26.強い味方
そして私の部屋へ着くと、彼はバンッとドアを閉め、私を長椅子に座らせてから向かいの席に座って頭を抱えた。
「……はあ、お嬢様はどうしてこうも危機感というものがないのでしょう」
「!? よ、夜着一つでそんな大袈裟な」
「大袈裟ではありませんと何度も申し上げているでしょう!」
「!」
バンッ! と机を叩かれ、私がびくりと肩を震わせれば、彼はじっと私を見て言った。
「……以前、“他の男性と部屋で二人きりになるな”と申し上げた意味……、貴方には分かりますよね?」
「っ」
彼の真剣な表情とその言葉に、私は思わずヒュッと息を飲んでしまう。
そんな私に対し、彼ははぁっとため息を吐き、口を開いた。
「良いですか。 今日はあの場にいたのがたまたま、私とカイルの二人だったから良かったものの、他の使用人が見ている前で、あの姿でいたらどうなるとお思いですか?
もし、旦那様が来たら?
……それこそ、貴女も私も叱られますよ」
「! ……ごめん、なさい」
確かに、私がもし夜着姿で部屋を出た、なんてはしたないところをお父様に見られてしまったら。 私もそうだけれど、一番怒られてしまうのは見張りをしていたレオや侍女だ。
私は事の重大さを理解して謝れば、彼は少し息を吐きながら言った。
「分かって頂ければ良いのです。
……まあ、今回はエイミー様と部屋でご一緒に、とのことなので多目に見ますが……、もし次やったら……」
「!」
「お仕置き、ですよ?」
彼の瞳が、私を見つめてそう言った。
怒っている筈なのに、何処か艶めかしく彼がそう口にするものだから、私は思わず彼の顔を見たまま静止してしまう。
そんな私に、彼は小さく咳払いをして言った。
「お嬢様、それよりもエイミー様とのことですが……、何かお話をされましたか?」
「あ……」
私は彼に、彼女から聞いたことを話す。
(彼にも伝えないと、私一人では守ることが出来ないから)
私はそう思い、エイミー様の話を彼に打ち明ければ、レオは「やはり」と口を開き、少し考えてから言葉を発した。
「完全に、シーラン侯が黒、ということですね」
「えぇ、それは間違いないと思うわ。
……だけどね、レオ。 怖いのはこれからよ。
シーラン侯爵はきっと、エイミー様が私の家に泊まっていることを面白く思っていないのは確かでしょう。 それでもし……、エイミー様が私に、助けを求めていると知ったら」
「……狙われるのは、エイミー様であると」
「えぇ」
(これは、一刻を争う問題。
彼女からこの情報を打ち明けてくれたのは良いものの、犯人が分かったところで、その裏の悪事の確固たる証拠を持ち出さなければいけない。
今では彼は侯爵家の人間。 エイミー様や私達が幾ら訴えようとしても、その地位で有耶無耶にされてしまうだけ。
……だから)
「どうにか……、シーラン侯爵の周囲を見張り、彼の悪事を暴いてその証拠を突きつける手段は、ないかしら」
私の言葉にレオは手を組み、言葉を紡いだ。
「……それはなかなか……、難しいでしょう。
以前にも申し上げたかと思いますが、シーラン侯が“裏社会”で繋がっているのは確かです。
ですが、いずれも証拠を残さない。
そして殿下も、“裏社会”のことについては何一つ分からないと、そう仰っています」
「……そうなのよね」
(エドだって、“裏社会”なんて排除する為に行動を起こしているはず。
それなのに、何も情報が出てこないというのだから……)
「……シーラン侯爵の足取りを追跡する、とかは?」
私の言葉に、彼は首を横に振った。
「現シーラン侯は、あまり外に出られません。
出られたとしても、貴族の社交場の席のみです」
「!? で、では、エイミー様は四六時中、彼に監視されているというの……?」
「……そういうことに、なりますね」
そう彼に返され、私は思わず沈黙してしまう。
(……御両親を亡くされ、その上に自分を嫌っている親戚がやって来て、彼女の大切なものを全て奪っていくなんて……)
「……私にはとても、耐えられないわ」
