99.兄神
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
「お主らはこの場を離れたほうがよいの」
恵比寿がオレとひかりに言った。
「大丈夫なのか……?」
この国の神々のNo.1とNo.2を怒らせたのだ。オレもこのまま済むとは思っていない。だが、この国は多くの神々を戦で失い、この街は荒れ果てた。
このままでは済まないだろうが、それを放り出して逃げるわけにはいかない。
この荒廃の責任の半分はオレにもあるのだから
「お前がいたんじゃ、月讀がいつ邪魔しにくるかわからん。お前は外していた方がよいのだ、結弦」
懐かしい濁声が聞こえた。
「親父!」
それは魔王こと元閻魔大王黄泉坂閻蔵。オレの父親だった。
「でも、復興も果たさずに逃げるなんて……」
「お前は異界からの侵略を見事うち果たしたのだ。誰も無責任とは言わんさ」
「お父さん……」
傷だらけの一見高校生はオレの生みの親、日色英雄も後押しをしてくれた。
「でも、逃げるってどこへ? 外国か? でも、オレもひかりも英語はあんまり得意じゃ……」
「この世では意味がないじゃろう。逃げるなら過去じゃ」
「過去!? ……だけど月讀は時をさかのぼれるだろう?」
「だから月讀の力が及ばないその先にじゃ」
「ん……私の時代」
つまり恵比寿と蛭子先輩が言うのは月讀命が生まれる前、まだヒルコが健在の時代ということか?
「そんなことができるのか?」
「ん……今の私は月讀の権能をも使える。食べたから」
神を食べることでその権能を奪えるってどこかで聞いた設定だな。
「それにその時代なら私自身が導いてあげられる」
蛭子先輩は創成の夫婦神の長男蛭子命の神性を受け継ぐものだ。蛭子先輩がそういうのならできるのだろう。
「ゆーくん……」
不安そうな顔でひかりが呼びかける。
「大丈夫、どこへ行ったってオレがひかりを守る」
「うん」
オレの言葉にひかりが頷く。
「ひかり……むこうに行っても元気でね」
同じ魂を持つ娘、光月がひかりに抱き着く。
これまでは光月の体の中に同居していたからハグなどしたくてもできないことだった。
「ありがとう。光月、いっぱい世話になったね。大好きだよ」
「うん。体は別れたけど、心は繋がってるのわかるよ。だから、心配しないで、ひかり」
「私は光月だけでなくひかりの守護仏でもあるのですよ。御仏の生誕以前の時代です。できることは限られていますが、最大限の加護を」
光月と入れ替わった月光菩薩が旅立つひかりに加護を与える。
「ありがとう、月光様。光月のことをよろしくね」
「ひかり……幸せになって」
小鳥の願いはシンプルだった。癒しとともに恋の信仰も受けた小鳥こと黒闇天は友人であり恋のライバルの行く末だけが気がかりなのだ。
「あんたも、あんな大見得切ったんだから、約束は果たしなさいよ」
「ああ、約束する」
オレにそれ以上何が言えただろう。
地獄から救い、眷属として受け入れ、期待をさせた挙句、選ばなかったのだ。恨まれても不思議はないのだ。
だけど、オレが受け入れ、オレのことを好きになってくれた女の子はそんなことはしない。あくまでも正々堂々と恋を貫くのだ。
「ひかり……ああ……やっと再会できたのにもう行ってしまうのね」
最愛の娘と再会してすぐに別れとなる満代さんは涙を流して名残を惜しむ。傍らに寄り添う源治さんも涙をこらえている。
「大丈夫だ。ひかりには結弦様がついている」
明兄が涙にくれる両親を慰める。
「ひかりちゃん……むこうで結弦君と幸せになって」
明兄の奥さんで光月の母親である千衣はひかりの恋の成就を喜んでくれる。
別に永遠の別れではない。
向こうで何が起こるかはわからない。どんな状況かも不明だ。何せ、この国の紀元より先、神話の時代に向かうのだ。正直言って不安はある。
けれど、これはオレとひかりの物語の開幕なのだ。涙より祝福の方がありがたい。
「じゃあ、行ってくる。親父、後は任せた」
「ありがとう。みんなも元気で」
オレたちは皆に別れを告げた。
「準備はよいかの?」
「この力は月讀を食べた今しか使えない。やり直しは効かない」
怖いこと言わないでください、先輩。
「大丈夫。オリジナルの私が呼び寄せてくれる」
送り出すのも蛭子なら迎え入れてくれるのも蛭子なのだ。そこは任せるしかない
……えっ!?
