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発狂  作者: 羽夢屋敷
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第二十七話: 池矢 創  ⑪

◆まえがき◆


受験を直前に右手が使えなくなった池矢…

怪我の診断結果は惨憺たるものでした。


「池矢の章、第十一話」お楽しみください。



  挿絵(By みてみん)




      ********


 ※※※※※※※※



 1987年 1月6日。



親指付け根:5針

人差指中指間:7針

中指薬指間:3針

薬指小指間:2針

計:17針…


「縫合された傷」というよりも、無惨にえぐれてカリフラワー状に飛び出した肉を強引に寄せ集め、「無理やり縫い付けた」と言った方が相応しい醜い傷跡であった。それはパッと見、傷と言うより拳に黒い紐で強引に括り付けられた「ホルモン」のようにも見えた。

 医者の見立ては『全治1月半』。

「神経は切れてないから動きは改善するはずだが、これだけ無茶苦茶に肉が断裂していると、多少の後遺症は出るかもしれない」との説明だった。


 怪我をした当日から既に2週間は経過していたが、何もしなくとも万力で締め付けられている様な鈍痛は緩む気配をみせず、間違えて指を動かそうものなら、拳に刺さった釘を金槌で叩かれる様な痛みが肩口から脳天の方まで響く様な状態であった。

 バイト先には怪我の状況を伝え、傷の回復まで長期休みを取る事で合意を得てはいたものの、この時点でデッサンの実技試験までに残された期間は一ヶ月と少し……。仮に予定通り受験したとしても、抜糸をして、リハビリをして、まともに動かせない手で試験に挑む羽目になる事は簡単に予想がついた。つまり、その年の芸大再受験が〝絶望的〟である事は誰の目から見ても明らかであった。

「まさかこんな形で終わる羽目になるとはな……」

 俺は、包帯でぐるぐる巻きに固定された右手を見つめて溜息をついた。正直なところ、右手をこんな風にしてしまった自分に対しての怒りとか後悔の念は不思議と起きなかった。残ったのは、ぼんやりとした虚無感と『何をやった所で所詮無駄だ』という無力感だけだった。〝心が折れる〟というのは、感情が砕け散ってしまう様な痛々しい状態を指すものだとばかり思っていたが、実はこういう全く力の入らない「真っ白な状態」になってしまう事なんだな。と妙に納得したりする。


「シュー」というお湯が吹きこぼれる音で俺ははっとし、台所に小走りする。

 インスタントコーヒーの瓶を膝で挟み、左手でフタを捻るが間違えて反対向きに力を入れて逆に閉めてしまい、その勢いで瓶を床に落としてしまう。毎度の事だから苛立ち自体は減りもするが、ため息だけは地層の様に重なって行く。

 今まで左右の手で行ってきた事を左手だけでやるというのは殊のほか難しい事であった。衣服の脱着、食事、掃除、洗濯…日常あたり前のようにこなしていた一連の作業の難易度が突然上がり、痛みと凡ミスに悩まされる悪戦苦闘の日々が続いていた。


 ――いつもより多めに回しております~――

 毎年お馴染みの正月を祝う芸人たちの馬鹿騒ぎがTVから流れてくる。普段は全く興味の無いそういう番組も、『何も考えたくない時』にぼーっと眺めている分には丁度良い気がしてくるから面白い。

 画面がどうでもいい郷土料理の紹介になったタイミングで、俺は今朝方郵便受けからまとめて取り出してきた一週間分の郵便物を確認する。もっとも、アパートの住所は知り合いにも殆ど知られていないから、出てくるのは近所のスーパーのチラシや、色々な便利屋の営業チラシ、良くわからない宗教のあっせん広告等々、そんな紙屑のような物ばかりだ。


「あれ?」


 チラシの束の中にちゃんとした郵便物が入っているのを見付け手が止まる。そこには大きな角ばった字で、確かにここの住所と俺の名前が書いてあった。


「誰からだ?………峰本セツ子……セッちゃんだ!」

 反射的に使えない右手で封を切ろうとして右上腕に電流が走る。慣れっこだ。

 気を取り戻して封筒を慎重に右手首で机に押さえつけ、左手でゆっくりと封を切る。



===


創へ


 あけましておめでとうございます。

 ずいぶん寒くなってきましたがお元気ですか。

 私はあい変わらずです。


 もうすぐ大学のしけんですね。

 調子はいかがですか。


 てんらん会に出すと言ってた絵のシュウサクがこちらに置いたままですが、

 大きい絵をかくときに必要じゃないかと気になってお手紙だしました。


 もし必要なら送りますかられんらくください。

 てんらん会も見に行きたいから絵を出したられんらくください。

 東京はこわいですが、見に行きたいです。


 春のしけんがんばってください。

 いつでも群馬においで。



         セツ子


===



  それまでどうでも良かった感情のどこかにいきなり火がついたような感覚に襲われ、思わず涙が溢れた。


 ――おれは……――


 手紙を読み返しながら想い返すのは、群馬の風景の事ではなく、いつもどこかに拭き残した泥汚れを付けていたセッちゃんの皺くちゃの笑顔だった。





 気が付くといつの間にか夕方になっていた。

 机の上に広げたセッちゃんの手紙の前で身動きが取れずにいた俺は、ようやく重い腰を上げ、TVが垂れ流すどんちゃん騒ぎをオフにする。


 俺は工具入れからガムテープを取り出し、一本の筆を右手の甲側に括り付けた。



 


 (つづく)











◆あとがき◆


セッちゃんからの手紙に心を動かされ、発作的に筆を手にした池矢。

果たしてこの状態で作画は可能なのか???


今回、区切りの問題で少量UPとなりましたが、この後の部分もかき進めていますので、次回は日曜中にUPできると思います(つまり明日)。


宜しくお願いします!(^v^)


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