取捨選択試験
円華side
週明けのホームルーム。
岸野が教室に入ってきた時、その雰囲気が一気に引き締まった。
その険しい表情から、また理不尽なことを強要されたのだと予想がつく。
教卓に両手をつき、大きく溜め息をついた後で用紙を前から回させた。
「おまえら、とりあえずその紙に目を通せ」
基樹から回された用紙を見て、俺はその内容に対して絶句した。
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取捨選択試験
内容 1月13日~1月17日の内に、各クラスの中から退学者を1名以上出していただきます。
退学者の選定は、各クラスの手段で構いません。
・17日の23:59までに退学者が1名も出なかった場合、そのクラスの生徒全員の能力点ー50000させていただいます。
・それぞれのクラスの退学者の中に、昨今の噂騒動の犯人及びその協力者が含まれていた場合、上記のポイントを+50000させていただきます。
・上記2つに該当しない場合、能力点の加点も減点もありませんのでご了承ください。
ー--
その試験の内容に目を通し、クラスの中は静寂に包まれる。
岸野も勇気づけるでもなく、安心させる一言を口に出すこともせずに無言を貫く。
そして、最初に口を開くのは、やはり彼女の役割となった。
「また……突然の特別試験ですか?」
そう問いかける成瀬の声は、怒りを含んでいて震えていた。
「その通りだ。悪いが、俺たち教師でもどうしようもない。これはおまえたちの決断力が試されるものだ。いつ、どこで、どういう状況になったとしても、生きていく上で決断を強いられる場面は少なからず存在する。それが、おまえたちの場合は今だと言うことだ」
岸野は淡々と言っているが、それは感情を押し殺した上での言葉だというのはすぐにわかった。
教卓の両端を掴む手に、力が籠っていたからだ。
俺は資料の内容に目を通した後で、周囲のクラスメイトを見渡した。
退学者0の場合のペナルティと、今回の騒動を起こした犯人を退学させた場合のメリット。
学園側は、1年の間で起きている混乱に拍車をかけたんだ。
そして、俺としては、これが偶々利用されたものだという結論に結びつけるには、早計だと判断した。
「幸いなことに、今日中に結論を出せというわけじゃない。期間の1週間が過ぎる前に、後悔をしない選択することを心がけろ。良いな?」
岸野としても、心の中で折り合いがついていないのが険しい表情から読みとれる。
今のは自分にも言い聞かせた言葉だと思って良いかもな。
「先生、1つだけ質問があります」
「何だ?」
「この試験で退学させられた生徒は……やはり、死亡するという理解で、構いませんか?」
この学園のルールは、もう痛いほど頭と心に刻み込まれている。
退学=死。
それに乗っ取るなら、1週間以内に退学する者は死ぬことになる。
未だにどういう手段で執行されるのかはわかってねぇけど、それは確定とされている。
この答えの如何によっては、一週間の過ごし方が違ってくる。
そして、岸野の成瀬に対する返答はこうだ。
「その通りだ。だからこそ、選択するおまえたち自身の価値を問われていると思え」
それだけ言い残し、彼は教室を後にした。
その後で、クラスの中でいつも通りにグループに分かれて談笑するというルーティンに移ることは無かった。
1人1人が席から立つ気力が無く、ただ動揺を感じる。
「退学者を出さなかったら、ポイントが5万も減るって……そんなの、ありえないだろ…‼」
「で、でも、クラスの中に居る今の騒動の犯人を見つけたら、5万増えるんだろ?」
「ちゃんと、プリント見たの?その5万だって、そいつが退学してくれないと意味がないんだよ…‼」
「退学って……死んでもらうって……ことだよね」
ポイントを失うことに恐怖する者、死者を選ぶことに恐怖する者。
それぞれに負の葛藤を抱く中で、成瀬は席を立って全員の方を向いた。
「これは、忌々しき事態だわ。まずは、私たちの気持ちや考えを確認しないと―――」
「じゃあ、先に成瀬さんの考えを聞かせてよ。ポイントを選ぶのか、ここに居る誰かの命を選ぶのか。あなたはどっち?」
斜め前の席に座る瀬野雅が、鋭い目付きで問いかける。
まずはクラス委員として、クラスをまとめる者の意見を聞きたいと。
それが皮切りになると考えて良いだろう。
「私は……まだ、わからない。ポイントが減れば、上のクラスに行くのが遠ざかる。だからと言って、人の命を切り捨てるのも選びたくない。はっきり言って、この選択肢に第3の選択は無いと思っているわ。ポイントか、クラスメイトか、捨てるのは2つに1つよ」
「そんな当たり前のことを聞きたいわけじゃないんだよ。クラス委員の成瀬がそうだと、俺たちもどうして良いのかわからないって……」
苛立たし気に坂東が口を開けば、彼女はそれに対して目尻を吊り上げる。
「あなた、それは思考を放棄していることと同じよ。私の考えがどうであれ、あなたの意見がどうであるかは、あなた自身が決めること。私がクラス委員だからって、それに便乗することを求めてはいないわ」
成瀬は自分の選択が正しいから、それに付いてこいと言う女じゃない。
だからこそ、前ではなく、隣に立つリーダーではあるからこそ、指標となる存在としては不十分だ。
特に今回のような試験では、それが顕著に現れる。
1人1人、自分の意見を持たせることは理想だ。
だけど、拠り所がなければ、その意見を持つことができない者も当然存在する。
全員が全員、自分がこうしたい、これが正しいと思う基準を持っているわけじゃないからだ。
