プロローグ
月代清華の現実は、アトリエの四つの壁に閉ざされていた。
パソコンの画面には、怒れる編集者と熱狂的なファンからのメールが溢れている。机に向かい、Gペンを手にした彼女の一筆一筆が、新たな世界を紡ぎ出していく。キャラクターの生と死は、すべて彼女の手の中にあった。
彼女の代表作『異国の娘、異国の地に新たな人生を描く』は世界中にファンを獲得し、他にも『この世界で、君と出会った』などの作品も人気を博していた。
彼女は休まず何時間も、時には何日も描き続けることができた。アシスタントたちは、止めてくれ、眠ってくれ、コンビニのおにぎりやエナジードリンク以外のものを食べてくれと懇願した。
彼女は一旦手を止め、痺れた指を伸ばしながら、何年も前に机の上に貼った、不安が忍び寄るたびに繰り返し唱えるマントラとなった言葉を囁いた。
「真の芸術は魂から生まれる」
覚書であり、約束であり、彼女が最初にペンを手に取るきっかけとなったアーティストから学んだ真実だった。どこで最初に読んだのかは覚えていなかった。インタビュー記事か、擦り切れた漫画の巻末の作者のコメントかもしれない。しかし、その言葉は全ての締切、全ての徹夜、やめたいと思った全ての瞬間を通して彼女に寄り添ってきた。
締切が迫ると、アトリエの唯一の窓は黒から青、そして金色へと変わり、空のコーヒーカップとエナジードリンクの空き缶は、彼女の不眠の記念碑のように積み上がっていった。
時折、そんな静かな時間に、コーヒーとインクの淀んだ空気を切り裂くように、湿った土と松の清々しい香りがふと漂ってくることがあった。それはとても鮮烈で、思わず手を止めさせるほどだ。彼女は何もない部屋を見回し、首を振り、また眠れない夜のせいだと自分に言い聞かせた。そして、その感覚は消え、コンピューターの低音だけが残るのだった。
あまりに多くの眠れない時間と、あまりに多くのコーヒーの後、ある夜、痛みが彼女の胸を貫いた。清華は息を呑み、タブレットを握った手が固まった。スタイラスが手から滑り落ちた。その痛みは鋭く儚いものではなく、深く、部屋から空気と光を吸い込んでしまうような破裂だった。彼女の頭は机に倒れ込み、最後に聞こえたのは時計の音ではなく、止まった心臓の後に続く、恐ろしいほどの絶対的な静寂だった。
***
目を開けると、その感覚が理解できなかった。心臓は再び鼓動を打っているが、どこかおかしい。速すぎる。大きすぎる。
「まずい！ 寝落ちした…！ 締切が！ 原稿がっ…！」
その言葉は喉元で途切れた。私の部屋も、机も、モニターも、空のコーヒーカップも、すべて消えていた。
私は果てしない白色の空間に立っている。静かだが、空虚ではない。光が周りで柔らかに脈打っている。
そして、冷静な声が呼びかける。
「清華…」
私はくるりと振り返る。そこにはローブを着た男性が立ち、その姿は塵を通した陽光のように揺らめいている。そして彼の後ろに、ほんの一瞬、緑がかった金色の光をまとった別の人影が立っている――見つめている。そしてそれは輝きの中に消え、疑問だけを残した。
「ここは…」
私の声はこの広大な空間ではか細く響く。
「ここはどこ？ それであなたは？」
「ようこそ、清華」
その声は優しく、古い悲しみを帯びている。
「こんな状況での出会いになって残念だ。だが、君の物語はここで終わらない」
その言葉は物理的な衝撃のように私を打つ。
死んだ。私は…死んだんだ。
私の原稿。アシスタントたち。参考書と描きかけのキャラクター設定でいっぱいのアパート。まだ修正を待っている編集者。すべてが――なくなった。ただ…消えた。
冷たく鋭いパニックが沸き起こるが、それを通り抜ける別の何かがあった。危険なほど笑いのようなものだ。
「え？」
私の声は窒息しそうになり、ヒステリーと不信の間で揺れている。
「何かの冗談ですか？」
「残念ながら違う。君は過労で死んだ」
「待って、ちょっと待って…死んだ？ つまり、文字通り死んだ？ 脈なし、『あの世で会おう』もなし？ ただ…最終回。終わり？」
「そうだ」
彼の微笑みは微塵も揺るがない。
