第二十七章: 作者の権能.
魔道書は、その重さよりも、もっと重く感じられた。重さの問題ではない。**存在感**の問題だ。
私はそれを尖塔の回廊に抱えて運んだ。白紙のページを胸に押し当てて。一歩ごとに、まだ使い方を理解していない祭壇に、何かを運んでいるように感じられた。
妖精王は、練習室で待っていた。彼はいつも、私が来るのを知っているようだった。
**「ページは、まだ白紙のままです」**
私は、魔道書を差し出しながら言った。
**「これに、何を描けるのですか? どうやって、使うのですか?」**
彼は、その本に触れなかった。直接見さえしなかった。その星屑を散りばめた瞳は、代わりに、私に向けられた。
**「魔道書は、魔法に応えはしない」**
彼は言った。
**「ただ、その**作者**にのみ」**
**「……作者」**
**「もし創り手がいなければ、創造もない」**
彼は、少し向きを変え、生きた水晶の窓の向こうの、ありえない風景を見つめた。
**「残りは、お前が解釈するしかない」**
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私は、膝の上に開かれた魔道書を抱えて座った。原稿用紙が、私を見返している。妖精王は、窓辺の定位置に移動していた。存在しているが、沈黙している。それ以上は、何も提供していない。
何を描けるだろう?
呪文ではない。円ではない。もっと単純なもの。私に属するもの。
目を閉じ、遠くへと、手を伸ばした。はるか遠くへ。妖精王の前に。Gペンの前に。エレメンタルの襲撃の前に。無色の印と、市場の視線の前に。
家の中の、小さな部屋へ。木の煙とパンの匂いがした、あの家。
**人形。**
母が、私が小さかった頃に、作ってくれた、あのボロボロの人形。どこへ行くにも持ち歩いた、あの人形。ボタンの目は、擦り切れて滑らかになり、刺繍の口は、少し歪んでいる。孤独が何を意味するのか理解する前に、唯一の友達だった、あの人形。
目を開け、描き始めた。
Gペンは、きれいで、注意深い線で、ページの上を動いた。私は、この部屋で、千もの線を描いてきた。円、刻印、元素の形。しかし、これは、違った。これは、**挿絵**だった。
人形は、私の手の下で、形を成していった。丸い頭。刺繍の口。母が一対見つけられなかったから、代わりに使った、揃いではないボタンの目。プロポーションは、正しかった。細部は、見慣れていた。可視化された記憶。
私の線は、安定していた。絵は、上手だった。何年もの練習が、全ての線に生きていた。人形は、意図した通りに、ページに現れた。
**何も、起こらなかった。**
待った。
妖精王を一目見て、そして、ページに戻った。
人形は、インク以上のものには、ならなかった。
眉をひそめた。何が、欠けているんだ?
妖精王は、答えを提供しなかった。彼は、決して、そうしなかった。
**「どういう意味なんだ」**
彼は、ついに尋ねた。
**「何かを、本当に自分のものにする、ということ」**
**「描きました」**
**「それは、同じ問いではない」**
彼は、沈黙を伸ばさせてから、続けた。
**「人形を**描く**ことと、人形を**創り出す**ことの違いは、何だ?」**
口を開き、そして、再び閉じた。答えは、明白に感じられたが、それを名指すことができなかった。
彼は、待った。
**「そして、お前の前の人生では」**
彼は言った。
**「描くことが職業だった、あの世界で、お前は、自分の作品に、何を添えていた? これは私から出たものだ、と?」**
息が止まった。
**サイン。**
私は、あらゆる漫画に、書店イベントでサインをした。単なる名前ではない。**主張**だ。*これは、私のものだ。私が、これを作った。*
無から、白紙から、空っぽの空間から、私は、これを作った。
私は、自分の名前を、千回書いてきた。原稿の下に。手紙の最後に。自分自身を注ぎ込んだ、あの単行本のタイトルページに。それは、いつも、自動的で、筋肉の記憶だった。それが何を意味するのか、考えたことは、一度もなかった。
今まで。
サインは、単なる識別ではなかった。それは、**存在**だった。**起源の証明**。宣言:*私は、これを作った。そして、私は、それの背後に立つ。*
私は、絵の下に書いた。
**エルスベス。**
**何も、起こらなかった。**
インクは、乾いた。人形は、変わらなかった。光も、脈動も、生命の兆しもない。私は、自分の名前を凝視した。見慣れたループと、注意深い傾きを。そして、ただ、失敗の空虚な重みを感じた。
**「私の名前です」**
私は言った。
**「正しく書きました」**
妖精王の声は、静かだった。
**「名前が、エルスベス、常に、お前自身であるとは限らない。それは、他者がお前を呼ぶものだ」** 彼は間を置いた。**「サインが創造の権威を運ぶためには、それは、お前の**真のアイデンティティ**から来なければならない」**
**私の真のアイデンティティ。**
私は、この人生で、思い出せる限り、ずっとエルスベスだった。母がくれた名前。父が、私はいつまでも彼の娘だとささやいた、あの名前。妖精王が使う名前。キャルウィンが、あれほど注意深く口にする名前。
それなのに……
