度も往来し続ける。ただしこの無意味にさえ思える繰り返しの中、竜因、魔工、そしてヨベクの頭の中には、竜語の迷路の俯瞰図が徐々に出来上がりつつあった。
莫大な書き直しと再考の末に、とうとう一行はその果てに辿り着いた。
そうして皆で編み込んだ術式を、ヨベクへと受け渡す。さながらそれは、ヨベクを竜語の自動翻訳機にするための式だった。
「<竜は我らに力と、救いを与える。力ある竜こそ、我らの永遠の救いであり、贖いである。まことに、竜は敵の頭を打ち砕き、罪の中を歩む者より 悪神を取り去れ。竜の威光が我らに宿るように>」
ヨベクが唱えた言葉は、ある種の宣言のようなものだった。竜を礼賛し、竜の力を自らに導き、そしてわずかにでもある神との繋がりを断つという宣誓。勿論、誰でもこれを言えば竜の力を得られるわけではない。しかし、体の大半を魔力で構成し、そして魔の知識に精通し、強大な魔力を持つヨベクであれば。
ヨベクの周囲に強大な魔力が漲る。それを見たネーパットは無数の魔力で構成した剣を放った。この世にこの剣を阻めるものは存在しない。純粋な魔力量においてのみ上回る存在以外はその凶刃を決して止めることはできない。
だが、その剣は全て、サネトたちの目前で静止した。
「紫竜の力、掴みました」
その様子を、不満げににらみつけるネーパット。だがそれは決して自分の攻撃が防がれたことへの怒りではなかった。
「竜語を体得した程度で随分大仰なことを言うじゃないか、ヨベク」
再び繰り出される魔剣。しかし先ほどまでのそれとは違い、今度は全くの透明な剣ではなく、半透明でありながらも赤黒く光っていた。
ヨベクが再び魔力の壁を展開する。しかしその壁は呆気なくその剣によって貫通された。一瞬わずかに剣が静止したことで、サネトもリャージャも、そしてヨベクも、その攻撃は容易に躱すことはできた。しかしこのことは何よりもサネトたちに芽生え始めた希望さえも一瞬で砕いた。
「わかっていない。魔力固形化同士のぶつかり合いは、それこそ純粋な魔力量の対決になる。魔力の放出量でわしに圧倒的に劣る貴様が、わしと互角にやり逢おうなど、片腹痛いわ」
その言葉と同時に、ネーパットの周囲に先ほど向けた赤と黒に妖しく光る剣が、百を超えて浮かび上がる。一振り一振りに込められた魔力量は、先ほどのそれとまったく遜色ない。ただの一本ですら、防げなかったヨベクでは、これを全て掻い潜ることは不可能だった。
「ヨベク!お前ひとりじゃない!防ぐな!お前も撃て!」
サネトは、そう叫んで、再び高速移動を始めた。彼の言動の意図は、ヨベクにもリャージャにもすぐに分かった。
「<竜の飛剣!>」
ヨベクも無数の魔剣を展開した。わずかに浅葱色に光る剣、ただしその光はネーパットのそれと比べるとひどく淡いものだった。
だがヨベクもまたそれをネーパットに向けて打ち出す。どれもネーパットの剣と打ち合うと、あっっけなく砕けていく。しかしわずかに軌道を逸らすことに成功したものもあれば、その結果、ネーパットの魔剣同士が互いに衝突しあうようなことも発生していた。
ヨベクは完全に力で撃ち合うのではなく、角度を精確に計算したうえで、それらを凌げるような剣の撃ち方をしたのだ。
しかし狙いはそれだけではなかった。わずか一本、ヨベクの放った剣が、ネーパットのそれと衝突せず、まっすぐ彼女に向って剣の雨を掻い潜るように飛来していた。勿論ネーパットもそれには気づいていた。すぐさまそれを打ち落とさんと新たな魔剣を用意しようとした。
が、
「うらぁ!」
何とサネトが、その隙間を縫っていた魔剣を、高速移動のまま蹴り飛ばした。サネトの速度が魔剣に乗ったことで、ネーパットはそれを迎撃することができなかったのだ。
その剣もまた、ネーパットの顔の正面で静止した。ネーパット自身を守る魔力の鎧は、飛来した魔剣ほどではないにせよ、それでもヨベクの剣では貫通できるほど生易しいものではなかった。
だが間髪入れず、いつのまにかネーパットの正面にまで接敵していたリャージャが、その今にも重力に従って落ちようとしていたヨベクの魔剣の柄を、その剛拳で打ち抜いた。リャージャの腕力まで乗ったことで、その剣はネーパットの透明な鎧に深々と突き刺さる。しかし、リャージャの力とネーパットの鎧の強度に耐えかねてか、その剣はその後すぐに砕け散り、結局ネーパットの鼻先をかすめた程度だった。
