98.再会の誓い
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
「愚かなる考えに憑かれたものよ。理を理解できぬ凡夫よ。私がその邪念を正してやろう!」
月讀命は懐から破邪の鏡を取り出すと閻魔天にかざす。
聖なる月の光がまぶしいほどに降り注ぐ。
オレは皆を守るように前に立つ。
だが、刻が悪い。
既に夕刻とはいえ、まだ夜には間がある。月讀命が力を最大限に発揮できる刻ではないのだ。
そして閻魔天は邪なるものではない。
破邪の鏡で傷つけられるような存在ではないのだ。
それは既に人間として復活してしまっているひかりにとっても同じことだ。その成り立ちは邪神ニャルラトホテプによる理外の力によるものであっても、今となっては只人である。
聖なる月の光で傷つくはずもない。
傷つかないことがこの世の理がひかりを受け入れた証拠でもある。
だが、あまりにも強い光は人体に悪影響を及ぼす可能性がある。目を傷めてしまっては大変だ。
オレはひかりを抱き上げた。
「ゆーくん……わたし、ゆーくんの邪魔じゃないかな?」
愛する人にそんなことを言わせるなんて……オレは本当にダメなやつだ。
ぎゅっ
腕の中の愛しい存在を優しく抱きしめる。もう二度と手放さないと誓って。
「そんなことあるわけないだろう。やっと取り戻したんだ。もう二度とひかりを手放さない。ひかりのことはオレが守る」
「うん」
ひかりは恥ずかしそうに微笑むと顔をオレの胸に埋めた。
「オレだけじゃない。ひかりを取り戻すことがみんなの願いだった」
「うん」
「みんなのためにも幸せになってくれ」
「……ゆーくんが幸せにしてくれるんでしょ?」
「オレは……頼りない奴だ。あのときもひかりに守ってもらってばかりだった。それがオレの心残りだった。オレはひかりの輪廻転生を心の底から祝福できなかった。だってそれはもうひかりじゃないから。オレはひかりが好きだったんだ……あれからオレも少しは成長したはずだ。けど、やっぱりオレ一人じゃ無理だ……だから一緒に幸せになってくれ」
「うん」
今度はちゃんとオレの顔をみて頷いてくれた。
さあ、結着を付けよう。
オレは懐の中にひかりを取り込むと月讀命に向き直る。
今のオレは焔の魔神と化している。
*
焔の魔神は月の光を受けてもダメージを受けなかった。
ならば……
月讀は月の光を収束させる。たとえ光に殺傷能力がなくとも収束させれば話は別だ。
月の光は太陽光を反射したものだ。だからそのエネルギーを一点に集めれば含まれていた熱もエネルギーも集約される。月の表面積3,793万平方km、その半分としても1,892万平方kmが太陽光を反射している。月の反射率は7%と言われている。これは、月の表面が主に岩石や塵で覆われており、太陽の光をほとんど吸収してしまうためである。地球の約40%と比べて非常に低い値だが、約2千万平方kmもの面積があれば話は別だ。距離の近さもあって月の明るさは約マイナス12.7等星である。マイナス26.7等星の太陽は別格といても、地球で最も明るい太陽系外の恒星シリウス(マイナス1.46等星)よりも約3万倍も明るい。そのエネルギーを集約させれば神と言えど地上の生物を抹消することはたやすい。
だが、オレも大切なものを抱えている以上、簡単にやられるわけにはいかない。
オレはオレの権能たる閻魔の持つエネルギーを開放した。
閻魔の支配する地獄は地底の王国だ。
マグマの煮えたぎる灼熱地獄に代表されるように地球のエネルギーを司っている。地球創成の折、生成した放射性元素の核分裂エネルギーを源としている。太陽の放つ核融合エネルギーと比べればわずかなものだが、約1億5000万キロメートルも離れた距離を、しかも月でのわずか7%の反射されたエネルギーに比べれば圧倒的だ。
白熱したオレの体は破邪の鏡が放つ月の光を跳ね返した。だが、月讀を傷つけるまでの差ではない。
この世の理も干渉しない。力比べでも優劣定まらない。
なら、勝負は武力だ!
ナノメートルの厚さに法力を集約させた焔魔刀の一撃、オレの得意とする『鋼切り』を輝月剣はたやすく受け止める。
つまり月讀の力は単なる太陽光を反射した月の光ではなく、そのエネルギーの集約だということだ。それはオレの力と同等であることを示している。
ならば武技だ。
太古の神である月讀命は人と交わらない。創成以来数千年に渡って磨き上げられてきた剣技を知らない。武神素戔嗚尊は数多の決闘を経て武技を掴んでいたが、お高くとまった月讀命は衆生から学ぶことなどしないであろう。
輝月剣と打ち合うと見せかけていなす。伸びきった剣筋を巻き取るように跳ね上げた。
からん
跳ね飛ばされ、地に落ちた輝月剣の音を聞き月讀命は臍を噛む。
「まともに打ち合わぬなど卑怯なり」
「数千年かけて数多の武人が磨いてきた剣技を卑怯というなら、お前は時代遅れの神なのさ」
だが、月讀命は挑発には乗らない。
この世の理が、閻魔天を滅ぼさないことを理解した月讀命は手を変える。
「ならば助力を乞おう」
月讀命は輝月剣に代えて懐から榊の枝を取出し、捧げ待つ。
「天におわします我らが主神よ。いと気高き女神よ。姉上よ。
太陽の化身にしてこの世のすべてを司る大神よ。この世の理を乱さんとする閻魔天とその郎党、及び助力した邪神を滅ぼし給え。
この者、邪なる術を使い、我が母たる伊邪那美命でも叶わなかった甦りを果たさんとするもの哉。黄泉津国に下った母神に代わり正義の鉄槌を下し給えっ!」
地平に近づきつつあった太陽が爆発した。
徐々に赤みを帯びていた夕日が瞬間的に白熱した。それは弟神月讀命の願いに応え、天照大神が助力したものであろう。
「眷属と衆生たちは任せなさい。閻魔天よ。あの貴神たちはあなたが何とかするのです」
太陽の女神の暴走に月光菩薩がいち早く対応した。
月光菩薩は薬師如来の脇侍仏であるが、本来は月の光を基にしている。つまり月讀命と同じく日の光を反射することができるのだ。
「助かる。月光様」
オレは月光菩薩に礼を言うと天上から攻め立てる天照に向き直った。
日本神話の世界では最高神であるが、オレが属する極楽天界においては融合して仏位を持つだけの上の位階を持つ同僚にすぎない。
というより、月讀命も天照大神もガキだ。
ママが果たせなかった願いを他人が叶えたことが気に入らないなんてただのガキの我儘だ。まともに相手してやる必要も感じない。
「お待ちください。いと尊き女神様よ」
ニャルラトホテプが前に出た。
何やらハエ五郎と話をしていたようだが、何か企んでいるんじゃないだろうな?
