血塗れの島 第三節
二人は防衛隊本部の方に一度寄ると、何度か顔を合わせたことのある防衛隊員たちに出会う。彼らも慌てて装備を準備しながら、次々砲台の方へ向かっていく。サネトとナーレが最後に本部へ辿り着いた隊員というわけではなかったが、二人の後に到着した隊員でさえも、あっという間に身支度を済ませ、持ち場へと駆けだしていく。
「あ、サネト様!ナーレ様!」
どう動こうか二人が思案していると、いつも以上に人の出入りの激しい本部の奥から、見慣れた案内係が顔を出した。
「すみません。お二人には指示の連絡をお送りしていませんでした。ささ、二人も装備に着替えてください。砲手は足りていますが、街の中の守り手がいません。お二人には、壁の中で、侵入してしまった魔獣たちを討伐していただきたい」
「その、今回の魔獣災害、規模はどの程度で?」
「乙級は軽く到達しています。いや、間違いなく甲級災害かと。純粋に数が多いのです。重力砲で十分対応はできるとは思いますが、撃ち漏らしなく殲滅するのはかなり困難なほどの数です」
サネトとナーレはそれを聞いて互いの顔を見合わせた。間違いなく、これが二人の危惧していたものだと確信したのだ。
「わかった。俺たちは一旦工業区、生産区に陣取る。それでいいか?」
「はい。確実に撃ち漏らした魔獣は、最初にそちらの地区へ辿り着くと思われますので、正しい判断です。ただもし対応しきれない、というのであれば、居住区まで迅速に後退を。第二の壁まで破られたことはありませんが……。兎に角、私は本部で状況把握と、指令、そして世界政府への報告にこれから務めます。何かあれば通信機で私の方まで連絡をお願いします」
そう言って、案内係は再び本部の奥の部屋まで走っていった。二人も彼を見送らずに、すぐさま装備に着替え、生産区と工業区の方へ駆けて行った。
「なんつう、こりゃ凄いな」
サネトは生産区の方へ向かいながら、端末越しに、壁の外の映像を見ていた。
そこには、防風林から次々と飛び出してくる、大量の魔獣の群れの姿があった。もう大地が見えないほど密集した大量の魔獣は、重力弾でもその処理が間に合っておらず、既に壁にまで数十体の魔獣が到達していた。
『サネト、聞こえるか?緊急事態だ』
「んあ?どうした、今以上に緊急事態が……」
その通信は、サネトとが向かう生産区とは反対側、工業区に既に到着していたナーレからのものだった。
『驚くことに、工業区の人間は、指示を無視して誰も居住区に帰っていない』
「なんだって!?か、帰したのか?」
『ああ。緊急事態だ。絶対に家の外に出るな、と忠告しているが、右から左に受け流されているよ』
ナーレの報告にサネトは頭を抱えたが、彼が生産区に辿り着いて目にした光景は、異様なものだった。
「おいおい。ふざけんなよ」
『サネト?まさか、そっちも?』
「ああ、律義に皆、働いてやがる。すまん、ちょっと追い返してくる。ナーレも引き続き、そのまま家に帰し続けてくれ」
二人は通信を切り、サネトは、目に入った労働者たちのもとへ駆け寄る。
「おいアンタたち、警報聞こえてるだろ!今は居住区に急いで退避だ!」
そう言われた労働者たちは、一体何を怒られているのかもわからないといった表情で、サネトを見返した。
「いやいや、多分大丈夫でしょう。魔獣が街中に侵略しているとこなんて見たこともないですから」
「何を言っているんだ。甲級相当だぞ。何が起きるかわかったものではないんだ!」
サネトがそう熱弁していると、再び警報音と共に、人間の声が都市内に響き渡る。
『魔獣の襲撃ですが、徐々に沈静化しつつあります。しかし皆様におかれましては引き続き、警戒態勢を取り、居住区への退避を強く推奨します。繰り返します……』
「なんだって?」
サネトはその言葉に耳を疑った。先ほど見た光景からは、これほどの早さであの魔獣災害を収束させるなど、到底不可能に思えたためだ。サネトはそれを確かめようと、壁の外の光景を端末越しに見る。
「こりゃあ、一体何がどうなって」
そこには、確かに放送通り、大地を覆いつくすほどの魔獣の群れが、もう数えるほどしか残っていなかった。
「ほらみなさい。この街の防衛力は完璧なんですよ。心配しすぎです。さ、今日も一稼ぎしますよ」
そう言って、先程の労働者たちは、自分の持ち場へと何事も無かったように歩いていく。
サネトは、一体どういう状況になっているのか知りたくなり、通信機で本部に連絡する。
「こちら、サネト。応答せよ。先ほどの放送は一体どういう意味か?説明せよ!」
『こちら本部。サネト様。我々もまだ正確な情報は掴めていませんが、砲手たちによると、重力弾による爆撃を二十秒ほど続けたところ、魔獣たちが少しずつ防風林へ撤退した、とのことです』
「撤退?馬鹿な、相手は魔獣だぞ。生存本能はあっても、目の前で同胞が大量に消されたとて、恐れを抱くような……」
『とりあえず今後も砲手三十六人態勢で警戒し続けます。サネト様、ナーレ様も、引き続き街中で待機を』
「お、おい、狩人たちはどうなってる?もう救難申請は出したのか?駆け付けるのはいつになる?」
サネトがそう問うと、本部の司令官は、言葉を濁らせた。
『それが、本部への申請が送れないんです』
「何だって?」
『いえ、その。魔力の乱れなのか、通信回線が安定しないんです。今も、砲手の中で数名、通信が途絶えています』
それを聞いて、サネトには最悪の事態がよぎった。もし今、魔獣の群れが戻ってきたら?それもさっきよりも更に規模の大きな群れで来たら、どうなるのか?
