41.穏やかな時間
(思わず、こんな赤い顔をして誰かに会うのは恥ずかしくて隠れてしまったけど……、誰かしら)
私は掛け布団を被りじっとしながら耳を傾ければ、澄んだ高い声が私の耳に届く。
「ジュリア様はまだお目覚めでないですね……」
そう気遣う様な声がして、私は思わずガバッと飛び起きた。
「!?」
それに目を丸くして驚いているその姿を見て、私は思わず彼女の名を呼んだ。
「! エイミー様!」
「っ、ジュリア様!」
私がベッドから立ち上がろうとしたのを見て、彼女が慌てて私の元へ駆け寄ってきて言った。
「ジュリア様、お加減は如何ですか? 私のせいで、危険な目に遭わせてしまい、本当にごめんなさい……っ」
「!」
そう言った彼女の淡い黄色の瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちて。 私はそんな彼女を落ち着かせるために背中をさすりながら口を開いた。
「大丈夫よ、何ともないわ。 もしかしたら疲れて少し眠りすぎてしまったかもしれないけれど、そのお陰で身体は頗る調子が良いから心配しないで。
……それより、エイミー様の方がずっと、大変だったと思うわ。
エドワード殿下を呼んでくれて有難う」
「……!」
その言葉に、エイミー様が大きく目を見開く。
(そうよ、私だけではあの“作戦”を成功させることは出来なかった)
もしエイミー様と私が一緒に捕らわれてしまっていたとしたら、レオだけでは流石に庇いきれなかった筈だ。 エイミー様はお城への道を良くご存知だと言っていたけれど、真夜中の森の中を走るのは相当心細かったと思う。
「……お礼を言うのは、此方の方なんです」
「!」
そういうと、彼女は私の手を取り涙交じりに口を開いた。
「ジュリア様があの日来て下さったから、私は今生きているんです。
もしあのまま私があの人と一緒に暮らしていれば、生きているのさえも時間の問題でした。
……私はこの命を、ジュリア様に救って頂いたようなものなのです」
「! そんなこと」
「いいえ、ジュリア様が居なければ、私は此処にはおりませんでした。
……何度お礼を言っても足りません。 この御恩は一生を通してお返し致します」
エイミー様はそう言って頭を下げた。
私はそんな彼女に向かって慌てて口を開いた。
「そんな、恩だなんて……、あ、そうだわ!」
「?」
私は、握られた手を逆に握り返すと、突然声を上げた私に驚いた彼女に向かって笑みを浮かべて言った。
「それなら、これから先もずっと、私とお友達で居てくれるかしら?」
「! ……っ、え?」
エイミー様は余程驚いたのか、その場で静止する。
私はそんな彼女にもう一度、念を押す様に口を開いた。
「私は貴女を助けられて良かったと心の底から思っている。 けれど、それに対して貴女に見返りを求めるつもりなんてさらさらないわ。
……それでも、もし私の願いを聞いてくれるのだとしたら、私とこれから先もお友達で居てくれると嬉しいなと思うのだけど……、どうかしら?」
私がそう尋ねれば。
彼女はパァッと花が咲いた様な笑みを浮かべて言った。
「っ、勿論! 私も、そう願っておりました」
「ふふ、それなら決まりね」
私はそう言うと、握っていた手に力を込めて明るい調子で言った。
「エイミー様、これからも宜しくお願い致しますわ」
「っ、ジュリア様、此方こそ。 宜しくお願い致します」
そう言って二人で握手を交わし、微笑み合う。
そんな彼女の耳元で、私はこそっと耳打ちした。
「それに、私はずっと貴女の恋を応援しているわ」
「! ……ジュリア様、折角応援して下さったのにごめんなさい。 その願いはもう、叶わないと思います」
「っ、え……?」
思いがけない言葉に私はハッと彼女を見る。
目を合わせたエイミー様は曖昧に笑い、口を開きかけたその時。
「ジュリアはもう起きているのか」
「! エドワード殿下!」
「!」
丁度のタイミングでエイミー様の想い人である私の幼馴染が顔を出す。
ただ、エイミー様は頬を染めながらも彼と目を合わせようとしない。
それを見てエドも不思議に思ったのか、あれ、と口を開いた。
「エイミー嬢も来ていたんだね。 良かった、会えたんだね」
「っ、はい、有難うございます」
エイミー様は漸く彼と視線を合わせ、頭を下げた。 エドはそんな彼女を見てから私に言った。
「レオもエイミー嬢も皆心配していたんだよ。 余程疲れていたのか、ジュリアが3日間目を覚まさないものだから……」
「……3日!?」
私は今知った事実に思わず聞き返せば、エドは「あれ、レオから聞いていなかった?」とキョトンとして言う。
「は、初耳よ……! そ、それは心配させてしまうわよね、ごめんなさいね、エイミー様」
「だ、大丈夫です! それよりもジュリア様がご無事で、本当に良かったです」
そう心から笑みを浮かべてくれる彼女を見て、やっぱり素敵だなと思っていると、エドが私達の元へ歩み寄ってきながら言った。
「あれ、そういえばレオは? 此処にいるとばかり思って勝手に入ってきてしまったんだけれど」
「!? またレオに言わないで来たの? 知らないわよ、後で怒られても。
……でも確かに居ないわね。 エイミー様がいらっしゃった時は居たのに」
「あ、それなら私が部屋に入った後、すぐに部屋を出て行かれていました」
「? 何処へ行ったのかしら?」
私が首を傾げれば、「まあ、丁度良いから居ない間に話して置こう」という彼の呟きが聞こえ、思わず私がえ、と声を上げれば、エドは私とエイミー様を交互に見て言った。
「エイミー嬢にはもう話したことなんだけど、今回の事件で暗殺者を捕まえられたのは、君達のお陰だ。
ジュリアも目覚めたことだし、後日改めてその功績を讃える場を設けたいと思う。
……ただ、例の騎士団の件もあることだし、公には出来ないけれど。
それでも、君達によってこの国が救われたことは確かだ。
その栄誉を讃えて君達の願いを出来る限り叶えようと思う」
「私達の、願い……?」
私がそう聞き返せば、エドは「あぁ」と頷いた。
「ちなみに、レオはもう決めているみたいだ。 残るは君達二人の望みだけ。
まだ時間はあるから、エイミー嬢ももう少し考えてみて欲しい」
「! ……はい」
そう言ったエイミー様の表情は暗くて。
私はそれを心配気に見やりつつ思う。
(私の、願い……)
レオはもう決めたとエドは言った。
彼は一体、何を望んだのだろう……?
