42.大国主命
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
大国主命様の逸話として有名なのは因幡の白兎でありましょう。
隠岐の島に住んでいた白兎が神の命で中津国(今の日本)に渡ることになりました。しかし、白兎は空を飛ぶ羽根も泳いで渡る鰭も持っていません。そこで海を泳ぐ和邇(鮫のこと)に呼びかけました。
「貴方たちは大勢いらっしゃいますが、いったい何匹いるのですか?」
しかし、和邇はその答えを知りませんでした。
「よろしい。では私が数えて差し上げましょう」
和邇を橋のように並ばせてその背中を白兎はぴょんぴょん跳びながら数えていきます。しめしめうまくいった。慢心した白兎は中津国に到着できる直前に言ってしまいます。
「やーい、お馬鹿さん。君たちは私が海を渡るいい橋になってくれたよ」
怒った和邇たちは白兎の背中の皮を剥いでしまいます。白兎はその痛みをどうしたらいいかと途方に暮れてしまいました。
そこに八上姫のところに求婚に行く途中の八十神(大国主命の兄神)が通りかかり、毛皮を失い泣いている兎を見つけます。
八十神は兎に「その痛みを直すには、海水をつけ、風に吹かれたらよい」と告げました。
もちろん意地悪ですじゃ。
その後、先に向かった兄を追いかけていた大国主命が苦しんでいる兎を見つけます。
大国主命は兎を助けるため、「真水で体を洗い、蒲の穂の上に寝そべればよい」と教えます。すると兎の毛皮は癒えて、きれいな白兎に戻りました。
白兎は助けてくれ大国主命にこのように予言を授けます。白兎は神使なのです。
「八十神は八上姫と結婚できず、貴方様と八上姫が結ばれるでしょう」
白兎の予言した通り、八上姫は大国主命と婚約をします。
この話には続きがありますじゃ。
弟神に八上姫を奪われたことに激怒した八十神は、大国主命を殺します。
母の刺国若比売は天津神に頼んで、大国主命を蘇生してもらいます。しかし、八十神は生き返った大国主命をまたも殺します。このようなことが何度か繰りされて、刺国若比売は大国主命を根の国(黄泉の国)に逃がしました。
根の国に向かう時も八十神は執拗に追いかけてきましたが、大国主命は何とか逃げ切ります。大国主命は根の国で素戔嗚尊と出会います。そして素戔嗚尊の娘の須勢理毘売に一目惚れをします。
素戔嗚尊はそのことをよく思わず、大国主命にたくさんの試練を与えました。それらの試練を須勢理毘売やねずみの助力を受け何とか切り抜けます。
須勢理毘売と一緒になりたいと思う大国主命は、須勢理毘売とともに素戔嗚尊の下から駆け落ちするのです。このとき大国主命は素戔嗚尊が所持する生大刀と生弓矢と天の詔琴という宝物まで盗って逃げ出します。
追いかけられるも逃げ切った大国主命に、黄泉の国の出口で素戔嗚尊はこう伝えました。
「盗った大刀と弓矢で、従わない八十神を追い払い、お前が葦原中津国を治めよ」
素戔嗚尊からの伝言に従い大国主命は従わない八十神を滅ぼし葦原中津国の国を造ります。
大国主命は国造りをしていく中で知り合った国津神少彦名と協力して国造りをします。しかし、少彦名は途中で常世国という海の向こうの国に行ってしまいます。
大国主命は大物主を仲間にして国造りをつづけます。大国主命は国を豊かにするために稲作を伝えたり、医療やまじないの力を広めました。しかし、順調な最中、高天原の天照大御神が大国主命に葦原中津国を譲るように言ってきました。
大国主命は高天原からの使者建御雷命に我が子の事代主命と建御名方命が国譲りについて答えると言いました。その言葉を聞いた建御雷命は事代主命のところに行きました。事代主命は、すぐに国譲りを承諾しました。
建御雷神は、もう一人の子である建御名方命のところに向かいます。しかし建御名方命は頷きません。武勇に自信のある建御名方命は建御雷神に力比べを挑みます。承知した建御雷神は建御名方命と相撲をして打ち破りました。
こうして大国主命は皇御孫命という天照大御神の血筋による統治を認め、平和的に葦原中津国の経営を、瓊瓊杵尊(天照大神の孫神)にお譲りになりました。そして、御自身は祭祀に注力し、また幽冥界に行きそこの主となりましたのじゃ。
*
語り部の話が終わった。
「……どう思う?」
「クズだな」
清志郎は容赦なかった。
「婚約者だった八上姫はどう思われたか。婚約者を殺されて悲しみに暮れていたら実は生きていた婚約者が別の女と所帯を持っていたと知ったら……」
「世話になった素戔嗚の娘を攫っただけでなく宝物まで盗っていくとは盗人猛々しいとはこのことだな。それにしても素戔嗚尊様は人がいい。葦原中津国の王になるお墨付きまで与えるなんて」
