2章XIV(sideA) 『天使』
目の前に1人の少女が立っている。あれは…誰だっけ…。いや、見たことはあるはずなんだ…。
片手でぬいぐるみを背負い、ボロボロの衣服を着ながらその目には軽く涙を浮かべている。年齢は3歳くらいだと思う。
「あなたは…?」
その様子に私は思わず声をかける。誰だって目の前にこんないたいけな少女が居たら放っておけないはずだ。
「私は…私は…………」
「そんな所で何してるのー?もう帰るわよー」
「は、はーい!」
後ろから私を呼ぶ声がする。私はこの後…確か……。
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「あすみ!あすみ!起きて!」
「はにゃ…。夢?」
どうやら変な夢を見ていたみたい。沙那に叩き起されて現実世界へと意識が戻される。別に先生が居ないってんだから、そんな早起きしなくてもいいのに。真面目だなぁ…。まだ空もほんのり薄暗いし、それにこんなに体も濡れちゃって………。
「え!?何これ!なんでこんなに濡れてるの!?」
「話は後!早く部屋から出ないと溺れちゃう」
「え、えぇ?」
慌てて外を見てみると、目の前には海が広がっていた。はるか遠くに海の景色が見えるとかじゃない。目の前に手を出せば海に浸けることが出来るほどに海面が目の前にあった。───ここは3階だぞ??
「うーん…もう膝まで浸水してる…、非常用階段に急ごう、あの階段は外にあるからそこから出られるはず」
私達は非常階段へと急ぐ。水位としては部屋の中も外も同じだけ上がっているので、水圧の心配なく扉を開くことが出来た。
「葵っち!あすみっちが来たにゃ!」
「七瀬あすみ、無事でよかった」
扉を開くと、目の前には自力で浮かんでいる葵ちゃんと、どこから持ち出してきたのか分からないが、浮き輪でぷかぷかと浮いているたまちゃんがいた。
「う、うん。これは一体どうなってるの?」
「僕にも分かりませんが…、多分あいつが原因です」
葵ちゃんが上を指さしたのでその方を見ると、上空には1人の少女が浮かんでいた。
全身真っ白、髪まで真っ白な少女は、純白の羽を持ち、その羽を羽ばたかせて空を飛んでいる。彼女は泣いていた。そしてその涙の量に比例して空から大量の水が落ちてきている。
これは…雨じゃない。だって空を見れば雲ひとつない快晴だ。そんな空からいきなり水が降ってきているのだ。こんなことはありえない。
そしてもうひとつ気になるのが、この島のかなり外側───推測で言うとおそらく海岸線から5km以上離れたところかな。そこの水位は全く上がっていないのだ。まるで見えない壁があり、島が中に入っている水槽かのように島近辺の海の水位が上がっており、島を飲み込もうとしている。
「あれが………まるで『天使』みたい」
沙那の言う通りだ。あの容姿は完全に天使である。頭の上に輪っかがあればあとは完璧だ。
「今、白石会長があの少女と対話を試みてるにゃ。行ってみようにゃ」
「う、うん!」
会長1人に仕事を押し付ける訳にはいかない。私達もあの『天使』の足元へと向かうが…
「悲しいよぉ!!!みんながお姉ちゃんを殺そうとしたんだぁぁぁ!!ゔぇぇぇぇぇん!!!」
「すみません。君のお姉さんとは知らなかったんです。しかし、私たちに攻撃を先に仕掛けてきたのは君のお姉さんの方であるし、私達も防御を取っただけ。現に君のお姉さんは死んでいないんです。ここは一旦手を引いて貰えないでしょうか」
「………酷い!!お姉ちゃんを殺そうとしたのにも関わらず、そうやって変に理屈立ててその行為を正当化しようとするんだ!!こんなに悲しんでいる人がいるのに??それを無下にして!!みんなには心ってものがないの!?共感、同情、弔意、領解、思いやり!!なんでなんでなんで!!!気持ち悪い!その性根が気持ち悪い!不快になった!やめて!今すぐにその気持ち悪い感情を消して!なんで消さないの!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!」
会長が『天使』のような少女と対話を試みようとしているが、失敗に終わっている。というか…対話する気が無いに等しいんじゃないか、あれは。
それに昨日の『月』の少女の妹ってこと…?じゃあ相当会話には気をつけなければいけなそうだし。
「会長、大丈夫ですか?」
