デート終了
昼下りの公園で、子供達は遠巻きに遊具で遊んでいる。
大人も雰囲気で察してくれたのか、私たちの座るベンチには近づかないように子供達を誘導してくれた。
そんな賑やかな場所で……私が泣かせてしまったサフィーナさんが、静かに目元を拭った。
「すみません、ディアさん。このような場所で。お恥ずかしい姿をお見せしました」
「いえ。みなさん察したみたいで離れてくれましたから、大丈夫ですよ」
泣き崩れたことが恥ずかしそうに、サフィーナさんは苦笑している。
「……あなたに言われた通り、ティランのこと、もう一度考えてみようと思います。……今なら別の見方ができる気がします」
「はい、是非そうしてみてください。
でも……もし悩んだら、私にも言ってくださいね。
私だって無関係じゃありません。ティランさんが送り出してくれたサフィーナさんに私が救われたのは、間違いありませんからね」
自信を持って伝えると、彼も頷いてくれた。
泣き顔を拭って立ち上がると、澄んだ琥珀色で空を見上げている。
「しかし、デートという雰囲気でも無くなってしまいましたね。
……今日は帰りますか。家でゆっくりしましょう」
「えっ、待ってください! 帰っちゃうんですか!?」
サフィーナさんも、ティランさんへの後悔にようやく区切りがついた。
だからついに幸せな選択にも向き合ってもらえるようになったと、思っていたのに。
「泣き顔の男と外にいても、あなたも変に思われますよ」
突きつけられたのは帰宅だったから、全身が冷たくなって力が抜けた。
胸がズキズキ痛くて、つい触れている。
……やっぱり私じゃ、ダメなのかな。
女性として見ているのなら、きっとサフィーナさんは、デートも最後までしてくれたはずだ。
年齢も離れているし、小さい頃に救い出した印象が強すぎて、庇護するべき子供にしか見えていないのかもしれない。
自分が振られる理由を先回りして考えて言葉も出ない私を、サフィーナさんは見つめている。
「このままではルフト殿下とバリオンに見つかる可能性もありますし、何があったのかと根掘り葉掘り聞かれます。家に戻った方が良いでしょう」
「それは……知って、います……けれど……」
現実を突きつけられるたび、涙が出そうになる。
このままデートを続けたかった。
でも……サフィーナさんには、私じゃダメだった。
どれだけ言葉を尽くしても、私の気持ちだけはどうしてもサフィーナさんには伝わらなかった。
……リファナ神も、今の言葉を私に告げてほしかったから、そのためだけに巡り合わせたのかな。
失恋の痛みを知って、私は他の誰かに目を向けるべきなんて……そんなこと考えたくない。
胸を掴んで堪えようとするのに……ぽんぽんと、私の頭はサフィーナさんの大きな手に包まれていた。
「一人で帰るとは言っていませんよ。
ディアさんも、うちに来ませんか」
言葉も忘れて見上げる。
サフィーナさんは、困ったように裏葉色の長い髪を揺らした。
「バリオンの家には行ったのでしょう? ルフト殿下も王城で自宅デートを楽しまれていましたね。
ですから、私の家にもお誘いしようかと思ったんです。元々の予定にはありませんでしたけれど、お嫌ですか」
サフィーナさんは騎士宿舎を出て一人暮らしをしていることを、以前にも聞いていた。
お家デートに誘われた。
そんな事実に何も考えられないままでいると、綺麗な指が私の顔に触れた。
「大変です、私のせいで化粧崩れさせていますね……。
食堂ではあなたがすっぴんなのは知っていますが、今日は初めて見るお顔になってしまって……」
「待ってください、見ないでくださいっっ」
慌てて顔を覆ったけれど、もう遅い。
だってさっきからずっと見つめあったりしていたのに、お化粧がボロボロになっていたなんて思ってもいなかった。
走って汗をかいたし、泣いたし、よく考えたらすごい顔になっているかもしれない。
