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43.素戔嗚尊の挑発

 一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。

 黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。

 だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。

 大国主(おおくにぬし)がよこした道案内は鼠(ねずみ)だった。

 昔、素戔嗚尊(すさのおのみこと)に火攻めにされたとき、鼠の呼びかけで穴に潜(もぐ)り難を逃れたことから鼠は大国主の御使(みつか)いとなった。その頃から大国主は地下に縁があったのだろう。


 根(ね)の国に続く暗く長い洞窟を下ってゆく。

 結弦(ゆづる)の知る黄泉平坂と違い天井の低い狭苦(せまくる)しい洞窟である。それだけ根の国の信仰が薄れているのであろう。

「素戔嗚尊様ご本人は人気があるのですがね。そこここに祀(まつ)っている神社があります」

「清志郎(きよしろう)は元十字教徒なのによく知っているな」

「大王(結弦)様にお仕えすることになってからそれなりに学びました」

 こういうところは性格が出る。悪ぶっていても真面目なのだ。


 十文字(じゅうもんじ)清志郎は十字教神父の家の生まれだ。秘術を授けられるほど将来を嘱望されていたのだが、教えを頑(かたく)なに守ることを強(し)いる父親に反発して飛び出した。その後、勇者の眷属となり当時の閻魔大王と戦うことになったのだが、今は勇者の息子であり閻魔の養子である結弦に従っている。


 先を行く鼠が足を止め振り返る。

 坂道の先は大きく広がり盆地が一望できた。小さな都市位入りそうな土地だった。


 鼠が足元でちゅーちゅー鳴いた。

 ここから先は根の国なのだ。先触れも立てずに踏み込むのは無礼になる。

 結弦は生弓(いくゆみ)を取り出し、弦(つる)を張った。敵対していると思われないよう天に向かって弓を引き絞る。

 びぃーーーんっ! 

 びぃーーーんっ!

 びぃーーーんっ!

 三度弦を鳴らす。


 びゅぅぅぅぅぅぅーっ

 弓音が鳴り止まぬほどの間に突風が吹き付けた。風が収まるとそこにいたのは風を纏(まと)った大男だった。

 風神(ふうじん)だ。強そうだ。うちの仁王(におう)たちともいい勝負をするだろう。

 さすがは荒神(素戔嗚)、配下の神もただものではない。


 風神が結弦を睨(にら)みつける。

「客人……主家の宝をなぜお持ちに……」

 喧嘩腰ではあるが客人と呼ぶからには受け入れるつもりはあるようだ。

「大国主命殿から預かってきた」

 鼠がちゅーちゅー呼びかける。まるで結弦の言葉は本当だと説明しているようだ。風神もふむふむと頷いている。

「風神殿、貴殿の主、素戔嗚尊殿にお取次ぎ願いたい」

「主から仰せつかっております」

 どうやら素戔嗚尊殿は風神を警戒ではなく迎えによこしたらしい。


     *


「どうぞ」

 テーブルにお茶を出した小鳥(ことり)に客の男はにこやかに話しかけてくる。

「ありがとう。この店で酒以外のものが飲めるとは思いませんでしたよ」

「うるせえ! うちにだってソフトドリンクメニューくらいある!」

 向かい合う男は仏頂面で応える。


 ここは居酒屋閻魔堂(えんまどう)。まだ時間が早いので開店はしていない。けど、開店前から人がいるのは珍しくない。みんな魔王様に相談で来る人達だ。

 魔王様はここ宵(よい)が原商店街の会長をしている。けどそれだけでなく近所の人たちは気軽に相談に来る。商売上のトラブルから旦那の浮気の相談まで。いろんなことを相談に来る。それに魔王様は親身になって答えてあげる。

 チェーン店でもない地域の居酒屋はそうでもしないとやっていけないのかもしれない。でも、それだけとも思えない。なんていうか、来る人達は相談に乗ってほしいというより願掛けに来るくらい真剣だけど気安いのだ。

 黄泉坂(結弦)の立場は知っている。彼が話してくれたから。だから魔王様は先の閻魔大王だと言うことはわかる。この人たちはきっと閻魔様を信仰しているのだろう。

 何も頼るもののなかった私とは違う。商店街の人たちは頼ることのできる相手がいて安心している。とても幸せそうだ。

 そう、こういうことが幸せなのだろうと思う。


「で、何の用だ」

「よろしいのですか?」

 客が気にしているのは私のことだろう。部外者に聞かせて良いのかと

「構わん」

 魔王様は断言した。


 それを聞いた男の人は驚いた表情を一瞬見せ、すぐに興味深そうな顔になった。

「この綺麗なお嬢さんは誰の眷属ですか? 覚醒しているようには見えませんが。大王様ではないですよね」

 奥で千衣さんと遊んでいるであろう光月の方に視線を送る。

「うるせぇ、さっさと要件を言え、蘇我(そが)っ!」


 お客の名は蘇我公麿(そがきみまろ)さん。地獄を管轄する政府の人だという。何省かな……人の生死にかかわるなら厚生労働省? それとも戸籍に係るのなら法務省かな?


