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一行~あなたと綴る物語~  作者: 渋谷幸芽
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今書かれるシナリオ

課題に追われたり、家族と旅行に行ったりと、充実した夏休みは明けて、二学期が始まった。

葵は久々に通い慣れた通学路を歩いて学校に向かった。

そして、春休みに家族写真を撮った写真屋で思わず足を止めた。

芽衣たち一家が映った少し色褪せた写真の斜め左上に自分たちが撮ってもらった家族写真がショーウィンドに飾られていた。

その写真を見ているうちに不意に、ずっと気付かないフリで抑え込んできていた自分でも説明できない蟠りのような感情がぶり返した。

説明が付かないが、明確に、少なくともポジティブなものではない事がはっきりしていた。

何だか苦しくなり足早に店の前を離れて学校へと急いだ。


 「葵、おはよう」

教室には既に一番乗りで芽衣が来ていた。

「おはよう」

葵が荷物を置いて久しぶりに窓際の前から2番目の自分の席に着くと、芽衣は、そこから3つ通路側に

離れた自分の席から立ち上がり葵に近づいた。

「聞いて、私また今朝お母さんとケンカしちゃった」

そんなやり取りから始まる日常が一学期も度々あったと振り返りながらも親身になった。

「今回は何が原因なの?」

「相変わらず他人が聞いたら絶対につまらない事なんだけどね、テレビのリモコンが一瞬行方不明になって、おかげで朝の星座占いを見て一喜一憂するってルーティーンが出来なくて、リモコンどこに片づけたの!って私に切れるから、最後に使ったのはそっちでしょう!って新学期の朝から、しょうもないバトルを繰り広げてきた」

「そうなんだ、それで、リモコンは見つかったの?」

「うん、ソファーの下から出てきた、葵の所は絶対、こんな下らない事でケンカにならないでしょう」

「・・・・・こんな事で、っていうか、真緒さんと、そこまでの関係を築けてないんだよね・・・・結構時間経つけど、会話も少なめ」

ため息交じりに打ち明けた。

「・・・・・そうなの?」

大きく頷いてモヤモヤした思いを再確認するように、自分に言い聞かせるように吐露した。

「2人の選択は純粋に祝福したいと思うし、そこは問題なく自分の中では出来てる、でも衝突し合える関係ではないんだよね、別に嫌いなわけじゃないけどね、どんなに時間をかけても赤の他人、「お母さん」なんて絶対に呼べない、嫌いなわけじゃないのに」

「でも葵は、お母さんって呼んであげたいって気持ちも、確かにどこかにあるの?」

率直に問われ、咄嗟に自分の深層心理と向き合ってみた。

「よく判らないんだよね、ただ私が「真緒さん」って呼ぶ度にお父さんが複雑そうな顔を見せるんだよね・・・・・だから本当は「お母さん」と呼ぶべきなんだろうけど、そういう温度差みたいなのも何か溜まりに溜まって正直しんどいかな」

「そうなんだ・・・・」

頷きながら葵は、もう一度盛大に溜息をついた。

「どうしたら、そういう所、解消できるのかな・・・・・自分が何に拘ってるのかよく解らないんだけど難しく考えずに、お母さんって呼べばいいのかな」

「上手く言えないけど、無理してそう呼ぶ必要は無いんじゃない?それぞれにとって心地良い距離を探して、その距離を維持していけば良いんじゃない?必ずしもお母さんと呼ぶことが再婚相手との理想の距離を維持する手段じゃないと思うし」

その一言に気付きを感じた。

真緒の理想の形を押し付けられるのを嫌がる一方で、ならば自分の理想がハッキリしているのかと言えば、そうではなく、どこを目指してるのか判らない状況が現状なのだと気づいた。

