12 お前はお前の幸せを
寝谷という諸悪の根源は打ち倒した。ナーガリザードと言う巨体は見る影もなく、全てが灰すら残さず消えた後だ。
それでも羽澄達の窮地は終わらない。篠束の虜囚にも似た異様な姿が、元に戻らないのだ。更には、赤黒い何かが煮えたぎる釜へ向かって、1歩ずつ歩き続けていた。
その行進はまさしく、死出の旅路である。
「止まれよ篠束! 聞こえてんだろオイ!」
羽澄は渾身の力で引き留めようとした。篠束を縛る鎖を引っ張り、あるいは首枷を掴む。力だけでなく、全体重をかけてまで妨害した。
しかし、全てが無駄であった。羽澄が何をしようとも、篠束の足取りは変わらない。ペースを一切乱すこと無く、1歩、また1歩と前進を続けた。
「クソッ! だったら鎖をたたっ斬ってやる!」
羽澄は篠束から離れて、鎖を標的にした。長く伸びる鎖は、篠束の首から大釜の中まで続いている。
この縛めを斬れば止まるかもしれない。そんな予測を信じて、渾身の力で振り下ろす。
しかし無駄骨。鎖は斬れず、反動で羽澄の両手が痺れるだけだった。
「何だよコレ。もしかして不思議な力が関わってるのか? 物理的に防ごうとしても無駄かもしれない」
助けが欲しい。少なくとも助言が欲しい。孤軍奮闘する羽澄には、何の手立てもないのだ。
「チクショウ! せめて緒野寺が居たら、状況も変わってくるのに!」
今すぐにでも応援を呼びに行きたかった。かと言って、篠束から離れる訳にはいかない。そもそも異界化した世界で動ける者は限られている。仮に善意の第三者が居たとしても、すがるだけ無駄なのだ。
万事休す、打つ手なし。羽澄は力のまま喚くばかりになる。
「篠束、止まれ! 頼むから止まってくれ!」
「私さえ我慢すればいいの。そうしたら皆と一緒に居られるから」
「さっきから似たような事ばかり言うんだな。どうして皆と居たいと思う!?」
羽澄は咄嗟に口走った。その時、不意に篠束の足が止まる。そして、うつ向いたままではあるものの、ようやく羽澄の問いに反応を示した。
「それは、だって……」
これは好機か。羽澄は休まずに、まくしたてた。口から言葉が続くままに。
「お前は寝谷を友だちだと思ってたか? だが、とんでもない悪人だったぞ。他の奴らだって、どれだけのモンか分からない! お前を都合よく利用してただけかも知れないだろ!」
「そうかも。だけど、私にはもう居場所なんて無いから。ここで見捨てられたら、独りぼっちになっちゃう」
篠束は再び歩みだした。元の木阿弥である。
しかし羽澄には希望を見て取った。今この瞬間に求められるのは、力ではない。説得の言葉なのだと確信した。
「居場所ならある!」
そう叫ぶと、やはり篠束の足が止まった。そして、次の言葉を待つような姿勢になる。
「オレがお前の居場所になってやる! オレだけじゃない。根岸とかいう、病的なお節介野郎だって居る!
他にも伊藤とか緒野寺とか色んな奴を巻き込むから、お前を決して1人にはさせない!」
「でも、人は裏切るから」
「えっ……?」
「いつか人は去っていくの。私を捨ててどこかへ行っちゃうの。ママは死んじゃったし、パパは私を施設に売っちゃうし」
篠束の口から溢れ出るのは、彼女の苦悩だった。まだ未成年の、幼さを残す両肩には、既に抱えきれないだけの業が積み重なっている。普段は眩い笑みに隠れているが、その裏では、汚泥のような悪感情も抱えていた。
羽澄は胸に刺さる物を感じた。彼とて、家族や友人から捨てられた過去があり、篠束の辛苦が痛いほど理解できる。共感が濃すぎる。それ故に、説得する気持ちも萎み、言葉を途切れさせてしまう。
「だから私は、誰かの得になる事をしないと。私の存在が、メリットにならないとダメなの。皆の役に立たないといけないの」
「気持ちは分かる。でも、そんな生き方じゃ、そのうち潰れるだろ」
「その通り。凄く疲れちゃった。だからね、もうお終いにしたいんだ」
篠束は、またもや歩き出した。大釜はもう目前。手を伸ばせば届くほどだ。もはや一刻の猶予さえ無かった。
「オレはお前を裏切らない!」
今の言葉は効いた。篠束は足を止めるだけでなく、うつ向いた顔を持ち上げた。
その瞳は、いまだに生気が戻らない。しかし、頬を伝う涙に、最後の希望を見た。羽澄の言葉は無駄ではなかった。確かに心まで響いたのだ。
同時に、もう失敗は許されない。これが最後のチャンスだった。
