第十五話: 氏家 仁 ⑬
◆まえがき◆
次回UPは1週間後と書いておきながら、ひと月以上間があいてしまい
大変申し訳ございませんでした…。
氏家の最後の挑戦の行方は果たしてどうなったのか?
今回のお話で全ての結末が明らかになります。
それでは第十五話、お楽しみください!
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「氏家さん……そろそろぽん酒、いきますか?」
店主の言葉に、目の前の空になったグラスに焦点が合う。
テレビ横の時計の長針は、さっき確認した時からまだ半周もしていない。
「う~ん、どうしようかな。今日は日本酒って気分じゃないんだよね~」
「あらら…そんなにヒドかったんですか?展覧会の方」
「まぁそれだけじゃないんだけどね……あ、酎ハイおかわりで」
テーブルの上で存在を忘れられかけ途方に暮れていたグラスに、生きの良い泡踊る液体がなみなみ注がれ、目の前に戻ってくる。
「今日はイイ鰺入ってますから、気が変わったら」
「うわ。そりゃ日本酒だね~。じゃぁこれ飲んでから考えるかな…」
――グラッ…グラグラッ――
「地震っ!」
突然、大きめの横揺れが小さな店内を襲う。
揺れは一瞬の通り雨のように、ほんの数秒で収まった。目をしばたたかせながらカウンターに身を乗り出した店主は、こちらに被害が無かった事を確認すると少し引き攣り気味に安堵の笑みを見せる。
「最近、多いですよね。地震……震災のせいで気をやるようになっただけかな…」
「いや、確かに多いよ。でも、うちらでもこんなに敏感になってる訳だし、被災者の人達はさぞかし気がきじゃないだろうね…」
TVの画面上に地震速報が流れる。震源地は千葉沖で震度は4との発表だ。
私は隣りの椅子に置いた荷物から滑り落ちた展覧会のパンフに手を伸ばす。床に落ちて開いたページの上で満面の笑みを浮かべるオカベの顏写真と目が合う。
『肝心のオリジナルでコケて自分の会社潰しちゃったんですよねぇ…』
ついさっき高見から言われたフレーズがオカベの声となって頭の中で木霊する。私は汚れを落とす仕草で、拾ったパンフを小突くように2~3回手の甲で叩き、それを椅子の上にもどした。
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2002年 春の終わり。
事務所の荷物整理が一通り終わり、短い間だったが世話になった建物に一礼してから我々は無言で帰路へ着いた。駅へ向かう途中、沈黙に耐えかね口を開いたのは私の方だった。
「今日このあと、川井さんの予定は?」
「明日、室内確認に不動産屋が事務所に来ることになってるんだけど、その前に一度顏出してくれって言われてるから、これからそっちの方に行くつもり……ああ、その後でよかったら飲み行こうか?」
「イイですね。じゃあ、どっかその辺で時間潰してるんで、そっちが済んだら連絡ください」
我々が全精力を投じて組み上げた夢の企画は、コイセ側からの『開発中止』の通告により幕を閉じた。私が最後のトライで用意した企画書は、当時考え得る全てのアイデアを詰め込み、隙を潰しきった魂の企画書であった。しかし、その企画書であってもやはりドコモ審査をパスする事はできなかった。揚句、同じ様な返答を繰り返すi-BOX社に対し、コイセ側もさすがに不信感を抱いたらしく、3回目の審査不合格通知のタイミングでこの〝疑惑の取り次ぎ会社〟はプロジェクトから外される事となった。
直後、同じ企画書を手にコイセの担当が直接ドコモと掛け合ってくれた様であったが、残念ながらそれでも結論は変わらなかった。既に3回も白旗を上げている企画である。しかも窓口の人間がそれまで何をどう語っていたのかもさっぱりわからないという状況だ。そこから全てをひっくり返すのは〝天下のコイセ〟の力をしても叶わぬ無理筋だったという事だろう。
同企画で4回のトライ失敗。コイセも我々も疲労困憊しきっていた。「これ以上の継続を断念する」という判断に至ったのは、致し方ない結末と言えた。
その後、コイセ社担当から入ってくる、小さな版権もののミニアプリを作りながら、何本か新たな新企画を提案もした。