……大人の女性が使っているような化粧崩れしにくいものじゃなくて、お小遣いで買えるような、一般向けの物を使っているのは私にだってわかっている。
顔を隠したままカバンの中の化粧ポーチに手を伸ばそうとしたけど、その手を止められた。
「直すためにもうちに来ませんか? 目が腫れているのも冷やせますよ」
「行きます……行きますから、もうこれ以上、ひどくなっているのを指摘しないでください……」
好きな人の前で、顔が気になってたまらない私は受け入れるしかなかった。
サフィーナさんが、うつむく私の手を引いて案内してくれる。
妻帯者の騎士が多いと常連さんから聞いていた高級住宅街に入って、そのうちの一軒に彼が足を踏み入れた。
購入したと言っていた家は内装も新品で、真新しい家具が置かれている。
「どうぞお入りください。洗面所はこちらです」
「お、お邪魔します……っ」
手を引かれるまま洗面所に向かった私は、ついに鏡に映った自分と対面した。
……急いでサフィーナさんを部屋の中から追い出した。
必死に閉めた扉の向こうで、サフィーナさんが笑っている。
「そこまで恥ずかしがらなくても、炎天下の中では姫君たちでも化粧崩れはよくあることですよ。
汗の匂いにも慣れていますから……ああ、しかし……せっかくの機会ですから、よければお風呂にも入っていきませんか? シャワーの間に女性用の衣類を買ってきます」
「全身汗っぽいって素直に言ってくれればいいのに、さっきから遠回しに言わないでくださいっ。
どうして今日は私には優しくしてくれないんですかっ、わかりました、お風呂に入りますからサフィーナさんは離れていてくださいっ」
失敗続きで心が折れそう。
扉の前から足音がして、彼が遠ざかっていく。
……もしかして、サフィーナさん、私に抱きついた時に汗臭かったのかな……首元を嗅いだけれど、自分じゃわからないから確かめようもないよ……。
顔も一生懸命お化粧したのに崩れていて、しないほうがマシに見える。確かにこのまま外は歩けなかったから、トボトボとお風呂を借りた。
全身を洗う。
……ようやくすっきりした気分で泡を流しているうちに、浴室の扉がノックされたから思わず飛び上がった。
「ディアさん、女性の店員に一式選んでいただけるようお願いして、そのまま袋に詰めていただきました。
タオルも出してありますが、何か不足がありましたら声をかけてください」
「わっ、わかりました、ありがとうございます!」
よく考えたら男の人の家でシャワーを浴びているなんて、私、何してるんだろう!?
目が回りそうになっている間に、音が遠ざかった。
終わって扉を開けたけれど紙袋が置かれていて、中には新品の服が入っている。
「……わ、可愛い……着せ替え人形が着るワンピースだ……!」
店員さんに一式選んでもらったとサフィーナさんが言っていた通り、着やすそうな服に思わず感動していた。
下着まで全部普通の女性のサイズのもの、しかも可愛くてセンス抜群のものが入っている。
さすが店員さんが選んでくれただけあって、着替えたけれどどれもピッタリだった。
問題だった顔と睨めっこしたけれど、私の顔はお風呂に入る前よりもずっと綺麗になっている。
……もうお化粧するのはやめておこうかな……お店ではすっぴんだし、サフィーナさんもその方がよく知ってるよね……。
着ていたものを紙袋に詰め直してお風呂を出ると、リビングに向かう。サフィーナさんも顔を洗ったみたいで、目の赤みが引いていた。
「すみません、お風呂お借りしました。
服まで用意していただいてありがとうございます。おいくらでしたか、お支払いします」
「総額十万リフでした」
「高いっ」
価値観にない価格が飛び出てきて、膝から砕け落ちた。
細かく何がいくらかなんて聞けないけれど、私のお小遣いじゃ十万リフなんて、いつ返済できるのかもわからない。