「ありがとう、芽衣・・・・その一言で気付いた事が有る・・・・・」

「そう?何かよく解らないけど、力になれたなら光栄だよ」


 その日は始業式と大掃除とホームルームだけだったので葵たちは午前中のうちに学校を後にした。

特に予定が無かった芽衣と葵は空調の効いた学校からほど近い図書館で夕方まで勉強に励んだ。

やがて閉館を知らせる館内放送が流れ、2人は他の利用者たちと共に外に出た。

外に出ると陽は傾いていたものの、まだ湿度が高く不快な暑さを感じた。

それでも、不意に吹き抜ける風に確かに秋の気配も感じていた。

「そういえば、もうすぐ葵の誕生日だね」

「うん」

「そんな高価なものをプレゼントできないけど、リクエストがあれば賜るよ」

「ありがとう!やっぱ貰って嬉しいのは実用性がある図書券かな・・・・・」

「OK!」

「じゃあ、また明日学校でね、バイバイ」


 「誕生日おめでとう!葵ちゃん」

「ありがとうございます」

葵が15歳を迎えた、この日、土曜日だったので3人は近くのフレンチレストランでコース料理を愉しんでいた。

「早いな、あれから15年か・・・・」

感慨深げに修平が15年前を回顧した。

父親の「成り方」も、勉強とシミュレーションを重ねた筈の正しい抱き方も、直前まで相応に自信が有った筈なのに、生まれたばかりの無垢な命の前で全て一瞬で色褪せてしまい、急に自信が無くなり思わず固まっていたが。

「貴方も抱いてあげて?」

美幸から促され、覚悟を決めてベビーベッドで横たわる葵を練習通り抱き上げた刹那、ポジションが悪かったのか、はたまた過度の緊張が伝わったのか、抱かれたくないタイミングだったのか、ギャン泣きされアタフタした。

そんな自分を見て美幸は失笑しながら、けれど確実に修平の「親」としてのスイッチを入れた。

「赤ちゃんは泣くのが仕事なんだから、そんなビクビクしなくて大丈夫、練習通り上手に抱けてたわ、これから色々と頼んだわよ、貴方も、もう、一人の人間の親なんだから」

「ああ・・・・・」

泣き止まない葵を美幸に託した上で「母親」の眼差しで、しっかり腕に抱いて直ぐに泣き止ませた美幸の前に姿勢を正して立つと大変な重労働を労い感謝を伝えた。

小さくて温かくて、けれど両腕に圧し掛かる重たさは何年経っても鮮明に思い出せた。

今から更に5年経っても10年経っても、その時に芽生えた覚悟と感動の感覚は鮮明に思い出せる自信があった。


 その後、3人はレストランを後にして美幸の眠る墓地を訪れた。

墓石に、そっと水をかけ、静かに手を合わせる葵を2人で見守った。

やがて葵が顔を上げて墓前から一歩下がり2人に向き直った。

「・・・・なんて報告したんだ?」

「無事15歳になったよって、受験頑張るよって」

15歳の少女が紡ぐ「母親」への報告と誓いの言葉が「母」になる事が叶わなかった真緒を複雑な気持ちにさせた。

もちろん誰にも何の罪もない事は重々承知だったが複雑な気持ちを処理することが出来ずにいた。

そんな真緒の胸中を察した修平が心配そうに横目で真緒を見た。

うまく行っているようで、けれど、この数カ月間、実は3人は誰も悪くないのだが微妙な距離感を感じながらも埋められずにいた。

お互いを尊重する事は出来ていたが3人が考える理想の家族には何かが、まだ足りてない気がした。

そもそも3人が本当に理想としている形は一致しているのかも怪しい限りだった。

誰も悪くない事だけは3人しっかり認識していて、だからこそ、誰からも距離感と違和感について切り出せずに過ごしていた。

修平は、或いは何かが壊れてしまうかもしれないと不安に思いながらも意を決して切り出した。

「なぁ、2人は、3人で、どんな家庭を作りたいと思った?」

「・・・・・正直、あまり深く考えなかったんだよね、難しく考えても解決しないし、だからシンプルに3人が幸せになれる家庭を目指そうと思ったけど」

「真緒は?」

「そうね・・・・・お互いに足りない所は補い合って助け合えて尊重し合える、何でも言い合える幸せな家庭かな」

「俺の中でも、そう大きなズレは無い、2人と同じところを目指していたし、今も目指している、でも、今も目指しているって事は言い換えれば辿り着けていないって事だよな・・・・・」

