第三十一話: 池矢 創 ⑮
◆まえがき◆
新年あけましておめでとうございます!
結局、昨年末は予定外の用件がわんさか発生してしまい、ほぼ執筆活動ができませんでした。
(27日UPに遠く及ばず、すみませんでした…(^_^;))
新年一回目の投稿は「池矢の章、第十五話」。
お楽しみください!
そもそも入学を諦めていればもうちょっとマシな人生だったかもしれない。ふと、そんな思いにかられた俺の中で、大学時代のいくつかの出来事がフラッシュバックして蘇る…
※※※※※※※※
◇ある場面――
大学入学してそう日も経っていないある日の夜。
ついさっきまで大振りだった雨脚はすでに相当弱まっていた。
『保証人』欄だけが空欄になった入学書類をショーウィンドウの明かりで再確認した俺は、それを肩掛けカバンにねじ込んで傍らの自転車に飛び乗った。
「なんでいつもこうなるんだ!?」
その夜。俺は池袋の街を自転車で奔走していた。その日は〝新入生歓迎会〟なるものが実施されていて、おそらく時間的には皆で酒を煽って大騒ぎしていそうな時間であったが、そんな事を羨む余裕も無いままに、俺は青ざめた表情で必死で自転車のペダルを踏み続けていた。俺が向かっていたのは親父の愛人がやっている〝居酒屋〟だった。
俺が芸大に合格できた事を告げると、周囲の人たちは皆一応に「おめでとう」と、祝福の言葉を投げてはくれるものの「保証人になってくれる人が居なくて困っている」という相談話をもちかけると、やはりウチの『稼業』の事がひっかかるようで、話をそらされるか押し黙ってしまうかのどちらかであった。「試験に受かったのに書類の不備で入学できない」などというという馬鹿げた終わり方だけは避けたかった俺は、最終手段として「父親に相談する」という最悪の選択肢に一縷の望みをかけたのだった。
そして数十分後…
俺は『本日都合により休業』と張り紙された提灯の消えた小さな扉の前で、呆然と肩を落としていた。
―ここまできてこんな仕打ちってあるか?―
雨の洗礼で重くなった服が、今にもつぶれてしまいそうな心に「これでもか」とばかりにのしかかる。俺はせせら笑うようにぼんやりと浮かんだ三日月をただただ睨み続けていた。
◇別のとある場面――
大学生活が始まり、早くも半年が過ぎようとしていた。
午前の講義が休講となり、夕方のバイトが始まる時間まで結構な空き時間ができたので、俺は久しぶりに石膏室へと足を向けた。入学式の後、初めてその巨大な空間に入った時は、所狭しと並ぶ「巨大なモチーフ」達に圧倒され、武者震いのような感動を覚えたというのに、忙しさにかまけて今日まで一度もそれらと対峙し「描写する」という事ができていなかった。
俺は小さく高鳴る鼓動に胸を躍らせながら、カルトンバックを小脇に部屋のドアをくぐる…
向かい合うガッタメーラとコッレオーニの騎馬像
教科書にも出てくるメディチ家の霊廟
ミケランジェロのモーゼ像…
〝図鑑の中でしかお目見えできないような貴重な石膏像たち〟が整然と鎮座するその異空間は、いつ来ても独特な凛とした空気を漂わせている。
「あれ?……人が居る」
見慣れた景色の中に小さく動くシルエットを発見した俺は少し驚く。大概は無人でひっそりと静まり返っているその部屋に珍しく人が居て、独り黙々とデッサンをしているのだ。
「こんにちは……ご一緒してもいいですか?」
「ああ、どうぞどうぞ。全然かまいませんよ」
俺は彼の斜め後ろに陣取り、悠然と馬にまたがるガッタメーラの姿を白い画面に描き写し始める。しばし、木炭と紙がこすれる微かな音だけが見えない妖精の羽音のようにその巨大な空間を浮遊する…
「じゃあ僕、そろそろ失礼しますね」
振り向くと、先に来ていた男がまだ序盤と思われる状態のデッサンを片付け始めている。俺は思い切って、この場所を訪れる度に感じていた疑問を彼に投げかけた。
「あの……こんなにすごい像が山ほどあるのに、なんで誰もここにデッサンしに来ないんですかね?」
はにかむように少し口元を歪ませ彼は答えた。
「ここに来るまでに山ほどやって来てるからじゃないですかね。デッサンは……今更イヤなんでしょ。みんな」
「なるほど……じゃぁ…」
あなたは?と言いかけた俺の口を封じるようにすぐさま彼は言葉を付け足した。
