047・勇者アルティシア
(え……ティア?)
勇者様も、ティアって呼ばれていたの?
そんな偶然……。
偶然……なのかな?
僕は、思わず隣の黒髪のお姉さんを見てしまう。
彼女も、紅い瞳を見開いていた。
(…………)
まさか……と思う。
でも、それ以外に今、女王様がこの話をする意味がわからない。
女王様は言う。
「10年前、当時17歳だったアルティシアは女神の加護により、膨大な魔力を身に宿し、不老不死の祝福を与えられた」
「不老不死?」
「言葉通りだ」
「…………」
「年齢を重ねず、死ぬこともない。だが、これは祝福ではなく、呪いかもしれぬ」
呪い……?
僕は、戸惑う。
女王様は、蒼い瞳を伏せる。
「勇者となったアルティシアは、戦場に送られた」
「…………」
「剣も知らぬただの伯爵令嬢が、突然、屈強な騎士でさえ死ぬような魔物との戦場に、だ」
「あ……」
「当然、アルティシアは無残に死んだ。だが、彼女は不老不死だ」
「…………」
その意味を、僕も悟る。
女王様は頷いた。
「彼女は生き返り、また殺され、また生き返った。何度も、何度も……戦いが終わるまで」
「…………」
「不老不死とて、痛みはある。恐怖もな」
「…………」
「まさに、呪い、だろう?」
女王様は、皮肉そうに笑った。
僕は、答えられない。
ティアさんも、無言のままだ。
女王様は、続ける。
「だが、人々はそれを望む。自分のため、家族のため、不老不死の勇者にその地獄の日々を耐えることを」
「…………」
「彼女が何を思ったかは、わからない」
「…………」
「だが、もし逃げていたら、彼女も、彼女の家族も、世界中の人々と2柱の女神から許されることはなかっただろう」
「…………」
それは……酷い脅迫だ。
女王様は、
「いずれにしろ、彼女は戦場に立ち続けた。幾度も死に、生き返りながらな」
と、淡々と語った。
…………。
僕も、黒髪のお姉さんも言葉がない。
女王様は、
カチャッ
紅茶のカップを傾ける。
喉を湿らせ、
「わたくしも、10年前、帝国で開かれた『勇者の披露式典』に参加した」
「…………」
「…………」
「そこで見たアルティシア・ケインスは、美しい娘ではあった。だが、それでも中身は、ただ普通の娘にしか見えなかったよ」
と、呟くように言った。
女王様は、カップをソーサーに置く。
僕らを見て、
「勇者は、戦った」
「…………」
「…………」
「戦いの中で、勇者も強くなった。そしてレオバルト皇帝も、彼女の仲間として『剣聖』、『魔導王』、『大聖女』の称号を持つ3名を同行させ、戦場での勝利を重ねた」
「…………」
「…………」
「強大な七魔将、邪竜、魔王軍をその聖剣で斬り払い、人魔の勢力図を塗り替えていく」
「…………」
「…………」
「そして、勇者誕生から5年……勇者一行は、ついに魔王のいる『魔大陸』に乗り込むことが決まった」
そう言って、
チラッ
女王様は、赤毛の美女を見る。
気づいたシュレイラさんは、
「その出陣式の時に、コイツと一緒に、アタシも帝国で勇者の顔を見たのを思い出したよ」
と、苦笑した。
その金色の隻眼は、今、ティアさんを見ている。
(…………)
女王様は、
「魔大陸に乗り込むのは、勇者一行に加えて100人の選ばれた勇士もだった。このシュレイラも候補の1人だった」
「落選したがね」
「わたくしがそうさせたのだ。我が国の防衛のために」
「はっ、そうかい」
「当時のお前には、悪かったと思う。だが、その判断は間違ってはいなかった」
「…………」
シュレイラさんは黙り込む。
女王様は、僕らを見る。
そして、言う。
「勇者は、見事、魔王を倒した」
「…………」
「…………」
「だが、『勇者』と『剣聖』と『大聖女』の3人以外、『魔導王』と『100人の勇士』は全員、魔大陸で死んでしまった」
思わず、僕らは赤毛の美女を見る。
じゃあ、
(もし、シュレイラさんも魔大陸に行っていたら……?)
その想像に震えた。
何だか、泣きそう……。
気づいた赤毛のお姉さんは「何て顔してんだい、ククリ」と呆れたように言う。
黒髪のお姉さんは、そんな僕を少しだけ優しい表情で見つめる。
そんな僕らに、女王様は、
「かくして、世界は平和になった」
「…………」
「…………」
「…………」
「だが、勇者アルティシアにとっての本当の受難は、ここから始まったと言えるだろう」
と、冷酷にも聞こえる声で続けた。
◇◇◇◇◇◇◇
(ここから……?)
