13・闇夜の鴉
雲の切れ間から月が覗く。庭には不揃いに蠢く
足音と唸り声が響き、夜の闇に点々と心許ない松明
が灯る。背中を寄せ合う僕らは心拍数を上げながら
周りを囲む悪意に対峙していた。駆け巡る血液が
そのまま冷や汗となり背中を流れるような緊張。
触れ合った3人の背からも浅い呼吸が伝わってきた。
「デニス。離れるな」
右手に斧を構え左小脇にエディを抱えた父さんが
押し殺した声で言った。調理用の包丁を震える手で
握る母さん、僕の手にあるダガーの刀身がうっすら
と月明かりを反射した。
確かに万全とは言いがたかった。完璧には
程遠かった。でもだからといって、こんなにも
あっさりと、こんなにも圧倒的に。
……完全に盲点だった。
暗がりに浮く朧気な一対の眼光が、ゆらりと不規則
揺れる。
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庭に仕掛けを施してから4日間は不安と裏腹に何も
起こらず過ぎ去った。いざと言う時にどう逃げるか、
また、一時的に他の家に避難させて貰うのはどうか
など話し合い、結局当初の予定通り自宅にて警戒を
続けるという事で決着した。人数が固まれば被害が
大きくなる可能性も上がるし、侵入者に対する守り
の強度はどこもさほど違いがない事が理由だ。
なにぶん普段は野良の魔物が時折舞い込む程度の
平和な村。人間の悪意に晒された時の対応など
そこまで徹底されている訳では無い。応援の大人が
夜間うちに詰めてくれる事以外は、普段と変わりない
生活が続いた。
そして今晩の応援として来てくれたのは、あの
ジークさんだった。所々まだ包帯は巻いているが、
最後に見た時に比べれば間違いなく血色は良い。
「あんな怪我の後で、もう大丈夫なんですか?」
「ああ。神官様々だ。もう動けるとなったら、いても
たってもいられなくてな。元はと言えばオレの行い
が発端だ。手伝わせてくれ」
負い目によるジークさんの真剣な眼差しに、微妙な
表情をしていた父さんも納得を示した。家族一同で
「よろしくお願いします」と頭を下げると、ジーク
さんは更に低く頭を下げた。
『殊勝なことじゃ。確かにだいぶ回復したようじゃが
まだ全快ではなかろう。体に鞭打つのも程々に
のう』
起きがけのダガーに言われ、ジークさんはそちら
にも頭を下げた。元々声の聞こえなかったはずの
彼が、なぜダガーと意思疎通できるようになった
のかは謎だが、この状況において好都合ではある。
そしてこの時初めて、ダガーが寝てるか起きている
かで宝石の光沢がほんの少し変わることに気づいた。
狼戦の直後に、寝てたのか、この短刀は。
ここ何日か、父さんはあまり寝ていない。疲れも
蓄積しているはずだ。事情が事情なので仕事は早めに
切り上げて仮眠を取っているものの、その顔には疲労
が見え隠れしている。……仕事に命を削られ続ける
人々は前世にも存在したが、気概のベクトルは少々
異なる。葉巻の煙を吐き出しながら父さんが言った。
「さぁ、お前らはもう寝なさい」
窓のない勝手口側の壁を背にし父さんとジークさん
が椅子に座る。玄関や窓を見張るにはこの位置が
1番適している。
僕とエディは普段の子供部屋ではなく、両親の
部屋に向かった。日当りが良い分子供部屋は窓が
多いので、ここ数日はそのようにしてる。家の中の
大半の明かりを消して、見えるのは父さん達の
そばに置かれた蝋燭の火のみになった。ドアの無い
部屋から、その光がゆらゆらと2人を照らしている。
心苦しい思いを抱いて、僕は寝床に横になった。
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『……きよ、……ス』
微睡みの中ダガーの声が聞こえた。
『起きよ。……なにか来ておる。庭の入口方面じゃ』
寝床から跳ね起きる。枕元のダガーを手に取り、
僕は聞き耳を立て音を伺った。母さんもダガーの声を
聞いたらしく慌てて横のエディを抱き起こし、僕ら
は父さんたちの元に集まった。ジークさんと父さんも
既に椅子から立ち上がっていた。
「流石ダガーさんっすね。オレらじゃ全然気づかない
っすよ」
庭の入口……仕掛けは家の周り全てにしかけたが、
まさか正面から……?
