31.従者がいなくても
それから数週間後。
私に最大の危機が訪れる。
それは、良く晴れた昼下がりの午後のこと。
「エイミー様からのお手紙?」
「はい」
以前はレオが私宛に届けてくれる手紙を侍女が持って来たことに、改めてレオがいないことに寂しさを覚えつつも、お礼を言ってその手紙を受け取る。
その手紙には可愛らしい字で……、でも心なしか、震えている様な字で書かれている宛先と送り主の字に、嫌な予感を覚える。
(……シーラン侯爵が動き出したのね)
私はそう冷静に考えつつも、ドクドクと嫌な音を立てる心臓の音を聞きながら、その封を開ける。
そして、開いた手紙の中に書かれていたのは、先日のお礼と……。
「『感謝のおもてなしをさせて頂きたいので、是非私の家にもお泊りになって下さい』……だそうよ」
「! お嬢様が、シーラン侯爵様のお邸へ!?」
侍女はそう悲鳴に似た声を上げた。
「そ、そんなの無茶です! ……レオン様がいらっしゃらなくなった今、お嬢様をお守りする適任者がおりません。 万が一、お嬢様に何かあったら……っ」
(シーラン侯爵の良くない噂は、侍女達の間にも広まってしまっているのね)
私はふーっと息を吐くと、微笑みを浮かべ口にした。
「今すぐお返事を書くから、手紙のセットを頂戴。 ……私は、エイミー様のお誘いを受けることにするわ」
「!? お嬢様、正気ですか!?」
「えぇ、勿論」
私の言葉に、数名いた侍女は皆顔を歪ませる。 そんな侍女達を見て、慌てて声をかけた。
「大丈夫よ、彼方にはレオの従兄弟であるカイルもいるのよ? あの方はレオが認めるほどの実力者だわ」
「っ、でも」
「大丈夫、私を信じて。 ね?」
そう侍女達の目を見てはっきりと告げれば、彼女達は困惑しながらも頷き、それぞれ部屋を出て行く。
「……ふぅ」
私は少し息を吐き、もう一度彼女からの手紙に視線を落とす。
(エイミー様はきっと、シーラン侯爵に命令されてこの手紙を書いたんだわ。 タイミング的にも、レオが私の従者でなくなったことをもし彼が知っているのであれば、彼方側にとっては好都合だもの。 この機会を逃しはしないと思う)
それなら、此方も同じ。
その機会を逆手に取って、私は彼女を救い出す。
(時期が遅かれ早かれ、彼女をあの人から助け出さなければ彼女が危ない。 それに、シーラン侯爵をこれ以上のさぼらせる訳にはいかないわ)
そう決意しながらも、手紙を持つ手は情けなくも震えてしまっていて。
私はそっとその手紙を机の上に置くと、窓の外を見つめる。
(……ねえ、レオ。 貴方は今何処にいるの?)
レオが側にいたら、どれだけ心強いか。 実質、エイミーさまのお邸へ向かうということは、シーラン侯爵の手の内に入るということになる。 そんな危険に晒されることだって、彼がいれば不安に怯えることはなかっただろう。
(って、いつまでもそんなことを言っているわけにはいかないわよね)
知らず知らずのうちに、彼を頼り過ぎてしまっていた。
これではリーヴィス侯爵家の名が廃ってしまう。
(私は強い。 一人でも大丈夫。 だって、幼い頃の“あの日”だって、誓ったのだから)
そう自分を暗示にかけながら、ギュッと拳を握ったのだった。
そして、一週間後。
「お嬢様、本当に向かわれるのですか?」
そう侍女に尋ねられ、私は苦笑いで答える。
「その質問、皆にされるのだけど……、心配有難う」
「そうではなくて! 本当に、シーラン侯爵邸で一晩過ごされるのですか」
その言葉に、私は作り笑いを浮かべたまま口にする。
「えぇ、折角のエイミー様からのお誘いだもの。 彼女のお誘いを断るわけにはいかないわ」
お誘いを受ける返事を出してから一週間後の今日が、エイミー様との約束の日である私は、荷造りを終えて馬車を待機していると、侍女達が口々に心配だと声をかけてきた。 そんな彼女達に向かって、私は決まって努めて明るく笑顔を浮かべた。 彼女達をこれ以上、不安にさせない様に。
「大丈夫、お父様も承諾してくれたんだし! それに、腕の立つ護衛も何人か付いて来てもらうから心配いらないわ。 痴漢撃退法だって私、先生のお墨付きよ!」
「じゅ、ジュリア様……」
それは果たして大丈夫なんでしょうか、と話し出す彼女達を見ていると、御者に準備が出来たと声がかかる。
私はそれに対してすぐ行くわと返し、もう一度彼女達の方に向き直ると、微笑みを浮かべて言った。
「大丈夫、必ず明日帰ってくるから。 心配しないで」
「必ずですよ……!」
「えぇ、勿論」
そうしっかりと頷いて見せると、私は手をひらひらと振って馬車に乗り込む。
パタン、と閉じられた扉の窓の外に映る自分の家を見て、心の中に閉じ込めていた不安が一気に押し寄せた。
(……私は無事に、明日には帰って来れるのかしら)
そして、エイミー様のお家へ向かうことを許す代わりに、お父様と約束したことを思い出す。
