97.怒れる月讀
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
月讀命は始祖神伊邪那岐命と伊邪那美命夫婦の子である。
月讀命の母神伊邪那美命は火之迦具土神を生んだときの火傷がもとで命を落とした。伊邪那岐命は嘆き悲しみ黄泉津国まで伊邪那美命を迎えに行くが、約束を破りその姿を見てしまったため、連れ戻すことは叶わなかった。
弟神素戔嗚尊が母を恋しがって泣いて暴れた話は有名だが、月讀命も大いに嘆いた。それでも世の理としてあきらめたのだ。
だが、これはどうしたことだ。
始祖神である母ですら叶わなかった甦りが人の子に与えられようとしている。月讀命としては許せることではなかった。それは母の死、そして神の尊厳を冒す行為に他ならない。
「貴様ら―――っ! 死を冒瀆するか―――っ!」
戦場を捨て月讀命はニャルラトホテプに……いや、再生したばかりの少女ひかりに突進した。
「きゃ——―――っ!」
ガキンッ
振り下ろされる輝月剣を受け止めたのは焔魔刀。
ひかりに狼藉を働くものを結弦が許すはずがなかった。
「ひかりに何をする。たとえ月讀であっても許さぬぞっ!」」
怒りの炎を全身に纏いながら閻魔大王黄泉坂結弦が吼える。
「たわけ―――っ! 反魂を屍者の王の分際で見逃すのかっ!」
月讀命も怒鳴り返す。
両者とも大切なものを守るために必死だった。
一方、止めを差そうと襲ってきた圧力が消え、追い詰められていた獲物は息を吹き返した。
そう、忘れられた邪神ヨグ=ソトースであった。
ニャルラトホテプの裏切りで起死回生の目は摘まれたかに思えた。だが、ニャルラトホテプの行ったなにかが月讀命に我を忘れさせた。
さらにはそれまで追いつめてきた閻魔も彼を追って去った。
その他諸々は残っているが、予想外の出来事に意識を逸らしていた。
今しかない。
そろりと後ずさり、退路を探る。
だが、非常にも希望は打ち消された。
「うろちょろしないで」
鈴の音を思わせる美しい声がヨグ=ソトースの命運を支配した。
「あなたには別に申し開きの場を与えてあげる」
ぱくん
邪神を丸呑みにしたそれは……ヒルコだった。
*
「退けっ!」
「退かぬっ!」
二柱の神々の諍いは引けぬところまで来ていた。
ひかりの復活をなにより願う結弦と母ですら逃れ得なかった復活を陪臣ごときが得ることを認められない月讀命。
守りたいものが大きい分だけ諍いも苛烈になる。
「やっと取り戻したひかりだ。何人たちとも邪魔はさせぬ!」
「それが邪神に手を借りたものでもか!?」
「当然だ! それにニャルラトホテプはこの世の理に従うと誓っている。その誓いを果たした以上、もはや異界の邪神ではない!」
「ふざけるな! これまで邪神どもが何人の衆生を喰らってきたか知っているのか?」
「当たり前だ! 何千の神兵が散っていったと思うのだ。我関せずと傍観していた汝がそれを言うのか!? そういうことは血を流したものが言うものだ。お高くとまったお前が言うことじゃない!」
邪神の侵攻から早2週間、その間に幾多の神々が散っていった。まあ、信仰さえあればいずれ天界で再生するのだが
地獄の鬼たちも極楽天界の神々も我がこととして戦線に立ち、多くの血を流した。それは衆生を守るためである。その尊い犠牲を我関せずと高見遊山で傍観していた奴には言われたくない。たとえそれがヨグ=ソトースに対する切り札たる月讀命であってもだ。
ハエ五郎が決死の覚悟で説得しなかったら、月讀命は今でも参戦してこなかったであろう。
素戔嗚尊は寡兵で迎え撃ち、根の国とともに滅びた。その行為は武神としての矜持であるとともに母神の治める黄泉津国を守ることにもなった。
極楽天界は数多の武神を参戦させ、現世の防衛に貢献した。
だが、目の前の男神はただ傍観していただけなのだ。
そんな奴にごちゃごちゃ横槍を入れられたくない。
一方、月讀命とすれば、異界からの侵略に対応するのは武神たちの仕事である。時の権能というレアな能力を持つ敵がいたから、助力したまでのこと。本来の持ち場が違うのである。
それに異界から信仰してきた邪神への対応と禁忌とされる屍者の復活は全く別の話である。見逃すわけにはいかない。
母神伊邪那美命が復活できなかったことで私情は絡むものの間違ったことを言っているつもりはない。
なのに目の前の男は何を言っているのだ?