僕は、青い目を瞬く。
そして思い出す。
情報通の行商人ジムさんから聞いた、勇者失踪の悲しい話を……。
女王様は言う。
「魔王を倒したことで、勇者アルティシアは使命を果たした」
「…………」
「その結果、女神の与えた加護は役目を終え、魔力は残ったが『不老不死』の祝福は消えたという」
「祝福が……」
「17歳で肉体の時が止まっていた彼女は、再び成長を始めた。そして彼女は、普通の人間としての生を再び始めようとしただろう」
「…………」
「だが、周りがそれを許さなかった」
静かな声だ。
だからこそ、重く響く。
「帝国中の貴族が、勇者の力、名声を求め、彼女を欲した」
「…………」
「いや、帝国だけでなく各国の王侯貴族、そして、皇帝自身でさえも……結果、平和な表舞台の裏側で、各国の恐ろしい暗躍が起きたのだ」
「…………」
「同時期、戦争で家族を失った遺族の中から、勇者を責める人々も現れた」
「…………」
「この裏にも、勇者を欲した国家間の扇動があったと聞いている。そうした行いは、過激になる一方だった」
「…………」
「ついに一部が暴走し、勇者暗殺未遂が起きた」
「…………」
「これにより、勇者アルティシアは精神を病み始めた。直後、決定的な事態が起きてしまう」
(決定的な事態?)
僕は、次の言葉に耳を澄ます。
女王様は、言う。
淡々と、
「ケインス伯爵家の人間が、皆殺しにされた」
「……え?」
「勇者の心の支えとなっていた両親、2人の妹、使用人たち、全てが何者かに殺された。犯人は別派閥の貴族家ですぐに捕まり、貴族間の政争ということで処理されている」
「…………」
「だが実際は、勇者の依存先を自分たちの向けたい皇帝の仕業だ」
「…………」
そんな、馬鹿な……。
僕は、唖然だ。
その時、
ガタッ
隣の黒髪のお姉さんが、大きく身体を震わせた。
顔色は、真っ青だ。
「ティアさん」
「…………」
彼女は答えない。
ただ、ブルブルと震えて、
ギュッ
縋るように僕の手を握る。
僕も、強く握り返した。
女王様は、冷たく静かな眼差しだ。
「帝国から引き抜きたい他国の情報部が、それを勇者に伝えた。勇者は、レオバルト帝国を出奔する決意をした」
「…………」
「無論、皇帝はそれを許さない」
「…………」
「勇者の出奔は、勇者を管理する帝国の権威の失墜になる。また、それ以上に他国に勇者の力が渡ることを恐れたからだ」
「…………」
「そして、皇帝は暗部組織『死の息吹』を動かした」
(……死の息吹?)
困惑する僕。
赤毛のお姉さんが言う。
「皇帝直属の暗殺部隊だよ。要は、勇者を殺すことにしたのさ」
「…………」
何それ……?
僕は、もう心が麻痺し始めている。
女王様は言う。
「勇者は国外に逃げ、『死の息吹』は彼女を追った」
「…………」
「そして、戦闘となった」
「…………」
「追手の中には、かつての仲間である『剣聖』、『大聖女』の2人もいたという」
「え……?」
「皇帝が隷属魔法を使ったのだ」
「隷属……」
「世界で1番の大国の皇帝は、そういう人物なのだ」
「…………」
「勇者の心情は察するに余りある。だが、不老不死の加護はなくともさすがは勇者、彼女は、かつての仲間2人を泣きながら殺してしまう」
「…………」
「さすがの勇者も、心身共に限界となった。そんな勇者に、ここで『死の息吹』は『禁術』を使った」
「禁術?」
「古代の魔法具を使い、勇者を亜空間に閉じ込めたのだ」
亜空間って……。
戸惑う僕に、
「この世のどこでもない空間だ」
「…………」
「本来は、対魔王用の『封印』の術式だったらしい。奴らは、それを勇者に……人間に行使したのだ」
「…………」
女王様の声には、静かな怒りがあった。
それは、人道的にも許されない行為。
けれど、レオバルト帝国の皇帝は、もし勇者を殺せないのならば……と、それを命じていたそうだ。
(…………)
僕は、唇を噛む。
その皇帝、僕は大嫌いだ。
ティアさんは俯いたまま、僕の手をずっと握っている。
長い黒髪に隠れ、表情は見えない。
女王様は、息を吐く。
そして、言う。
「かくして、勇者は封印された。この世界のどこにもいない」
「…………」
「事実を公表できない帝国は、今も勇者捜索を行っている。だが、目と耳の良い国だけは、それが建前でしかないと知っている。こちらも建前上、捜索は続けているがな」
「…………」
「だが――」
女王様は、僕を見る。
そして、隣の黒髪のお姉さんを、静かな視線で。
沈黙ののち、
「――その禁忌の封印も、勇者の大いなる力ならば、内側から破ることができた可能性がある」
と、女王様は告げた。
(え……?)
