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この世界、締切よりマシだと思ったのに  作者: アンドリュー・チェン


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16/22

第十五章: クロックワーク・コスモス.

仕事が忙しくなるため、先に次話を投稿しておきます。

次の更新は来週の金曜日の予定です。

ご理解いただけますと幸いです。

稽古の最中、いつものように無意識で描いていた魔法陣の仕組みを、妖精王は唐突に、まるで天気でも教えるように説明しはじめた。


**「よく聞け、エルスベス。お前が魔法を極めたいのなら、この機構を理解しなければならない」**


彼の、星を宿した瞳が私を捕らえる。


**「それは決して、ただの装飾ではない。力そのものが息づく、生きた機構だ」**


息が止まった。


図は美しく、そして圧倒的だった。大きな外円。その内側に、等間隔に配置された七つの精緻で唯一無二の刻印。そのうちの六つは、骨の髄まで知っていた。**火、水、土、風、光、闇**。残る一つだけ、名を知らない。


けれど、それらはただの記号ではなかった。


歯車だった。噛み合い、世界を動かす機構。私が理解しようがしまいが、お構いなしに回り続ける宇宙そのものだった。


**「ここを見よ」**


彼は続けた。かすかな光が、円の最上部、第七の座を照らし出す。


**「これが『起動座』。力が顕現する玉座だ。今は風の刻印がこの座についている。風が此処に在る時、風はお前の意志に応える。風はお前に跪く」**


彼の指――いや、指の形をした光が、円周を時計回りに辿る。


**「だが、輪は静止しない。回るのだ。古の金庫の、錠前の歯車のように。お前が回転を発動させれば、風の刻印は消えはしない。此処へ移る。三番目の座へ」**


図の中で、風の刻印がきらめき、円周を滑るように新たな位置へ移動した。


**「一方、六番目の座にあった刻印――例えば水――は、第七の座へと昇り、お前の起動魔法となる」**


私は見入っていた。図はゆっくりと、意図的に、自ら回転を始めた。七つ全ての刻印が、完璧な調和のもと、定められた軌道を滑る。


**「一回転ごとに、七つの力は全て、その軌跡に沿って座を移す」**


彼の声は、宇宙の掟を唱える低い詠唱だった。


**「一回、二回、七回――それぞれの回転が、異なる原初の力を最前線へと招く」**


彼は、輪の中心を貫く太い斜線を指した。外円の正反対の二点を結ぶ、軸。


**「これが『固定梁』。輪が回転するための軸だ。お前の意思を、回転へと変換する」**


**「エルスベス」**


ようやく彼は、図から私へと視線を移した。


**「これは、単なる魔法の切り替えではない。リアルタイムで、お前の魔法そのものの権能を編み直すということだ。蝋燭に火を灯すことと、燃焼という概念そのものを統べることの、その差だ」**


ついさっきまで感じていた、あの温かい充足感。完璧な円。途切れない光。それらは急速に冷めていき、代わりに、背筋が凍るような、戦慄にも似た興奮が這い上がった。


ようやく歩き方を覚えたばかりなのに。


彼は今、宇宙船の設計図を目の前に広げている。


私と彼の間に、あのシンプルな封筒と、その中にあるはずの不可能な図面が、宙に浮かんでいる。


一年かけて描いてきた私の円は、まるでアルファベットだった。


これは、言語そのものだ。


---


それからの数日間、輪が私の思考を支配した。


ただ円を描くだけじゃない。動く機構として、その脈動を感じる練習をした。


ペンの下で、円はひと息に、流れるように生まれた。三つの輪。完全な同心円。それぞれが淀みない共振を紡ぐ。


中央に、月相模様が咲く――鮮やかに、澄んで、もうそれは驚きではなく、紛れもなく私自身の署名だった。


維持する。十秒。二十秒。三十秒。光は揺るがない。意志は微動だにしない。


そっと息を吐き、解放する。輪は、温水に溶ける砂糖のように消えていった。その光は、尖塔の練習室に漂う淡い残光へと還る。


**「良くなった」**


窓辺に立つ妖精王が、そう言った。


称賛、では、なかった。承認。それが、私たちの進捗を測る通貨だった。


再びペンを呼び寄せる。今やその接続は一瞬で、努力さえ要らない――生まれた時からあったのに、使い方を知らなかった筋肉を、ようやく動かせるようになったみたいに。


