一話
青白いモニターの光が灯る深夜一時。
「——というわけで! 今日はごく普通のお気持ち雑談配信でした〜! みんな、おつルナ〜〜〜!!」
配信終了ボタンをクリックした瞬間、天宮ルナこと本名・佐藤葵は、デスクに盛大に頭を打ち付けた。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! めちゃくちゃ疲れたぁぁぁぁ!!!!」
画面の中では、銀髪ツインテールに星型の瞳を持つ超絶美少女アバター「天宮ルナ」が、にっこりとパーフェクトな笑顔を浮かべて静止している。
しかし、そのアバターを動かしている中の人(葵)は、スウェット姿にボサボサのボブヘア、目の下にはうっすらクマを作った、単位に追われる大学二年生である。
「はぁ……今日の配信もなんとか乗り切った……。よし、エゴサしよ」
葵は慣れた手つきでスマホを取り出し、自身のVtuber名で検索をかける。
『ルナちゃん今日も可愛かった!』
『声のトーンが最高に癒やされる』
『ルナちゃんの笑顔のために明日も仕事頑張れるわ』
「へへっ、みんな可愛いなぁ……よしよし……」
満たされた気持ちでスクロールを続けていた葵だったが、ある一つのポストに目が止まり、ピタリと指を止めた。
『ルナちゃんの配信、裏で【カイザー】が全く同じタイミングで配信終えてたんだけどwww もしかして同棲してる?w』
「……は?????」
葵の顔から一瞬で血の気が引いた。
カイザー。
チャンネル登録者数150万人を誇る、大手事務所所属の超人気男性Vtuber。漆黒の髪に赤き瞳、ドSな悪魔執事キャラで全全全女子を狂わせている、いわゆる『覇権VTuber』だ。
「ななな、なんで私があんなオラオラ系悪魔と同棲なんか!!? 絡んだことすら一度もないのに!!!」
冷や汗を流しながら、葵はスマホを握りしめた。
実は、葵にはリスナーに絶対に言えない激ヤバな秘密があった。
葵の住んでいるアパートの隣の部屋。
そこに住んでいる、ボサボサ黒髪に黒縁メガネ、ヨレヨレのTシャツを着ていつもカップ麺のゴミを捨てに出ているダサい大学生・田中蓮。
……そう、その「田中蓮」こそが、あの「カイザー」の中の人なのである。
壁がそこそこ薄いこのアパートで、お互い配信者であることは部屋越しに聞こえる声でなんとなく察していた。だが、お互いに「関わったら身バレのリスクがある」と理解しているため、廊下ですれ違っても無言で会釈するだけの『冷戦状態』を保っていたのだ。
(まさか、配信終了のタイミングが被っただけで匂わせ扱いされるなんて……! 最悪だ、明日から配信時間ずらそう……)
頭を抱えて悶々としていると——
ピンポーン
深夜一時に、容赦なく玄関のインターホンが鳴った。
「えっ……なに? 恐怖体験……!?」
おそるおそるドアスコープを覗くと、そこにはパーカーのフードを深々とかぶり、マスクをした背の高い男が立っていた。隣の部屋の、田中蓮だ。
葵はドアを数センチだけ開け、チェーンをかけたまま警戒露わに声をかけた。
「な、なんですか……深夜ですよ?」
蓮はマスクを少し下げると、死んだような目で葵を見つめ、スマホの画面を突きつけてきた。
「……見たか?」
「ひっ……! は、カイザー様のご降臨……!?」
「カイザー様とか言うな。……X(旧Twitter)で『同棲疑惑』がトレンド入りしかけてる。俺のリスナーが暴徒化して、お前の配信のチャット欄荒らしたら面倒だと思ってな」
蓮の声は、配信で見せる「姫、今夜も俺に狂わせてやるよ」という低音イケボそのものだったが、見た目は完全に徹夜明けの死体である。
「わ、私だって被害者ですよ! たまたま配信が終わる時間が被っただけじゃないですか!」
「わかってる。だから対策を話し合いに来たんだよ。……入れろ」
「無理です! 急に男子を部屋に入れるなんて——」
ぐぅ〜〜〜〜〜〜……。
静かな廊下に、盛大なお腹の音が響いた。
音の主は……葵だった。
「…………」
「…………」
「……お前、飯食ってないのか」
「課題と配信準備で、昼から何も……」
蓮は深くため息をつくと、手に下げていたコンビニの袋を葵に見せた。
「炒飯とファミチキ買ってある。半分やるから、部屋に入れろ。腹減ってるとまともな思考ができない」
「……入ってください」