2人、一瞬顔を見合わせて、お互い気まずそうに目線を反らせた。

「私は葵ちゃんの正直な気持ちを聞きたいな・・・・・嫌な言い方かもしれないけど我慢させちゃってる部分も多い気がするし、胸に秘めている思いがあるなら言ってほしい」

「正直よく解らないんだよね、生まれた時から作り上げられた家庭の中に居て、再婚の話が出るまで理想の家庭なんてものを意識した事も無かったし・・・・・でも」

「でも?」

2人の声が重なった。

「春に家族写真撮った時から上手く説明できないけど自分の中にネガティブな気持ちがあることに気付いた、上手く言えないけど無理やり枠にはめられたような、家族になれてない自分の気持ちが置いて行かれているような気がして・・・・・」

一呼吸置いた後、葵は包み隠さず、その瞬間の気持ちを吐露した。

「何か嫌だったんだと思う・・・・・」

「・・・・・ゴメンね、私、つい浮かれていたのかもしれないわね」

葵は静かに首を振って見せた。

「春は距離の埋め方を3人、ちょっと間違えただけです、これからは別の方法を模索してみましょう」

「そうだな」

「そうね・・・・・」

「まだ今の家族に成って数か月だし、ぎこちないかもしれないけど、一歩ずつ理想の家族へとステップアップしていけば良いだろう」

3人は心地良い「理想の家族」の形を模索し続けた。


 季節は更に進み、秋も深まった頃、何度目かの二者懇談が行われた。

葵は未だに荊沢に行くべきか否かで悩んでいた。

「全寮制」という部分で決断を躊躇させた。

当初は、親元を離れて自立心を養うのも悪くないと思えていたが「家族」を模索するようになってからは寮に入る事は、真緒や、真緒と家族になれない現実から逃げる事なのではないか、理想の家族に成りたい2人の気持ちを踏みにじってしまうのでは無いかと思い悩んでいた。

「お父さんは推薦枠で荊沢に進むことを反対しているのか?」

「・・・・・いえ、お金の心配はしなくて良いと言ってくれています」

「なら何でそんな悩んでいるんだ、俺の考えとしては、荊沢に進んだ方が絶対に色んな良い経験を出来ると思うけどな、別の高校で、どうしてもコレに挑戦してみたいという何かがあるなら話は別だけど、そういう事が無いなら若宮監督も大歓迎してくれている事だし荊沢一本に絞って良いと思うぞ」

平井の助言をしっかり受け止めながらも理想の家族の形を模索することも止めたくなかった。


 この日も進路が定まらず、焦りの気持ちに肩を落としながら生徒玄関に降りていくと芽衣が待っていた。

「待っててくれたんだ、ありがとう」

通学靴に履き替えて生徒玄関を後にした。

「今日も長かったね」

「ゴメンね、寒い中」

「ううん、そんな事、気にしないで」

校門を出る直前、葵が切り出した。

「ねぇ、芽衣の所は今お母さんが頑張ってくれて荊沢に進む事を全面的に応援してもらえてるんだよね?」

「うん」

「芽衣は、もう荊沢に進むって覚悟決めたの?」

「うん」

「・・・・・・相談したい事が有るの、迷惑でなかったら明日、芽衣の家に行って良い?」

「もちろん!おいでよ」

「じゃあ、9時位に行くね」

「うん、じゃあ、また明日ね」


 翌日、葵は芽衣の家を訪れた。

「どうぞ」

「お邪魔します」

葵は芽衣の部屋に案内された。

「それで、相談って何?」

「うん、実は今、絶賛、家族の形を模索中なんだけどね」

「・・・・・うん」

「荊沢って知っての通り全寮制でしょう、最初は寮生活を送る点について全く重要じゃなかったんだけどね、今はそこがネックになってて」

「どういう事?」

「寮に入って真緒さんと離れる事は家族に成れない現実から逃げる事のような気がして」

「そんな事ないよ!」

芽衣が葵の考えを即座に真っ向から否定した。

「葵は今も理想の家族の形を探すために逃げずに考え続けているじゃん!それに、たまたま荊沢が全寮制だっただけで、そんな荊沢に入る事はイコール逃げる事!なんて結び付けなくて良いと思うよ?シンプルに実力に見合った学校に進むっていう選択をして良いと思うけど」