新たな円を描く。今度は意志を込めて。**温もり。光。優しい守り。**


即座に円は起動した。金白色の光が、柔らかな波となって広がり、部屋中を夏の午後のような、心地良い暖かさで満たす。


単純な魔法だ。今の私なら、何時間でも維持できる。


**「良い」**


彼は言った。そして、ほんの僅かに――もしかすると、満足、と呼べるかもしれないものを含ませて。


**「遠くまで来たな、小さな火花」**


その時、尖塔に静けさが訪れた。時の外に在る場所にふさわしい、深く、唸るような静寂。


門をくぐってから、もう一年以上が経っていた。


円を描き、消し、破裂する失敗と、澄んで鳴る成功を重ねて、一年。


かつて漫画のパネルしか描けなかったペンで、火、水、土、風を操る術を学んで、一年。


密やかな時間に、あのスパイの死の重みを抱えながら、それでも強くなってきた、一年。


コントロールを。確信を。


Gペンは、いつもの温もりを残して胸へと溶け消えた。さて、今日の次の稽古は何だろう――そう尋ねようと、私は振り返った。


……足が止まった。


彼が、何かを手にしていた。


封筒。


シンプルだ。ありふれている。クリーム色の、あまりに日常的な紙が、彼の星屑を散りばめた衣にはひどく不釣り合いに見えた。


その光景は、どんな浮遊する水晶や歌声を上げる川よりも、はるかに衝撃的だった。


**「届いた」**


彼の声は、今まで聞いたどの時よりも、柔らかかった。


彼は私に手渡さなかった。代わりに、封筒を宙に掲げると、紙は自ら折れ曲がりを解き、私たちの間に浮かんだ。


その表面に描かれていたのは、手紙ではなかった。


複雑で、息を呑むほど美しい、一枚の図。


**輪**だった。


私は封筒を見つめた。まるで、異世界の遺物であるかのように。


――いや、まさにその通りだった。


**「……どうやって?」**


声にならなかった。かすかな、吐息だけ。


**「お前が来る前に、両親に伝えておいた。距離を超える紙の簡易魔法だ。彼らが書けば、私の元へ届く。私がお前に渡す」**


彼は、それを差し出した。


私は気づいた。彼の手が、ほんの僅かに震えていることに。


弱さからじゃない。


彼が運んでいるものの、重さからだ。


故郷からの知らせ。


一年ぶりの、音信。


私は、確かでない手で封筒を受け取った。


宛名は、母の几帳面な文字だった。


**『どこにいても、私たちのエルスベスへ』**


胸の奥で、何かが割れた。


痛くはない。春の川で、氷が砕ける音だった。


**「……読んでいる間は、一人にしてやろう」**


妖精王は、静かに言った。


そして、私が何か言う間もなく、彼は消えた。姿を消す、というよりは――光の中へ溶け、もはや区別がつかなくなった。


私は、手紙と二人きりだった。


---


すぐに封は、切れなかった。


私はそれを練習室から、小さな水晶の小部屋――私の居住区――へと運んだ。寝台の代わりの岩棚に座る。膝の上で、封筒はひたすら白く、凡庸で、脆い。


尖塔の永遠の薄明が、窓の外で光っている。


どれだけそうしていたか。


やがて、息を、ずっと溜めていたことに気づいた。


息を吸い込み、封を切った。


---


**──最愛のエルスベスへ**


**この手紙が、本当にあなたに届くのか、わたしにはわかりません。妖精王さまは届けると言ってくださいましたが、この手紙の使い方はあまりに奇妙で、お父さんもあなたの兄さんも、まるで魔法の品物を見るような顔をしていました。**


**それでも、わたしは書きます。母は、試してみるしかないのですから。**


(……試す。ただそれだけの、シンプルな決意。その一文で、目が灼けるように熱くなった)


**あなたが家を出てから、ひと月が経ちました。**


**あなたのいない部屋で朝を迎えるのは、今日で三十回目です。**


**食卓には、四人分の席を並べてしまい、三人で向き合う違和感に、いまだに慣れません。**


**お父さんは鍛冶場に立ちながら、あなたが昔、兄さんの作業を見ていた場所を、じっと見つめては、ため息をついています。**


(ひと月――その言葉は、鈍器で胸を打たれた衝撃だった。彼らにとってはひと月。私にとっては、一年以上。肋骨の裏側に、鋭く、物理的な痛みが走る。喉が締め付けられ、視界が歪む。何度も瞬きをしなければ、文字が読めなかった)