僕は、目を丸くする。
女王様は続ける。
「わたくしの仮説だ。確証はない」
「…………」
「だが、もしその場合、亜空間の歪みで、勇者は遠く離れた地に出現することもあり得るだろう。例えば、異国の小さな村の近くなど……な」
「…………」
「また封印を破壊する際には、膨大な魔力を消費し、脳に多大な負荷がかかったはずだ」
「…………」
「その結果、記憶喪失となることもあり得るかもしれぬ」
「…………」
女王様の蒼い瞳は、
ジッ
黒髪のお姉さんを見つめ続けた。
赤毛の美女も黙ったまま、そんな彼女に金色の隻眼を向けている。
(ティアさん……)
触れる彼女の指は、今、とても冷たい。
ギュッ
その指が、僕の手を強く握る。
黒髪を揺らしながら、まるで幽鬼のように彼女はユラリと顔を持ち上げた。
長い前髪の間に、紅い瞳が爛々と見える。
そして、
「では、私が……その勇者なのですか?」
と、聞く。
少し震えた声だ。
女王様は、その視線を受け止め、静かに見返した。
やがて、答える。
「――いいや」
と。
◇◇◇◇◇◇◇
(……え?)
僕は、目を丸くした。
ティアさんも同じく、困惑した表情だった。
女王様は、言う。
「お前は『マパルト村のティア』だろう」
「…………」
「…………」
「そう……我が国で廃村になった村の出身で、路頭に迷っている所をククリという少年に助けられ、今は共に暮らしている。そんな、ただの村人だ」
僕らは、唖然。
女王様は、シュレイラさんを見る。
小さく笑い、
「そして、最近、この炎姫の友人となった」
「…………」
「…………」
「わたくしは今回、知人に友人2人を紹介され、ただ世間話をしただけだ。違うか?」
問われて、赤毛のお姉さんは苦笑する。
けれど、
「ああ、そうだね」
と、即、同意した。
(えっと……)
僕は、この会話の意味を考える。
本心でないのはわかる。
女王様は、ティアさんが勇者だと思っていながら、口では否定している。
その理由は……?
(あ……)
そうか。
そういうこと、か。
もし勇者だと公に認めたら、外交上、女王様は、レオバルト帝国に報告しなければいけなくなる。
そして、大国の帝国にティアさんを引き渡すことになるんだ。
あの非道な帝国に……。
だから、それを防ぐために、
(女王様は、あえて知らないふりをしてるんだ)
そう悟る。
それは、勇者の境遇に同情して……ではない。
いや、多少はあるかもしれないけど。
でも、1番の理由は、
(そうすることで、勇者の力をアークライト王国で独占できるから)
だと思う。
ティアさんは、勇者じゃない。
王国の国民だ。
ただ、勇者と同じ力を持っているけれど……というお話。
なるほど。
(やり手の女王様……かぁ)
世間の評判も、納得だ。
各国が欲した勇者の力を、この女王様は幸運にも手に入れたのだ。
その幸運を、逃す気はない。
(うん)
それは、僕らも同じ。
レオバルト帝国からティアさんを守ること、隠すこと、それを王国が全力支援してくれるのだ。
その幸運を、
(僕らも逃しちゃいけない)
そう思った。
だから、僕は、
「女王様の言う通りです」
と、言った。
女王様の蒼い瞳を真っ直ぐ見つめながら。
王国で1番偉い女の人は、少し驚いたように僕を見る。
数秒後、
「ふむ、聡い童だ」
と、彼女は微笑んだ。
赤毛のお姉さんも「そうだね」と笑い、頷いた。
ティアさんは、
「ククリ君……」
と、呟く。
そんな彼女に、女王様は聞く。
「お前は、この健気な童との生活を望まぬか?」
「え?」
「もしその気ならば、帝国への移住も可能だろう。今のマパルト村での暮らしを捨てて、な」
「…………」
「どうする、娘?」
静かな問い。
(ティアさん)
彼女を見つめる。
もし望むなら、それでもいいけど……。
でも、僕は、
(一緒にいたいな……ずっと、ティアさんと……)
そう願った。
願う青い瞳で、彼女を見つめた。
「っ」
黒髪のお姉さんは、小さく息を飲む。
泣きそうな顔。
そのまま笑って、
「私も……これからもククリ君と暮らしていきたいです」
と、言った。
(ティアさん……)
僕も笑った。
赤毛のお姉さんも微笑む。
女王様は頷いた。
「そうか。ならば、このククリと末永く暮らすといい」
「はい」
ティアさんも頷く。
それに、女王様も満足そうに蒼い瞳を細めていた。
…………。
きっと僕は、勇者を……いや、ティアさんをこの国に縛る重しであり、人質なんだろう。
その役目を、与えられたんだ。
でも、いいよ。
それが、僕らの望みと合致するなら。
(何でもする)
大好きなティアさんのために。
ギュッ
黒髪のお姉さんと手を繋いだまま、お互い見つめ合う。
そして彼女は、
「ええ……今から私は、ただククリ君のためのティアですよ」
と、優しくはにかんだ。