「ダガー、魂はいくつ見えますか?」
『ひとつじゃ。いい度胸をしておる……じゃが……』
何かを言い淀むダガー。少し遠くでカラカラと
鳴子の音が響き、ワンテンポ遅れて家の中に紐を
引き込んで設置しておいた鳴子も反応する。
乾いた音が室内に谺してエディが目を覚ました。
『少し……怪我をしておるな……そして何をしておる?
よろよろしおって……そこまで深手ではあるまい』
庭の松明のひとつが灯る。窓越しに僕の目にも
人影がひとつ確かに見えた。よろよろとした足取りで
腕を抱え、やや猫背で歩いてくる。攻撃性のあるもの
ではないとはいえ、仕掛けに引っかかっても意に介し
ていないようだ。……いや、気にしている余裕が
無いのか?不穏に備え、父さんが母さんに武器になる
物を持つよう指示。無いよりはマシ程度の包丁を
手に取る代わり、抱えてたエディを父さんに預けた。
続けてひとつ、またひとつと松明が発火する。
玄関のすぐ前まで火が灯った直後、ドアを乱暴に
ノックする音が静けさを切り裂いた。
「誰だ! こんな夜更けに!」
父さんが怒鳴る。一瞬の沈黙の後、ドアの向こうで
弱々しい声が聞こえてきた。
「すんませェん……助けてください。道端で変な奴に
襲われたんすよォ……」
何かが近づいているのは見えていたし、わかって
もいた。だが、声を聞くことでそこに間違いなく
人が居るのだと実感し、一層背筋が伸びた。声は
若い男のものに聞こえたが、聞き覚えはない。だが
横でナイフを構えていたジークさんの顔が少し
青ざめたのが見えた。
「その声……あんた、タンブルか……?」
その名前なら覚えている。ジークさんが参加して
いる集団、スコイルのリーダーの名だったはずだ。
ドンッと強く扉を叩く音が響く。
「あ……? ジークか? てめぇなんでこんなトコ
に……いや、それより聞いてくれよォ! すぐそこ
で、なんか変なやつが、いきなり……!」
ジークさんは無言でこちらを見て、首を横に振る。
室内だけに聞こえるような小声で僕らに言う。
「おかしいっす。タンブルがこんな所にくる用事が
あるはずが無い。リサイドからわざわざ来ると
したら……多分今夜が大当たりっすよ、ボリスさん」
父さんは何も言わず頷いた。
「なぁ、俺ァ怪我してんだよォ、助けてくれよォ。
他にも中にいんだろ? 外はやべェんすよォ」
行動を決めあぐねる父さんが眉間に皺を寄せた。
ドアの鍵にゆっくりと手を伸ばし……
刹那、室内の別の鳴子がガランガランとけたたまし
く暴れた。これは、家の裏!? 全員が一斉に勝手口
を注目した。ダガーが見えているはずなのに、なぜ?
