第二十話: 池矢 創 ④
◆まえがき◆
時代は1986年。
大学受験に失敗し、〝山籠もり〟という奇策で感覚を磨き、東京に戻った池矢。
金策に奔走する彼の前に現れた旧友により、事態は急展開していきます。
では、池矢の章「第四話」
お楽しみください!
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近田とは、住んでいた家が近所だった事もあり一年生の頃からよく遊んでいたのだが、休み癖のあるちょっと変わった「てて無し子」だった。そんな彼と俺の仲が深まったのにはそれなりの理由があった。
ある年の父兄参観日の前日、近田が
「ウチのお父さんはベッドから落ちて死んじゃったんだけど生きててもヤクザだったから、どっちにしても参観日には来ないね」
と、突然の告白をしてきたのだ。
彼の話を聞いた俺はその瞬間に彼を〝同類〟とみなし、堰を切ったように自分の家庭の事を話して聞かせた。そしてその儀式をもって、我々は名実ともに「盟友」となったのである。
ただ、俺と彼の環境とでは一点だけ決定的に違っていた部分があった。それは、俺の母が〝本妻〟だったのに対し彼の母が〝愛人〟であった点だ。
本妻の子では無い子。一般人の世界でも環境的な格差を生むのは当然ではあるが、こと〝ヤクザの世界〟でのそれはとてつもない不幸を意味する。そういう子供たちには当たり前のように容赦ない熾烈な試練が押し付けられるのである。
子供時代の近田もまたその過酷な運命に流され、中学途中で学校を退学せざるをえない状況に追いやられてしまう。当時子供だった俺ができる事といえば、しょっちゅうどこかしらに青アザを作っては自分の母親が連れてくる男を罵っていた彼の言葉に耳を傾けてやる事くらいであった。
そして、俺自身に黒い運命がのしかかり、自分の尻の火を消すので手一杯になりだした高校時代、気付けば彼は人知れず自分の家を出てしまっていた…
そんな過酷な子供時代でピタッと止まっていた二人の時間が、思わぬ再開で再び動き出したのだ。それはまるで戦死を免れた戦友の出会いにも似ていた。
「いや~それにしても久しぶりだよね~。元気だった?」
近田は満面の笑みを浮かべ、嬉しげに口調を高める。
「元気元気。……いや、元気は元気だけど、今浪人中でさ。……バイト漬けの毎日。今日もさっき迄バイトしてたよ」
「マジですか。いや~、そりゃ大変だねー。……あ、俺は今サラリーマン。一応ちゃんとした仕事に就けてさ。今はれっきとした一般人やってるよ」
近田は少し照れくさそうにニヤニヤと意味深な笑いを浮かべた。
「ああ!バイト終わったんならどう?一杯付き合わない?…もちろん俺のおごりでさ」
懐かしさで気持ちが完全にハイになった俺たち二人は、当然の様に新宿の駅を逆戻りし、飲み屋街の人ごみの中へと歩みを進めた。
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「すごいじゃん!化粧品会社で働いてるんだ。……大きいの?会社?」
「会社自体は小さいんだ。化粧品の開発会社なんだよ。まぁ、会社って言っても社員は3人だけでさ。……社長がやり手で能力高いから回ってるような会社」
「3人!……会社って3人でできるんだ」
「役割分担きっちりすれば3人でも十分回せるよ。……ああ、俺は開発なんかできないから営業担当。社長が開発した商品を宣伝して売る専門ね。…あと、事務の女の子が居て、細かな数字の管理なんかは全部その子が1人でやってんの」
「ふ~ん。……スーツも決まってるし……なんかスゴイよね。ホントに」
「まあね。中卒でこの歳でも手取り20万以上もらえてるし、上出来かな~。……あ、知ってた?化粧品ってウン万の高級品でも原価は数十円なんだよ。だから売れちゃえば儲かるんだよね~。笑っちゃうくらい」
「うっわ!そんなに利益率イイんだ。化粧品って…」
互いの近況報告を聞いているだけでも楽しい、という良き時間がまったりと過ぎていく。久しぶりという事もあるが、それ以上に「とても他人には言えない生い立ち」を分かり合っている相手と話ができている事自体が、我々にとって幸運で喜ばしい事だったのだ。
そして、いつしか話のテーマは俺の悲惨な金銭事情に関するそれになっていった。俺の話を聞いていた近田が、突然真顔でこう切り出した。