食欲には勝てなかった。
こうして、絶対に交わるはずのなかった二人が、葵のこたつ部屋で向かい合って座ることになった。
「うっま……ファミチキうっま……」
「お前、配信では『今日の夕飯は手作りのふわふわオムライスでした〜♡』とか言ってただろ。ダウトすぎるだろ」
「うるさい! 夢を売るお仕事なの! カイザー様こそ『今夜は赤ワインとステーキを嗜んでいた』とか言ってませんでした!?」
「言った。実際はペヤング超大盛りだけどな」
お互いの「中の人」の夢のなさに、二人は同時にため息をついた。
「で、同棲疑惑の件だけど……」
蓮が炒飯を口に運びながら言った。
「下手に触れると余計に燃える。『完全スルー』が鉄則だ。ただ、今後配信時間が被らないように、Googleカレンダーで配信スケジュールを共有しよう」
「えっ、個人的な連絡先を交換するんですか!?」
「背に腹は代えられないだろ。お前も炎上したくないだろ?」
「うぐぐ……確かに」
不本意ながら、二人はLINEを交換することになった。
画面に表示されたアイコンは、葵が「可愛いウサギ」、蓮が「初期設定のグレーのアイコン」。
「よし、これで連携は取れる。じゃあ俺は帰る——」
立ち上がろうとした蓮が、ふと葵のパソコン画面に目を留めた。
そこには、葵がずっと悩んでいた『新曲の歌ってみた』のMIX(音源調整)画面が開かれていた。
「……お前、この曲のボーカルの音圧、低すぎだろ。伴奏に潰れてるぞ」
「えっ!? あ、これ……自分でMIXやってみてるんだけど、全然うまくできなくて……」
蓮は無言で葵の隣にしゃがみ込むと、キーボードとマウスを奪い取った。
「貸してみろ」
「え、あ、ちょっと……近……!」
急に至近距離に寄ってきた蓮から、かすかに石鹸のいい香りがした。普段のダサいジャージ姿なのに、真剣にモニターを見つめる横顔と、長くて綺麗な指がキーボードの上を滑る様子に、葵の胸がドクンと跳ね上がる。
(な、なにこれ……! 距離が近い! ていうか声が良い! 無駄に顔が良い!!)
「……よし、これで聴いてみろ」
「あ、はい!」
蓮が再生ボタンを押すと、葵の声が劇的にクリアになり、まるでプロが仕上げたかのような美しいサウンドになって部屋に響いた。
「すごーーーい!! 一瞬でめちゃくちゃ良くなってる! カイザー様、実は天才!?」
「誰がカイザー様だ。……俺、前職(高校時代)DTMで曲作ってたから、これくらい朝飯前だ」
蓮はフッ……と満足そうに鼻で笑うと、照れくさそうに頭を掻いた。
その笑顔が、配信で見せる「作りもののドSスマイル」ではなく、素の男の子の笑顔で——葵は一瞬、息をのんだ。
「あ、ありがとう……田中くん」
「……どういたしまして。あー、あと」
玄関に向かいながら、蓮は振り返らずに言った。
「お前、天宮ルナの時の声も可愛いけど……素の低い声も、悪くないんじゃないか」
ガチャ、とドアが閉まる音。
残された葵は、赤くなった顔を両手で覆って、こたつの中に倒れ込んだ。
「な、なに今の殺し文句ーーーーー!!???」
それからというもの、二人の「裏での交流」は加速していった。
配信スケジュールを共有するはずのLINEは、いつの間にか「今日どっちがゴミ出す?」「ファミマの新作スイーツ買ってきたから半分あげる」「今日のコラボ配信の立ち回り教えて」といった、生活感あふれる雑談で埋め尽くされるようになった。
部屋を行き来して、一緒にカップ麺を食べながらお互いの配信の反省会をすることも増えた。
ある日の夜。
蓮の部屋で、二人は並んで配信の企画案を考えていた。
「ねえ田中くん、来週の耐久配信、何のゲームやればいいと思う?」
「うーん……お前ホラゲー苦手だろ? パニックになって叫ぶ声、隣の部屋まで丸聞こえなんだよ」
「うっ……! それは言わない約束!」
ぷくーっと頬を膨らませる葵を見て、蓮はクスクスと笑い、葵の頭をぽんぽんと優しく撫でた。
「嘘嘘。でも、無理はすんなよ? お前、リスナーのために頑張りすぎる癖があるからさ」
「……っ!」
不意打ちの頭ぽんぽんと、優しい眼差し。
葵の心臓がバックバクと音を立てる。
(あかん。これ絶対、好きになっちゃってるやつじゃん……! 相手は天下のカイザー様だぞ!? 中の人はただの面倒見がいいイケメン大学生だけど!!)
