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壊れた時鐘を直したら、忘れられた街に春が来た  作者: 銀細工ナギ


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12/20

第12話 守る人と直す人の共同作業

 翌朝、街区の広場には、普段より早く人が集まっていた。


 十日後に迫った契約を止めるには、商会が水路を壊した証拠と、住民がここで暮らし続けられる証明が必要だった。地下保管庫から持ち出した地図だけでは、商会の男たちは「誰かが勝手に作った偽物だ」と言い逃れするだろう。


「まず、水門を調べます」


 私は広場に置いた板の上へ、古い水路図を広げた。


「この街区の水は、時計塔の地下にある主弁を通って各家へ流れています。主弁が動けば、時計塔の制御盤にも振動が伝わる。だから、故障した調速輪の近くに、水門を操作した痕跡が残っていたはずです」


「そこへ行くのは危険だ」


 ユアンがすぐに言った。


「商会が証拠を消しに来るかもしれない。グレンたちには入口を見張ってもらう」


「見張りだけでなく、住民の記録も必要です」


 私は地図の端を指した。


「誰の家がいつから水不足になったか、工房の機械が止まった日、時計が狂い始めた時刻。全部、書き留めておけば工作の順番がわかります」


「記録を集めるのは私がやろう」


 ユアンは地図を見つめたまま答えた。


「私はこの街区の家を知っている。誰が何年ここで暮らしているかも、どの店がどの水路を使っているかもわかる」


「では、私は機械を調べます」


「一人で行くつもりか」


「一人ではありません。グレンに工具を持ってもらいます」


「それでも、私も行く」


 思わず顔を上げると、ユアンは険しい表情をしていた。


「危険だから、ではない。君が見つけたものを、私もその場で確認したい」


 以前の彼なら、街の古い設備に触れることさえ許さなかっただろう。壊すかもしれない、伝統を知らない者には任せられない、と言って。


「わかりました。ただし、作業の邪魔はしないでください」


「君も、危険を見つけたら勝手に進まないこと」


「それは約束できません」


「リゼット」


「直さなければ、もっと危険になります」


 ユアンはため息をついたが、口元にはわずかな笑みがあった。


 昼前、私たちは時計塔の地下へ下りた。グレンが入口に立ち、ユアンはその少し後ろで周囲を見張った。私は油皿と細い鏡、測定用の糸を床に並べる。


 地下の主弁は、厚い石壁の中に埋め込まれていた。弁輪の表面には、何本もの新しい傷がある。工具で無理に回した跡だった。


「これを見てください」


 私は傷の一つを鏡で照らした。


「鉄粉が残っています。商会の工具と同じ合金です」


 ユアンが弁の根元を調べる。やがて、指先で小さな板を拾い上げた。


「刻印がある。三本歯車商会の修理番号だ」


 その板の裏には、数字と日付が刻まれていた。時計が最初に遅れた日と一致している。


「これで、商会がここを触ったことは証明できます」


「まだ足りない」


 ユアンは首を振った。


「証拠を持って契約所へ行っても、商会は担当者が勝手にやったと言うだろう。住民の証言も必要だ」


「だから記録を集めているんですね」


「守るというのは、門の前に立つことだけではない。何を守ったのか、誰に説明するのかを忘れないことだ」


 その言葉に、私は少しだけ黙った。


 私は壊れた歯車を直せば、仕事は終わると思っていた。故障の原因を見つけ、正しい部品に替え、動くようにすればいい。けれど、街の時計は機械だけでできていない。鐘の音を待つ人、時刻に合わせて店を開ける人、音が鳴ることで安心する人。そのすべてが時計を動かしている。


「なら、直すというのは、動かすことだけではないんですね」


「君が言うと、ずいぶん難しい話に聞こえる」


「実際、難しいです」


「そうだな」


 ユアンは主弁を見上げた。


「だから共同でやる」


 その直後、塔の上から金属音が響いた。


 グレンが叫ぶ。


「誰かいる!」


 私たちが階段へ向かうと、入口の扉が激しく閉じられた。外側から閂を掛けられたらしい。続いて、油の匂いが地下へ流れ込んできた。


「火をつける気です!」


 私は周囲を見回した。地下には古い木箱が積まれ、壁際には乾いた布が置かれている。火が回れば、主弁も証拠もすべて失われる。


 ユアンが扉に肩をぶつけた。


「グレン! 裏の排水路を開けろ!」


「わかった!」


 返事が遠ざかる。


「リゼット、ここから出られるか」


「出ます。ただし、主弁を閉じないと火が水路へ回ります」


「今は命が先だ」


「だから両方守るんです!」


 私は制御盤へ駆け寄った。古い歯車の一つが固着している。時計塔を直した時と同じ構造だが、こちらは水圧で動く。力任せに回せば軸が折れる。


「ユアン、そこの鎖を引いてください。私が歯車を外します」


「わかった」


「合図したら、ゆっくり三回」


 炎の気配が近づいてくる。煙が階段から垂れ込め、目が痛んだ。


 私は工具を差し込み、固着した歯を一枚ずつ浮かせた。ユアンは鎖を握り、私の指示を待っている。以前なら、彼は自分の判断で鎖を引き、私も自分の判断で歯車を外していただろう。


 けれど今は違う。


「一回目!」


 鎖が鳴った。


 歯車がわずかに動く。


「二回目!」


 軸の奥で水が唸った。


「三回目!」


 固着していた歯が外れ、主弁が閉じた。直後、地下の配管から激しい音がして、火の気配が途切れる。どこかで水が噴き出したのだ。


「今です、扉を!」


 ユアンと私は同時に扉へ体当たりした。閂が外れ、冷たい霧の空気が流れ込む。グレンが外から手を伸ばし、私たちを引き上げた。


 塔の外では、火打ち棒を持った商会の男が路地へ逃げようとしていた。ユアンが追おうとしたが、私は腕を掴んだ。


「待ってください。まず証拠を守ります」


 ユアンは一瞬迷い、それから頷いた。


 グレンたちが男を追い、私は地下へ戻って濡れた板と工具を拾い集めた。ユアンは住民を呼び、火事の跡と水路の状態を記録させている。


 夕方、広場の板には新しい記録が並んだ。故障の日付、商会の修理番号、弁輪の傷、地下での放火未遂。さらに、各家の住民が自分の名前を添えて、水不足の期間を書き込んだ。


 ユアンはその板を見渡した。


「これで、街区の記憶が証言になる」


「私は機械を直します」


「私は、その機械が誰の暮らしを支えているかを伝える」


「なら、私たちは同じ仕事をしているのかもしれません」


「守る人と、直す人の共同作業だな」


 鐘が鳴った。


 今度の音は、昨日より少し澄んでいた。地下の主弁を閉じたせいで水圧が整い、調速輪が滑らかに回っているのだ。


 霧の向こうで、街の灯りが一つずつ点った。


 契約の日まで、あと九日。


 私たちはまだ、直さなければならないものを数え切れないほど抱えている。それでも、もう壊されるのを待つだけではなかった。


 ユアンが記録板を抱え、私は工具箱を持つ。


 並んで歩く足音が、石畳の上で同じ速さになっていった。

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