あるお気に入りの庭園
ある大きな大陸の
ある小さな国の話。
「へえ~。ここが、ねぇ」
その国は豊かな森を挟んだ向こう側にある。
天からの日差しで艶をます緑。森から流れてくるのであろう澄んだ水が、光の反射できらきら輝きながら人の住む場所へと導く。
人が絶えない整備された道。舗装された石畳の道は大通りぐらいしかないが、その他の道もちゃんと均されてある。捨てられたゴミも散乱している様子はない。
追いかけっこをしている子供たち。子ども特有のふっくらとした頬をあかくして、きゃっきゃっと笑いながら元気に走り回る。からだいっぱい楽しさを表現するその様子は、見ていた大人たちも顔をほころばせた。
客を呼び込む威勢のよい大人たちの声。客と隔たりの感じられないその親しげな対応は、みごとにあちらこちらで話の花を咲かせるのだろう。そこらかしこから響く笑い声。
----その豊かな森に囲まれ他の国々とは離れたところに位置するこの国は、もっと時化たところと思っていた。
ところが想像に反して、ずいぶんにぎやかな国だ。
しかし、なんとまぁ----
「平和ボケした国」
天から降り注ぐ優しい日差しに、男は目を細めた。
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天から降り注ぐ優しい日差しに、ルクレティアはおもわず目を細めた。
それは彼女だけではなく、彼女の膝の上にいる黒猫も満足気にゴロゴロと喉をならす。
そしてやはり、この庭園は最高の場所だとルクレティアと黒猫は改めて実感するのだった。
季節によってさまざまな花を咲かせ、同じ場所とはおもえないほど雰囲気を変えるその庭園は、彼女の息抜き場所である。
最近は、庭園にある椅子に座りフロックスの黒猫である「ゴン三郎」を膝に乗せて、その艶やかな毛並みを楽しむのがお気に入りである。
お気に入りの場所で、お気に入りのことをする。それだけでも最高だが、ルクレティアの機嫌がいいのはそれだけではない。
(こんなよい天気の日にゆっくり1人でって、最高だわぁ~)
そう。いま、彼女専属の二人はいないのだ。
侍女ネリネはめずらしく朝から見かけなかった。そして彼女の護衛兼教育係であるアーネストは、さきほど人に呼ばれて席を外していた。
今まで、片方がいなければ変わりに片方が。というようにけして一人になることはなかったルクレティアは、その新鮮さにはやくも病みつきになりそうだった。
(それにしても、今日はみんな忙しそうなのよね……)
王宮の召使たちがなにやら忙しない。
彼らの手には何かしら荷物を抱えており、廊下でもその姿を見かけるのだから使用人専用の通路はさぞかし混雑しているのだろう。
まるで急遽入った何かを準備するような彼らの様子に、ルクレティアは嫌な予感がする。
しかもいつもと違う気合の入れようはただ事ではなさそうだ。
使用人だけではない。
なぜか騎士たちも動いているようだ。
その制服といい、色といい----
(アーネストと同じ……?)
そういえば。アーネストの呼ばれた理由はこのことと関係しているのでは?
ルクレティア専属となっているアーネストだが、彼も一応騎士団の一つに属している。
身体が鈍らないためにも(他にもなにか理由がありそうだが)、意外と頻繁に騎士たちの鍛練場に訪れているのだ。
彼の所属する団の象徴する色は、白。
アーネストの正装が白がメインであるのは、なにしも彼の主を引き立てるためだけではない。あんがい周りに知られてないが。
貴族の護衛を主な仕事とする彼らは、見栄えも大切になる。強さに関しても----アーネストに稽古(またの名を拷問)されているもんだから----精鋭ぞろいである。
容姿端麗。対応も紳士的。
よく年頃の少女たちの憧れの的の『騎士様』というのは、花形であるこの団の人員のことを指している。
それが理由でなのかわからないが、身分関係なく多くの少年たちからの入団希望が多い。
そもそも、もともと狭き門のうえ辞めるものも続出して人数は他の団に比べると少ないこの団の一員となるというだけで、箔が付くというものだ。
(貴族の護衛関係、ねぇ)
でもただの「貴族の護衛関係」でアーネストが呼ばれるのか?