・〝独自に会話が可能な小さなマスコット〟を携帯電話に直接取り付け、アプリ経由で会話を楽しむほどキャラクターが成長していく『ぺちゃる星人』
・映画「もののけ姫」のヒットでクローズアップされた〝もののけ〟に着眼し、当時ブームであった〝ネット占い〟とこれを絡め、占いをする事で妖怪を集め一流の妖怪使いを目指す、占い&妖怪対戦&妖怪コレクションゲーム『もののけ占い』
・ネット上に生息する魚の形に似たおしゃべり電波生物「うぎょ」を大勢の友達間で共同飼育するという、キャラクター飼育~教育ゲーム『うぎょ』…etc
どれも〝汚名挽回〟とばかりに必死に練り上げた企画ばかりであったが、これらが再びコイセの新商品プレゼンの壇上に登る事は無かった。それほどまでに「アイぽんず」の失敗は手痛く、コイセ側担当チームが負った傷も深かったのである。
我々が描いた未来のゲームワールドは残念ながら実現することは無く、夢のままに儚く消えてしまった。
たらればの話をしても仕方ないが、企画が瓦解する前にやりようはもっとあったはずだった。他アプリ設計に至ってはアイデアも枯れてはいなかった。だが、経験も浅い若い二人の踏ん張りは限界に達しており、消衰しきった我々には「一旦事務所をたたむ」という道しか既に見えなくなっていた。
駅前で川井と別れた私はあてもなく高円寺の商店街をブラブラと彷徨う。
何気なくポケットに入れた右手の指先に何かが触れた。
『有限会社アルカージュ』
取り出した紙片は、それまで事務所の郵便受けにはめ込んでいた社名プレートだった。撤退作業中にポケットにねじ込み、そのまま忘れてしまっていたのだ。
私は、道脇に積まれているゴミの山に向かいそれを放ろうとしたが、ふと気が変わり、それをポケットに戻した。
未だ明るさが残る夕暮れどきの商店街は行きかう人の声で溢れている。
つい最近までは声援のようにも聞こえた街のざわめき。それが今では自分を責め立てる嘲笑のようにも感じ、胸がつまる。私は無意識にギリリと奥歯を噛みしめ、込み上げてくる何かを必死に堪えていた…
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「しんちゃんゴメン。やっぱり今日はそろそろ会計かな……何か悪酔いしそうでさ。鯵、残念だけどパスね」
「いえいえ~気にしないでください。またイイの入れときますから」
会計を済ませながら時計に目をやる。時計の針は9時を回ったばかりだった。
「このあとドサッと団体とか来ないかね」
「いやぁ~この空模様だと確実に雨降りそうですしねー今日はむずかしいかな~…あ、傘!店の持ってって下さいよ。いっぱいあるから」
――ガラガラガラッ!――
「こんちは~!5人だけど入れますー?」
釣銭を受け取る私の真横で勢いよく引戸が開けられ、常連グループがわっと店内に飛び込んで来る。
「お、日本酒飲み諸君!全然余裕よ~!今日は良いアジも入ってからねっ!」
ニタッと目配せを送ってよこす店主に右親指で激励のサインを送り、私はそそくさと店外へ退出する。
「氏家さん!傘!」
「まだ大丈夫そう。途中で降っても駅近いしさ……じゃあまた!」
頭上で響くゴロゴロという鈍い音をよそに、私はゆっくりと駅方向に歩みを進めた。
だが歩き出して5分と経たない内に、その余裕綽々な態度は見事に消し飛ばされる。
――バザザザザザーーーーーッ!――
ゴロロッという不気味な低音を合図に、突然大粒の雨が凄まじい勢いで大地を襲う。
私は濡れ鼠になるのを辛うじて避け、近くの軒並みに付いた雨避けの下に緊急避難する。
「参ったな…駅のそばだってのに。……この雨じゃ傘があっても無駄だろ」
月光を遮断するかのように高速で暗雲たちが集まり、あからさまに荒天開始の合図を送っている。軒並みの間の狭い窪みで跳ね飛ぶ水滴に足元を侵食されながら、私は50センチほど突き出した雨避けの隙間からその奥を凝視する。
「こりゃあ、弱まる気配はないな……強行突破するか?」
2~3分考えた後、私は持っていた四角いバックを頭上に構え、小走りで雨避け伝いに進んでは小休止を繰り返しながら駅方面に歩みを進め始めた。もちろん、そんなに都合よく雨避けが駅まで続いている訳はなく、途中、小脇の路地を迂回しながらでもとりあえず進み、少しずつでも駅に近付ければという稚拙な算段だった。