思わずツッコミを入れた私が床から立ち上がれないのを見ながら、サフィーナさんが笑っている。
「贈り物なので気にしないでください。私からの気持ちです」
「十万リフが気持ちで受け取れる額じゃないのは、私も知っています。
うちの食堂の利益が毎日いくらかを教えたら、サフィーナさんびっくりしますよ」
「あなたのお母様に怒られそうな情報ですから、聞くのはやめておきます。
しかし……婚約者に初めて贈るものだと思えば妥当ではないでしょうか」
「だって婚約破棄してほしいって言われて、初デートもまだ途中なのに……妥当じゃないです……」
「婚約破棄はしないつもりです。
私に幸せになるよう言ってくれたあなただからこそ、お贈りしたつもりですよ」
弾かれたように顔を上げた。
そばに来た彼が手を差し伸べたから、私も連れられるままソファに座った。
裏葉色の髪の騎士は、私を見つめて微笑んでいる。
「……可愛い格好が、やはりディアさんにはよく似合いますね」
初めて見る甘い笑顔に胸の奥がギュッとして、熱くなる。
「意地悪く化粧崩れなど指摘してすみません。……ルフト殿下にもバリオンにもデートの邪魔をされたくなかったので、早く連れ帰るための方便として使いました。
少々化粧が崩れたくらいで、ディアさんの可愛さは失われたりしませんよ。必死になってくれたあなたを、女性として美しいとすら感じていました」
慣れない褒め言葉に顔が熱くなる。
サフィーナさんに少しでも良く思ってもらいたい気持ちが疼いて、ソファに慌てて座り直した。
隣に座る彼の体温を改めて感じて、お家デートに緊張して何を話そうか話題を探していると、男の人らしい大きな手が、隣り合う私の手を包んだ。
「っ!?」
家までも手を引かれて歩いてきたから同じ繋ぎ方なことも分かるのに、彼の感触や体温を感じるだけで心臓が早鐘を打つ。
見上げた先では照れくさそうに、サフィーナさんが琥珀色の瞳をそらしている。
「しばらく、繋いでいてもいいですか。あなたに触れていられるだけで幸せで……離し難いんです」
「は、はい……っ」
頷いたけれどドキドキが強すぎて、鼓動で体まで揺れている気がする。
……サフィーナさんが触れ合いたいと思ってくれたのは、きっと私を婚約者として認めてくれたからだよね?
だから私も今まで出来なかった分、思い切って、恋人として寄り添うつもりで彼の体に頭を預けた。
「「……」」
ただそばにいるだけなのに恥ずかしくて、胸のドキドキが止まらない。
少しでも押さえようとして、彼が贈ってくれた可愛いワンピースに指が触れた。
そうしてようやく、サフィーナさんが迎えにきてくれたとき気にしていたことがあったのに、解消されていることに気づいた。
「この服、嬉しいです。……本当はサフィーナさんとのデート、新しい服の方が良かったのかなって、ちょっとだけ気にしていたんです。
だから……まるで心が通じたみたいです。ありがとうございます、サフィーナさん」
お礼を言えただけで心が浮き上がる。
恋人たちがいつもくっついているのがわかるくらい、私にとってもサフィーナさんの体温が心地いい。
なんとなく頬を彼の腕に擦り寄せてしまうと、隣り合うサフィーナさんの手に少しだけ力が入って、彼の長い髪が私の頭に触れた。
「今日は私だけしか知らないディアさんでいて欲しかった。……そんな独占欲を、あなたに着せているだけです。お礼を言うことではないかもしれませんよ」
聞けるとも思っていなかった言葉に、心臓が痛いほど締め付けられる。
顔が熱くて、何も考えられない。
サフィーナさんも照れ笑いするなんて、初めて見る表情に見惚れてしまう。
「「……」」
言葉もなく見つめあっているうちに、繋いだ手が握り直された。
サフィーナさんが何かを逡巡している。
それでも決意したみたいに顔を近づけた背の高い騎士様に……私も、不思議と目を閉じていた。
「ここかサフィーナ!!」
バーンっ!!