「あ〜あすみちゃん。昨日の反省を活かして、ちょっとへりくだった感じで頼んでいるんだけど、どうやらダメっぽい。戦闘も避けられないかもしれないとみんなには周知しといて」
「は、はい!」
昨日も大変だったのに今日も朝から戦闘の可能性があるのかぁ…。ちょっと気分はげんなりする。
「え………。今私の事無視したよね!無視した!絶対に無視したんだ!あなたから会話を持ちかけてきたのに、私が返事をしたらそれに対して無視するんだ!それっていじめだよね!良くないんじゃない!?私は今すごく傷ついた!もう立ち直れない!私の心は今くしゃくしゃになった紙のように壊された!あなた達にこれが戻せるっていうの!?そうやって責任も取れないくせに人の心を弄んでさ?あなた達には人の心がないわけ?非人道的過ぎる!あぁ酷い。もう鬱だ。鬱になった。苦しい…なんで私がこんな目に…」
「なに…!?」
何か分からないが、『天使』の様な子は急に気分が落ち込んだらしい。そして、それに呼応するのかと同時に、なんと空が真っ暗になったのだ。まるで夜が来ているかのように。そしてそれもこの島を取り囲んだ水槽のような範囲にのみ適応されている。
なるほどね…見えてきたよこの子の魔法。
「七瀬あすみ、本当か?」
「うん。多分だけどこの子の魔法は、あの子自身の感情に由来している。あの子の感情が切り替わる度に、世界がまるであの子の感情を情景描写するかのように切り替わっている。そういう感じだと思う」
「なるほどにゃんね…感情にゃんか…」
「感情…」
葵ちゃんが何か深く考え込んでいる。葵ちゃんの魔法『心読』で感情を読み取れば現象が予知できるんだろうか。でも、この現象の規模を見るに、それを予知できたところで…といった話ではあるけれど。
「え…、何?なんでみんな私のことを本当に無視するの?私何かした?そうやってみんなして集まってさ、私に聞こえないように私の悪口言ってるんでしょ??それってどうなの?私に何か言いたいことがあるんだったら直接言えばいいじゃない!何でわざわざ当人に聞こえないようにしてさ、かつ当人に悪口の存在は知らしめるとかいう酷い方法をとるわけ?それがその人の心を酷く傷つけるとは思わないの?言われた方の気持ちとか考えたことない?モヤモヤするの!みんなには人の心がないの?おかしいでしょ!意味分かんない!傷ついた!!」
「うるさいなぁ…被害妄想が過ぎる!そんなに直接言って欲しいんだったら言ってあげる!そのグズグズ泣いてるのをやめて!みんなそれに迷惑してるの!」
おーー。こういう時にズバッと言える沙那は本当にかっこいいな。こういう言いたいことをそのまま言っちゃうタイプだもんね沙那って。
「え…?何、なんで私急に悪口言われたの??悪口って言葉の暴力なんだよ!それによって私がどれだけ悲しむかも知らずに。迷惑かけてるならかけてるでもっと言い方ってのがあるじゃん!それが私をいじめてもいい原因にはならないんだよ!なんで迷惑かけている人間の悪口を言ってもいいと思ってるの?人の心がないの?そもそも、グズグズ泣いてるって言ったって、なんで泣いてるかはあなた達のせいじゃない!あなた達が私の心を傷つけたから私は深く悲しんで泣いているの!それでいてさらに泣くなですって!?どこまで傲慢なの!その傲慢さが人を傷つけるの!あぁ傷ついた。酷いよ…ゔぇぇぇん!!!」
「直接言えって言ったのはそっちじゃない…これも話が通じないタイプなのね…」
「にゃにゃ、まともにやり合ってたらこっちがイライラしてきちゃうにゃ。早くどうにかした方がいいにゃ」
普段は温厚なたまちゃんも、イライラしている様子を若干隠せない。浮き輪に浮かんだ状態で足をばたつかせている。貧乏ゆすり的なものだろう。
そして、私たちがこうしている間にも、降水は止むことを知らず、水位は次第に上がっている。私がさっきまで眠っていた部屋はとうに水の下へと沈んでしまっていた。
「僕たちの心もそろそろ限界ですね…。何か策を練らないと」
「とりあえず、一発入れてくる」
「え、沙那!?」
沙那が不穏な言葉を放つ。あなたそうやって敵に対して特攻しすぎですよ。ほんで成功率0%だし…。
「でも、あいつめちゃくちゃ高いところにいるにゃんよ?攻撃なんて無理なんじゃにゃい?」
「ん?そんなの簡単じゃない。あの子がいるでしょ。魔法『交換』の秋元さんが」
あ〜たしかに『交換』が出来る!そうすれば地上にいる誰かとあの『天使』を交換して…って誰があの空中に行くの…?