「あぁ、僕は何となく気晴らしに来てみただけなんで」
◇場面切り替わり…――
〝現代アートを考える〟という内容の授業があった。
ある小発表の場で、俺の横に座っていた奴が大きなビン一杯に詰めたビー玉を突然床にばら撒いて
「以上です」
と言った。
それが彼の表現であり「作品」だというのだ。
教授は「なるほど」とうなづき、彼に作品の意図を説明させる前に、受け取り側の我々に対して「何を感じたか?」を問うてくる。
――これは禅問答か何かか?――
皆順々に、よくわからない難しい表現をこねくり回し、自分の気持ちを無理やり言語化していくという不可解な時間が只粛々と過ぎていく…
自分の順になった俺は「何も感じない」と正直な気持ちを打ち出すが、「そこから何かを見出してみよう」という始末で、自分には到底理解できないし、理解したくもない、でも単位は取らねばならない、という理不尽な自己矛盾に陥る。
最終的には単位取得の為に各自作品を制作する訳だが、ちょうど工事中で下フロアが覗ける40~50センチ位の穴が部屋の角に空いている空間を発見した俺は、近くの水道からその真上まで長いホースで水を引き〝糸ほどの少量の水を天井から下フロアに通し、下フロアのタライでそれを受ける〟という仕組みをつくった。
『〝一見ヒモに見えるが、近付くと個体ですらない〟という現象を体感できる装置を作る事で、人の認識の曖昧さを表現しました』
と、それっぽい適当なことを言って制作発表を凌ぐ俺に対し、教授は答える。
「なるほど。これはすごい」
◇さらに別場面…――
ヴイィン!…ヴィン!ヴィン!……ヴヴヴヴ……」
剥離作業が終わった床に洗剤を巻き終え、本格的に磨きに入るというタイミングで、ポリッシャーの回転が急に止まってしまった。
「おいおい~、どっかぶつけたりしてないだろうな~?」
機械が発した気味悪い断末魔の声に異変を感じ、作業主任がすっとんできて渋い顔で問い正す。
「いえ、始める前にいきなり止まってしまいまして……」
「たのむよ~。お前今日2時あがりなんだろ?……学校の講義かなんか知らんけどさ、終わんね~ぞ2時に、その調子じゃ……機材庫行って早く取り替えてきて!」
「すいません。すぐ替えてきます」
俺は急いでポリッシャーに設置した回転盤を外し、コードを肩に巻き取ると、重い本体を器用に転がしながら作業用エレベーターに走りこむ。
◇場面切り替わり――
「去年日数不足で落としちゃったんですが、そもそも事情があってギリギリの日数ででしか出れそうになくて……どうにかならないでしょうか?」
俺は、すがるように体育講師に嘆願する。
「君、次の1年でこれ取れなきゃ留年になっちゃうしね~……でも出席日数だけはキッチリ満たしてもらわないとさぁ~……あ、そうだ!音校の授業の時にも出ちゃうってのはどう?僕が受け持ってる授業なら、何科のどの授業でも構わないから、君の空き時間で体育やってる時になんでも出ちゃいなよ。女子のでもイイよ」
「え?……女子のでもって……さすがに女子授業は……」
「そりゃ、アレだよ。そん時は端っこで君だけ違う事させるよ。……とにかく、サッカーでもバスケでもテニスでも……なんでも良いよ。この際」
「はぁ……」
◇場面切り替わり――
10月に入り、少し肌寒さを感じる陽気になってはきたが、外ではまだ鈴虫がしぶとく鳴いている。俺は長いことお目見えしていなかった高校時代に買った油絵セット一式が入った木製の小さな箱を引っ張り出し、その蓋を開けた。
久しぶりに絵筆を手に取った俺は、懐かしい面持ちで目の前の黒いカンヴァスに対峙する。
外では、鈴虫たちが一段と声を高めて最後の合唱を繰り広げている。
「?」
俺は急に、室温とは全く関係のない異質な寒気を覚え動きを止めた。
目の高さまで持ち上げた筆はカンバスに接する少し手前で完全静止している。
鈴虫の声が突然止まった。
俺の額に、一筋の冷たい汗が流れた。
※※※※※※※※
「池矢さん………池矢さん、大丈夫ですか?」
右手の傷に視線をやった姿勢のまま昔の記憶にふけっていた俺は、氏家の言葉で我に返った。
「おっと、すいません。……昔の事を思い出したら色々考えてしまいまして…」
