第15話 鳴らない公開修復会
契約の日まで、あと六日。
翌朝、広場には大きな木札が立てられた。
〈公開修復会・正午より時計塔前にて〉
ユアンが書いた文字の下に、住民たちがそれぞれ署名を加えている。パン屋の女主人、漁具を直す老人、子どもたちまで、思い思いの印を残した。
誰にも隠れていないと示すためだった。
「修復会で、鐘を鳴らすんですね」
私は制御盤の図面を抱えたまま尋ねた。
「鳴らす。鳴らせる状態だと、皆に見てもらう」
ユアンはそう答えたが、目の下には濃い影があった。
昨夜から、私たちは塔の内部を調べ続けていた。遅延魔法は逆向きにしたものの、魔法陣が仕掛けられていた場所には別の細工が残っていた。軸の内側に、黒い砂のようなものが詰められていたのだ。
砂は魔力を吸う鉱石を砕いたものだった。歯車が回るたびに少しずつ散り、調速機の力を奪う。
「この砂を取り除けば、鐘を鳴らせます」
「なら、簡単ではないか」
ユアンが言う。
「簡単なら、昨夜のうちに終わっています」
私は小瓶の中で沈む黒い粒を見つめた。
「砂は軸の奥まで入り込んでいます。全部取り除くには、鐘を吊るしている中心軸を一度抜かなければならない」
「中心軸を?」
「抜いたら、鐘の重さを支えるものがなくなる。仮の支柱を組み、振り子を固定して、それから軸を外す。公開の場でやるには危険です」
「危険だからこそ、見せる価値がある」
ユアンは図面の上に指を置いた。
「商会は、私たちが失敗を隠していると言うだろう。ならば、失敗しそうなところまで含めて、皆に見てもらう」
正午になると、広場は人で埋まった。
商会からも三人の男が来ていた。前日の技師の姿はない。その代わり、灰色の外套を着た代理人が、腕時計を何度も確認している。
「公開修復会など、時間の無駄ではありませんか」
代理人が言った。
「契約期限は迫っています。鐘が鳴らないことを住民に確認してもらえば、管理権の移転も納得されるでしょう」
「鳴るかどうかを決めるのは、あなたではありません」
ユアンは広場全体に聞こえる声で返した。
私は制御盤の前に立ち、見つかった細工を説明した。黒い砂の入った小瓶を掲げると、住民たちの間からざわめきが起こる。
「これが商会の仕業だという証拠はあるのか」
代理人が笑う。
「塔が古いから、自然に混ざっただけかもしれない」
「自然に混ざった砂なら、同じ形の粒が同じ深さに揃って入り込むことはありません」
私は小瓶を逆さにした。底に残った砂が、光を受けて青黒く輝く。
「これは魔力を吸うために加工されています。軸の回転方向に沿って、細い溝まで掘られていた。誰かが分解して入れたものです」
人々の視線が代理人へ集まった。
「説明は、こちらが終わってからでも構いません」
ユアンが言った。
住民たちが組んだ仮支柱を、塔の内部へ運び込む。漁師たちは太い綱を扱い、木工職人は支柱の楔を打ち、子どもたちは小さな鏡で暗い場所を照らした。
私は中心軸の固定具を外した。
かちり。
歯車がひとつ止まる。
次の固定具へ工具を移した時、軸の奥からかすかな煙が上がった。
「リゼット!」
ユアンが叫ぶ。
「大丈夫。吸収石が熱を持っただけです」
そう答えた直後、鐘が吊られた塔の上部で、金属の裂ける音がした。
支柱がわずかに沈む。
「綱を二本目へ!」
ユアンが指示を飛ばす。住民たちが一斉に動いた。だが、中心軸は半分抜けたところで動かなくなった。
嫌な予感がした。
私は軸の継ぎ目へ鏡を差し込んだ。奥に、銀色の針が一本刺さっている。
「まだ仕掛けがある」
「遅延魔法か?」
「たぶん違う。これは、軸を途中で止めるための楔です」
私は針を抜こうとした。だが、針の先に赤い魔法石が埋め込まれている。無理に引けば、鐘の重さが一気に片側へかかる。
広場が静まり返った。
「鳴らせないなら、失敗を認めればいい」
代理人の声が響いた。
「住民の皆さん、これが現実です。古いものに執着するから、街区は前へ進めない」
その言葉に、パン屋の女主人が一歩前へ出た。
「前へ進むって、誰かに家を売ることかい」
「家を守ることが、壊れた鐘を眺めることならね」
「眺めていたのは、あんたたちだろう」
老人の声が続いた。
私は針を見つめた。魔法石には小さな傷がある。前日の技師が押した印章と同じ、三つの歯車。
「ユアン、この針は抜きません」
「どうする」
「折ります」
私は細い工具を取り出した。
「魔法石の根元だけを削って、楔としての力を失わせる。鐘は一度、落ちます」
「一度、落ちる?」
「支柱が受け止めます。でも、音は鳴りません」
ユアンは周囲を見回した。誰も逃げようとはしていなかった。
「やってくれ」
私は工具を差し込んだ。
金属を削る音が、塔の中に長く響いた。火花が指先をかすめる。魔法石の赤い光が強まり、足元の床が震えた。
「今です!」
ユアンが綱を引く。
私は最後の一削りを加えた。
針が折れ、中心軸が支柱へ落ちた。衝撃で鐘が大きく揺れる。けれど、音はしなかった。
広場には、期待のあとに重い沈黙が落ちた。
鳴らない。
代理人が息を吐く。
「ご覧の通りです」
私は膝をつき、落ちた軸を撫でた。黒い砂がこぼれ、その中から小さな紙片が出てきた。
紙片には、商会の紋章と、作業の日付が記されていた。
そしてその日付は、私たちが最初に故障を発見した前日だった。
「鳴らなくても、見つけました」
私は紙片を掲げた。
「この塔は、まだ時間を刻める。今日鳴らなかったのは、壊れているからではありません。鳴らないようにされた証拠が、ここに残っているからです」
ユアンが私の隣に立つ。
「公開修復会は失敗ではない。真実を隠さず、次の修復へ進むための記録になった」
誰かが拍手をした。
一度、二度。
やがて広場いっぱいに拍手が広がる。
鐘は鳴らなかった。
それでも、その音のない午後に、街区の人々は初めて同じ時刻を共有していた。