『一応、魔力を使わぬ非常回線はあります。しかしそれは世界政府宛のもので、しかも詳しいやり取りができるわけでもないんです。あくまで最悪の事態になったことを知らせるだけの、緊急ボタンと言いますか』
「ば、馬鹿!さっさとそれを押せ!今は間違いなく、その緊急事態……」
サネトがその悠長な司令官に怒りをあらわにした、その時だった。
『全防衛隊に緊急伝令!!防風林より、大量の魔獣!すぐさま民衆の避難と、第二防壁の閉鎖を急げ!!』
その声は、先程までやり取りしていた本部の指揮官のものではなかった。今まで聞いたことのない声ではあったが、その声色からは焦っている様子が伺えた。
サネトはすぐに再び端末越しに壁の外の様子を見る。
そこに映っていたのは、背の高い防風林よりも、更に高く、そして巨大な紫色の壁だった。それは津波のようにこちらに迫り、今にも<ヤイヴィヴィム>を飲み込まんとしていた。その紫紺の大波の正体を、サネトはすぐに理解した。
「これは、全部、魔獣……」
<ヤイヴィヴィム>は、そして終わりの時を迎えるのであった。
<ヤイヴィヴィム>の魔獣災害が、第三次文明崩壊以降の五千年の間で、最大級の被害を出した理由は主に三つある。
第一に、魔獣災害の規模自体が、その五千年の間で最大級だったこと。世界政府発足以降、魔獣災害に甲乙丙などと等級を付けてきた。そのうち第一等級の甲級災害は、世界政府発足前の時代であれば、国家滅亡規模に相当するほど強力なものである。それでも<ヤイヴィヴィム>は、この甲級災害規模にも十分に戦えるだけの装備が支給されていた。つまり、今回の災害はそんな厳しい階級基準すら上回るほどの「予想外」の災害だった。
第二に、<ヤイヴィヴィム>の独特な地形も問題だった。長らく魔獣の発生地として認識されていた、沿岸の防風林は、正確には魔獣発生地ではなかった。その先、<ヤイヴィヴィム>からほど近い近海の海溝の底こそが、魔力溜まりであったことが、長らく見過ごされてきたことで、大規模魔獣災害の発展を未然に防ぐことができなかったのだ。
最後に、そしてこれこそが、最大の理由である。これまでの甲級規模の魔獣災害を防いできたという実績から生まれる安心感と、労働時間が給与に直結する歩合制の労働環境こそが、この魔獣災害の被害を悪化させた理由である。人々が、今回の災害が「本当に恐ろしいもの」だと知った時には、既に魔獣たちは無敵と思われてきた砲台と鉄壁を乗り越え、生産区と工業区を瞬く間に魔獣の津波に呑まれていた。
だが、その被害は、ある一人の勇者によって、「最悪の事態」は避けられた。
これは、歴史の資料の中では語られることのなかった、勇敢な決断と尊い犠牲の物語である。
「サネト!まずい、もう魔獣が街を完全に取り囲んでいる!壁を乗り越えるのも時間の……」
魔獣の津波に対して、<ヤイヴィヴィム>自慢の重力砲は一切役に立たず、一瞬で街の壁の周りは赤紫の異様な渦に囲まれていた。
ナーレが、人々を避難させつつ、サネトに通信をしていた、その矢先だった。
彼のちょうど真後ろの壁から、奇妙なものがぼたりと落ちてきた。それは一体の魔獣である。すでに事切れているようで、落ちてきた魔獣は、すぐに霧散した。だが、それが意味することは、最悪の状況である。ナーレが恐る恐る上を見上げると、そこには既に壁を乗り越えようとする、紫獣の群れの姿があった。堰を切ったように、そこから魔獣が滝のように流れ込んでくる。多くは落下の衝撃で消滅したが、魔獣の消滅よりも早く、次々に魔獣が落ちてくることで、魔獣の屍が堆く積み上がっていく。
結果、数秒も経たずに、魔獣は落下を耐えはじめ、落ちるや否やすぐさま街の人々を襲い始めた。
「サネト!サネト!くそ!なんで繋がらない!」
サネトへ何度も連絡を試みるが、防衛隊の回線が、この混乱の中で通信障害を起こしており、ナーレはサネトどころか、防衛隊本部への連絡もできないでいた。
だがナーレの判断は早かった。できないことを何度も試みても意味はない。今は一刻を争う時だと判断、ナーレは真っ直ぐ、その魔獣の滝へと突撃していく。
「皆!居住区へ避難を!早く!」
その道中、ナーレは兎に角大声でそう叫んでいた。その声と、外の騒がしい様子が気になって、作業場から顔を出した人々は、すぐに異常を理解して、すぐさま家へと真っ直ぐ帰っていった。不幸中の幸いか、魔獣が目の前で人々を襲っているという光景は、一気に人々に現状を理解させるには十分なものだった。
(だけど、時間が足りない!)