その時、蓮のスマホが鳴った。画面に映ったのは、カイザーの所属事務所からの連絡だった。
「あ、マネージャーからだ。……はい、お疲れ様です」
電話に出た蓮の表情が、一瞬で『プロのVtuber』の顔に変わる。
『カイザーさん、例の「同棲疑惑」の件ですが……リスナーの噂が全然収まらないので、来週の大型コラボ企画で、天宮ルナさんと正式に【初コラボ】して、噂をネタにして消化しませんか?』
スピーカーから漏れたマネージャーの声に、葵と蓮は顔を見合わせ、固まった。
「え……? て、天宮ルナと……コラボ!?」
電話を切ったあと、部屋に気まずい沈黙が流れる。
「……どうする? 葵」
蓮が真剣な目で見つめてくる。
「断ってもいいんだぞ。コラボしたら、ますます注目されるし……俺のリスナーにお前が叩かれる可能性もある」
葵はぎゅっと拳を握りしめた。
本当は怖い。カイザーの巨大なファン層の前に立つのは恐ろしい。
でも——
「……やる!」
「葵?」
「だって! 田中くん……カイザー様と正々堂々コラボできたら、絶対に楽しいもん! それに、裏でこんなに助けてもらってるのに、私だけ逃げるなんて嫌だ!」
葵が真っ直ぐに蓮の目を見つめると、蓮は一瞬目を見開き、それから愛おしそうに目を細めた。
「……そっか。お前、ほんと強いな」
蓮は葵の顔にそっと手を伸ばし、親指で葵の頬を撫でた。
「じゃあ……最高のコラボにしよう。画面の中では『初対面のビジネスライクな二人』を演じるんだぞ?」
「う、うん……!任せて!」
「あと……コラボが終わったら」
蓮の声が、カイザーのあの『甘い低音ボイス』に変わる。
「……俺の本当の彼女になってくれるか?」
「えええええええええええええ!!?????」
葵の絶叫が、深夜のアパートに響き渡った。
「な、なにそれ!? 告白!? どっち!? 田中くんとしての告白!? カイザー様としての告白!?」
「どっちも俺だろ。……返事はコラボが終わってからでいい。最高にバズらせて、炎上も恋も、全部俺たちが勝つぞ」
ニッと不敵に笑う蓮の顔は、間違いなく世界を夢中にさせる最高の悪魔(Vtuber)で、そして葵が大好きな『隣の部屋の田中くん』だった。
【緊急配信】カイザー×天宮ルナ! 噂の二人がついに初コラボで同棲疑惑を徹底検証!?
画面の前で待機する、数十万人の同時接続リスナーたち。
チャット欄はすでに爆速で流れている。
『ついにこの二人が話すのかwww』
『バチバチの予感』
『ていうかルナちゃん緊張してそうww』
マイクの前に座る葵(天宮ルナ)は、深呼吸をした。
隣の部屋から、壁越しに「準備OK?」とLINEが届く。
葵は口角を限界まで上げて、笑顔のアバターを画面に躍らせた。
「——みんな、こんばんは! 天宮ルナです! 今日はなんと……あの方をお呼びしています!」
壁の向こうで、大好きな人が笑う気配がした。
画面の中の恋と、画面の裏の秘密の恋。
世界で一番カオスで甘い、二人の配信が今、はじまる——!