「オレは決して、お前を裏切らない。篠束が望む限り、未来永劫、ずっと傍にいてやる。2度と居場所で悩んだりしないように!」
「嫌……絶対、絶対に信じない! 人間は嘘つきだし、裏切るし!」
「世界の全員を疑ってもいい。だがオレだけは信じろ、篠束ッ!!」
羽澄は篠束の肩を掴み、正面から吠えた。
すると、篠束の頬から大粒の涙がこぼれ落ちた。それは彼女を縛る鎖へ向かって、一直線に滴り落ちた。すると鎖が自ずと発光し、所々にヒビが生じるようになる。
「どうしたんだコレ。鎖に異変が……ッ!?」
そこで羽澄は、鎖の周りに立ち込める霧を見た。漆黒で、眺めるだけで心が乱されるような、おぞましい塊だった。それは大釜と篠束の間、僅かに残された余白の鎖上に蠢いている。
それを目にした途端、龍鳴剣そのものが震えだす。まるで、斬りつけるのを心待ちにするかのように思えた。
そこで羽澄は予感する。遂に、この異変も終わる時が来たのだと。
「篠束。今まで辛く、苦しい日々が続いたよな。だがな、そんな呪われた運命も、ここまでにしよう」
羽澄が構える。それに龍鳴剣も呼応して、刀身に赤々とした炎を宿した。紅蓮の炎は光を増していき、やがて白味を帯びるようになる。超高熱の太陽が、白く輝くのに似て。
「お前は、もう2度と他人の目を気にするな。無闇に世話を焼くな。これからは自分の幸せの為に生きていけ!」
剣を振り上げ、一閃。振り下ろす先は漆黒の霧。
斬りつける。霧を、その向こうの鎖を。
すると甲高い破裂音と共に、辺りに閃光が走った。一切が白く染まるかのような、強烈な光だった。
「クッ……。やったか!?」
光が和らぎ、遠のいていくと、視界は徐々に戻っていった。
既に日は暮れていた。木々の隙間からも満月が見え隠れする。足元には落ち葉と、青く萌える草花。
異界化はいつの間にか解かれていたのだ。
「篠束、大丈夫か!」
羽澄は、膝から崩れ落ちようとする篠束に駆け寄った。倒れかけた背中を、どうにか抱きしめて支えた。
「怪我は、無さそうだな……」
見た所、手傷は無い。意識を失っているだけだ。
呼吸も確かにある。穏やかな寝息と思わせる程度には、安定していた。
「あぁ、最後の最後まで心配かけやがって」
篠束は五体満足だ。しかし、着衣に乱れはあった。ツナギのチャックが大きく開かれており、下着の端や、胸元の膨らみが覗けてしまう。
「ギリギリ間に合ったらしい……。次があったら、もっと安全に守ってやらないと」
この時、羽澄は悩む。果たして、衣服を正してやるか否かを。
首を左右に捻り、折返しに折返しを重ねた後、決めた。せめてチャックくらいは戻すべきだと。
「頼むから、今だけは目覚めるなよ。最低な誤解を与えそうだからな」
羽澄はそっぽを向いて、チャックをまさぐった。しかし上手く掴めない。
仕方なく、極力薄く開いた眼を向けての、リトライ。だが、それでも失敗続きになる。探る位置が位置だけに、長々と触れ続けるのも不健全に思えた。
「ったく。悪く思うなよ篠束。緊急避難みたいなモンだからな」
しっかりと目を開いた後、チャックを掴もうとした。しかし、羽澄の手はギクリと硬直して、止まる。
「この模様、まさか……?」
羽澄の視線は、篠束のヘソに向けられた。そこには、魚を模したデザインのタトゥーが刻まれていた。
「篠束。もしかして、お前もオレと同じなのか……?」
返答は無く、寝息があるばかり。他に聞こえるのは、スズムシとフクロウが鳴く声くらいのものだ。
この頃になると、もはや下着などどうでも良い。徐ろにチャックを上げて乱れを糺し、続けて背中におぶった。
「帰るか。さすがに疲れたぞ」
羽澄は、背中で寝息と肌のぬくもりを感じていた。それらの感覚が、生還した事実を実感させるようで、心も軽やかになる。
そうして中央棟まで戻った羽澄は、医務室に直行した。医師には、道端で気絶していた所を保護したとだけ伝え、立ち去った。
長い長い1日を終えた羽澄。戦士の休息を貪り倒す。その睡眠も長かった。翌日、朝を過ぎて昼に差し掛かった頃になって、ようやく目覚めるほどだった。
「ふわぁ〜〜、腹減ったぞ!」
ひとつノビをするだけで、関節がバキボキと不穏な悲鳴をあげた。別に痛みはない。それよりも空腹の方が耐え難く、すぐに食堂へと向かった。
そうして中央棟にやって来ると、篠束が出迎えてくれた。受付付近から走り出し、笑顔を振りまきながら駆け寄ってくる。