「南無三……しくじった」
位置的にはあきらかに駅のすぐ近くまで来ているだろうと思われたが、暫く進むと雨避けになるエリアが全く見いだせない〝どん詰まり〟エリアに突き当たってしまう。
「ここまで来て戻りたかないし……さぁどうする?」
曇天を下方から覗き込みながら考えを巡らせるが、強烈な雨音に意識をかき乱され思考が定まらない。途方に暮れつつ視点を地上に戻したその時、ふと斜め前方に緑に光る見慣れない看板がある事に気付く。
「BAR CATSHIP……猫の舟??…………こんな店あったっけ?」
雨しぶきの中、うすぼんやりと光る小さな猫のシルエットが入った緑の看板。私は〝少しの雨宿り〟と自分に言い聞かせると、誘われるままにその看板の置かれた小さな雑居ビルの階段を登って行った。
人ひとりがやっと通れるほどの狭い階段を登ると、左側にアンティークな雰囲気の木製の扉が現れる。扉にはシンプルなゴシック文字で「CATSHIP」と書かれた10㎝程の幅の小さな札がかかっている。私は濡れた髪と肩に付いた水滴を払った後、縦長のドアハンドルをゆっくりと慎重に押し開いた。
扉を開けると最初に出迎えたのは背の高いポトスのような観葉植物だった。ポトスの左側に7~8人掛けのカウンター、右側の少し窪んだエリアにぽつんと4人掛けのテーブルが配置されたそのバーは、同じように雨宿りで飛び込んだのか上着を少し濡らした客がちらほら見受けられた。
「すいません。今カウンターがいっぱいになってしまっていて…」
細身の静かな雰囲気のマスターがこちらに気付き、丁寧な口調で告げる。
マスターの言葉が終わるか終らないかというタイミングで、右側から人の動く気配を感じそちらに目をやると、テーブルの奥に座っていた男がこちらに手招きし、自分の目の前の席をちょんちょんと人差し指で指し示している。どうやら「相席大丈夫」という意味あいのアクションらしい。私は念のためマスターに確認する。
「この右側の席、良いんですか?」
テーブルの男は「どうぞどうぞ」とばかりに首をコクリと上下に動かしている。
「お客様がよろしいのであれば。……ああ、ご注文が決まったらテーブルの上にある呼び鈴でお知らください」
マスターは愛想の良い笑みを浮かべ静かに答えた。
「あ、手が空いたらギムレットをお願いします」
「かしこまりました」
私はオーダーを先に伝え、自分の上着の被害状況をもう一度確認してからゆっくりと男の前に移動する。
「濡れていてすいません……しばらくおじゃまさせていただきますね」
「あまりお気をつかわずに。飲み屋ですし」
男は拍子抜けするほど自然に相槌をうつ。一瞬で緊張がほぐれた私は小さななソファに身を沈めた。腰かけてみると、窪みになったその少しうす暗い空間はちょっとした秘密基地の様な雰囲気があり、意外に居心地が良い。
「すぐさまギムレットですか。イイですよねギムレット…」
男は穏やかな顔で独り言のように言葉を続ける。それに引き連れられる様に私の口からも言葉が洩れる。
「一杯目はギムレットって決めてるんです。…あまり迷うのが好きじゃなくて」
私は目の前のその男を失礼にならない様に注意しつつ、さりげなく観察する。男が着ていたのは〝作務衣〟で、足元は草履。年端は30代後半か自分と同じ40を回った位であろうか。その風貌はいかにも堅気では無かったが、そこはかとなく知的な雰囲気もあり、何よりも不思議な事に初対面であるにも関わらず、思ったことをそのまま話しても問題ないような、こちらの警戒心を解かせる奇妙なオーラを放っていた。
「奇遇ですが、私も今日は一杯目はギムレットでした。……今はこっちをやってますけど」
そう言ってウィスキーグラスを差し出して見せる男の右手の甲に、人差し指方面から小指側に流れる一本の深い傷跡を見出し少し動揺する。私は何も気付いていない様に平静を装い、膝の上に置いたままだった荷物を自分の左スペースに置き直した。
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既に体に相当入ったアルコールのせいか、目の前の奇妙な男の話術のせいかは分からないが、一杯目のギムレットを飲み終える頃、我々二人はまるで旧知の仲のように酒の講釈談義に花を咲かせていた。