**ちゃんと、ごはんは食べていますか。**


**ヴィルヘルムは、毎日あなたの話をしています。**


**村は……変わりました。**


**まだ、噂をする者も、指をさす者も、います。**


**でも、マルタ――覚えていますか、パン屋の妻だったマルタさん――彼女は、聞く人すべてにこう言ってくれているんです。『あの子は、私の息子を救った。あの子は、呪いなんかじゃない。祝福だ』って。**


(あの、かすかな温もりが、痛みを貫いた。マルタ。粉まみれのエプロン。息を引き取るかと思われた我が子を抱く、あの恐怖に染まった瞳。まさか、こんな遠くで――思いもよらぬ場所からの、あの小さく、それでいて熾烈な庇護が、異界に流される私へ、確かに投げ渡された命綱のように感じられた)


**まだ、十分じゃないけれど。**


**でも、ほんの少しだけ、変わり始めているんです。**


**エルスベス、あなたが無事でいることを、祈っています。**


**あなたが、学ぶべきことを、しっかり学べていますように。**


**それから――あなたが帰ってくるその日まで、決して忘れないでほしい。**


**あなたは、愛されている。何ができるから、じゃない。あなたが、そこにいる、ただそれだけで、愛されている。**


(嗚咽が、喉に詰まった。**何ができるから、じゃない**。一年間、ただその力だけを評価され、磨き続けてきた私に、その言葉は、必要とさえ気づかなかった救いだった)


**お父さんが、『誇りに思う』と伝えてくれと言っています。**


**ヴィルヘルムが、『席は温めておく』と言っています。**


**そして、わたしは――毎晩、眠る前に、あなたの部屋の窓辺に立ち、森の方を見つめて、こう呟きます。**


**『無事で、帰っておいで』。**


**妖精王さまの言うことを、ちゃんと聞いて、良い子にしているのですよ。**


**――今日は、このへんで筆を置きます。**


(その光景は、あまりに鮮明だった。窓から香る、あの松の匂い。床板に落ちる月光。そして、尖塔を吹き抜ける風に乗って、確かに、今、母のささやきが聞こえた)


