47.推しの敵になる人達
それはやけにスローモーションに感じた。
目の前にはっきりと映る握りこぶし。
華の脳は危険信号を出したが、残念ながらそれに対応できる身体能力を持ち合わせてはいなかった。
体が反応できないのにも関わらず、脳だけはやたらフル回転していて、これから華の体を襲うであろう痛みを脳は既に作り出していた。
攻撃が体に当たる前から感じるそれに、華の恐怖心はさらに増した。
いっそ訳の分からないままに殴られた方がよっぽど良かっただろう。
せめて視覚情報をシャットダウンするために、華のまぶたが閉じていく。
完全に閉じ切る前だった。
背後にもうひとつの殺気を感じる。
風と共に、すごい勢いで華の体を掠めていくものがあった。
「まて。」
落ち着いた低い男の声が、葵と華の間に落とされる。
まるでその言葉が人の形をしており、葵の体を抑えたかのように、ピタッと葵の手が止まった。
実に華の体から数センチ前程の距離だ。
風圧で、華の皮膚の表面が少しだけ裂ける。
ピリっとした痛みに、華は顔をしかめると同時に、予想していたほどの痛みが無かったことに驚いた。
男の声で静止したものの、なおも拳を引っ込めようとしない葵に、男が短く息を吐く。
葵の手を、上から優しく包み込んだ。
少しだけ、葵の体から力が抜ける。
「落ち着け。真偽はさておき、こいつは杏のことを知っていると言った。貴重な情報源だ。知っていることを聞きだしてからでも、遅くは無いだろう。」
男の登場により命拾いをしたと思っていた華だったが、その言葉からまだ助かった訳ではないと少し絶望する。
「葵」
まだ諦めようとしない葵を、男がなだめようとする。
暫くして諦めた葵は、力なく腕を下におろした。
「わかったよ、蓮の言う通りにする……」
覇気のない声で話す葵の頭を、蓮が優しくぽんぽんと叩いた。
心做しかその表情は柔らかい。
ところがぎゅるりと華の方に向くと、うって変わって酷く冷たい目で華を見下ろした。
「で、君は僕らに何おしえてくれるの?」
華は戸惑っていた。
返答に困っているというよりは、蓮の態度にだ。
なぜなら華が知っている蓮は温厚で、とてもこのような目をするような人ではないからだ。
ゲームの立ち絵でも温厚な笑みを浮かべて、けれども戦いの時には頼りになる遠距離攻撃担当だ。
ゲームでは杏として、味方の立場で蓮と接している。
そのため笑顔を見ることしか無かったのだ。
戦いの最中、敵はこの刺すような目で見られていたのかと、華は背筋を震わせる。
「わたし……は……」
言葉に詰まりながらも、何とか敵では無いことを証明しようと、華は必死に言葉を紡いだ。
ありのまま、自分たちも攫われてここにいること、杏は攫われたものの元気でいること。
仲間の皆の身を案じていたこと。
葵は華の話を聞くと、ホッと胸を撫で下ろした。
先程までの勢いは消えて、落ち着きを取り戻したようだ。
安心したのは蓮も同様のようだった。
華が知っている柔らかい表情に変わっている。
「そうか、よかった。僕たちを杏の元へ案内して貰えないかな?もちろん、君たちの身の安全を保証する。ここから連れ出してあげる代わりに、どうかな?」
「はい、あの案内するのはいいんですが……」
華は自身がゲームにない行動を取ることで、変に未来が変わることを危惧した。
けれどもとりあえず葵と蓮、それから勇者に自分たちの無害を証明しなければならない。
そして、出来れば不要な戦いを避ける。
そしてヴォイドや他の魔人達が、不必要に殺されないようにしなければならない。
まずは勇者とノアの戦いを止めさせたい。
そのことを伝えようとした時だった。
先程まで煙で覆われていた箇所、ノアたちが戦っている辺りから風が吹き、視界がクリアになっていく。
突如現れた風は勇者の剣に向かって収束しているようだった。
「あ、やばい。」
強風で、ふわふわの茶髪を激しく揺さぶられながら、蓮が静かに一言。
華も声には出さなかったが、勇者がこれからしようとしていることに気が付き慌てた。
これはゲーム上だと、かなり難しい隠しコマンドを入力しないと出せない、必殺技だ。
しかし、おかしい。
こんな魔王城のチュートリアルで出すような技ではないのだ。
そもそもゲームのプレーヤーがこの技を習得できるのは、かなり経験値を貯めた後、ゲーム終盤でのことだ。
この技を習得しているか否かで、魔王戦が楽になるかどうかが決まる。
縛りプレイをしている人はあえて使わない。
それぐらい環境が変わる技と言ってもいい。
───今このゲームをプレイしてる人は、かなりやりこんでる……というかまさか2週目!?
それぐらい強いのであれば、ノアとの戦いなんてすぐに終わらせられるように気もするが。
と華は考えれば考えるほど分からなくなってしまった。
そして今はそこまで悠長に考えている暇はない。
このままだとノアの死は確実に訪れてしまう。
華は何か状況を変えるすべはないかと、頭をフル回転させる。
考えながらふと蓮を見つめた。
そして、恵の気配がしないことにようやく気がついた。