「だが、仲間だった少彦名様には逃げられた。ついていけないと思われたに違いない」
「国譲りのときだって結局決断したのは恵比寿(事代主)じゃないか。典型的な決められないトップだな。最低だ」
「待て待て、貴殿ら。これはあくまで正史。語られないこともあるのでござる」
オレと清志郎の素直な感想を聞いて大国主が慌てる。
しょうがないだろう。本当に素直な感想なのだから。
出雲まで来たオレはリタイアした先輩の代わりに康太が送り出した十文字清志郎と合流した。そして出雲大社の奥座敷で大国主と対面した。息子である恵比寿こと事代主の添え書を持ってきたオレたちを大国主は歓待した。そして故事を語り部に話させてくれたのだ。
大国主という男は……なんというか、英雄とは思えないただの人のいいおっさんだった。
恵比寿に似たずんぐりむっくりの体形はたとえ昔のこととはいえ剣をもって戦ったとは思えない。面と向かって悪口……ではなく素直な感想を言われてもニコニコ笑っている姿は度量が広いというより、ただのお人よしにしか見えない。その場その場の感情に任せて婚約者を捨て、仲間を裏切る。とてもではないが天照大神や素戔嗚尊のような天津神が認めるような人物には見えないのだ。
「まあ、お待ちを。今度は当事者である儂から語って進ぜよう。さすれば貴殿らも納得するじゃろうて」
語り部を下がらせると大国主はこそこそとオレに囁いた。
オレが疑ってるのは歴史の信憑性ではなくお前の神性なのだがな。
*
事代主のやつ、とんだ客人をよこしたものだ。
よりにもよって当代の閻魔大王殿ではないか。しかもヒルコを始末をつけてなお、逃がした敵を討つために力を貸せだと。一介の国津神である儂には荷が重いぞ。
とはいえ語るしかあるまい。保身のためではない。
儂など何の力もない国津神じゃった。兄神の怒りに触れれば殺され、舅には何度も殺されそうになり、国作りの過程で得た友は去っていった。ようやっと治めた国も強国に圧迫され奪われた。そこには誇りなどない。ただその時その時で正しいと思ったことを必死にやってきただけだ。若き武神には理解できないだろう。事代主でさえ理解しているとはいいがたい。あいつは儂のことを過大に評価するきらいがある。
だが、語ろう。故事を知ることが未来につながると信じて。
「素戔嗚殿の助言もあり葦原中津国は栄えていた。わが友少彦名は「西方が不穏だ。少し見てくる」と言い残し去っていった。儂は一人になった。それでもやらねばならぬのだ。
稲作を伝え、技術を広め、医療を整備した。できるだけのことはやり尽くし、ようやくここまで来たのだ。だが倭の女王天照大神が服属を要求してきた。使者の建御雷の話を聞いて悩みは深まった。先日届いた少彦名からの文に書いてあった通りだったのだ。
かつて蛭子命を害した夏王朝は滅び、大陸では殷王朝が取って代わっていた。殷は高い技術力を基に戦車を開発した。今の戦車とは違う。簡単に言えば二頭立ての馬車である。未だ我が国では車輪すら発明されていない時代に戦車の機動力と破壊力は周辺国を席巻した。その影響が海を隔てた日本にも及ぼうとしていた。日本は一つにまとまらないといけない。個々に争っていてはあっという間に殷の勢力に飲み込まれてしまう。それには当時最大の国家であった倭を中心にまとまるのがよい。建御雷の説得に心揺らいだ儂だったが心配があった。
儂がこの地を納めるようになり早数十年。国津神とは言え既に老境である。息子の事代主は若い世代の中心となっていた。戦いもせず国を譲ることに若者たちが納得するだろうか。そこで儂は事代主を説得するよう建御雷に言った。事代主は建御雷の言い分を理解した。だが、同じ若者衆の建御名方は納得しなかった。建御名方は建御雷と力比べを望んだ。智の中心事代主と武の中心建御名方が負けたのなら我らもあきらめようというのが若者衆の総意であった。建御名方と建御雷は相撲勝負をして建御雷が勝った。そこで儂は安心して倭に国を譲ることを決められたのだった。
建御雷に敗れた建御名方は負けた勢いそのままに逃げ出した。逃げに逃げて信濃の国の諏訪まで逃げたところで立ち止まった。建御名方も敗れたとはいえ国津神である。諏訪に根を下ろした建御名方はそこで諏訪大明神として祀られることになった。
倭の主神である天照大神は国の大事に協力した儂と事代主を高く評価した。国の統一は殷からの侵略に対抗するためには絶対に必要なことであった。幸いにして島国であった日本は陸戦力では劣るが、航海術では勝っていた。海を防衛線と定めた天照は儂に旧領の代わりに出雲の地を与えた。幽冥界で楽隠居など許してもらえんかった。まあ、根の国の王である舅殿が認めるわけもないのだがな。