**あなたを、愛しています。**


**あなたを、恋しく思っています。**


**ずっと、待っています。**


**母より**


---


私はそれを、三度読んだ。四度目を数える頃には、紙は、気づかぬうちに溢れていた涙で、ところどころ濡れてふやけていた。


そのまま、涙を拭わなかった。


尖塔には、それを見る者はいない。強くあろうと、気張る必要もない。


私は泣いた。


彼らが耐えた、たったひと月の時間。


私が生きてきた、十四ヶ月の隔たり。


私たちの間に横たわる、埋めがたい時の溝。


私は、現実そのものを書き換える魔法を学んでいる。意思ひとつで火も水も呼び寄せられる。癒し、守り、変容させる円を描ける。


なのに。


彼らの時と、私の時との、その距離だけは、埋められなかった。


――私は無事です。ちゃんと学んでいます。あなたたちが私に託したものに、いつか応えられるような人間に、私はなろうとしています。


それさえ、伝えられなかった。


私にできるのは、ただこの手紙を――この、世界と世界を繋ぐ、脆い紙の橋を――胸に押し当てて、美しくも空虚なこの部屋に、約束をすることだけだった。


**――帰る。必ず、この選択を、無駄にしない。**


---


翌日、妖精王が私を見つけた。


指先で、ぼんやりと、光の形を宙に描いている私のもとへ。


**「エルスベス。――大丈夫か」**


それは、優しい、静かな侵入だった。


**「……はい」**


言って、それが、ほとんど真実であることに気づいた。悲しみは、沈んでいた。他の重みと並び、そこにある、というだけ。


**「手紙、ありがとうございました」**


**「……深く愛されているな」**


**「はい」**


手を重ねる。


**「彼らには、ひと月。私には、十四ヶ月」**


**「ああ。時間のずれは……難しい。だが、必要だったのだ」**


彼は言いかけて、止まった。


**「お前には、学ぶ時間が必要だった。彼らには、お前が……その、変わり果てる前に、帰す必要があった」**


**「変わり果てる?」**


**「……距離が、埋められなくなる前に」**


私は、うなずいた。


わかった。


**「……私の修行は、終わったのですか」**


問いは、迷いながら、こぼれ落ちた。


**「もう、家に、帰れるのですか」**


彼の表情が、わずかに変わった。


悲しみ、というのとは、少し違う。


もっと、こう――**覚悟**、に近い何か。


**「……来なさい」**


彼は言った。


**「お前の修行が、まだ続く前に――見ておくべきものがある」**


---


彼が連れて行ったのは、尖塔の主なき大広間ではなかった。


もっと、小さな、内密な空間。壁は、乳白色ではなく、完全に透き通った水晶。向こう側には、この異界の、およそ現実とは思えない風景が、細部まではっきりと見えている。


部屋の中心で、銀色の光の縦長の楕円が、たゆたっていた。


門だ。


私がくぐった、あの大樹を飲み込むような壮大さはない。もっと、小さい。もっと、制御されている。抑えられた力で、静かに、そこに在った。


**「……人間界へ?」**


心臓が、跳ねた。


**「一時的に、な。見るだけだ。留まるのではない」**


**「では、修行は、まだ終わらない」**


**「終わりなど、はるか先だ、小さな火花よ」**


その声音は、優しかったが、揺るぎなかった。


**「お前が尖塔で学んできたものは、基礎だ。文法だ。言葉を紡ぐための、構造。しかし、創造を真に極めるには、その応用を学ばねばならない。その目的を。その代償を」**


彼は門を指し示した。


**「――お先に」**


私は、踏み出した。


---


移行は、かつてよりはるかに滑らかだった。


あの、暴力的な置換ではない。


ただ、優しく、片方の世界から、もう片方へと、足を運ぶ。


明るい部屋から、陰りへと出るように。


そして……


空気。


**本物の、空気。**


尖塔の、水晶の完璧さではない。混ざり合い、複雑に絡み合った、人間界の大気。煙、パン、馬糞、松脂――数え切れないほどの、懐かしい匂いが、一斉に押し寄せた。


足裏に、土。苔じゃない。水晶じゃない。ただの、土。確かな、固い、ありきたりで、でも、どうしようもなく**普通**の。


目を開けた。


私たちは、街はずれに立っていた。


私の村じゃない。もっと、大きい。石造りの建物は三階、四階と高く伸び、石畳の道が複雑に絡み合う。広場や路地を、人、人、人――数十、いや、数百もの人々が、それぞれの日常を歩いている。


妖精王は私の横で、旅人の姿に身をやつしていた。シンプルな茶のマント。特徴のない顔立ち。しかし、その瞳だけは――あまりに深く、あまりに多くを知るその目だけは、彼が何者であるかを、隠しきれずにいた。


**「……ここは?」**


**「レオクセイオン。お前の村から、馬車で三日の交易都市だ」**


私たちは歩き始めた。人の流れに、ただ、溶け込むように。


騒音は、交響曲だった。叫び声、笑い声、荷車の軋み、犬の遠吠え。圧倒的だった。そして、それは――素晴らしかった。


彼は、不意に立ち止まった。


私は、その視線を追った。


一人の女と、小さな娘が、手を繋いで、私たちの前を通り過ぎていった。


娘は、四つか五つ。黒い髪を、二つに乱雑に結び、頬には、ジャムと思しき汚れ。


しかし、私の目を奪ったのは、娘ではなかった。


**人形。**


少女の空いた手に、それは、しっかりと抱かれていた。長く愛した証に、布の身体は擦り切れ、しかし、丁寧に繕われている。シンプルな造り。黒いボタンの目。刺繍の笑顔。かつては青かったのだろう、今は灰色に褪せたドレス。


少女はそれを胸の奥にぎゅっと押し当て、母親――彼女は優しく微笑み、娘の髪をくしゃりと撫でた――と共に、人混みへと消えた。


私は、石畳の上に、立ち尽くした。


そして、突然、私は、二歳だった。


(――記憶。三歳の、エルスベスじゃない。もっと深く。もっと遠く。)


能力の選別の、ずっと前。


誰も私と遊んでくれなくなる、その、ずっと前。


私には、**人形**がいた。


名前は……もう、思い出せない。でも、その顔は覚えている。丸く、柔らかく、ボタンの目は、無表情ではなく**嬉しそう**だと、幼い私は、固く信じていた。


どこへ行くにも、連れて歩いた。市場。鍛冶場。そして、毎晩、必ず、一緒に寝た。


母が、作ってくれた。母の古着の切れ端を縫い合わせて。ドレスは青だった――私のお気に入りのリボンの、あの色と同じ青。いつか川に落としてしまい、何日も泣き続けた。


覚えている。


家の戸口に座って、膝の上で人形に話しかけていた。冒険物語を作っては、彼女は勇敢で、私は勇敢で、私たちは決して独りじゃないと言い聞かせていた。


そして、ある時――昨日のことのように、鮮明に見える――


私は人形を抱きしめ、布の耳元で、ささやいた。


**「大丈夫。あなたは、独りじゃない」**


母は、ただの幼児の喃語だと思って、微笑んでいた。


だって、二歳の私にも、もう、自分が何か**違う**ことは、わかっていたから。後に、決定的な地殻変動となって、私を完全に孤立させるであろう、その予兆を、感じていたから。


だから、私は人形に――そして、自分自身に――約束したのだ。


**私たちは、絶対に独りにならない**、と。


記憶は、融けた。


私はレオクセイオンにいた。街の音が、一気に戻ってくる。


妖精王の手が、そっと、私の肩に触れた。


**「……大丈夫か」**


私は、うなずいた。声は、出なかった。


人形のこと、忘れていた。あの約束も。


(――彼女は、今、どこに?)