「ちょっと待って! 行くはいいけど帰りはどうやってもどればいいんだよ!」
「ん……知らない。なるようになる」
ええええええええええええ―――――っ!!
「行ってらっしゃい」
混沌の女神の曖昧な術でオレたちははるか過去に旅立った。
*
げろげろげろ
ヒルコは吐瀉物のように確保していた神を開放した。
「いい子ね。助かったわ。ありがとう」
主に褒められたヒルコはきゅいきゅいと鳴きながら奥に跳ねていった。
「ん……ママ、弟つれてきた」
「ありがとう、ヒルコちゃん」
そこは王宮の前庭、そしてここは黄泉津国である。
王宮の主が吐瀉物……もとい神に向かって声を掛ける。
「久方ぶりですね、月讀。死別以来でしょうか」
それは黄泉津国の女王伊邪那美命であった。
そして女王に呼びかけられたのは、ヒルコに丸呑みにされ閻魔天との諍いを強制的に止められた月讀命である。
目の前の光景……別れを嘆き、再会を夢見て、そしてこの世の理と諦めていた……そんな母を目の当たりにして月讀命は茫然としていた。
「どうしました? 母の顔を忘れてしまいましたか?」
「……母上様に在らせられましょうか?」
「そうですよ。あなたの母、伊邪那美ですよ」
再度、声を掛けられ我に返ったが、いまだに信じられない。
「月讀はもっと外に出るべき。引きこもりだから物事を悪くばかり考えてしまう」
母の膝の上から蛭子が諫める。
「しかし……母上は身罷られたのち黄泉津国に落ち亡者になられたと……」
「それをあなたは自分で確かめたの?」
「いや……でも父上が……そう言われたので……」
「今の私を見てどのように思います? 亡者に見えますか?」
「いえ……以前の……美しい母上のままです」
「あなたは自分で確かめるべきだった。始祖神の一柱たるママが亡者として終わってしまったのかどうかを。確かにママは死んで黄泉津国に落ちた。この国の食べ物を口にしてこの国に属することとなった。でも神性はその程度では汚れない。やがてこの国でも神となり支配者となった。地上に還れなかったのは別に理由。ん……」
「あのときは誠に申し訳ないことをした」
蛭子に促され始祖神の片割れが土下座で応える。
「父上っ!?」
そう伊邪那美の夫にして月讀命の父神、伊邪那岐命である。
「この国の食べ物を口にしてこの国のものに身体か作り替えられていた時期。パパはそんなときにやってきた」
「そんな間の悪いところもあなたの魅力ですわ」
「ママはパパを甘やかさないで」
蛭子に叱られ伊邪那美は「は~い」と言いながらも嬉しそうに見つめ合う。
「古い肉体が腐り落ちかけていたそんな状態のママをパパは連れ帰ろうとした。地上に戻れば体は元に戻る。だから地上に出るまで絶対に見ないという約束でママは地上に戻ろうとしたの。でもパパは約束を守れなかった」
「あのときは誠に申し訳ないことをした」
伊邪那岐は土下座を繰り返す。
「それできまり悪くなった私はそのまま黄泉津国に居残ることにしたの。月讀には寂しい思いをさせてしまいましたね」
「それだけ……なのです……か?」
「そうよ。神はその信仰の続く限り死んでも不滅よ。それまで死の概念がなかった民たちが死んで黄泉津国に落ちるようになったのだから、それだけって軽いものじゃなかったのだけれどね」
「あのときは誠に……(以下略)」
「でもね、月讀。人は死ぬようになったことで進化できるようになったの。獲得した技を伝え、学び新しい技に発展させる。新しい田を拓く。新しい道具を作る。新しい国を作り、新しい文化を生み出す。これは不死だった頃の人にはできないことだわ。進化する人に比べて居続ける神は置いていかれる。だから信仰が変わるの。信仰が変われば神は消えるかもしれない。時代に合わせて神性を変えることもある。でも、それでいいの。そうでなくてはいけないの。神のために人がいるのではない。神は人のためにいるのだから」
