表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
発狂  作者: 羽夢屋敷
16/44

第十六話: えんじぇる

◆まえがき◆


前回のお話で、物語の構成上とても大事な「氏家と男が自己紹介をしあう」部分が完全に抜けておりました。

こちら既に修正対応しましたので、お手数ですが今回のお話を読まれる前に前話の後半をもう一度読み直していただきたく存じます。。。

(ちゃんとした連載なら完全にアウト級のミス……大変申し訳ございませんでした)


そして、話はここからいよいよ後半。

内容も急激に変化していきますので、皆さん頑張ってついてきてくださいね!


 挿絵(By みてみん)






   四・  えんじぇる





 僕には母が3人居る。

 僕を産んでくれた母と育ててくれた母が2人。それで3人ということ。

 実母である産みの母について僕は何も知らない。聞き知った話によれば、なんでものっぴきならない事情があって僕を生んですぐに家を出て行ってしまったらしい。

 だから、僕は結構大きくなるまで、物心ついたときにそばに居た〝2番目の母〟の事を本当の母親だとばかり思っていた。


 2番目の母は細身でいつも背筋がピンとしていて、外見はとても綺麗な人だったが滅多に笑わない人だった。

 正確に言えば、よその人と話をする時は普通に笑っている事もあったのだが、僕と二人きりの時はなぜかいつも刺すような鋭い視線で僕を見ていた。だから「笑わない人」と思っているのは、ひょっとしたら僕だけかもしれない。

 母が僕の事をじっと凝視している時は、何だか悪い事でもしているような気分になってとても怖かった。実際、色々と怖い事を言われていたような記憶もあるにはあるが、内容は覚えていない。たぶん、怖すぎて忘れてしまったのだと思う。


 ただ、鮮明に覚えている事もある。それは、よく手足を縛られて押入れの中に入れられていた事。真っ暗になるのが嫌だったから、そういう時は足先で慎重に引き戸を数ミリ動かして、こっそり隙間をつくった。そうすると、室内の僅かな明かりが中に呼び込まれて、押入れの内側がどうなっているかがぼんやりと確認できたから。

 僕はその状態で、ただただ母の機嫌が収まるのを待った。わずかな光に照らされた押し入れの内側の壁に付いた〝黒ずんだシミの形〟がハッキリと記憶に焼き付いていて今だに忘れられない。


 ある日、本当に唐突に2番目の母は、


「お前なんか居なければよかったのにねぇ…」


 という言葉を残し、最初の母と同じように僕の前から消えてしまった。

 幼稚園にあがるかあがらないかの頃の出来事だった。

 僕が一番初めに〝えんじぇる〟に出会ったのは、母が消えてから、一ケ月も経たないある夏の日の事だった。


 

      ********


「へんなのーー!へんなのがとんでるーーー!」

「あ、チョウチョさん。まるで天使さんみたいねぇ。」

小さいころ大人と一緒にどこかを散歩していた時、初めて〝蝶〟を見た。

「angel!…ホント。エンジェルネ!」

 当時よく家を訪れていた外国人のおばちゃんが言った「angel」という言葉の方になぜか反応した僕は、それからというものそのひらひらした奇妙な生き物を見る度に『えんじぇー』『えんじぇー』と言って喜んでいたらしい。

「〝えんじぇる〟じゃなくて〝ちょうちょ〟だからね!」

 大人から諭され、それが「angel」ではないという事を理解するまでそう時間はかからなかった。でも蝶に遭遇すると、どうしても〝えんじぇる〟という音声の方が先に頭の中に浮かんでしまう。それは中学生になった今でも変わっていない。


 僕にとって〝えんじぇる〟という言葉はそういう言葉であったから、初めてアイツを見たときに、自然にこの名前をつけた。

 大きなカラスアゲハのような黒いモヤ。気味悪くひらひらと羽ばたきながら宙に浮かんでいる霧状の何か。その姿はとてもこの世のものとは思えなかったけど、奴の事を〝えんじぇる〟と命名したのは、我ながら良いアイデアだったと思う。

