表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この世界、締切よりマシだと思ったのに  作者: アンドリュー・チェン


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/22

第十六話: 相反する元素の衝突.

尖塔の修練室は、この一年ですっかり見慣れた場所になった。


生きた水晶でできた曲面の壁。

どこからともなく満ちる柔らかな光。

耳では聞こえないのに、確かにそこにあると分かる魔力の微かな振動。


私は滑らかな床に胡坐をかき、膝の上にGペンを置いて座っていた。


窓辺には、いつものように妖精王。

窓の向こうには、現実の理屈を拒絶する幾何学模様の世界が広がっている。


一年。


この異界の奇妙さにも、時間の流れの違いにも、

空間そのものに満ちる魔力のざわめきにも、私は慣れた。


魔法陣は以前より正確になった。

線は安定し、揺らぎは減った。


けれど今日は、技術の話じゃない。


理解の話だ。


「前世で遊んでいたゲームでは」


私は口を開く。

沙耶香の記憶が混じった、わずかに訛りのある発音。


「魔法には必ず“コスト”がありました。

マナバーとか、使用回数とか。使えば減る力」


妖精王を見る。


「オイクメンでは、“マナ”という言葉を聞きません。

魔法を使う代償は……何なんですか?」


妖精王は窓から振り返った。


星屑を宿した瞳。

そこには、いつものように、忍耐と愉悦が同居している。


「ザウベルクラフト」


その響きは、音楽のようだった。


私は眉を寄せる。


ザウベルクラフト。


どこかで聞いた。


記憶の底を探る。

前の人生の、教室の空気。

教科書。

借用語の単元。


「……ドイツ語」


私は顔を上げた。


「“魔力”って意味ですね」


妖精王は、わずかに首を傾ける。


あれは、肯定を含んだ仕草。


「そうだ。だが――違う」


「どういうことです?」


「同じ名だ。だが概念が違う。

言葉は意味を完全には収められない。

ただ指し示すだけの、粗い器に過ぎぬ」


私は黙る。


「その名は世界を渡った。

真理の一端に触れた者たちによって、形だけが伝えられた。

だが本質までは届かなかった」


「じゃあ……本当のザウベルクラフトは?」


妖精王は私の向かいに座った。


「魂に結びついた力だ。

正確には、魂と元素との“親和性”に基づく力」


静かに続ける。


「それは財布の中の硬貨ではない。

使えば無くなる資源でもない。

それは……“容量”だ。深さだ。井戸だ。

汲めば減るが、同時に深めることもできる」


私は考える。


「じゃあ、マナみたいに、

ゼロになったら終わり……じゃない?」


「正確には違う。

体力を想像してみろ。走れば疲れる。

だが鍛えれば伸びる。より遠くへ走れる」


彼は一拍置いた。


「ただし決定的な違いがある。

体力の枯渇は自覚できる。

だがザウベルクラフトの枯渇は、極めて微細だ」


「日常魔法程度じゃ気づかない」


「そうだ」


石が水面に落ちるように、理解が広がる。


「……私の場合は?」


妖精王の口元がわずかに緩んだ。


「お前は、この体系の例外だ」


私は固まる。


「……違うんですか? 私の力は」


「違う」


静寂。


「お前は、すべての属性のザウベルクラフトを持つ」


瞬きする。


「……は?」


「火。水。土。風。光。影。精神。

すべてだ」


思考が滑る。


「そんなの……神官は」


「間違っていた」


「でも試験は……」


「測れるものしか測れぬ。

教会の道具は“単音”用だ。

お前は交響曲だ」


七つの井戸。


私の中に。


「つまり……どういう意味ですか」


妖精王の声は、静かだった。


「お前のザウベルクラフトは枯渇しない」


――無限。


息が止まる。


だが。


彼は手を上げた。


「制限は井戸ではない。

“ポンプ”だ」


「……ポンプ?」


「お前の肉体。精神。魂。

器が有限なのだ」


村でのあの夜が蘇る。


暴走。

熱。

鼻血。

裂ける感覚。


「……あれは」


「流量過多だ。

汲み上げ過ぎた」


私は手を見る。


同じ手だ。


癒やした手。

壊しかけた手。


「つまり……無限じゃない。

制限の形が違うだけ」


「その通り」


川の例え。


枯れぬ川でも、堤が壊れれば洪水になる。


私は理解する。


火を使えば火の器が消耗する。

水に切り替えれば回復する。


理論上、永続可能。


だが。


同時に開けば。


流し過ぎれば。


壊れる。


「無限の燃料を、有限のタンクに積んでいる」


「粗いが正しい」


私はうなずいた。


「なら、制御を学ぶしかない」


「そのための一年だ」


私は息を吸う。


「……あの時、肌が割れました」


妖精王の瞳がわずかに曇る。


「聞くと思っていた」


「属性が……戦っていた?」


「違う」


きっぱり。


「器は壊れていなかった。

壊れていれば、お前は立っていない」


一歩近づく。


「感情が“壁”を揺らした。

後悔が暴発し、全属性が同時に応答した」


胸が締めつけられる。


「同時に流れ込めば、

本来交わらぬ力が衝突する」


光と影。

火と風。


「戦争ではない。

無理やり同じ水路に流した結果だ」


喉が乾く。


「皮膚が割れたのは……」


「反応の圧力だ」


沈黙。


「お前は元素を制御できなかったのではない。

“順序”を失ったのだ」


私は目を閉じる。


怒り。

恐怖。

暴走。


「感情が引き金?」


「感情は制御の敵だ。

意志こそが壁だ」


壁。


一年間の地味な訓練。


単純な線。


単純な円。


あれは魔法の練習じゃなかった。


壁を築く練習だった。


「新しい段階に入る」


妖精王が手を差し出す。


「相反する属性を、慎重に導入する」


私は立ち上がる。


足が少し震える。


「壊れる感覚が、また来るかもしれぬ」


父。

母。

兄。

ロリックの川石。


「分かっています」


妖精王の瞳が真剣になる。


「これは力の話ではない。

生存の話だ。

お前の。そして世界の」


私は手を見る。


「学びます。流れを」


妖精王は頷いた。


「ならば始めよう」

陰と陽。

光と影。


釣り合えば、それでいい。


次回、第17話。

少女は、自らの限界を超える。


来週も、同じ時間に。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