(聞いたって教えてはくれないだろうけど)
私の願いは……、ある意味、ずっと前からもう既に決まっている。
……ただ、それを口にすることが怖いだけで。
(私の完全なる我儘だもの)
私は立場上、侯爵令嬢という身分があるから、自分で言うのも何だけど叶えられるものは今迄叶えてもらっていたと思う。
だけど、その言葉一つで相手に迷惑がかかる可能性が大いにあることを知った今は、私がずっと抱いている願いは、相手の気持ちを考えていない、自分勝手な我儘であることを自覚している。
(だからこそ、簡単に口に出すことは出来ない)
私は、少し目を瞑って自分の心を落ち着かせると、視線をエドに合わせて言葉を紡いだ。
「……私にも、考える時間をくれるかしら。
私の願いは一つに決まっているけれど、これが最善の選択であるかどうか、定かでないから」
「! ……ジュリアらしい」
エドはそう言って笑い、すぐに頷いた。
「うん、分かった。 よく考えて決めると良い」
「……えぇ」
私は少し笑ってそれに頷き返せば、コンコンとノックをする音が耳に届いた。
「何方?」
私の問いかけに対し、廊下の先からレオが「失礼致します」と扉を開けて入ってくる。
その後ろから、もう一人顔を覗かせた。
「! お父様」
私がそう声を上げれば、お父様は「ジュリア」と微笑みを浮かべて名前を呼んでくれた。
それに対し、エドとエイミー様は腰を上げる。
「私達はこれで失礼するよ」
「ジュリア様、また伺いますね」
「えぇ、有難う」
(気を遣ってくれているのね)
私は内心そう思いながら、二人を見送る。
そしてレオも二人の後を追う様に部屋を出て行った。
……そうして閉じられた扉の先で、レオがエドに対して怒っている声が聞こえて思わず笑みを溢すと。
「……ジュリア」
「!」
お父様がそう私の名を呼び、近付いてきたかと思えば、ギュッと抱きしめられた。
「! お父様……」
「無事で、良かった……っ」
お父様の肩が震えていることに気が付き、私の目からも涙がこぼれ落ちる。
(私は、幸せ者だな)
そう心から思いながら、そっと抱きしめ返しながら口を開いた。
「……私、夢でお母様に会ったの」
「っ、え?」
お父様が驚いた様に声をあげる。
私はそのまま言葉を続けた。
「だから私、怖くなかった。 ……というのは大袈裟かもしれないけれど、私はお父様やレオ、お母様や皆に守ってもらっていたから」
「! ジュリア……」
「お父様は、知っていたんでしょう? レオ達の計画を。
私がそれに首を突っ込んでしまう形になってしまったけれど、それでもお父様はエイミー様のお屋敷に行くことを許してくれたのよね」
私はそう言って少し体を離してお父様を見れば、お父様の目元にうっすらと隈が出来ていて。
「……ごめんなさい、心配をかけて」
そう心から謝れば、お父様は私の頭に手を置いて言った。
「そうだね、出来れば心臓に悪いからやめてほしいと言いたいところだけれど……、今回、そのジュリアの行動によって多くの人が救われたんだ。
……よく頑張ったね、ジュリア」
「……! お父、様……」
「!? じゅ、ジュリア、泣かないでくれ」
お父様が私が泣くのを見てオロオロとしだす。
だけど、いつまでも泣き止まない私を見てお父様は言った。
「……ジュリアがこうして泣いている姿を見るのは久しぶりな気がする。
今迄のジュリアは、私にさえも決して涙を見せなかったから」
「! それは……」
私はその先の言葉を言おうとして、思わず口を噤んだ。
(……この話は、秘密だと互いに約束したのだから)
そんな私に対し、お父様は微笑みを浮かべて口にした。
「それも全部、“彼”のお陰なんだろうな」
「……!」
お父様が指す“彼”が頭にすぐ浮かんで、私は少し恥ずかしくなって小さく頷くだけにしておいた。
そして、ずっと心の中で燻っていたことを、お父様に向かって意を決して口を開いた。
「お父様、相談したいことがあるのだけど……」




