第8節 ヒト
「あ~あ、ロックたち行っちゃったな。早く帰って来ないかな」
「さっき行ったところで帰ってくるわけないでしょう」
主のいない研究室では、エステルとロックの契約精霊である『ブルーイーグル』のクイーンが午後の紅茶を楽しんでいた。
「このクッキーを食べ終えたら、ちゃんと課題をするんですよ。あなたがちゃんとしていないと、ロックが帰ってきたときワタクシが文句を言われるのですからね」
クチバシの周りをクッキーだらけにしながら、クイーンがエステルを見上げる。
「ねぇ、クイーンはヒト化できるの?」
「……いきなり何なんですか」
クイーンは心底呆れたような表情をした。しかしエステルはそれを気にすることなく続ける。
「ユーリ君のお母さんがね、精霊なの。だから、クイーンもヒト化できるのかなって」
「ユーリ君のお母さん?」
「うん、『シルフ』なんだって」
「あぁ、彼女ですか。彼女ならヒト化できるでしょうね。デフォルトがほとんどヒトですから」
クイーンが何でもない風に言う。
「デフォルトがヒトに近いとヒト化できるの?」
「まあ、そう考えていいでしょうね。ヒト化するにはかなりの魔力を使うのですよ。ワタクシもできない訳ではないですが、デフォルトとの差が大きすぎるので余計に魔力を使うのですよ。まあ、その前にヒト化したいとも思いませんがね」
「でも、もし好きな人がヒトだったら頑張っちゃったりするの?」
エステルは目をキラキラさせる。
「……アナタ、本当に馬鹿ですね」
「え!? なんで!?」
「精霊がヒトと恋に落ちることなんて滅多にありません。大体、精霊はヒトよりずっと永いときを生きているのですよ。そして、その先も--精霊と契約者の関係は、精霊にとってほんの一瞬でしかないのです」
「--? だから?」
「ハァ……最後まで言わなければ分かりませんか。『別れ』がすぐそこに見えている相手と恋に落ちるなど、そんな愚かなマネ誰がしますか」
クイーンは吐き捨てるように言った。
「でも、でも……好きになっちゃったら仕方ないんじゃないのかな……」
「だからアナタはお子様なんですよ。そしてシルフも……彼女はもっと賢い方だと思っていましたがね。しかも子どもまで作って。すぐ死ぬのに」
「--!? そんな言い方!」
「アナタはまだ15年しか生きていないから分からないのですよ。ささ、もうこの話はオシマイです。テーブルを片付けたら、早く課題をしてください。あなたが今すべきことは一刻も早く『光の賢者』を継ぐための力を付けることなのですから」
「……」
言いたいことがあるはずのに、でも何と言っていいか分からないエステルは、ただ大人しく空になったクッキーの皿とカップを片付けることしかできなかった。