「なるほど。GINはゴードン派ですか。また渋いチョイスですね」
「学生の時にハマってた時期がありまして……ただ、味云々ではなくラベルのデザインが気に入って飲みだしたっていう何とも恰好悪い動機でして…」
「確かにゴードンはどこのコンビニでも置いてますしね。私も最初に買ったGINはゴードンでしたよ。……じゃぁ、そいつもゴードンにしてもらったんですか?ベース」
私の少し残ったギムレットを指さして男が質問を投げる。
「いえいえ。初めてですから、このお店は……最初はマスターのお勧めのスタイルを頂くのが礼儀かなって…」
「これはこれは、また随分と礼儀正しい呑み助ですねぇ」
男は悪戯っぽく笑うと、そう言いながら自分のグラスに残ったウィスキーを一気にその喉に流しこんだ。
「あれ……そのカバン……まさかDJオカベの展覧会ですか?」
男は空になったグラスをテーブルに置きながら、私の横に無造作にうっちゃられたノベルティバッグをしかめ顏で見つめている。その辟易した態度と無意識に発せられた「まさか」という言葉から男のオカベに対する感情を容易に察する事ができ、何となく安堵すると同時に「誤解されたくない」という気持ちが湧き上がる。
「いえ、これは私の趣味って訳ではなくて……何と言うかその……仕事の付き合い上、行ってしまった様なカンジで……」
私のシドロモドロな返答に男はプッと吹き出しながら〝それ以上言わなくて結構〟とばかりに手のひらで言葉を制止した。
「お仕事、デザイン関係なんですか?」
「ゲームデザイナーをやってます。……あっ、デザイナーと言ってもゲームの仕様…つまりゲーム全体の「設計」をする仕事です。……なので、オカベの仕事なんぞとは全く関係ない事をしてるんですが、知り合いからチケットを渡されちゃいましてね…」
言い訳臭い説明に男はあえてこちらには視線を合わせず、ニヤニヤしながら注文の呼び鈴に手を伸ばす。
「そういうあなたは?」
バツが悪くなった私は、話の流れを変えるべく唐突に切り返した。
「私?…私の仕事ですか?」
相手は自分の方に人差し指を向けて、きょとんとした顔でこちらに視線を向けた。
私は少し恥ずかしくなり、慌てて会話の軌道修正をする。
「あ、すみませんぶっきら棒に。まだ自己紹介もしてませんでしたね。……私、氏家といいます。荻窪の方に住んでるんですが、この辺でも良く飲んでるんです」
「氏家さん……荻窪ですか。荻窪も落ち着いていて良い町ですよね。……私は」
相手の言葉の途中で突然斜め上方から声がかかる。
「お待たせしました。何をお持ちしますか?」
声の主は店のマスターだった。
銀色の美しいネクタイを首の上部でキュッと締め上げ、静かにこちらの反応を待つマスターに対し、作務衣の男は会話が中断した事を全く気にもしていない様子でにこやかに言葉を返した。
「同じのをお願い。ブッカーズをロックでね」
「かしこまりました」
注文を伝え終えるとすぐさま男はこちらに向き直り、仕切り直しとばかりに真剣な表情で、すぱっと小気味良く言葉を発した。
「池矢といいます。彫り師です」
(つづく)
◆あとがき◆
再開まで随分と時間が経ってしまいましたが、実は、住んでいたマンションが老朽化で建て壊しとなってしまい、その準備や引越しやらで大変ばたついておりました。
この対応で痛めていた左足の痛みが再発してしまった為、現在草津の安宿に湯治に来ているという状況です。
引越しもとりあえず完了。足の痛みも少し和らいできたので、久しぶりに小説に手がつけられた次第ですが、悪いことは続くものですねぇ。。。
(お祓いレベルで不幸続き…涙)
現在、荷物整理を放棄してこちらに来ているので、東京に戻ったら次はその対応になると思うとゾッとしますが、
この機会に増えすぎた持ち物を減らしていこうと思っています。
そんな訳で、スローペースではありますが執筆は進められそうですので、
今後ともどうぞ宜しくお願いいたします! (^^)/
(※何かある時はHPで情報を出します。/ 羽夢屋敷HP↓)
http://0803ugax.yukimizake.net/