…………。
………………。
(うっ、いやな予感しかしないわ……)
悪寒が走ったルクレティアは癒しを求めるように、膝の上に寝ているゴン三郎を撫でる。
(ふう~。やっぱりゴン三郎はかわいい……)
艶やかな毛並みとほどよい重さと体温。
ゴン三郎を構成するすべてに癒されたルクレティアは、満足げに息をついた。
ルクレティアはもうゴン三郎を気の合う友達だと思っている。
今日のように天気のよい日には、かならずといってよいほどルクレティアは庭園に行く。そしてかならずといってよいほど、そこにはゴン三郎もいた。
ルクレティアに撫でられてもいやなそぶりも見せない彼は、もしかしたら彼女と同じようにこの庭園も彼女に撫でられることもお気に入りなのではないのかと思ったのだ。
そうとしたらこれほど相性のよいものはいないと、ゴン三郎が人間だったらなぁと、どこかの二人に知られたらめんどくさい事になりそうなことをルクレティアは思った。
……その時、一番被害を被るのは誰でもないゴン三郎だろう。
路地裏生活で培われた彼の勘が、そんな不穏な何かを感じ取ったのか。
のんびりルクレティアの膝の上で寝ていたゴン三郎は一瞬ビクッとしてから、そこから飛び降りてどこかへ行ってしまった。
「あっ!」
今日はもう行ってしまうのか。せっかく今は、久しぶりの一人だけの時間だったのに。
「もうちょっとゆっくりしていけばいいのに」
あの性悪男がいないのだから、と続くこうとしたとたん。
「ではゆっくりしていきましょう」
「!?!?」
背後からいきなり声がかかった。
おもわずルクレティアが震えあがったのはなにしもその声が美しかったからではない。
「ア、アーネスト。早いわね」
いつの間にやってきたのだろうか。アーネストはもう傍にいた。
ずいぶん近いところから声が聞こえたとは思ったがまさか傍にいるとは思わなかったルクレティアはさらに驚いて、先ほどアーネストが言った言葉に突っ込むことを忘れた。
「王女のために早く切り上げてきました」
心なしかいつもと違う感じがする----詳しく言えばいつもより微笑みが二割り増しな----彼に、ルクレティアは本日何度目になるかわからない“いやな予感”を感じ取る。
「王女に朗報です」
「い、いったいなによ」
またろくでもなさそう。と思いつつも、アーネストが言う『朗報』を聞くためにルクレティアは耳を傾けた。
「王女たちの婚約候補が隣国からいらっしゃいました」
明日、面会になるそうです。と、アーネストはさらりと告げた。
「…………え?」
ルクレティアにはアーネストが言った言葉の意味がわからなかった。
あまりにも想定外の言葉に脳が考えることを止めたのだ。
聞き返すように小さな声を上げたことも無意識だった。
「婚約候補……?」
「はい」
「しかも“王女たち”って、わたしと……リリーシェルのこと!?」
「はい」
言われた言葉を反復してようやく意味を理解したルクレティアは、今度はその事実に驚愕した。
「さきほど呼ばれた件ですが、その方の護衛の選択を私にやってほしいとのことで。
まあ、自国から連れて来た専属護衛がいらっしゃるようなので、遠くからの護衛となりますがね」
堂々と監視宣言をするアーネストなど目にもくれず、ルクレティアは未だ混乱していた。
(リリーシェルの婚約者!? ----ってことは、なに。けけけけ結婚んんんん!?
まだ、リリーシェルとあれもやってないしそれも達成できていないのに!?
というか、未だ友達になっていないのにぃぃぃ!?)
彼女の嘆きが脳内で飛び交う中、ピシャーンと彼女の身体を貫いた思いはただ一つ。
----他の男にとられるなんてっ!!
「フフフ……。----いいわ、うけてたとうじゃないの……」
「フフフ……」と、いきなり不気味な笑い声をだして呟きだす彼女の脳内で一体何があったのかだなんて。聞かなくてもわかるアーネストは次に彼女が発するであろう言葉も予測できた。
「勝負よ! 待ってないさい、間男……!」
元からそのような関係などないのに『間男』などと。いかにも彼女専属達に毒されたような台詞になっていることなど気づきもせず、ルクレティアはにやりと笑った。
「あくまで『候補』の上、その対象の内には王女も入っていますよ」
なんて彼の声は彼女にとどかない。