**サヤカ。**
その名は、どこか深く、確かな場所から、浮かび上がった。何年もかけて形作ってきた、あのサイン。正確な線。練習されたリズム。あらゆる原稿に、あらゆる完成作品に、私が置いた印。
**「それは、私の前世です」**
私は、ささやいた。
**「その名前は、ここには、属していません」**
そう言いながら、それが真実ではないと、わかっていた。
サヤカは、世界中の読者に届く漫画を描いた。サヤカは、物語を語り、それらを構築する方法を、コマごとに、学んだ。その名前は、インク以上のものだった。それは、**意図**だった。それは、**作者性**だった。
魔道書は、私に、この世界のものではなく、**私の**世界の原稿用紙を見せた。
**彼女の**世界から。
私の中の創造者は、エルスベスではなかった。
それは、**サヤカ**だった。
私は、両方だった。ずっと、両方だった。
しかし、私の中で創造する部分、描く部分、サインする部分、存在をもたらす部分は、私が魔法が本物だと知るずっと前に、形作られていた。何年もの間、机に向かい、何もないところから何かを構築することで、鍛え上げられた。
エルスベスは、私が生きてきた**人生**。
サヤカは、創造する**意志**。
私は、Gペンを手に取った。
ページは、絵の下で、待っていた。いつものように。人形のボタンの目は、虚空を見つめていた。刺繍の口は、保たれていた。
もし、その名前を否定するなら、私が今まで作ってきた全てを否定することになる。
握りが、強くなった。周囲の空気が、静止したように見えた。
私は、最初のサインの下に書いた。
**サヤカ。**
一瞬、何も起こらなかった。
その時、インクが、震えた。
彼女の名前の線が、ページから、持ち上がった。
それは、もはやインクではなかった。別の何か。流動的で、発光するもの。暗く、同時に明るい。それは、見えない流れに捕らえられた煙のように、空中に立ち上り、そして、ゆっくりと、意図的な弧を描いて、曲がりくねって落ちていった。
その下に、**円**が、広がった。
私が練習したものではない。私が描いたものでもない。
これは、**自ら**、咲き誇った。光と闇が、私が決して学ばなかった模様で、織り成す。かつて私の中で戦っていた相反する力は、もはや激突しなかった。
それらは、**一緒に動いた**。
釣り合って。整列して。
円は、安定した。インクは、その中心へと降りていった。
そして、現実が、引き締まった。解放される直前の、止められた息のように。
インクが、構築し始めた。
細い線が、円の上の空中に、自らをトレースした。脆く、人型の骨格をスケッチしながら。層を重ねるごとに、その形は、厚みを増した。それは、重みを得た。**存在感**。実体の示唆。
刺繍が、私が刺繍を描いた場所に、現れた。ボタンの目が、私がボタンの目を描いた場所に、形を成した。歪んだ口は、一針一針、形を成した。
空中の姿が、ページの絵と一致するまで。
エネルギーが、それに流れ込んだ。私からではない。正確には。しかし、**私を通して**。
円は、一度、脈打った。二度。
そして、それは、消えた。
光は、薄れた。インクは、落ち着いた。
**人形が、私の前に立っていた。**
静止している。沈黙している。
物体。しかし、間違いなく、そこに存在している。
私は、より近づいた。息は、浅い。ボタンの目は、前を、ぼんやりと見つめている。刺繍の口は、動かない。
**「……動いた」**
しかし、何かが、欠けていた。
動きもなければ、反応もない。生命もない。
私は、唾を飲み込んだ。
**「創り出しました」**
私の声は、不安定だった。
**「しかし、何も、与えませんでした。**在る**べきものを」**
妖精王が、ようやく窓から動いた。彼が近づくにつれ、その宇宙的な姿は、柔らかくなり、ほとんど人間に近いものに、暗くなった。
彼は、私の隣で止まった。
一緒に、私たちは、人形を見た。創造物と、その**不在**を。
**「お前は、第一の真理を学んだ」**
彼は言った。
**「**形**を創り出すことは、容易い。**目的**を創り出すことは……容易くはない」**
人形は、私たちの間に立っていた。沈黙している。待っている。
まだ与え方を知らない、何かのために。
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私は、魔道書を見下ろした。ページに書かれた、二つの名前。
**エルスベス。サヤカ。**
一つは、この人生から。一つは、前世から。
この力は、単に描くことではなかった。
それは、**責任**についてだった。
そして、責任とは、線を正確に引くこと以上の意味を持っていた。
それは、何を、なぜ作っているのか、理解することを意味していた。
人形は、まだ、動かない。
しかし、一瞬だけ、そのボタンの目は……あまりに空虚ではないように、思えた。
**「まだです」**
私は、呟いた。
**「でも、学んでいるところです」**
妖精王は、窓辺の定位置に戻った。
練習室は、再び、静かになった。
そして、魔道書は、次の線を、待った。
エルスベスが魔道書を初めて使ったその後...
次に何が起こるのか?
次回、同じ時間に、同じ場所で。