「我々は君を見守ってきた。君の創造への才能こそが、前の候補者が失敗した場所で成功するために必要なものだ」
私は彼をまばたきしながら見る。私の才能？ 私は生計を立てるために漫画を描いていた。描いていた。過去形。どうやってきれいな絵が役立つっていうの…
「まさにそれが必要なのだ」
その声は絹のように滑らかに言う。
「だが、君の最優先使命は魔王を倒すことだ」
私は乾いた、疑わしい笑い声をあげる。
「魔王って？ 正直言うと、編集者と週一回会うほうがよっぽど難しいんですけど。ねえ、この魔王さんは、朝の2時に全章のやり直しを要求する frantic なメールを送ってきたりする？ 丸一週間かけて仕上げたペン入れ後に『読者アンケートの結果が振るわない』って理由でプロット全体を破壊しようとしてきたりする？」
彼は温かく、面白がったような声でくくっと笑う。
「どうやら君はうまくやっていけそうだな。オイコウメンに送る前に、何かリクエストはあるか？」
「オイコ…何？」
「オイコウメン。君が生まれ変わる世界だ」
「ああ」
私はあごに手を当てて考えた。いったい何が必要だろう？ お金？ 魔法？ そしてひらめき、思わずニヤリとしてしまった。
「それなら、私のGペンとインクが欲しい！」
「それだけか？」
「どんな世界で生きていくのに、それだけあれば十分だ」
「よかろう」
神の声には称賛の響きがこもっている。
「君のGペンを授けよう。そして、さらにもう一つ。最も必要な時に自ずと明らかになる贈り物を」
「それは…ものすごく曖昧です。もっと具体的にしてもらえませんか？」
「それでは面白くないだろう？」
声には笑いが含まれている。
「自分の技を信じろ、清華。それこそが、君がずっと必要としてきたもの全てだ」
議論したい、きちんとした説明を要求したい、しかし光は既に私の周りに集まり始めている。典型的だ。神様ですらドラマチックな退出がお好きなようで。
***
目を開けると、見えるのは…天井だ。
見知らぬ天井。
動こうとするが、腕は小さい。私の手は無力に空中で揺れる。この役立たずの小さな手…
話そうとするが、「うぁっ！ うわああん！」
「なに…？ あの神はどこだ？ これが贈り物か、宇宙的な拷問か？ 宇宙バカめ。」
「生まれ変わったのか…赤ちゃんに？ なんて粗悪な転生だ？ マネージャーは…？ マネージャーに会わせろっ！」
パニックが胸を掴む。私は大人だった。プロだった。締切があった、まあ、あった、過去形だが、それでも！ キャリアがあり、アパートがあり、私に依存しているアシスタントがいた！
今の私は…これだ。小さい。無力。言うことを聞かない体に閉じ込められている。
よし、清華。落ち着いて。もっと酷いことは乗り越えてきただろ。印刷の3日前に編集者からキャラクターデザインの全面変更を要求された時のこと覚えてるか？
赤ん坊くらいなんとかなる。
多分。
焦りの念が頭蓋骨の内側にぶつかり続ける。恐怖と怒りが絡み合い、ほとんど息もできない。あの揺らめくローブのジャリ男には絶対文句を言ってやる。
優しい声が近くでハミングしている。茶色い髪をゆるく結び、優しく穏やかな青い目の女性が身を乗り出してくる。彼女は私を腕に抱き、温かく、どこか懐かしい感じのする子守歌を歌う。
私のパニックは薄れていく。まぶたが重くなる。
もしかすると…これも悪くない。
うとうとし始めると、かすかな声が聞こえる、くぐもった、安心させるような、ほとんど夢のような。言葉ははっきりしない、その背後にある感情だけがわかる。
温かさ。心配。希望。
理解できなくても、感じ取れる；彼らは私に何かを待っている。私がまだ持っていない何かを。
まあ。もう少し待ってもらうしかないな。
そして今は、美容睡眠をとるとしよう。
ちっちゃくて無力な赤ちゃんに閉じ込められた！しかもとんでもない使命を背負って！オイコウメンの世界にはどんな Wonder と Terror が待ち受けてるの？ この残酷な世界で、私たちのヒロインは生き延びられるのか？ 次回もお楽しみに！同じ時間、同じ場所で！