**「時として」**


妖精王は、私の心を読むように、静かに言った。


**「我々は、その真の重みを知らずに、約束を交わす。そして、幾年か経ち、その約束を思い出すよう、呼び起こされるのだ」**


彼は、私に沈黙を与えた。記憶と、街の喧騒とが、私の中で共存するまで、しばらく、歩き続けた。


そして、彼は優しく、私を街の中心へと導いた。


---


冒険者ギルドは、酒場のふりをした要塞のように、そこにそびえていた。


三階建ての、風化した石造り。鉄の帯で補強され、表通りにまで溢れ出した喧騒の戦い跡と思しき傷跡が、壁中に刻まれている。


扉の上には看板。剣と杖が交差し、様式化された炎がそれを取り巻く。


窓の向こうには、動く影。甲冑の光。武器の煌めき。歓声か、口論か、判別できない大声。


妖精王は広場の向こう側で立ち止まった。旅人の姿は、群衆に完璧に溶け込み、一切の違和感がない。


**「ここだ」**


彼は建物に向けて、顎をしゃくった。


**「お前の、次の段階の修行は、此処で行われる」**


私は、凝視した。


**「……冒険者ギルド? 私を、冒険者に……?」**


**「お前には経験が必要だ。尖塔は理論と技術、制御を教えた。しかし、理論は、応用なくして、ただの学問に過ぎない」**


彼は、疲れ果てた様子の戦士二人が、肩で息をしながら扉をくぐるのを見送った。


**「お前は、世界の中で、その力を使うことを学ばねばならない。管理された環境ではない、現実を」**


**「つまり……依頼を受けて、クエストに?」**


**「それだけではない。旅をするだろう。完璧な円と、澄明な瞑想だけでは、解決できない障害に、何度も直面するだろう」**


彼は、完全に私に向き直った。


**「お前は、描くことを覚えた。今度は、創造することを覚えろ」**


ギルドの扉を、どっと陽気な集団が飛び出してきた。泥沼にでも浸かったのか、一人は全身泥だらけで、別の男は、見事な青あざを作って、それでも大笑いしている。


期待と、不安とが、胃の腑でごちゃ混ぜになった。


**「いつから、始めるのですか」**


**「まだだ。尖塔で、お前はさらに基礎を固めなければならない。そして、何よりも――始める前に、必ず手に入れておかねばならぬものが、一つある。だが、もうすぐだ。彼らの時間で、一年以内」**


**「では、今のは……」**


**「予告だ」**


彼は言った。


**「そして、警告だ。お前がここまで成してきたことは、すべて準備に過ぎない。次に来るものが、その準備が十分であったかどうかを、試すだろう」**


私たちは、長い間、黙って立っていた。


混沌としたエネルギーが、ギルドを流れ込み、流れ出ていくのを、ただ、見つめながら。


**「修行は、まだ終わらない」**


妖精王は、繰り返した。その声は、低く。


**「だが、それが終わる時……此処が、お前の本当の仕事の始まりだ」**


---


門は、かすかな風の囁きと共に、背後で閉じた。


私たちは再び、尖塔の小さな部屋に立っていた。人間界は、銀色の光の向こうに、封じられた。


でも、まだ、匂いは、忘れられない。


パンと煙と馬糞と――命の、匂い。


まだ、目に焼きついている。


ギルドの、傷だらけの壁。


そして、手のひらには、擦り切れた人形の感触が、まだ、幽かに残っている。


私は、胸元に触れた。母の手紙が、まだ、そこにある。


**彼らにとっては、ひと月。**


**私にとっては、十四ヶ月。**


妖精王の声が、静寂を破った。


**「明日から、属性の複合を始める。火と水の同時制御。土と風。相反する力を釣り合い、複雑な魔法を編み出す技術だ」**


私は、今はもう輝きを失った門から、彼へと向き直った。


悲しみ。記憶。そして、目の前に広がる、果てしない道のり。


それらすべてが、溶け合い、一つに凝縮されて――ただ、**決意**となった。


**「――準備は、できています」**


私は、言った。


そして、初めて、その言葉の、本当の重さを、理解した。


**――本当に、準備ができる、ということの意味を。**

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