異界から来たりしトリックスターたるニャルラトホテプはもちろん、ハエ五郎も策謀家としての力量はずば抜けている。オレですら想像もつかなかった伏線を張りまくっている。オレが助けられたことなどその伏線のほんのわずかでしかないだろう。
それだけこいつらの企みはたちが悪い。そういう意味では完全に信用している。悪い意味でだ。
「我ら、邪神の一族は滅びた世界より生きるためにこの世界に渡ってまいりました。この世の理に属すものではない故、邪法を使ってしまいましたが、他意はございませぬ。以降はこの世の理に従う所存。私の行いが罪に値するというのなら、その咎は私めにお与えくださいませ。謹んでお願い申し上げます」
ニャルラトホテプの願いは聞き届けられた。
じゅっ……
天から降り注ぐ熱光線がニャルラトホテプを焼き尽くした。
「次は貴様だ。閻魔天っ!」
月讀命が吼える。
「それは何の咎でありましょうや」
それを冷静に受け取ったのはハエ五郎だった。
「反魂の術の施行の咎は既にニャルラトホテプ殿がその身の消滅をもって受けられました。至高神天照大神様の断罪によってそれはすでになされました。それにもかかわらず我が主の罪を問う。それはいかなる罪でありましょうや」
「下がれ下郎! 虫の分際で神に意見するとは不届き千万哉」
「いえ、下がりませぬ。貴神ともあろうお方が、自らの言動でその威信を傷つけられる。それは看過できることではございませぬ」
ハエ五郎は月讀の叱責にも引かなかった。
とはいえ……
これは茶番なのだ。異界のトリックスターと元異教の策謀家が手を組めば、引きこもりの太古の神など扱うのは赤子の手をひねるがごとし。むしろ物足りないくらいだろう。
詐術とはいえ、もちろんニャルラトホテプは死んだ。
それはこの世の理に属したいという彼の望みの為だった。もちろんその魂はオレが回収し、地獄に落しておいた。これでニャルラトホテプは輪廻転生の輪に加わり、衆生として新しい生を受けることになるだろう。
浄化は受けるものの特別な罰は与えなかった。
滅びた異界から決死の覚悟で渡ってきて、命を懸けてこの世に混ざろうとした。これ以上の罰は必要ないだろう。
もっとも彼ほどの才覚があれば、只人の生でも平穏無事というわけにはいかないだろう。だが、それも彼の人生だ。
つまりは、ニャルラトホテプがこの世の理に加わるための儀式に月讀命も天照大神も利用されたのだ。
さらにはニャルラトホテプが罪の一切を被って死んだことでオレとひかりの罪(オレはそれを罪とは思っていないが)は宙ぶらりんになった。
オレとひかりを創成の夫婦神(伊邪那岐命と伊邪那美命)ですら成せなかった復活と再会を果たしたものとして断罪したい月讀命としては責める咎がなくなってしまったのだ。
もしかしたら天照大神はわかっていたのかもしれない。なんといってもこの国の最高神なのだ。
だが、月讀命はわかっていない。
引きこもりの子供神には理解できないことなのだ。それだって会えばわかることなのだ。
「ふざけるな! 反魂の術だぞっ! 許されるわけがないだろう」
「その罪はニャルラトホテプ殿のもの。既に断罪されました」
「そうではない。それならば、なぜその娘はそこにいる。人の子として甦りなどあってはならぬものだ」
「禁忌の術は使った者の罪。それに我が主は係わっておりませぬ。そしてニャルラトホテプ殿は既に断罪されました。ここにいるのは只人の娘。何の係わりがありましょうや」
「うるさい! うるさい、うるさい!」
これでは光月の方がまだ大人である、
子供のダダには付き合いきれない。
ぱくん
子供神を丸呑みにしたそれは……ヒルコだった。
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
邪神たちを退け、ひかりの再生を果たした結弦たちを月讀命が断罪します。母神伊邪那美命ですら叶わなかった甦りを只人のひかりが受けるのが我慢ならないようです。伊邪那美命は黄泉津国で再生しているのですが、引きこもりの月讀命はそれを知りません。この決着はどのように付けるのでしょうか。
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