 つまり〝えんじぇる〟は〝蝶〟でも〝天使〟でもなく、僕にとってそれは何の前触れもなく突然目の前に現れては消える〝不気味な黒いモヤ〟の事を指す言葉となった。


 えんじぇるの姿を初めて目にしたのは、僕が幼稚園の年中組に入るちょっと前に起こした〝牛乳事件〟の時の事だから、たぶん4才位の時の出来事だ。

 母が家を出て行ってしまった後、僕ら(「父と僕」ではなく、母が家を出て行った頃から頻繁に家に出入りするようになっていた見知らぬ娘と親戚と称する人たち)は、地元池袋を離れて、埼玉の「鶴瀬」という場所に移り住み、僕はそこで幼稚園時代を過ごした。


 引っ越す前は昔風の一階建ての大きな平屋に住んでいた。

僕は、日中はたいてい部屋の中で絵を描いてすごした。外へ出たとしても、家の周り一面が木板で囲ってあったものだから自然と部屋遊びが多かったのだ。でも、庭で「タロウ」という秋田犬を飼っていたからそいつとは良く遊んだ。庭で遊ぶときは、一人で使っても全くつまらない4人乗りの円形ブランコに、いろんなポーズで乗っかってはそれを揺らしたり、鳩小屋を眺めたり、虫を弄ったりして過ごしていた。たまに手が空いている若い衆に連れられて散歩に出る事もあったけど、自分の意志でその塀の外に出ることは禁止されていたから、外が気になる時はあちこちにできた木板の隙間から目を凝らし、あれこれ想像して我慢していた。


 鶴瀬の新居は田んぼに囲まれたのどかな場所に建つ小さなマンションだった。

引っ越す時に若い衆たちは平屋に残ったので、いきなりこじんまりした状態になったけど、家の周りの囲いがなくなったので、僕はこの新居でしばらくは「大人の目を気にせず家の近辺を探索する」という小さな自由を満喫していた。そんな時に起きた事件が〝牛乳事件〟だ。




 セミの声が一段とうるさかったあの日。


 いつものように外の世界を探索中、僕は隣の家の玄関先にあった牛乳受けの周りに置きっぱなしにされた5~6本の牛乳を発見した。よくよく見ると、数本は中身が薄い緑色に変色しており、一つはふたが開いてハエがたかっている。そう言えばつい最近、自分の家の大人達と隣りの人が「夏休みは家族で田舎に戻るからどうのこうの」というような話をしていた。だから、その牛乳が〝何かの間違いでおきっ放しになっていたもの〟だった事はすぐ想像がついた。そしてその牛乳を見ていたら、急に、自分が昔、古い生菓子を食べて『食あたり』を起こした時の嫌な記憶が蘇った。


「おなかをこわして死んじゃったらどうするの!」


 その時は丸一日下痢で苦しみ、母にこっぴどく叱られたのだが、叱られた事は別にどうでもよくて、むしろ母が言った『死ぬ』と言う言葉に大変な驚きを感じた。


 〝死〟がどういうことなのかは、飼っていた金魚や鳩がたまに死んでしまうのを見たり、虫を潰して殺したりしていたから良くわかっていた。でも、それは完全に自分とは無関係な事であって、まさか〝自分も死ぬ事がある〟とは夢にも思っていなかったものだから『古いものを食べたら死ぬ』という母の話は、大変ショッキングで恐ろしい話だったのだ。それと同時に、日頃は自分に向かって「お前なんか居なかったら良かった」とか「生まれてきてかわいそう」とか言っている母が、自分が死ぬ事に対してどうしてそんな風に怒るのか?と、不思議に思ったりもした。

 そして…


 〝死〟の事を考えていたら、僕の手は自然に目の前の牛乳をつかんでいた。

 鼻が曲がるほど臭かったけど、僕はそれを一気に口の中に流し込んだ。口の中にどろっとした気持ち悪い感触が広がって吐きそうになった。それでも僕は2口目、3口目とそれを飲み続けるのを止めなかった。