『いいかい、ジュリア。 何があっても無茶はしないこと。 常に護衛と行動を共にし、特に夜間は気を付けること。 良いね』
(そうお父様は言っていたけれど……、ごめんなさい、お父様。 私はその約束を破ることになると思うわ)
私には考えがある。
エイミー様を助け、シーラン侯爵の悪事を暴くための手段が。
例え私が多少の犠牲を払うことになったとしても、それによって多くの人の未来に繋がるのなら。
「……私は、手段を選ぶつもりなんてないわ」
レオが側に居なくても、私は出来る限りのことをする。
(レオも、そうして私と今迄接して来てくれていたのだから)
レオが居たらきっとこうしていただろうことを、今度は私が一人で成し遂げて見せる、必ず。
(そして、何としてでも生きて、それで、今度こそ……)
私はそう心の中に誓った私を乗せた馬車は、ゆっくりと、シーラン侯爵邸へと向かって走り出したのだった。
「ようこそおいで下さいました、我がシーラン邸へ」
そう出迎えられた人物の姿を見て、私は思わず声を上げそうになる。
(! ……シーラン侯爵)
そう、馬車から降りた私を待っていたのは他でもない、現当主であるシーラン侯爵本人であった。
白髪の髪に同色の髭を無造作に生やし、でっぷりとしたお腹で何処か下卑た笑いを浮かべるその侯爵を見て、思わず鳥肌が立ってしまう。
(っ、いけないわ、警戒しているなんて思われてしまっては、計画通りにいかなくなってしまう)
そう考えた私は、すっと自分を落ち着かせるために息を吸ってから、万が一あった時のために考えていた“演技”を開始する。
「お初にお目にかかります、シーラン侯爵様。 本日はお招き頂いて、とても嬉しい限りですわ!」
そう態と屈託のない笑みを浮かべ、彼に向かって握手を要求する。
(そう、私のこの作戦は“印象操作”よ)
本来なら、御令嬢自ら握手をすることは御法度である。 マナーがなっていないとされるのだ。
それを態とやっている理由は、私を馬鹿だと認識させ、シーラン侯爵を油断させるため。 此方が警戒しているとバレれば、この好機を逃すことになってしまいかねない。
(折角こうして敵の懐に入ることが出来たんだもの、何かしらの情報を得なければ意味がないわ)
そう考えたのだ。
(さあ、この後シーラン侯爵がどう出るかみものね)
乗るか、乗らないか。
私がじっと待っていると、シーラン侯爵は一瞬眉間に皺を寄せ、その後それは嘘かの様に笑みを浮かべた。
「いやはや、ジュリア嬢は面白いお方ですな。 エイミーから聞いていましたが、それ以上に魅力的なお方だ」
「まあ、そうでしたの! エイミー様が私のことをどんな風に仰っていたのか気になりますわ!」
私はそう言って大袈裟に笑いながら、やっぱり、と心の中で笑った。
(流石はシーラン侯爵、プライドが許さなかったのね)
同じ階級の、一令嬢から握手を求められ応じることをしなかったのは、彼のプライドが邪魔をしたのだろう。
まあ、それが真っ当な反応だとは思うが、彼方も多少は警戒しているに違いない。
(この警戒を、どう解いていくかが問題なのよね)
多分、エイミー様の護衛であるカイル以外は皆敵だと思った方が良い。
そうして紛れて、シーラン侯爵自らの息がかかっている者……、私を見張っている者達が確実にいるはずだから。
(この演技は暫く続けましょう)
そして、皆の目に映る私はただのお転婆娘だという印象を与える。
それだけでも、かなり私が考えている“計画”はやりやすくなるはずだから。
そうして少し談笑した後、シーラン侯爵は後ろに控えていたエイミー様に向かって声をかけた。
「エイミー、彼女とゆっくり部屋で過ごして来たらどうだ。 わたしも一旦此処はお暇して、また後で食事を一緒にしよう」
「っ、は、はい。 分かりました」
そう彼女が返事をすると、シーラン侯爵は頷き何処かへ行ってしまう。
そんな後ろ姿を見送ってから、漸くエイミー様は私に笑いかけると、淑女の礼をした。
「本日はお越し頂き、有難うございました」
「いいえ此方こそ! また貴女とお話がしたいと思っていたの! 嬉しいわ!」
「! そ、そうですか?」
私の勢いにエイミー様がたじろぐのを見て、私は思わず心の中で苦笑いを浮かべる。
(あ、そうだったわ。 エイミー様にはまだこの計画を伝えていないんだものね。 いつもの私とは全然違うタイプを装っているから、困惑しているんだわきっと)
二人きりになれるタイミングを見計らって話をしなければね。
そう思いながら、私はぐいっと彼女の腕を取る。
え、と驚く彼女に対し、私はオーバーに言ってみせた。
「ごめんなさいね、エイミー様。 少し馬車酔いをしてしまって疲れが出ているみたいなの。 お部屋に案内してくれるかしら?」
「! それは大変! すぐに部屋へ向かいましょう!」
そう言ってわたしを気遣いながら歩いてくれる彼女に対し、部屋へ一刻も早く案内してもらう為の嘘だということを申し訳なく思いながら、二人で部屋へと向かうのだった。