芽衣のシンプルな考え方に少し気持ちが軽くなるのを感じた。

「それに、理想の家族に成る為に物理的な距離が必要な時もあると思うよ!長い付き合いになるんだから、思い切ってそういう期間を設けるのも有りだと思う!上手く言えないけど、今は進路を決める大事な時期だから理想の家族の形って事だけに拘って基準にしちゃうと見えなくなっちゃう事も可能性を潰しちゃう事も多くなっちゃうと思う、進学したら、こんな事に挑戦したい、こんな目標を果たしたいって事を基準で決めて良いと思う、今は高校でやりたいことを見定めて行けば良いと思う」

そこに、2人の携帯に愛美からメールが入った。

『やっほー、元気?今日は報告があってメールしたよ、進学の事だけど高校は荊沢に進もうと考えているよ、2人の志望校は決まった?』

「愛美の進路も決まったんだね!」

芽衣が嬉しそうに愛美の決意を受け止めた。

「・・・・・ねぇ、こんなタイミングで言うのはズルいかもしれないけど、私は愛美と葵と高校でバスケに打ち込みたい」

2人の思い描くビジョンを受け止め、葵の中で優勝の夢を果たしたい気持ちが、より明確になった。

「私も芽衣と愛美と高校でもバスケを愉しみたい!そして頂点を目指したい!そうだよね、今は高校に進んで何をやりたいか見極める大事な時期だね」

「うん!」

2人、決意を送信すると即行で元気いっぱいの笑顔の絵文字が返ってきた。


 「ただいま」

「おかえり」

帰宅すると、真緒が昼食の準備を進めていた。

「丁度出来たところよ」

「・・・・・ご飯の前に話したい事が有るの、2人に」

葵に切り出された真緒が、皿に伸ばしかけた手を止めた。

そして3人で食卓に着いた。

「高校だけど、色々考えて推薦枠で荊沢に進む事に決めたから」

葵の告白に修平と真緒が思わず顔を見合わせた。

「あんなに消極的だったのに、まさか俺達に遠慮して全寮制の荊沢に進むのか?」

「違うよ!なんか色々と難しく考えすぎてたけど、芽衣と愛美のお陰で進学したらやりたい事が今日、明確になったの・・・・・絶対に荊沢でしか出来ない事だから荊沢に行きたい・・・・・中学で果たせなかった優勝を芽衣と愛美と3人で高校で果たしたいって思った!お互いに寂しくなるけど、私は荊沢でしか果たせない夢を追いかけたい」

「愛美ちゃんも荊沢に進むのか?」

「うん」

「そうか・・・・・なら、高校でも絶対レギュラーになって今度こそ愛美ちゃんや、芽衣ちゃんや、これから高校で出会える仲間達と絶対に優勝しろ!」

「うん!」


 明確に進路が決まった後も軒並み実施される実力テストに追われながら葵たち受験生は淡々と挑んで知識を答案用紙にぶつけた。


 そして、季節はすっかり冬になり、長いようで短い「受験生」を過ごし葵は推薦入試に挑んだ。

ほかの皆より少し早く迎えた本番。

スポーツについての小論文を書かされた後、一つの教室に集められて各グループ10分ずつの集団面接に臨んだ。

私語厳禁の張り詰めた空気が漂う控室で程なく面接室に呼ばれた。

学校で連日行われた模擬面接の通り、入学後の抱負や趣味等を問われた。

殆どが「想定内」だったので落ち着いて受け答えが出来たが最後に思いがけない問いかけがあった。

「では最後に、芹沢さん、もしもタイムマシーンがあって過去に戻れるとしたら、いつに戻って何をしたいですか?また、その理由を教えてください」

試験管たちの、どこか探るような眼差しを受けて一瞬沈黙した。

本音を言えば事故のあった日の前日に戻り映画を諦めさせると言いたいところだったが。

「・・・・はい、もしタイムマシーンがあり過去に戻れるとしても、あえて戻りたいとは思いません」

他の受験生たちが戻りたい時の話を懸命に力説する中で、敢えて戻りたくないと言い切る葵に、受験生と試験管たちの注目が一斉に集まった。

「それは何故・・・・?」

「過去が・・・・・・失敗と反省が私の成長の糧だからです、勿論思い出すと苦しくなる過去もありますが、その「結果」で成り立った「現実」は受け入れる以外、術はありません」