成瀬だけでなく、真央も動揺から考えがまとまっていないのが、曇った表情からわかる。
誰一人として、自分の気持ちや考えを口に出さない中で、前の席に座るダチが手を挙げた。
「俺の考え……言って良い?」
全員の視線が、基樹に対して集まる。
成瀬が顔を引き締めて静かに頷けば、あいつはいつもの陽気な雰囲気を消して言った。
「俺もポイントが減るのは御免だ。だけど、無実のクラスメイトを切り捨てるようなこともしたくない……。だけど、学園側がクラスの中に今の騒動の犯人が居るって言うなら、そいつには混乱を起こした代償を払わせても良いんじゃないかとは……思うかな」
少しでも罪の意識を減らしたいのなら、因果応報に持って行った方が分かりやすいってことか。
多分、これは基樹の本心だ。
「それを言うなら、あなたはこのクラスの中に犯人が居ると思っている……そう思っても良いのかしら?」
成瀬の問いに便乗するように、至る所からあいつに非難の目を向けられる。
「……そろそろ、現実を見た方が良いんじゃないかって思う。みんな、大なり小なり感じていただろ?メールの内容が、本当にそうなんじゃないかって思わせる際どい内容だったこと。ただのほら話だったなら、どこのクラスでも小さな小競り合いすら起きないと思う。でも、蓋を開けてみれば、このクラスやEクラスみたいな大きなものではないにしても、日々小さな不安や不満からメールの内容を詮索する動きが起きているのを耳にするんだ。それは、メールの内容の質が問題なんだと思う」
基樹は席から立ち、自身の机に腰を掛け直しては全体を俯瞰して視る。
「この中の誰かが、犯人……もしくは、そいつに協力する内通者であることは確かなんじゃないか?少なくとも、俺はそう思う」
いつもの陽気さを消した影響か、みんなの中に基樹の言葉が届いているように感じる。
普段ヘラヘラした奴が、180度変わった態度を取れば、気が引き締まって耳を傾けるものだ。
「じゃあ、その内通者が、おまえじゃないって言いきれるのかよ?」
戸木が、基樹に突っかかる言い方をする。
しかし、それに対してあいつは動じない。
「俺を疑うなら、それはそれで良い。そう思う奴が居るなら、俺を監視してくれればいいからさ。だから、誰かを切り捨てるとか、ポイントを諦めるとかの前に、俺たち自身で潰していかないか?内通者の可能性がある奴をさ」
まずは内通者を見つけるという動きに、基樹は誘導しようとしている。
「そうですね。まずは内通者を見つけることが先決……狩野くんのその意見には、僕も同意します」
それに付いて、真央が便乗する。
彼の影響力は強く、その周りの女子や数名の男子も頷いた。
この流れで、内通者捜しに持っていった方が良いのは確かだ。
だけど、事はそう単純には進まない。
「じゃあ、その内通者が1週間以内に見つからなかったらどうするんだよ?」
そう切り出したのは、川並だった。
誰かもわからない内通者を見つけ出すこともそうだけど、それが失敗した場合の想定しておく必要があると言う。
「人か、ポイントか。最終的には、やっぱりその二択になるんだろ。その時、何を基準にするのかは……決めた方が、良いんじゃないか?」
あいつの性格からして、本当はこんなことは言いたくないと思ってるはずだ。
だけど、不安に背中を押されたことで、口から出てしまったんだろう。
物事を判断する時に、基準は確かに必要だ。
人か、それ以外か。
人を切り捨てることを選んだ場合、何を基準に切り捨てるのか。
その時の基準を、成瀬は基樹のターンの間に考えていたようだ。
「内通者が見つからなかった場合。その時は、ポイントを諦める。人の命には代えられない。それが私の意向よ」
彼女の意見を聞き、納得を示す者も居れば、そうじゃない者の複数人。
やはり、今日1日でまとまる話じゃねぇな。
これまで、俺が変に話に乱入せずに傍観者を決め込んでいたのは、基樹が動いてくれたからだ。
あいつが動かなければ、俺が今の基樹の役割を引き受けていたかもしれない。
だからこそ、今はクラスを観察することに集中していた。
内通者捜しに動く流れになった時の、細かいけれど、小さな挙動の変化。
俺の敵は、内通者を見つけようとする動きを2つの理由で良しとしないはずだ。
1つは、自分が内通者であることを気づかれたくないから。
怪しい動きをすれば、内通者だと疑われる。
そうすれば、流れとして自分が死ぬことになる。
だけど、それはこの1週間の内は大人しくしていれば良いだけの話だ。
理由は2つ目の方が大きいかもしれない。
もう1つの理由は、俺を退学させることができないから。
俺を内通者として仕立て上げることはできるかもしれないが、こっちには成瀬を味方に付けることができる。
濡れ衣を着せようとすればするほど、自分への疑いが掛かる。
どっちにしろ、内通者として退学に追い込むことはできない。
そして、川並の質問に対する成瀬の返答も、敵の動きを封じた。
内通者を見つけることができなくても、その時はポイントを諦めるという意見を彼女が表明したことで、最終的にはポイントを切り捨てる動きに傾き始める。
どちらにしろ、俺を退学に追い込むのは普通ならば不可能な話だ。
だけど、心の中で小さなしこりを感じている自分が居る。
敵が俺の追い詰める『切り札』を出した場合。
それに対して、クラスメイトたちが下す決断。
予期しなかった所で、俺もこのクラスへの混沌とした想いに決着をつけることになりそうだ。
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