「冥府(めいふ)の予算の復活が正式に決定しました」

「そうかよ。内定の連絡が来た時点で見積は取ってある。スーパーコンピューターはただ電源入れりゃあいいってもんじゃねえ。再起動してチェック終えるまでどんなに急いでもひと月ってところだろ」

「突貫工事ですねぇ。まあ、急いで頂けるとこちらとしても助かるのですが」

「これ以上、現世に亡者(もうじゃ)を蔓延(はびこ)らせるわけにはいかないからな」

「応援に駆り出している警察官も消耗が激しいようです」

「まあ、あれは精神にくるからな……」

 政府が変わり地獄が閉鎖されて地上は大混乱している。日本近海はヒルコがうじゃうじゃと湧いていた。死者が死なず亡者になって彷徨(さまよ)いだすなんてことがニュースでやっていた。黒鉄(くろがね)さん(光月(みつき)のお父さんで千衣(ちい)さんの旦那さん)たちはその応援に行っている。

 黄泉坂はその黒幕の敵と戦っているらしい。ひとまずは敵をやっつけたようでヒルコはいなくなった。でもまだ黄泉坂は帰ってこない。またどっか別のところに向かったらしい。

 早く帰ってくればいいのに……


「それにしてもあなたも丸くなりましたね」

「……」

「特に腹回りが」

「うるせぇ! 小鳥、塩もってこい! とっとと帰れ!」


     *


 到着は一瞬だった。

 風にまかれたと思ったら気が付いたら一軒の庵(いおり)の前にいた。

「失礼する」

 風神に促(うなが)されオレは一人で庵の戸を潜(くぐ)った。


 庵の中、四畳半ほどの板の間にいたのは一人の老人だった。

 体格はさほど大きくない。胡坐(あぐら)をかいて座る姿は荒神(こうじん)と呼ばれた天津神(あまつかみ)とは思えない。だが……その目は死んでいない。


「お前が今の閻魔か?」

「お初にお目にかかる、素戔嗚殿。当代の閻魔大王黄泉坂結弦です。大国主命殿の紹介で参りました」

 囲炉裏を挟んで素戔嗚の前に座り、名乗った。だが、大国主の名を出した途端、素戔嗚は顔を顰(しか)めた。

「醜男(しこお)はまだくたばりやがらねえのか」

 よほど大国主が気に入らないようだ。素戔嗚は大国主のことを葦原醜男(あしはらしこお)(当時の地上世界である葦原中津国(あしはらなかつくに)から来たブ男)と呼んでいたそうだ。まあ、愛娘(まなむすめ)を攫(さら)った男のこと気に入るわけもない。しかも、家宝まで盗んで逃げたのだ……うん、やっぱりとんでもないやつだ。


「これはお返しします」

 オレまで同類と思われては敵(かな)わない。オレは生弓矢(いくゆみや)を素戔嗚殿に差し出す。だが、素戔嗚は食いつかない。

「用件は聞いている。黄泉の国を荒らしているやつらがいるようだな。お前はそれを倒したいのだろう。それは貸しておいてやってもいい。ただし……見合うほどの腕があるのならなっ!」

 小柄に見えた老人の体が膨(ふく)れ上がった。庵を超えるほどに……いや、本当に庵を吹っ飛ばした。

 実際には体が膨張して庵を壊したわけではないだろう。大きくなったとはいえオレと同じくらいだ。風神よりずっと小さい。庵を吹っ飛ばしたのは気の力だろう。そのくらいは見極(みきわ)められた。


「ほぉ……」

 変わらず囲炉裏の前に座り続けるオレを見て素戔嗚がにやりと笑う。


「大王様っ!」

 清志郎がオレの前に出る。向かいでは風神が前に出て清志郎と睨み合う。

「清志郎、銃を下ろせ」

 オレの側近がこの程度で慌(あわ)ててどうする。相手は素戔嗚、この国でも最狂の暴れ神だ。こんな流れは想定の内だ。

 ようやく立ち上がったオレに向かい素戔嗚は十拳剣(とつかのつるぎ)を抜き放つ。


 本来、十拳剣は特定の剣を指すものではない。拳(こぶし)10個分の長さを持つ剣という意味だ。刃渡りは1mほどになろうか。実際、神話には何本もの十拳剣が登場する。だが、これは違う。素戔嗚が持つ十拳剣は霊獣(れいじゅう)八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した霊剣だ。