「判りました、これで以上になります、お疲れさまでした!気を付けてお帰り下さい」

促されるまま、葵達受験生は面接会場を後にした。


後日郵送で自宅に届いた入学案内書に本人も修平も真緒も胸をなでおろした。

「受験生お疲れ様、頑張ったな」

「頑張ったわね、葵ちゃん!4月から寂しくなるけど、まずは、おめでとう」

「ありがとう」


 それから程なく芽衣と愛美も一般入試の日を迎え、試験後、駅に向かいながら2人で記憶を頼りに可能な範囲で答え合わせをして自己採点をしていた。

結果、お互い大きな不安要素は無かったので心穏やかに結果発表の日を待てた。

「やれる事は全部やったし、後は4月から芽衣と葵と荊沢のピカピカの1年生になるだけだね」

「うん!じゃあ、また4月に高校で会おうね、バイバイ」


 駅で再会を誓い合って別れて数日後、2人の元に無事に吉報が届いた。

「頑張ったわね、さすが私の自慢の娘だわ!あの人には報告してあげた?」

「うん!おめでとうって言ってくれた、そしてお母さんにヨロシクって言っていたよ」

「そう・・・・・」

夫婦だった頃を懐かしむように目を細めた。

「ゴメンね、父親が必要な大事な時期に色々寂しい思いさせて」

「仕方ないよ、これが私達の家族の形なんだと思うから」

「そうね、この形が私達が、やっと辿り着いた理想の家族の形ね」

「寮の方は、まとまった休みに入る度に実家に戻って良いみたいだし電車で20分弱の距離だし、私たちには丁度良い距離だよね」

「そうね・・・・・」


 凄惨な交通事故から3年目を迎えたこの日、葵は1人で現場を訪れた。

花とジュースを供えて静かに黙祷を捧げた。

何年経過したところで「あの時」の地獄絵図も、恐怖も絶望感も鮮明に蘇り胸を締め付けた。

たまらず目を伏せた時、ポツリと水滴が頬を濡らした。

「雨・・・・・?」

そういえば愛美と初めて出会った時も雨が激しく降っていて傘をさしかけてくれたと懐かしく思いだした。

今は運悪く傘を持ってなかった。

瞬く間に雨足は強くなり、とりあえず近場の屋根の下に移動しようと静かに立ち上がった時だった。

不意にビニール傘がさしかけられた。

「え?!」

そこに立っていたのは祖父母だった。

「お爺ちゃん・・・・お婆ちゃん」

「風邪ひくわよ?」

「うん・・・・・・」

葵に傘を持たせて、2人も静かに合掌した。

辛い記憶と暖かい記憶が入り混じる現場をもう一度振り返り祖父母と共に立ち去った。


 「その制服も、今日で最後だな」

「うん」

制服姿で階下に来た葵を感慨深げに修平が見つめた。

中学の制服が届いた時、その制服には、いつ袖を通せて、いつ登校できるようになるのか葵も修平も不安でいっぱいだった。

地元で可愛いと有名だった鈴浦中の制服が届くのを、その制服に袖を通すのを葵も美幸も楽しみにしていて、その制服を着て記念写真を撮る計画だった。

けれど事故が起き、1ヵ月以上喋れない状態が続き小学校の卒業式も出られず中学の入学式にも当然出席できなかった。

卒業証書を担任が届けに来ても、小学校の友人が入れ替わり立ち替わり葵を訪ねてきてくれても笑顔も声も取り戻せず葵は抜け殻のようだった。

「お待たせ!2人とも」

真緒が余所行きの服でバッチリ決めてリビングに入ってきた。

「ちょっと早いけど、そろそろ行くか?」

向ったのは、美幸の墓前だった。