「あのさ。……もしよかったらウチの社長紹介しようか?……金持ちの知り合い大勢知ってそうだから、誰か絵を買ってくれるかもよ」
「え?………いや、逆に迷惑かけない?……しょーちゃんにさ」
「大丈夫、大丈夫。社長とは長いし、普通に飲みに行ってるような仲だから。…そっちは平日はいつもバイト?」
「平日は基本夜の仕事だから、日中だったらほぼほぼ平気だけど…」
「わかった!じゃぁ、折りを見て社長に話してみるわ」
楽しい時間はあっという間に過ぎる。
12時近くまで飲んだ二人は、互いにまだ飲み足りないという顔で店を出たが、次の日、早朝から仕事に出る俺を近田が気遣い、会は終電前にお開きとなった。
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高校時代から毎朝続けていた新宿西口ビルの清掃は朝6時半から始まる。作業時間はそこから8時半迄と短く、俗に言う「短時間高時給」のバイトであった。だが、時給が高いにはそれなりの理由がある。
その現場の早朝清掃は朝が早いのはもとより、作業のラスト30分は雨が降ろうが槍が降ろうが担当ビルの一ブロックの外周をキレイにする『外周り清掃』が必須作業としてセットで付いていた。
当時の新宿は今の数倍治安が悪く、それに輪をかけて日常的に街にゴミの臭いが漂う、色々な意味で〝非常に汚い〟街であった。歩行者の歩きタバコはあたり前、吸殻のポイ捨てはもちろん、歩きながら飲み食いした物の残骸のポイ捨てもあたり前。道の側溝へかけてゴミが溜まり放題で、それらがあちこちで異臭を発していたものだからどこへいっても独特の生臭さが鼻をついた。
ビル周りの側溝も例外ではなく、深夜の酔っ払い連中の汚物や、ペットが置いていく落し物など想定外の物が散乱する日もちらほらあり、これらを毎日キレイに片付けるのは精神的にも辛い作業であった。
7月末に群馬から帰った後、俺はこの清掃バイトを再開すると同時に、同じ新宿の歌舞伎町方面にある喫茶店で新たに働くようになった。
その店は新宿では珍しい24時間営業の純喫茶で、場所柄、深夜の客層はいかがわしかったものの、それなりの手当がちゃんとつく事もあり即決したバイトだった。俺はこの店で平日の4日間、夜の11時から朝の6時まで働いていた。
明け方に決まってやってくるホスト連中やゲイバーの従業員たちにからかわれつつ、直立姿勢で高位置からコーヒーとミルクを注いでカフェオレを作ったりするのはそれなりに奇妙で楽しかったが、ダブルワークを始めた初期の頃は、次の現場の清掃作業の事を考えるだけで憂鬱だった。
喫茶店の仕事を終えると10分程度で身支度し、急いで近くの牛丼屋に駆け込んで5分ほどで朝食を一気にかきこむ。メシを食い終わったらすぐに西口方面に小走りし、現場のビルに駆け込む。一連の清掃作業を終えてアパートに帰りつくのは朝10時くらいだ。そこから家の事を少しやり、寝る前に軽く体を拭いて昼過ぎにようやく布団に入る…平日はそんな風に過ごした。
土日は土日でやはり働いた。当時は、新大久保と高田馬場の丁度真ん中辺りにある公園に、毎朝6時頃になると日雇い人夫に仕事を斡旋する「手配師」達が来ていたから、仕事にありつく為に毎日20~30人の人夫が集まっていた。週末はその集団に加わり、トラックに積まれて様々な場所で言われるがままに肉体労働をした。
当時の国立の入学費用は18万円。授業料は年間30万円ほどであったから、何としても来年の受験までに最低30万近くは貯めておきたかった。そんな理由もあり、結構な時間を労働に充てていたつもりだったが、なんせ当時は時給5~600円の時代、思うように金は貯まらなかった。
「この間近田と飲んだ時は〝から元気〟見せちゃったけど……これじゃ試験前準備をする時間すら取れなさそうだな……」
金の事を考えるだけで頭が痛む日々が続いていた。
そんなある日の昼時、布団に入ってうとうととまどろみかけていた俺は滅多にかかってこないアパートの電話のけたたましい音で叩き起こされた。
「……もしもーし……どちら様ですか?」
「もしもし、ソウくん?……オレ…近田だけど」
電話の相手は、最近偶然の再開を果たし、何かと思い出す機会が増えていた近田であった。
(つづく)
◆あとがき◆
次回UPは金曜深夜を予定しています。(明日じゃん!…(汗))
土・日だけではなく、平日も頑張って年内完成を目指すぞ~!




