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壊れた時鐘を直したら、忘れられた街に春が来た  作者: 銀細工ナギ


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17/20

第17話 霧の広場で始まる真実の修理

 朝、霧は広場の石畳をすっかり覆っていた。


 時計塔の輪郭さえ見えないほど濃い霧だったが、広場にはいつもより多くの人が集まっていた。掲示板には、前夜までに写し取られた手紙と証言が貼られている。名前を出すことをためらった者は印だけを記し、子どもたちは聞き取った時刻を色の違う糸で結んだ。


 鐘は鳴らない。


 それでも、街区の人々は時刻を失っていなかった。


「これで全員そろったようです」


 ユアンが言った。


 彼は机の上に置かれた記録を一枚ずつ確かめていた。文字の濃さ、紙の折り目、証言した人の署名。昨夜からほとんど眠っていないはずなのに、目だけは静かに澄んでいる。


「全員ではありません」


 私は塔の入口を見た。


 霧の向こうから、商会の代理人と二人の技師が現れた。技師たちは大きな工具箱を抱えている。


「本日、契約に基づく最終検査を行います」


 代理人は、昨日までと同じ笑顔を浮かべた。


「時計塔の修理は商会の管理下に置かれるべきです。素人が手を入れれば、危険が増す」


「では、検査を見届けてください」


 私は工具箱を開いた。


 中には、外した中心軸、削られた歯車、ひびの入った留め具が並べてある。どれも昨日まで塔の内部にあったものだ。私は部品のそばに、採取した金属粉を入れた小瓶を置いた。


「ここからが、真実の修理です」


 代理人の笑顔がわずかに崩れた。


 私は仮支柱に固定された中心軸を指で示した。


「この軸は、自然に折れたものではありません。表面に、内側から外側へ向かう傷があります。工具を差し込み、力をかけてねじった跡です」


「推測でしょう」


「なら、こちらをご覧ください」


 老人が前へ出て、灰色の金属片を机に置いた。


「塔の床板の隙間から見つけた。私が拾った時刻も書いてある」


 パン屋の女主人が続いた。


「私の店の裏で、商会の技師が同じ形の削りくずを捨てていたよ。掃除の前に拾っておいた」


 霧の中で、いくつもの手が上がった。


 床板の釘。外された鍵。夜中に塔へ運び込まれた油壺。商会の工房で使われる特殊な刃の欠片。住民たちは、それぞれの家から持ち寄った小さなものを机へ置いていく。


 ばらばらだった記憶が、今度は物の重さを持って並べられた。


 私は金属片を中心軸の傷に重ねた。ぴたりとはまる。


 誰かが息をのんだ。


「それは、商会の道具ではありません」


 代理人が言った。


「この刃は、以前あなたの工房から持ち出された型で作られています」


 私は親方の手紙を広げた。


「設計図を買いに行った技師がいた。工房から部品の型が持ち出された。つまり、あなたたちはこの街区の時計だけでなく、私たちの職人の技術まで盗んで使った」


「証言者は、あなたに恨みを持っているのでは?」


「そうかもしれません」


 私は否定しなかった。


「だから、証言だけに頼らない。傷の形、金属の成分、工具の幅、作業した時刻。それぞれを照らし合わせます。嘘なら、どこかで噛み合わなくなる。でも今、噛み合っているのはあなたたちの工作のほうです」


 霧が風に押され、塔の足元からゆっくりと薄れていった。


 ユアンが住民たちへ向き直る。


「ここからは、修理の手順を公開する。リゼットが中心軸を調整し、鍛冶屋の老人が留め具を作る。歯車の歯数は子どもたちが記録と照合し、パン屋の女主人が作業時刻を読み上げる」


「私は何をすればいい?」


 少年が尋ねた。


「聞こえた音を記録してくれ」


 私が答えると、少年は胸を張った。


「わかった」


 作業が始まった。


 中心軸を仮支柱から外し、傷の周囲を細い鑢で整える。削りすぎれば軸は痩せ、残せば歯車が傾く。私は軸を回しながら、指先に伝わるわずかな揺れを探った。


 以前の工房では、親方の命令を聞きながら、奪われる前に成果を仕上げなければならなかった。誰かに見せるための修理だった。


 今は違う。


 背後には、私の手元を見つめる人々がいる。失敗すれば、その場で理由を説明し、皆で次の方法を考える。隠す必要も、取り繕う必要もなかった。


「少し左です」


 ユアンの声がした。


「見えるの?」


「見えなくても、音でわかる。あなたが軸を戻すたび、床板の震えが変わる」


 私は軸をほんの少しだけ左へ押した。


 遠くで、歯車がかすかに噛み合った。


 広場から小さな歓声が上がる。


「まだ鳴らしてはいけません」


 私は笑いながら言った。


「急げば、また壊れます」


「では、急がない」


 ユアンはそう答えた。


 その言葉が、霧の向こうまで届いたようだった。


 昼を過ぎるころ、中心軸は本来の位置へ戻った。歯車を一枚ずつ合わせ、仮の重りを吊るす。鐘を鳴らす仕組みは、まだ完全ではない。だが、時計は自分の力で動き始めていた。


 秒針の代わりに、小さな歯車が一度、二度と回る。


 代理人は黙ってそれを見ていた。


 ユアンが記録の最後に署名をした。


「本日の検査結果。故障は偶然ではなく、外部からの破壊による可能性が極めて高い。修理は継続し、契約の執行は保留する」


「そんな権限があなたに――」


「この街区の時計を守る権限ならある」


 ユアンは代理人を見た。


「そして、ここに住む人々には、自分の家を売るかどうか決める権利がある」


 霧が晴れた。


 塔の上で、止まっていた針が一目盛り進んだ。


 鐘はまだ鳴らない。


 けれど、真実の修理は、確かに始まっていた。

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