墓石に水をかけ、線香を手向け、中学を卒業することを報告した。

「あの・・・・・もしかして、葵ちゃん?」

呼ばれて3人振り返ると千尋の両親が桶と花を持って立っていた。

「大きくなったわねぇ」

「おじさん、おばさん・・・・・ご無沙汰しています」

「今年は色々あって命日に来てやれなかったもので・・・・・迷惑でなければお線香を上げさせてもらっても良いですか」

「ありがとうございます・・・・・そうしてやって下さい」

千尋の両親が美幸の墓石の前で静かに祈りを捧げた。


 大切な2人の冥福を祈った後、葵は卒業式に出席した。

色んな事が懐かしく思い出されたが、送辞、答辞を聞いても涙するまでは至らなかったのに。

音楽の授業で皆で何度も歌った卒業式のテーマソングの前奏が流れた刹那、大半の卒業生と保護者、教師が一斉にハンカチを取り出した。

葵も例外ではなかった。

あんなに音楽の時間や予行演習で歌って歌詞もしっかり覚えたというのに本番は涙に阻まれて殆ど歌えなかった。


 在校生や保護者、教師達の惜しみない拍手に送り出され体育館を後にした卒業生達。

 それぞれの教室に戻り、最後のホームルームが行われた。

「卒業式お疲れ様、泣いても笑ってもこれが最後のホームルームだ、そんな特別の筈の時間だけど俺は、そんなカッコ良い事とか言えないから俺の体験談を聞いてほしい」

どんな言葉が紡がれるのかと皆が耳を傾けた。

「高校卒業の時に俺が担任から送られ、今も折に触れて糧にしている言葉を皆にも送ろうと思う!」

まっすぐ見つめる教え子たちの眼差しを見つめ返して語り始めた。

「俺は実は大学受験で失敗して一浪しているんだ、周りの皆が志望校に合格してる中で自分だけが全力を出したにも拘らず結果を出せなくて・・・・・」

鮮明にその時の悔しさが蘇り一瞬、眉根を寄せた。

初めて聞く平井の真実に生徒は皆、驚いた。

「卒業式の日、気力も何もかも無くして級友や先生たちへの挨拶もしないまま逃げるように校舎を出ようとした時、担任に呼び止められて」

瞼を閉じると鮮明に、その時の記憶が蘇った。

「先生の第一声は「卒業おめでとう」だった、逃げ出そうとした俺を咎めるとか、全然そんなんじゃなくて、そして受験お疲れって・・・・今は悔しくて虚しくて辛いと思うけど人生は真っ白な台本に自分が主人公の物語を書くようなものだ!誰一人同じ物語りなんて書けないし書く必要が無い、今日まで書き込まれた不本意なシナリオも今から書き足すシナリオもお前にしか書けない物だから、劣等感を感じる必要は無いんだ!自分のシナリオを恥じるな!他人のシナリオを羨むな、今書かれている自分のシナリオを読み返した時に輝いていたと思えるように、全力で一行一行を書きこんで行け!」

個々に、それぞれ経験してきた挫折を振り返り、それでも最高の一行を書けるように頑張ろうと誓った。

「これが後にも先にも、俺にとって最高の餞(はなむけ)の言葉になった、失敗も挫折も意味のあるものに替えるのは自分次第なんだって言われたよ、その言葉のおかげで一年遅れたけど、志望する大学に進めて、今こうして夢をかなえて俺は教壇に立っている、明日の合格発表、皆の桜が咲く事を祈っている!これから先も挫折の機会なんてあちこちに転がっている!でも、今まさに書かれようとしている、皆が書こうとしているそのシナリオを全力で書き上げてほしい」