しかも周りの神々はそれを認め、あまつさえそれを後押ししようとしている。信じられない面持ちであった。
屍者が蘇生しないのはこの世の理であったはずだ。
月讀命としては現在の神々の考えが全く理解できなかった。
*
そういうことじゃない。
オレは神で得あると同時に現世を生きる人でもある。
人であるからこそ衆生の苦しみが理解でき、杓子定規な法だけでない情状を踏まえた裁きができると思っている。
もちろん、オレだって完璧じゃない。そんなことは百も承知だ。だからこそ迷い、悩む。そうして理想を求めて成長するのだ。よりよい未来を夢見ることができるのだ。
だから、ダメなものは駄目では終わらせない。納得しない。
お父さんは、親より早く死んだ子は賽の河原で責め苦を受け浄化されるという地獄の法を破り、故ひかりの魂を輪廻転生の輪に還した。そのせいでお父さんは罰を受け、消滅させられそうになった。
お父さんのやったことが間違いだとは思わない。個人的にはひかりの魂を守ってくれた感謝している。でも、そういうことじゃない。間違ったことに異議を唱えるのは間違いじゃない。
オレは自分の人生は自分で責任を負うべきだと考えている。
だから、閻魔大王になってからも生前の行いに見合う判決を下してきた。罪には罰を、善行には褒賞を、公正に努めてきたつもりだ。
だが、子供は違う。
自分の身を守ることのできない子供にその死の責を問うのは違うだろうと思う。もちろん、生前の苦しみがあれば浄化させて忘れさせてやることも必要だろう。だが、受けた愛がその短い生涯を輝かしいものにしていたとしたら、それを忘れさせるのは違うと思う。せめて生まれてきてよかったと思いながら転生してもらいたいと思う。
だからだ。
わずか13年の生涯で、愛に殉じたひかりは救われていいはずだ。
あれは誰も悪くなかった。オレを守るために身を投げ出したひかりはもちろん、妹を守るために引き金を引いた清志郎も、予想していた争いから遠ざけるため子供二人で外に出した親父も誰も悪くなかった。
だから、ひかりにやり直すチャンスを与えるのは間違っているはずがない。
ひかりの再生にはニャルラトホテプの貢献があった。いまいち信用しきれない奴だが、代理として遣わしたハエ五郎が認めたのだ。オレは彼を信じる。
ニャルラトホテプは邪神である。
それは前の世界でも同じであった。民の恐怖を糧とする魂を喰らう恐怖の神であった。だが、彼は人を殺さなかった。自分が生きるために民を殺していてはこの世界を壊してしまう。それを知っていたからだ。
だが、他の邪神は違った。いかに人を殺したか。恐怖に怯えた魂を喰らったかを競い合った。喰らった魂の量で神としての格が決まる。そんな世界では致し方ないのかもしれない。
ニャルラトホテプは違った。
人を殺さずとも恐怖心は食える。だから民を殺すのは下策だと考えた。民を滅ぼしては食える魂が残らないではないか。そう考えた。
だから前の世界が滅びて、この世界に渡ってきたときもニャルラトホテプは生きるために魂は喰らう。だが、人は殺さぬようにしようと考えた。
当然ながら文明があるところには神がいる。
この世界にもこの世界の神が支配する秩序があるはずだ。
それを自分たちの論理で好き勝手に殺し、喰らっていてはこの世界との軋轢を生むだろう。それでは新しい秩序は作れない。悪ければ滅ぼされ、良くてもこの世界を食らい尽くすことになる。
それでは同じことの繰り返しにすぎず、決死の覚悟で次元を渡ってきたというのに時間稼ぎにしかならない。
だからニャルラトホテプはこの世界の神々と交流を持った。
それが異端と遊興の神、吉祥天だったのは不幸だったのか、幸いだったのか。
吉祥天は地獄に落ちたが、ニャルラトホテプはこの世の理に加わることを望んだ。この世界を支配する目的で渡ってきたのではない。ただ生きるためだった。
それは他の邪神どもも同じだ。
ただ、脳筋の武闘派の邪神は欲望のままに民を殺し、恐怖に怯える魂を喰らった。それ以外に方法を知らなかったのだ。
その方法では限界があった。ヨグ=ソトースの権能で渡れる邪神には限りがあった。バトルロワイヤルに勝ち残った限られた邪神だけがこの世界にやってきた。邪神の力がいかに強大でも少数ではいつか駆逐される。
この世界の神も無能ではないのだ。
ニャルラトホテプの予想通りになった。
クトゥルフとハスターは捕らえられ、ヨグ=ソトースは追い詰められた。だからこそニャルラトホテプは真剣になった。この世の神の望みをかなえることで自らの望みをかなえようと思ったのだ。
ただ生きたいという願いを
「彼らの願いなど貴様にはわからないだろう」
言っても無駄と悟りながらも言わずにはいられなかった。
「自ら蒔いた種だとはいえ、生きたい、ただそれだけの願いで次元を渡ってきたその者たちの思いなど……」
「くだらぬ。我らはこの国の創成神。この国の民を守れればそれでいい」
「愚かなことを……これまでにも異国から数多の民が渡来してきたのだぞ。この国の信仰に帰依した者も多い。それらの者は守るべき民ではないのか?」
「所詮はこの国に住む異国のものにすぎぬ。異国の者は異国の神が守ればよい」
「ならばその子らはどうだ。この国の民とつがいとなり生まれた子も多い。それらも異物として排除するのか?」
頑なな月讀にオレは重ねて問う。
「我らが祖先、伊邪那岐命と伊邪那美命も天界から高天原に御来臨されたのだぞ。お前の理屈だと我らが始祖神ですらこの国の異物となるではないか。答えろ、月讀! 貴様は己の父母をも嘲笑ったのだぞ!」
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
復活したひかりを許せない月讀命。彼にも言い分があります。母たる伊邪那美命ですら叶わなかった甦りを簡単に許すわけにはいきません。結弦たちはどのようにして月讀と向き合うのでしょうか。
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