「じゃあ秋元さん。お願いね」
「おっけー!交換!」
ぶぉんと、私の視界が急激に切り替わる。なんだ、見渡す限りの青───海?というかさっきまであまりよく見えなかった水平線まで鮮明に見える。あ、あんな所に島があったんだ………って!?
「お、落ちる!!!!!」
あの沙那のバカ、私と『天使』を交換しやがったな!!このままだと水面に激突するっ…!!
「どうして私をみんなの所まで連れてきたの…?怖い…怖いよ…どうせみんな私のことをリンチにするつもりなんでしょ?いいよ分かってるよ。私なんて誰からも必要とされていないゴミ以下の存在なんだ。みんなみんないろんなことを私のせいにして!私に押し付けて!自分の負の感情の掃き溜めに私のことを利用して!なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないの!?私だってもっと楽しく過ごしていたいだけなのに!そうやってみんなが私の幸せの邪魔をするんだ。許せない!もう我慢の限界!そんなにみんな自分勝手なら私だって自分勝手になったっていいでしょう?私だって抵抗するからね!もう怒ったから!天使の怒り!」
ザバーン!!!
「ごぼっぼぼごごごご」
おぼっ溺れる!私飛び込みの選手とかじゃないんだって!そんな水面からビル5階分くらい高いところから落ちたら体がついてこない!体は沈み続け、その勢いのまま水面5m以上も深く潜ってしまっている。
とりあえず冷静にならないと。一旦落ち着いて、ただ水に潜っているだけの状態になろう。そして、ゆっくりと水面に上昇しなきゃ…。
「うぐぶっがばっ!?」
あ、あれは何…?冷静になって水の中を見た瞬間、目の前に入ってきた景色は、さっきまで私が眠っていたホテルの崩壊だった。建物は下の方から崩れ、破片がゆっくりと地面に沈んでいく。
「うっ…!」
途端に波が強くなった!建物の方に向かって吸い寄せられるような波!水が建物の方へ引き寄せられている…?一体どういうこと…?とりあえず水面に出ないと!
「がばっ!はぁ、はぁ、はぁ」
「あすみっち!大丈夫かにゃ?」
「う、うん。たまちゃん私は平気。それより水の流れが…」
たまちゃんの方を向いた瞬間、続きの言葉を口にする必要がなくなった。たまちゃんのすぐ後ろ、波が追いかけてきている。いや、普通の波みたいなゆるやかなものじゃない。まるで車で走っているかのような速さで波が追いかけてきている!!