「はい!」

「以上でホームルームを終わります!卒業おめでとう、一年間ありがとうございました」

「ありがとうございました」


 卒業式の翌日から暫く、葵は忙しかった。

寮の説明会、鞄や靴や制服や体育着など学校指定の物を買いに出かける等。

慌しく過ごしているうちに、瞬く間に卒業から半月が過ぎ、入寮の前日を迎えた。

暫く寂しくなるからと真緒が腕によりをかけ葵の好物を食卓に並べた。

「私の好きな物ばかりだ!ありがとう!5月の連休で帰ってきた時は私が何か作るね!」

言いながらサクサクのアボカドコロッケの端を齧った。


 翌日、不安と期待を抱きながら葵は笑顔で2人と別れ入寮した。

入り口で先に芽衣が来て、どこか不安そうな表情で2人の到着を待っていた。

「芽衣!お待たせ!おはよう、いよいよ新生活が始まるね、頑張ろうね!」

「うん!愛美も、そろそろ着くって、さっきメールが入ってた」

言われて鞄から携帯を取り出した。

「本当だ」

そこに一台のバスが通り過ぎ、少し先の停留所で停まった。

程なく、重そうに大きな荷物を抱え愛美が降りてきた。

「2人とも久しぶり!」

混雑を避けるため、一般入試組と推薦枠などの組とで説明会や買い物に指定された日時が違っていた為、3人が再会を果たしたのは夏以来だった。

もちろん無事に合格したという報告は入れ合っていたが・・・・・・。

「とりあえず部屋割り見に行こう!さっき、向こうに貼り出されていたから」

言って芽衣が流した視線の先に人だかりが出来ていた。

何とか最前列に躍り出て、すぐに3人、自分の名前を見つけた。

「残念、3人とも部屋、バラバラだね」

愛美が思わず肩を落としながらも気を取り直した。

「とりあえず荷物置いたら中庭の時計台の前に集合しよう」

3人、早速、寮の中に入っていき荷物を置いて中庭に出た。

一番乗りで葵が時計台の前に来た。

程なく芽衣と愛美もやってきた。

2人を見て、葵が笑顔で両手を広げた。

2人が意図を察し、その肩に手を回し円陣を作った。

「去年果たせなかった優勝!今度こそ高校で果たそう!」

3人頷き合った。

「期待の主力が揃いましたね、まさか水沢さんまで当校に来てくれるとは!一般入試の会場で水沢さんを見かけてビックリしました、改めて合格おめでとうございます」

銀縁眼鏡を押し上げながら若宮が颯爽と近づいてきた。

じゃれ合っていた3人は素早く体を離し緊張の面持ちで最敬礼した。

「3人なら直ぐにレギュラーになれると信じています、いえ、そうなれるよう我々が責任を持って指導します、よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」


 バスケ部の活動は直ぐに始まった。

学業とバスケの両立は中学時代と比べ物にならないくらい大変だったが遅れまいと必死に食らいついて行った。

寮では部屋がバラバラだったが、3人同じ科を選択していたのでクラスは一緒だった。

芽衣の変わらぬ学力の高さにサポートされながら、慌ただしい日々を送っていた。

3人の頭角はメキメキ現れた。

中庭で交した約束の通り夏の大会では3人とも背番号を貰った。

もちろん全ての試合に出場出来たわけではないし、コートに立てた時間は短かったがチームは確実に決勝まで勝ち上がった。


都大会決勝戦だったこの日、放送席が設けられていたりテレビ局が来ていたり独特の雰囲気に包まれていた。

思わず圧倒されている葵だったが、試合の後半で出場の機会が訪れた。

「芹沢、第4クウォーター出れるようにアップしておけ」

「はい!」

ヘッドコーチに言われ緊張の面持ちでジャージを脱ぎ、シューズの紐をしっかり結び直し、前を見据えた葵の手に、芽衣が静かに自分の手を重ねて笑顔で背中を押した。

「自分を信じて楽しんでおいで!最高のシナリオなら、後からついてくる」

「・・・・・うん!」

第3クウォーターをフルに戦い抜いた愛美がベンチに戻ってきてアップしている葵に気付いて送り出した。

「いってらっしゃい」

「うん!」

葵がコートに入ってからも決勝戦にふさわしいシーソーゲームは続いたがパスをカットした葵が相手のマークを外し、スリーポイントシュートを最も得意とするキャプテンにパスを回した。

しっかり受け取り、都大会優勝という最高の一行を自分達の台本に刻む為に力まずにシュートを放った。

電光掲示板の数字が更新された直後に試合終了のブザーが鳴り響いた。

『決まりました!優勝は荊沢高校です!荊沢高校が4大会ぶり通算12回目の優勝を果たし全国大会の切符を手にしました』

その様子を職員室のテレビでリアルタイムで見守っていた鈴浦中学の教師たちは思わず抱き合って喜んだ。

「やりましたね!芹沢たちは鈴浦中の誇りですね!!」

「はい!!」


 試合後、整列して、それぞれ引き上げてバックヤードを仲間と歩いているとテレビ局の人間に引きとめられた。

「優勝おめでとうございます、取材、よろしいですか?」

引率していた若宮が笑顔で快諾して応じた。

「改めまして優勝おめでとうございます!」

「ありがとうございます」

「今のお気持ちを一言」

「まず戦い抜いてくれた選手たちにありがとうと言いたいです」

「ありがとうございます!決勝点決めた選手と、あの局面でアシストした選手にもインタビュー良いですか?」

「もちろんです」

若宮に促され緊張の面持ちでキャプテンと葵が前に出た。

「優勝おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「まずは、決勝点を決めたキャプテンから、今の率直なお気持ちをお願いします」