 若かりし素戔嗚は出雲の国鳥髪(とりかみ)で足名椎(アシナヅチ)とその妻の手名椎(テナヅチ)の国津神(くにつかみ)の老夫婦に出会う。足名椎は出雲の守護神である山の神大山津見神(おおやまつみのかみ)の子であった。足名椎には8人の娘がいたが、赤い目をした頭と尾が8つある怪物八岐大蛇がやってきて8人いた娘を毎年1人ずつ食べてしまった。残った最後の1人も、もうすぐ八岐大蛇に食べられてしまうだろうと言う。

 残った一人の娘こそ櫛名田比売(クシナダヒメ)であった。櫛名田比売の美しさに心奪われた素戔嗚は櫛名田比売を貰い受ける条件で八岐大蛇の退治を請け負った。

 素戔嗚は八岐大蛇を強い酒で酔い潰したところを打ち取るのだが、8つの頭を落としても8つの尾は動いている。そこで尾も切り落とすのだが、最後の尾を切るとき、何か硬いものに当たり十拳剣が欠けてしまった。尾を切り裂くと中から美しいひと振りの剣が出てきた。これが草薙剣(くさなぎのつるぎ)だ。天照大神(アマテラスオオミカミ)に献上された剣は、後に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が相模の国の野で敵から火攻めされたとき、周囲の草を薙(な)いで難を逃れた逸話から草薙剣と呼ばれることになる。

 素戔嗚が握る十拳剣が本物だという証拠に草薙剣に当たった欠けがある。神代(かみよ)の頃、まだ、世の中に刀はなかった。日本刀が作られるようになるのはもっと後、人の世の時代になってからだ。

 十拳剣は幅10cmほどの諸刃の剣だ。刀のような鋭さはない。日本刀と比べれば武骨に見えるが、その姿は神々(こうごう)しくもあった。それこそ素戔嗚の霊力を纏ってのことだろう。


 戦いは無言で始まった。

 オレの力を見せろという挑発を受けたのだ。他に言うこともない。

 素戔嗚は無造作に踏み込んでくる。だが、それは力任せに何も考えていない訳じゃない。オレが息を吐いた瞬間を見計らって踏み込んできたのだ。

 さすがは戦神(いくさがみ)の親玉だ。いつの世も戦は人と人なのだ。それは今の世でも変わらない。

 オレは後れを取った。


 がきーーーーんっ!!

 十拳剣を受けて焔魔刀(えんまとう)が重い音を立てる。

 老人のふりをしやがって……猛々しさは全然衰えていないじゃないか。

 数合打ち合う。

 機先(きせん)を取った素戔嗚は力押しにくる。オレは受けるだけで精一杯だ。

 だが、それはオレの負けを意味しない。


 素戔嗚の時代、鉄剣(てっけん)は貴重なものだった。製鉄技術がこの国に伝わる前のことなのだ。剣とは青銅(せいどう)だった。鉄剣はすべて大陸から持ち込まれたものだ。一国に一振りあれば戦に勝てるほどの優位があった。

 この国の製鉄技術は素戔嗚が根の国の王となり、鉄鉱石を得てからの話だ。以降、たたら製鉄が盛んになり大陸にはない独自の進化を遂げ、この国の勢力図は大きく書き換えられることとなる。素戔嗚の支援を受けた大国主が葦原中津国を従えられたのはこの影響が大きい。

 だが、十拳剣はそれ以前のものだ。

 オレの持つ焔魔刀は神代の由緒を持つ剣ではない。十拳剣より千年以上降った頃、平安末期から鎌倉時代に入った頃、戦乱の世において閻魔信仰とともに死後の安寧を求めて奉納されたものだ。

 つまり十拳剣と焔魔刀では鉄の質が違う。正確に言えば鉄ではない。鋼(はがね)だ。鉄はつまりFe鉄原子からなるが、そのままでは柔(やわ)いのだ。それにC炭素原子を混ぜることにより硬くなる。だが硬くなれば脆(もろ)くなる。欠けたり折れたりしやすくなるのだ。炭素の配合によりそのバランスを取るのだ。


 製造技術も違う。

 刀は熱した鋼を鍛(きた)えて形作る。折り返して何度も何度も叩き、複層構造になっている。そのため硬さと靭(しな)やかさを併せ持つ。

 それに対して鉄剣は鋳物(いもの)だ。溶かした鉄を鋳型に流し込んで成型する。鍛造と比べて炭素量を多くして硬くすることはできるが、その分脆くなる。だから鉄剣は折れないように太く分厚いのだ。


 爺さんに花を持たせるのもここまでだ。

「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。

 素戔嗚尊の挑発を結弦は受けます。日本神話最狂の暴れ神との戦いはどのような結末を迎えるのでしょうか。

投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。

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