扉を蹴破るような音がして、ソファに座る体が跳ねた。
玄関の方に渋い視線を送るサフィーナさんに足音が近づくと、彼は屋敷への闖入者に溜息を吐いている。
「ルフト殿下。……いつも大目に見ていますが、そろそろ許す気も失せそうです……。
住居への不法侵入罪で捕まりたくなければ、いますぐに出ていってください」
「お前こそディアに何をしている。我の婚約者に不当に触れるでないわっ」
「家でデートの続きをしていただけです。
そもそもディアさんは私の婚約者であって、ルフト殿下の婚約者ではありませんよ」
「『婚約の儀式』を持ち出すのか?
なら、お前の理論を破綻させる男を我も連れてきているぞ」
え?
サフィーナさんが眉間に皺を寄せている。
困り顔のバリオンがリビングに入ってきて、茶金の髪がため息と共に下がった。
「我は知っている。
ディア、お前のリボンは今、国によって管理されている」
ルフト殿下は、堂々と笑った。
「確かにお前は全身鎧の騎士の中からサフィーナを選んだ。
……しかし!」
しかし?
「お前が結んだ全身鎧は、いつものサフィーナのものではなく、清掃員が並べ間違えたバリオンのものだったのだ!」
しーん。
リビングが静まり返る。
話題になったバリオンに目を向けると、紺色の瞳が申し訳なさそうに泳いだ。
「……お見舞いしてくれた時にも言った通り、俺も君の正式な婚約者なんだよ、ディアちゃん。
果たして君が結んだのは、鎧の本来の所有者である俺の手首だったのか、それとも中身だったサフィーナなのか。
判断が分かれたから、今は国がリボンを管理しているよ」
「我もディアを渡す気はない。だから今回は婚約の儀式自体が無効だと申し立てている。
つまりディアの婚約者はまだ正式に決まっていないのだ……サフィーナ、お前にディアを娶る権利はない!」
私の婚約者は誰なんだろうと、いつも思っていたけれど。
三人ともが、それぞれ自分だと言っていたから、誰かは嘘をついているのかと、思っていたけれど。
全員にちゃんと婚約者に選ばれるだけの理由があったなんて、思ってもいなかった。
指摘されたサフィーナさんは、ルフト様相手に疲れた様子で肩を下げている。
「ディアさんは私の手首にリボンを結び、正式な誓いの言葉をかけた。そのことに変わりはありません。
ルフト殿下。ディアさんを好きだからといって、めちゃくちゃな理論で掻き回そうとしないでください」
「いいか、鎧と使用者は通常は同一である事例ばかりだ。しかしリファナ神が迷われた際、鎧の所有者が中身と違っていた稀有な事件もあったと聞く。
だから今回も、婚約者はバリオンの可能性が示唆されている。
過去に教会が認めた事実だ、見過ごせるものではないな」
「……俺もディアちゃんのことが好きだから、サフィーナにリボンを結ばれた後、改めて鎧を調べたんだ。
そうしたら、鎧が俺のじゃない、俺がサフィーナのを着て、サフィーナが俺のを着てたってことがわかったんだよね……」
出会った時にも自分から『神に愛された幸運な男だ』と言い出したバリオンが、困ったように笑っている。
ルフト様は堂々と腕組みし、口の端を上げた。
「我はお前たち二人に機会を与えながらも、神のご意志と真意がどこにあるのかを占っていた。
結果、お前たち二人ではディアを幸せにできぬと分かった。
つまり今回の婚約の儀式は無効! 我こそがディアの手を掴めと、リファナ神が伝えるための試練だったのだ!」
神様。
……婚約者が誰かわかりません!?