「ホッとしているというのが一番です、そしてこの素晴らしい舞台に立たせて下さった監督やヘッドコーチ、仲間に対して、そして私を信じて正確なパスを出してくれた葵に感謝の気持ちで一杯です」

言われて葵が、はにかんで見せた。

「では葵さん、今この喜びを誰に伝えたいですか」

「中学時代の恩師や、私のバスケット人生に関わった、お世話になった色んな人に報告したいですね」

「そうなんですね、じゃあ、その報告したい方たちに一言!カメラに向かって、どうぞ」

促され一瞬沈黙して言葉を選択していった。

「本当に沢山の方に支えられ、背中を押されて指導され、そして仲間と共に自分を高め合いながら、この夢の舞台で自分の台本に最高のシナリオを書くことが出来ました!全国大会でも最高のシナリオを書けるように仲間と一緒に全力で戦います!母校の後輩たちが去年私たちの果たせなかった優勝を果たしたとの吉報も少し前に聞いたので私たちも絶対に負けられないと思い全力で戦いました」

「ありがとうございました!以上ヒーローインタビューでした!」


 社員食堂で、その中継をタイムリーに見ていた修平と真緒は同僚たちに思わず自慢していた。

そしてすぐに確認できないと知りつつ、メッセージを送った。

『優勝おめでとう!決勝戦、見させてもらったぞ、次は更なる高み、全国大会優勝を目指して頑張れ!』

『おめでとう!葵ちゃんの夢が叶って私も嬉しい!丁度休憩中でライブで見ていたけど、ヒーローインタビューもとてもカッコよかった!全国大会での活躍も期待しているし応援しているわ』

 

 画面が切り替わった所で平井は指導の為に体育館に向かった。

扉をスライドさせると部員達は筋トレに余念が無かった。

全員が筋トレをやり切ったところで多くの可能性を秘めた生徒達を整列させ葵達の活躍を誇らしげに報告した。

「皆も負けてられないぞ!最高のシナリオを皆で書きあげる為に今日も元気に行こう!」

「はい!」


 試合会場から寮に戻ってきた葵は、2人からのメールに気付いた。

そして早速返信した。

『ありがとう、最高の仲間と全国優勝を目指して頑張るよ』

修平に返信した後、真緒のメールも開いて文章を作成した。

『ありがとうございます、全国大会出場が決まったので夏休みも、ゆっくり帰省できなくなりましたが帰る事が出来たら、その時は是非アボカドコロッケを作って欲しいです、暑い時期でも関係なく無性に食べたくなるんですよね、帰省出来た際は娘のそんな我儘を聞いていただけたら幸いです』

返ってきたメールを2人で確認して思わず2人、顔を見合わせた。

「『娘』ってここに・・・・・」

「ああ・・・・近い将来、きっと呼んでくれるよ」


 親元を離れて自立心を養い大きく成長し、高校で夢だった全国大会優勝を仲間と共に成し遂げ、有終の美を飾った葵が久しぶりに元気に帰省した。

「ただいま!お父さん・・・・・お母さん!」

「おかえりなさい、葵!」

「おかえり!久しぶりだな葵」

高校3年の夏、模索して時に見失って、それでも時間をかけて3人で作り上げた「理想の家族」は完成した。

今まさに3人のシナリオに最高の1行が書き足され、そしてこれからも書き足されていく・・・・・。

今日も精一杯生きた証が、また一行台本に刻まれていく。

人は皆、誰でも特別の、大切な誰かと綴る事が出来る、まっさらな台本を持っている。

そこに綴られる短い一行。

長い一行。

最高の一行。

最低の一行。

たとえば、今日刻まれた一行が最低だったとしても大丈夫。

それは明日の最高のシナリオの為の遠回り。

あなたを裏切る為の一行では決してないのだから。

だから今日も全力を尽くそう。

今書かれる一行のシナリオの為に。

完             

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