「! ……ジュリア様」
彼がそっと、私に何かを取り出し差し出す。
それは、彼のハンカチで。
「……私、泣いているの?」
「……はい」
彼の頷きに対し、私は彼のハンカチで目元を拭えば、確かに私の目からは涙がこぼれ落ちていて。
私は乾いた笑いを漏らす。
「……っ、情けないわ。 傷付いて、どんなに苦しくても、今迄頑張っていたのは、彼女の方なのに。
だけど、私は……、そんな彼女に、“自分は強い、自分は負けないと言い聞かせている”なんて……、そう言ったのよ」
「……ジュリア様」
「その上、貴女を守るだなんて……、こんなにレオや皆に頼りっきりなのに、私」
「ジュリア様!」
「!」
彼が、大声で私の名を呼んだ。
それにハッとして顔を上げれば、彼はいつの間にか、私の前に跪いていて。
驚く私に対し、彼は私からそっとハンカチを取ると、そのハンカチで私の目元を拭ってくれながら、諭すように口を開いた。
「……ジュリア様、私は貴女が心配です」
「! ……どうして?」
「貴女が……、そうやって涙を流すのはいつだって、自分の為でなく、人の為だから」
「!」
彼はそう言った後、私をギュッと抱き締めた。
そんな彼の言動に、私は戸惑って「レオ?」と呼んだけれど、彼は私を離そうとはせず、ギュッとその力強い腕に私を閉じ込めたまま言葉を続けた。
「……“自分は強い、自分は負けない”……、先程、お嬢様の仰っていた言葉に漸く、貴女の本心が見えた気がします」
「え……」
「私は、貴女に頼られて“迷惑”だなんて思ったこと、一度たりともございません」
「!?」
彼の突然の告白に、私は思わず驚き目を見開いてしまう。
そんな私の思いはお見通しだとばかりに、彼はすぐに口を開いた。
「……私は確かに、貴女に厳しい言動を取ってしまいがちだとは、自分でも思いますが……、貴女に頼られたい……、いや、貴女でなければ、私はこうしてわざわざ、従者なんてやっておりませんよ」
「!! ……レ、オ……」
「第一、ジュリア様を守るために私はここに居るんです。
……頼られなければ、私の仕事がなくなってしまいます」
そう言って、彼は私からそっと体を離し、正面から向き合って言った。
「だから、泣きたい時は泣いてください。
ただし、一人で泣いてはいけませんよ。
……他人に泣いている姿を見られたくないのであれば、その時は……、私の胸をお貸ししますから」
「! ……レオ……」
私は思わず、口から飛び出た言葉は。
「貴方……、物凄くキザなのね」
「!? じゅ、ジュリア様!?」
彼が心から驚いたように、そうあまり聞いたことがない素頓狂な声で私の名を呼ぶものだから、私は思わず笑ってしまう。
そんな私に対し、彼は真っ赤な顔をして「全く」と怒ったように、自身の首に手を当てた。
そんな彼の片方の手を取り、私はギュッと握ると……、心からの笑みを浮かべて口にした。
「さっきのは冗談よ。
……貴方のその言葉に、救われたわ。
ありがとう」
「!」
(……彼は、本当に私のことをよく見てくれている)
私は彼の言う通り、自分が幾ら傷付いても、泣いたことはなかった。
……最後に泣いたのは、今でも覚えている“あの日”以来。
そこから私は、自分のためには泣かなくなった。
(“あの日”を限りに、自分自身のことで泣くのを止めると誓ったの)
「……初めてよ、レオ。 そんなことを……、今迄、言ってくれたのは」
「!」
私は気が付けば自然と、彼の銀色の髪をさらりと撫でるように、彼の首にそっと、手を回していた。
「……今度から泣きたい時は……、貴方の前で、泣くようにするわ」
「! ジュリア様……」
私が少し、その手に力を込めれば、彼もそっと私の背中に手を回してくれる。
そして一言、小さな声でゆっくりと言葉を紡いだのは、レオの方だった。
「ジュリア様。
私は、いつだって貴方の味方です。
……そのことを、忘れないで下さね」
「! 勿論」
私がしっかりと彼に向かって頷けば、彼の腕に少し、力が入った、そんな気がしたのだった。