 自分の顔の周りをブンブンと嫌な音が飛び回っていた。口の中に何かが動いている感じもした。でも、そんな事はお構いなしに僕は2本目の牛乳に手を伸ばした。


『僕が悪い子だったからお母さんは居なくなってしまったんだ』


 同じ言葉が何回も何回も頭の中を駆けめぐった。

 僕は頭が変になったったみたいに牛乳を飲み続けた。

 気を失って倒れるまでそれは続いた。



      ********


 目覚めた時は家の布団の中だった。お腹がひどく痛み、頭の中をガンガンと叩かれているような衝撃が響いていた。


「おっ、目が覚めたね。…しかし、何てことしたもんだよ。全く…」

 枕元に白衣を着た見知らぬおじさんがちょこんと正座をして苦笑いしている。


「本当にこの子ったら、こんなに大勢の大人を困らせて…」

 声の方に目をやると、親戚の人たちがホッとしたような顔付きで周りを囲んでいた。


「熱が高いうちは安静にさせてくださいよ。…それと、しばらくは外出禁止で」

 お医者さんはそう言いながら、かばんに荷物をしまって部屋から出て行った。

 周りの大人たちは、一安心という顔をして笑顔で何か話をしている。

 体を起こそうとしたけれど力が全然入らず、それはできなかった。お尻の筋肉が緩んでいるのか、お尻の穴から何かがゆるゆる流れ出ている気持ち悪い感触がする。

 僕は自分の体の状態をうまく言葉にできず、すごく不安になる。心臓がドクンドクンと速


 ―― 苦しい ――

 ―― 助けて ――

 ―― 誰か助けて ――


 その時、どこからともなく大きな黒いものがひらひらと飛んできて、僕の目の前でピタッと静止した。

「それ」は蝶のような形をしているが、実体はなかった。強いて言うなら〝小さなチリのような細かな黒い粒たち〟が空中で「集まったり離れたり」しながら意思を伝え合っているような固まり。〝生きている黒い霧〝とでも呼ぶのがピッタリくるモノであった。

 そいつは何かをこちらに訴えるようにそこに留まり、ゆらゆらと揺らめいている。


「アレなに?……なんか……変なのがいる」


 僕はもうろうとする意識の中、大人達に事態を知らせるべく言葉をふりしぼった。

 大人たちは驚いてすぐさま僕の近くに駆け寄ってくる。


 「どうした?まーちゃん?……大丈夫か!?」

 「まーちゃん、なに?……何か見えるの!?」


 えんじぇるのすぐ真横で、大人たちはおろおろと慌てふためいている。


 ―― 見えてない? ――


 どうやら〝えんじぇるは〟大人たちには全く見えていない様子だった。


「そこ!……目の前に浮かんでる!」

 僕が凝視するその空間をかき回すように一人の大人が掃ってみせた。すると不思議な事にえんじぇるはかき消されるようにすぅーーっと消えていった。

「浮かんでるって……何もないよ。まーちゃん」

 えんじぇるを消した張本人は、少しひきつった笑いでその空間をじっとみつめている。

「……消えちゃったよ。もう」

 僕の言葉に、大人たちは顔を見合わせて笑う。


「寝ぼけてたんじゃないか」

「きっと、悪い夢でも見ていたんだよ…」



      ********


 これが牛乳事件の一部始終で、僕と〝えんじぇる〟との初めての出会いの話だ。 

〝牛乳事件〟というと何だか他人事のように聞こえるが、僕からしてみれば初めての〝自殺未遂〟だった訳で、実はとても深刻で、思い出深い出来事だったのだ。大人たちは僕のそんな気持などお構いなしに、

「おっちょこちょいすぎだ」

 とか

「ひょうきんな子だね」

 とか言いながら事あるごとにこの事件を掘り起こし、笑い話しのタネにしていた。〝牛乳事件〟という呼び方は、僕の気持ちとは裏腹に大人たちがこの騒動に勝手に名付けた「事件名」だ。全くもって不謹慎な話だが、本人らがその実態をまるで理解していないのだから、これはこれで仕方ない事なのだろう。


 気の毒なのは、当時の僕はなにせ4歳だったから、そんな話題になってしまった時は彼らに合わせて一生懸命笑顔をつくる事しかできなかった事だ。

 今だったら少しは抵抗して、嫌味の一つくらいは言えるだろうが、正直もうどうでもよい話だ。



  ただの昔話だ。




         (つづく)

◆あとがき◆ 


実はこの小説『発狂』は、完成プロットに則り

「①頭」

「②前後半の分け目」

「③終盤」

の3パートを同時にかき進めるという手法で作業を進めています。

今回の部分は丁度②の描き出し部分にあたり、もともと完成形に近い原文があった為、早々にUPできた次第です。


次回は週末(4/27)にUP予定です!

お楽しみに。(^^)/!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