「七瀬あすみ!古賀環!逃げろ!津波だ!!」
「ひ、ひゃぁ!?津波!?」
「に、にゃぁ!?反射!」
たまちゃんが『反射』を使って、津波の勢いをそのまま返そうとする。しかし、『反射』されるのはたまちゃんの体に触れた部分だけだ。その部分の水はきちんと返っていくが、その周りの水が波となって私を飲み込もうと襲ってくる。
「七瀬あすみ!こっちだ!」
「あすみっち!間に合って!」
「な、何をするんですか!やめてください!私のスカートを引っ張るだなんてなんて破廉恥なの!あなたみたいな黒髪メガネの陰キャみたいな人間はスカートとかを履かないだろうから気持ちが分からないのかもしれないけど、それでもスカートを引っ張られたら誰でも嫌な気持ちになることくらい分かるでしょ!ねぇ本当にやめて!私が不愉快!私がやめてって言ったらやめてよ!なんでやめないの!別に私にとってあなたたちが生きようが死のうがどうだっていいの!なんなら死んで欲しい!だからあなた達の命と私の恥ずかしさだったら私の恥ずかしさの方がよっぽど価値の高い感情なの!ねぇ離してってば!」
『天使』が羽で浮上して行く服を葵ちゃんが掴んで一緒に浮上する。そこには沙那とたまちゃんもくっついている。他のクラスメイトも各々魔法を使って津波を避けている。私も葵ちゃんの差し出す手を取ろうとするけど…
「うわぁぁ!!!!」
先に波に飲み込まれる。視界が定まらない。いや、目を開ければ目が失明してしまいそうな勢いで水が打撃を与えてくる。既に体の平衡感覚は失われ、上下左右はとうに分からない。まるで車に正面衝突で跳ねられたようなエネルギーを受けているわけだ。おそらく骨も何本か折れている。
「ねぇ!いい加減にしてってば!キモい!気色悪いんだけど!そんなんだから今まで生きてきて彼氏とかもできたことないんでしょ!ブス女!あぁキレそう!一旦冷静にならないと…冷静に…。そうだ。こんな時はあれだ、薬…ええっと、どこにあったっけ。そうだポケットの中だ!おい離せってば!よし!これだこれを飲めば…!ゴクッ!」
「え…」
今までの体の苦しみが何も無くなった。いや、正確には受けた傷とか打撲のダメージは痛いんだけど、スリップダメージはなくなった感じ。というか、何もかもが自由になったような…
「水が…消えた!?」
あの『天使』だ!『天使』が冷静になっちゃったから『天使』の感情によって生み出された全ての自然現象がリセットされたんだ!だから水も消えた!?そんなことある??
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
私の体が落下していく!まずい!今回は本格的にまずい!下は水じゃなくて地面だ。まともに衝撃を食らったらタダじゃいられない!
────ぼよん
「あ、あれ…?」
空が完全に見慣れたほど遠くなり、地面への衝撃を食らうかと覚悟した瞬間、私の背中に与えられたダメージは可愛いものだった。浮き輪だ、浮き輪が私の落下の衝撃を吸収してる…。良かった、たまたま浮き輪が真下にあって…。
「良かったね、あすみちゃん。浮き輪が偶然あって」
「白石会長!」
「私はみんなとまだ遊びたいんだ。だから、みんなの真下に衝撃を吸収できる量の浮き輪があって欲しいなって思っただけ」
会長〜〜〜〜!もうみんな涙目ですよ…。会長が居なかったらみんな死んでました…。
「さて、『天使』への復讐ができる権利を持ってるのは如月さんだけね」
「そうにゃんね〜。でも、葵っちなら多分やってくれるにゃんよ」
「あれ、沙那にたまちゃん。戻ってこれたんだ」
葵ちゃんの体につかまっていた2人がいつの間にか地上へと帰還している。
「まぁ私は全ての地面が水みたいなもんだし、水に飛び込むイメージで帰ってきた」
「『反射』の魔法があるにゃんからね〜。衝突する瞬間の激力を反射して地面をへっこませれば、傷一つなく着地できるにゃん」
す、すっご〜〜。あ、で、でも…
「葵ちゃんならやってくれるって…葵ちゃんの魔法は『心読』だよ?攻撃できるわけじゃ…」
「ん?あぁ、あすみはそういえば昼間いなかったんだっけ。まあ見てなよ」
「見てなよって……え!?あれは」
私が真上を見上げた瞬間、葵ちゃんが光を放つ。
「マジックリング、起動!」
変身だ!葵ちゃんが変身してる!葵ちゃんの『強化』された魔法、どうなるんだ…!!