思えば最初から何か強烈な力が自分の進学を阻んでいたよな。と、半分過去に置いてきたままの頭が俺自身に訴えかける。
大学の入学書類に最後の判を押してくれたのは全く想像もつかなかった赤の他人、池袋の借家の大家さんであった。「ウチの子供たちの面倒をよく見てくれていたから」という理由からだった。大学4年の時までに膨らんだ学生ローンを払い切れたのも、俺が過去に展覧会に出した作品を赤の他人が購入してくれたからだった。
進級制作を乗り切れたのは浪人時代に描いたストックを下描きに利用できたからだったし、4年になって卒業可能な量の単位がギリギリ揃ったのも「金もないから就職するしか道がない」との理由で何人かの教授を拝み倒せたからだった。
何もかもが正攻法ではなかった。
いつ大学を辞めても良いような状況が、常に影のように付きまとった。
だがよくよく考えてみれば、そんなにまでして手にした〝芸大卒業生〟というレッテルを中身の無い薄っぺらなものにしてしまったのは、誰でもない自分自身であった。
「随分考え込まれてる様子だったんで、声かけませんでしたが……お水でももらいましょうか?」
「いえ…大丈夫ですホントに。……酒の量自体はそこまでいってないんで」
そう言って俺は一度、背筋をこれ見よがしにピンと伸ばしてみせる。氏家の顔にホッとした安堵の色が戻る。
「ゴホン!…ところで…………えーと、どこまでお話ししましたっけ?」
気持ちを切り替えて俺は氏家の顔を直視し直す。氏家は小さく吹き出し、俺に状況を解説する。
「大学時代は必修科目の授業以外の単位は『0』で、ろくすっぽ絵も描かず、そのままデザイン会社に就職しちゃったって所までです」
「あ~、そうでした。……そこで急に学生時代の思い出がフラッシュバックしてしまったんだ…」
「すぐ辞めちゃったって前置きでしたけど、それなりの会社だったんですよね?その会社……折角入ったのにまたどうして??」
「毎日毎日パソコンと向き合って、絵とは関係ない入力作業ばかりやってましたんで……嫌んなっちゃったんでしょうねきっと。〝本格的なデザイン作業はもう少しスキルが上がってから〟っていう理屈はわかるんですが、広告や社内資料のレイアウトデザインみたいな事ばかりの日々でしたから…」
「で、すぐ辞めてしまわれたと」
「はい。半年くらいで辞めちゃいました。……あとは何と言いますか、まさに転がる石のように生活が乱れていって、飲み屋の知り合いに『彫り師』を紹介されたのがきっかけで、気が付いたらこっちの道に入ってたって訳です」
「それは随分とまた……しかし、なんでまた『彫り師』なんかに……いや、失礼。別に彫り師という職業にケチをつけてる訳ではなくて、……どうにも話が飲み込めないんです。そのまま彫り師を続けられているって状況が…」
氏家は少し釈然としない様子で、持っていたグラスを意味なくテーブルの上で左右に動かす素振りを繰り返した。
「私が彫り師さんを紹介された時は、確か26とか27とかで、1年ほど勉強して開業しましたから……もうかれこれ12~3年ですねこの仕事は。……確かに長くやりすぎたかな」
「12、3年……」
二人の間に再びの黙の時間が流れる。
氏家はカクテルグラスに残った少量の酒を一気に喉奥に流し込むと、堪りかねた様子で口を開いた。
「絵は?……油絵はどうしたんです?……なんで油絵やらないんですか!?」
「それは……」
氏家の勢いに気圧され、今度は俺が言葉を詰まらせる。
「おかしいじゃないですか!?……だって、描きたい絵が描けないから会社を辞めたんですよね?それなのにいつの間にか気が変わっちゃったって話ですか!?………納得いきませんね私は」
「………」
「そんなに懸命に追っていた夢をそんなに簡単に諦められるもんなんですか?……池矢さんがしてきた事って、」
「簡単な訳ないでしょ……」
「え?………」
俺の小さな言葉を聞き逃さなかった氏家は、乗り出していた身を元に戻し、静かに俺の次の言葉を待つ。
「簡単な訳ないじゃないですか」
(つづく)
◆あとがき◆
思いのほか長くなってしまった池矢の章も残すところあと一話となります。
昨年末のごたごたも何とか片付き、また集中して執筆できる環境に戻りましたので、次話は今日明日中になんとかUPします!
お楽しみに!(^v^)