「おはようございます、羽澄さん! 昨晩は気絶したところを助けていただきまして、大変お世話になりました!」
「うん……まぁな。別に大した事じゃない」
「こんな時期に外で眠りこけたら、危なかったかもしれません。虫刺されとか、蛇に噛まれちゃうとか」
「ところで、気分はどうだ? 何かおかしい所は?」
「それがですね、とっても心が軽くって! 何だかフワフワと飛べちゃいそうなくらい!」
曇りなき笑顔に、羽澄も胸を撫で下ろした。そして、昨晩の事件も覚えていないようである。
それならそれで良い。むしろ知らない方が幸せだろう。羽澄はそれ以上語らず、食堂の方へと歩き出した。
すると篠束が後を付いてくる。
「今日の天気は曇のち雨。季節外れの台風が懸念されてましたが、進路は外れたそうです。雨雲が少し掛かるくらいで」
食堂で、残り物の料理をかき集める間も、まだ篠束は付いてくる。
「本日の奉仕活動に、花壇の手入れがありますよ。もしお暇でしたら、ご一緒しませんか?」
羽澄が料理を片手に席へ座っても、まだまだ付いてくる。
その時篠束は、別に食事を摂るでもなく、ただ羽澄の隣に座って笑顔を振りまいた。ニコニコ、ニコニコと、心の底から楽しげに。
「どうした篠束。飯じゃないなら、同席する必要無いだろ」
「いえいえ羽澄さん。昨晩言ってくれたじゃないですか。私の居場所になってくださると」
「ゴホッ! お、覚えてたのか?」
「断片的に、ですけど。それから、ええと……」
篠束は、唐突に頬を赤らめてうつ向いた。そして何かを告げようとするが、口ごもる。
そこで羽澄は強烈な予感を覚えた。やめろ、その先は言うなと、内心で念じてしまう。もっとも、念は全くの無意味であったが。
「あの、私を、私のことを! しゅわ、諏訪、幸せにしてくださると!」
「おい待て」
「私、心から感激しました。あんな情熱的で、魂から燃え盛りそうなお言葉に、確信したのです。私が生涯を賭けて慕い、尽くすべきお相手は羽澄さんであると!」
「あのな、違うんだ。オレが言いたかったのは」
「恥ずかしながら、この歳までお付き合いどころか、恋愛の1つも経験がありません。ご迷惑などあるかと思いますが、どうか末永くお願いします!」
篠束は、はにかみながら微笑んだ。窓から差し込む日差しも、後光のように眩しい。
盛大な勘違いをさせてしまった。しかし、この場で誤解だと告げる事に、どれだけの意味があるのか。せめて篠束の日々が安定し、十分な自信を付けるまで待つのが得策ではないか。
その想いが、羽澄の口を閉じさせた。無言を貫くことで、暗に篠束の言葉を肯定したのだ。
「ちなみにですね、羽澄さん」
篠束は声を落としつつ、羽澄に耳打ちした。食堂はピークタイムを過ぎたとは言え、時折誰かが通る。
「昨日、アレを見ちゃいましたよね?」
それだけで羽澄は理解した。篠束のヘソあたりに、魚を模したタトゥーが刻まれていた事は、鮮明に記憶している。
こうして問われれば、嘘をつく訳にもいかなかった。
「秘密を暴くようで気が引けたが、確かに見た」
「やっぱり、そうだったんですね。どう思いました?」
「さすがに驚いた。それと、追求して良いか迷った」
「大きさとかサイズはどうでしょう?」
「サイズ? いや、別にそこは気にしてないが」
「形とか、色とか、その辺はいかがです?」
「待て。お前は何の話をしてるんだ」
「何って、おっぱいですけど。見ましたよね?」
「違う! 甚だ違うぞ!」
「やはり大きくする努力をすべきでしょうか? 何だかんだ言って、男性は巨乳が好きと聞いた事がありますし」
「そうじゃない。オレが言いたいのは――」
「でも羽澄さん、ガッカリしないでください。幸いにも世の中には改善法で溢れかえってます。育乳体操にサプリメント、他にも探せば見つかるでしょう。どうにかして大きく育てますので、羽澄さんにも納得いただけるような、どこに出しても恥ずかしくない爆乳を――」
「そろそろ聞け! オレの話ッ!」
「はい! 何なりとッ!」
羽澄は強烈な疲労感を覚えた。昨夜の疲れがブリ返したような、いや、それとは別ベクトルの何かに苛まれてしまう。
ちなみに、それからも篠束との対話は終わらなかった。羽澄は適当に相槌を打つ傍らで、パンプキンスープを啜った。既に冷めており、舌先にぬるい。
それでも彼は、不味いとは思わなかった。