天照大神は天にも届かんとする大神殿を建立して贈ってきた。実のところ大神殿とは楼台であり海の見張りであった。そして日本海防衛の重要拠点の一つを儂は預ることになったのだ。結局、戦にはならなかった。倭の支配する日本の力と海運力を認めた殷は戦による支配を諦めたのだ。儂は大いに面目躍如し、以降も倭の中枢に留まることとなる。孫娘(事代主の娘)は4代続いて倭王家に嫁ぐことになった。
毎年10月には国中の神々が出雲を訪れ、国中から神々がいなくなるため神無月と呼ばれるようになるが、殷との接触で一触即発に緊張が高まったとき、祖国防衛のため国中の神々が出雲に集結して戦に備えたことが始まりである。集まって宴会するなどそんな平和な話ではないのだ。」
儂の語りを聞き終えた閻魔殿は落ち着いて見えた。正史の大国主を揶揄する姿とは明らかに変わっていた。
「先ほどは侮ったことを申し、失礼した、救国の英雄よ」
この国が神代のころより独立を保ち続けていられたのは国中の神々が一丸となって防衛に努めた結果だと言うことがわかっていたのだろう。事代主が教えたのかもしれない。あれも一方の当事者なのだから
「わかっております。儂を試す冗談でありましょう。それに儂など何もしておりませぬ。ただ右往左往して言われるがままに必死に生きてきただけじゃ」
「それでも貴方様の決断がこの国を成り立たせ、外敵を排除しました」
若き閻魔殿は物事の真実を見抜く目をお持ちのようだ。先代の閻魔殿と違って武勇に逸るきらいはあるが。それも若さだろう。
「それもたまたまです。黄泉平坂へは案内を出しましょう。ですが戦の前に舅殿に会って頂きたい」
「舅……素戔嗚尊様ですか……」
閻魔殿は驚いているようだった。素戔嗚殿を裏切り続けた儂がいまだに繋がっているとは思えないのだろう。だが、儂も舅殿も冥界の住人であるのだ。
「語り部が申しました通り、舅殿は根の国におられます。貴方様の支配する冥府と近くて異なる国です。今は根の国といっても知るものも少なくなりました。舅殿もほぼ隠居のようなものです。それでも力の全てを失ったわけではございません。きっと貴方様の役に立つはずです」
儂は生弓矢を閻魔殿に差し出した。
「黄泉平坂でここぞというときに弓弦を三度弾いてください。素戔嗚殿に伝わるはずです」
「弓弦ですか、私の名にも繋がりがあるようです」
閻魔殿は自分の名が結弦であることを語った。
「それはそれは……きっと御利益がありましょう」
生弓矢を持って閻魔殿は旅立っていった。
若き武神の未来に光あれ
*
ぎぃ……
夜更けの教会で扉が軋む音を立てる。
入ってきたのは一人の幼児であった。
「異教に下ったお主が今更私に何の用だ」
「来てくれると思いました。ミカエル殿」
教会の名は聖ミカエル宵闇坂教会。熾天使ミカエルを守護に仰ぐ十字教の寺院である。
「呼び出したのはその方であろう、ルシフェル」
熾天使ミカエルが応える相手とは……
「その名は捨てました。今は史五郎、ヒト五郎とお呼びください」
ヒト五郎であった。
「人間の名など覚えきれん。それより以前はハエではなかったか?」
「ええ、ベルゼブブの動向を探るのに便利でしたので」
「そうか……断罪の一撃を受けても天界に戻らぬとは……よほどの奇縁に捉われたと見える」
「ふふふ……」
本当は断罪の一撃を受ける前に寿命で死んだのだが、説明する必要もないだろう。
幼児は微笑みで応えた。
「積もる話もありましょうが、そんなことより一つ伺いたい」
「私に話などない……」
「唯一神様の御心を乱すものがいるようです」
ミカエルの拒絶を幼児は無視した。
「…………」
苦々しく無言を返すミカエル。だが、幼児はそれを許さない。
「お心当たりは?」
「…………」
無言で応えようとするミカエル……だが、この勝負はミカエルの負けだった。
「……セラフィエル殿が失踪された」
「なんと……セラフィエル殿が」
驚いたふりをする幼児。だが、その表情は予期していたことを覗わせる。
土地神を悪魔に貶めて侵略の先兵とする。それは熾天使長セラフィエルの常套手段であった。かつてのルシフェルも同じように手を汚した。だが、清廉なミカエルは絶対にしなかったことだ。だからこそヒト五郎はミカエルにコンタクトを取ったのだ。
その成果は充分であった。
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
出雲で大国主命と対面する結弦。そこにはこの国の成り立ちに係る重大な決断が隠されていました。大国主の功績を認める結弦に大国主は素戔嗚との対面を求めるのでした。
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