ナーレがそう心の中でつぶやいた理由は、単純である。魔獣は人間よりも足が速い。仮に今から避難行動を取ったとしても、この区域に働いている人々が安全圏に帰ることは不可能に近い。
「やるしか、ない」
ナーレは覚悟を決め、その降り注ぐ魔獣の雨の方へ手を掲げる。
「<炎熱>!」
ナーレの手から火球が放たれ、それが魔獣の群れへと真っ直ぐ飛んでいく。火球は着弾すると同時に、激しく炸裂して、魔獣の屍もろとも、一気に数十体の魔獣を吹き飛ばした。
だがその程度では、何の気休めにもならない。既に壁の上数か所から、我先にと身を乗り出す魔獣が現れ始めていた。彼一人で、魔獣の勢いを封じるなど不可能だ。
しかしナーレは諦めずに、壁の傍に辿り着くまで火球を放ち続けた。彼の鋭い眼光は、それが闇雲な攻撃では決してないことを物語っていた。
「さぁこっちだ。魔力を感じるがいい」
ナーレの狙い、それは、自分が強い魔力を発揮し続けることで、魔獣たちの関心を寄せることだった。魔獣たちは、生存本能を持っているが、それは魔力の枯渇という飢えを満たすという、食欲にも似たものである。言い換えれば、自分よりも強い存在を目の当たりにして、自己保存を行う、というような獣が当たり前に持つ習慣は持たない。先ほどのように、何のためらいもなく遥か上空から身投げをするのも、魔獣が魔力をかぎ取り、その方向にひたすら走っているだけということの証左である。
だからこそ、魔獣は強い魔力を目にした時、弱い魔力への関心を一瞬で失う傾向がある。
獅子は飢えて弱った子象を追い立て、鯱も群れからはぐれた海獣を狙う。
魔獣にはそんな「狩りやすい相手を狙う」などという考えは一切持たない。ただ彼らは強い光に誘引される蛾のように、より大きな魔力を狙うだけである。
ナーレの判断は正しかった。まばらに走り回り、居住区へ逃げる人々の魔力よりも、今目の前で強力な魔術を連発するナーレの方が、魔獣たちにとっては「馳走」に見えたのだ。
しかしそれは今から、周囲一帯の魔獣がナーレに襲い掛かる、という意味でもある。
四方八方、いつの間にかナーレの背後からも魔獣が現れ、彼をとり囲まんとしていた。そして完全に魔獣が自身を取り囲んだと同時に、ナーレは懐から機械剣を抜き放ち、大盾を構える。牙、爪、四肢、角、思い思いの武器を持って、四方の魔獣はナーレに飛び掛かった。
ナーレはそれに対して、大盾をまず自身の前方に突き立てる。そしてその盾の裏に右の掌を合わせる。するとたちまち、盾は四半球状の鋼鉄の壁と転じ、ナーレの前方を完全に覆った。そしてナーレはすぐさま背後を振り返り、手に持っていた剣で、襲い来る魔獣の先頭一陣二陣を、一刀のもと斬り伏せた。ナーレは盾で魔獣の襲来範囲を一八〇度に抑え、そして迫る魔獣はその機械剣で、一瞬で切り裂く。ナーレの得意とする高速剣技を前に、魔獣はナーレを傷つけることさえできない。それどころか、この圧倒的物量差を、魔獣同士がひしめき合っているせいで、上手く活かせていなかった。
ナーレの策は成功した。一対百だろうが、一対万だろうが、変わらない。結局、一度にナーレに攻撃できるのは、その最前線の魔獣のみ。したがって一度に相手する数は極端に絞られる。しかも襲ってくる範囲を更に狭めれば、同時に襲い掛かることのできる数はたかが知れている。勿論、この戦法は長続きしない。盾は自ずと崩壊するだろうし、そもそも無尽蔵な魔獣の群れを常に一定の速度で斬り続けるのも、極めて困難である。一瞬十斬を、正確無比に撃ち続けるには、圧倒的な集中力と運動量を必要とする。それは例えるなら短距離走のようなものであり、必然的に長期戦向きの戦法ではない。
だがナーレは、命がけの策には出ている覚悟はあったが、命を犠牲にする一手を切ったつもりは一切ない。
彼はその険しい道の先に、一筋の細い光明を見出していた。