「ダガー!?」
『見えん! 裏にヒトは居らんはずじゃ!』
言い終わると同時に、轟音と共に勝手口が突き破
られた。まるで紙くずのように破壊されたドアは
ばらばらと面影も残さず砕け散った。扉"だった"
部分の向こうには夜の黒が広がっている。その黒
からわらわらと何本もの牡丹鼠色の細い腕が壁を
まさぐりながら侵入してきた。異様な腐臭が室内を
包み込む。粘度のある液体のように、"それら"は
この場に雪崩込んできた。
「し、屍人だっ!」
父さんが叫ぶ。醜く歪み部分的に腐敗した身体を
引き摺るように屍人と呼ばれたそれらは部屋の中を
這いずり回る。一家団欒のテーブルに乗り上げる者、
花瓶を落とす者、椅子に噛みつき木屑にしていく者。
めちゃくちゃだ。避難の想定にこんなものは入って
いない。元いた世界で言うところのゾンビのような
ものだろうか。不規則で不快、予測不能な動きで
僕らに近寄ってくる。
「へ、へへへ、旦那ァ、これでいいんだろォ」
玄関扉の向こうからタンブルの下卑た声が漏れる。
……確定だ。この人は、"敵"だ。万が一に残っていた
"利用されているだけ"の可能性は完全に潰えた。
「父さん、庭に出るしかない!」
言うが早いか、父さんが乱暴に鍵を開け扉を
蹴飛ばす。目の前にいたタンブルはドアに弾かれ
ピンボールの銀玉のように吹き飛んで行った。
僕は床に散らばった椅子の破片から適度な大きさ
の物を拾ってから、玄関に駆け出した。
気色の悪い唸り声から押し出されるように家族と
ジークさんは家から飛び出した。全員が避難した
ことを確認し、僕は玄関の扉を勢いよく閉め、
扉の下部に椅子の木片を突き立ててから《滑れ》と
念じる。体重を乗せて木片を蹴り踏むと、ガスリ
と音を立てて半分めり込み、簡易的な閂が成立した。
其の瞬間、玄関扉に重いものがぶつかる衝撃が走る。
心許ないが屍人の足止めにはなったらしい。
しかし、扉の中央に目をやると見慣れない物が
視界に飛び込んできた。短いナイフで刺し留められた
大きめの羊皮紙。松明に照らし出された紙面には
赤色で気味の悪い紋様が刻まれている。先程の
ドンという一際大きなノック……ダガー言っていた
異様なよろめき……僕は嫌な予感がして咄嗟に扉から
距離を取り、庭に振り返った。
「なんだ……これ」
庭の至る所にナイフが突き立てられている。
そのどれもが、同じような羊皮紙を貫いており、
それぞれに紋様が描かれている。これは、多分
魔法陣というやつだ。
途端にすべての魔法陣が発光した。青紫色の鋭い
光は松明の炎より遥かに強く輝き、それぞれから
人影がずるりと現れた。なんだ、こいつらは。突然
現れた者達に僕らは囲まれる形となってしまった。
ジークさんは周りを見渡すと、それぞれの顔を確認
し、言った。
「お前ら……スコイルの……」
言いかけて言葉を止める。リーダーのタンブルが
出向いているのだ。当然応援が来るだろう。だが
現れ方が気持ち悪すぎる。ろくに顔も隠してない
ところを見ると、別に僕らには顔が割れても良い、
つまり、無事で済ます気は無い、ということか。
最後に一際大きく輝いた魔法陣から、黒い外套を
纏った者が出てきた。他の若者達と違い、妙に
落ち着き払っている。少し離れた所でタンブルが
叫び散らす。
「だはははっ! 旦那ァ! 注文通りだろォ!
上手くやったろォ! へっへへへへ!」
さっきから思っていたが、このタンブルという男、
何がと言う訳では無いが下品だ。聞いてると不愉快
になる声と喋り方をしている。これがリーダー?
どう見ても集団を率いる器には見えない。
旦那と呼ばれた黒外套の者が目深に被ったフード
を脱ぐ。長い銀の髪と共に顕になったのは、やや
不健康そうな顔をした男だった。男はその細身の体を
深く折り頭を下げ言った。
「御機嫌よう。善良なるモノ達。お初に
お目にかかります。私は魔術師のクローケ。
以後お見知り置きは結構です」
玄関前の魔法陣から現れた若者が、突貫の閂を
蹴飛ばし折る。すぐに屍人の群れが周りを囲み、
より一層強固な壁となった。僕らは、ひとかたまり
になり、背を預けあっている。
雲の切れ間から月が覗く。庭には不揃いに蠢く
足音と唸り声が響き、夜の闇に点々と心許ない松明
が灯る。
「デニス。離れるな」
僕は内心大きく焦り混乱しながらも、父さんの
目を見て小さく頷いた。