しかし、まだサネトらの攻撃は終わっていなかったのだ。
先ほどヨベクの魔剣を蹴り飛ばした位置から、一瞬でサネトはネーパットの目の前に現れる。ヨベクの剣が突き刺さったことで、顔の正面の鎧はひび割れていたが、サネトの速度についていけず鎧は未だ修復されていなかった。彼は自身の拳に大量の魔力を混め、ネーパットの顔に向けて思い切り打ち込んだ。結果、彼女の体を保護していた鎧は砕け散り、サネトの右拳がネーパットの顔面にめり込む。大砲という比喩すら生ぬるい。ネーパットは音を越えた速度で、大地を裂きながら、彼方へ吹き飛んでいった。
「あんなにやっちゃって大丈夫?死んでない?」
リャージャがサネトの傍に降り、地平線まで続いた巨大な轍をまじまじと見つめる。
「馬鹿言え。この程度でくたばるかよ」
サネトがそう言うと、同時にその地の果てより、爆発的な魔力が立ち上がる。土煙と共に、何か小さなものが、上空に飛び上がった。
それは間違いなくネーパットだった。あれほどの苛烈な拳を直撃したうえで、その魔力には一切の陰りが見えなかった。
そして空からあっという間にネーパットは戦場に舞い戻った。近くに来たことで、ネーパットの様態ははっきりとわかるようになった。あれほどの衝撃を受けていながら、ネーパットの顔には、一滴の鼻血以外の目立った外傷がなかった。
「はー、ふざけてんな。もうちょい喰らってろよ」
「わしに勝つのは不可能だ。とっととその心臓を差し出せ」
ネーパットが右手を前に差し出し、指を何度か軽く折り曲げる。
「……ネーパット、あんた、ここまでの事態になることをどれだけ想定していたの?」
「は?」
リャージャが突如、ネーパットに問いを投げかけた。その真意がつかめず、ネーパットは頓狂な声をあげてしまう。
「ヨベクが魔神を越えた存在になり、私が竜の世界から舞い戻る。一体どれだけのことが『お前の予想の範疇』だったんだ?」
リャージャの質問に、ネーパットは眉間にしわを寄せる。それはリャージャの意図を読み取っての怒りの発露だった。
「どうせ、どれも可能性を低く見積もっていたか、絶望的なまでのモノだと思ってたんだろ。なぜならどれか一つでも成立すれば、魔人の心臓を集めさせなくとも、魔導星核を作るのに十分な性能を持つ魔力核は用意できたはずだろ」
「何が言いたい」
「は、賢者だなんだと言われているわりに、お前の計算能力は大したことない、ってことだよ!」
リャージャが挑発的な表情で、ネーパットに指をさす。
「つまり、なにか。わしの計算は誤りだらけ。だから魔導星核のほかにこの星を救う手立てがあることに気づいていないと?」
「そうさ。あんたは、こうして私たちに立ちはだかられた段階で、負けてたんだ。力の勝負にじゃない。知恵の勝負でさ。いや、お前のことだ。あったんじゃないか?あんたが切り捨てた選択肢に、私たちの命を犠牲にせず、それでいて星を救う手が」
リャージャの発言の後、一瞬、その場を沈黙が支配した。
「ああ、あるとも」
ネーパットの回答は、想像以上に素直なものだった。傲慢と尊大を煮詰めたような彼女の口から飛び出してくるとは、想定できていなかった。
しかし、突如、周囲を吹き荒れる、異常な強度の魔力に、その場にいるもの全ての身が竦んだ。
当然、その嵐の目は、ネーパット。彼女はどこか冷徹な視線で、サネトらを見下しながら、明らかに何らかの術を準備していた。
「だが、一度二度、わしの計算を甘さを指摘した程度で、粋がるんじゃない。我が救星を担うだと?一万年、早いわ」
その場にいる者の中で、ヨベクが最初に、ネーパットの仕掛けに気づいた。
ヨベクはその視線を天に向ける。
「なんて、ことを。貴方、星を滅ぼすつもりですか」
無機生命体であるはずのヨベクが声を震わせているのを見て、サネトとリャージャも異常な事態が発生していることを察した。
「安心しろ。星の地表を七度焼き払う程度のものだ。どうせ星核を使えば現生する生命は殆ど滅ぶのだからな。さあ、現代の英雄よ。星を救うと豪語するならば、この程度の試練、容易く乗り越えてみせろ」
珍しく声を張り上げたネーパットの頭上には、文明終焉をもたらす凶星が、宙を切り裂き飛来していた。