「お畏れながら、月讀命様」
呆然とする月讀命に後ろから声を掛ける者がいた。この騒動の当事者とも巻き込まれた者ともいえる恵比寿神である。
「我が妻蛭子はあなた様を軽んじているわけではございませぬ。ただ、只人の復活を禁忌だからといってただ否定してほしくなかっただけでございます。妻は申しておりました。『伊邪那美様に会えばわかる』と」
蛭子は……いや蛭子命……兄上は正しかったのだ。
母は死んで再生できなかったのではない。しなかったのだ。そして黄泉津国を正しく導くことで現世を正していたのだ。
母が正しく生きてきたのであればそれを理由に他者を否定することは愚かであろう。
月讀命は居住まいを正すと伊邪那美命に改めて再会の口上を述べた。
「母上、お懐かしゅうございます」
「はい、そなたも健勝でなによりです。ささ、もっと近くに。よく顔を見せてちょうだい」
それは三千年ぶりの母子の対面なのであった。
「おおっ、兄上も来ていたか。母上、姉上が見えられたぞ」
稽古からの帰りと思われる素戔嗚尊が、姉神天照大神を案内してやってきた。
クトゥルフに蹴散らされた素戔嗚は黄泉津国に落ち、先に落していた妻女櫛名田比売と再会していた。閻魔天が邪神たちを倒したと聞いて武神の血がたぎったらしい。
「月讀……父上も来ておったか。母上、父上、お久しゅうございます。天照にございます」
創成神の一家団欒である。
「そろそろ、こいつの処分を決めてほしい」
げろげろげろ
顔色悪そうにしていた一匹のヒルコが吐き出したのは邪神ヨグ=ソトースだ。
「ん……言いたいことがあったら言って」
「我が愚息どもはどうなりましたでしょうか?」
「その方の息子たち、クトゥルフ、ハスター、ニャルラトホテプは閻魔天の裁きを受け、地獄に落ちた。そこで浄化されれば輪廻転生の輪に入ることになるであろう」
当事者として恵比寿が代表して答えた。外に適役がいないのだから仕方がない。
「ならば、申すことはございません」
「命乞いはせぬのか?」
「我らは滅びた世界より生き残りを賭けて渡ってきました。3人もの息子がこの世界に受け入れて頂けるのならこれ以上の望みはございません。ご迷惑おかけした咎は私の責任にございます。いかような処分でも受け入れる所存でございます」
ヨグ=ソトースの望みは明確だった。
「月讀、戦ったあなたが決めなさい」
黄泉津国の女王伊邪那美命が、月讀命を判事に任命した。他の者に異論はない。
実際にヨグ=ソトースと戦った月讀命としては思うところがあったのだろう。少し考え、小さく頷く。
「既に反省しているものを罰しても仕方がありません。かといって輪廻転生の輪に加えるのも障りがあります。ここは母上に預かって頂くのがよいかと」
黄泉津国は、地獄(黄泉の国)と違い責め苦の浄化は行わない。そもそも転生を目的とした屍者の国ではないのだ。屍者は屍者としての安寧を得るための国なのだ。悠久の時が流れる黄泉津国では『時渡り』の権能も意味をなさない。
同じ権能を持つ月讀命ならではの判決であろう。
「よいな、ヨグ=ソトース」
「畏れ入ってございます」
これにて邪神戦役は完全に終結した。
*
ざざーっ
波の音がする。
目が覚める。
腕の中の愛しい温もりを確かめてから、体を起こし辺りを見回す。
砂浜だった。
海に落ちて流され、打ち上げられたのだろうか?
服はわずかに湿っていた。打ち上げられたとしてもずいぶんと時間が経っているようだ。
日は海面上に在り、どうやら夜が明けたばかりのようだ。
「ゆーくん……?」
腕の中の温もりも気が付いたようだ。
「ひかり、見てごらん。これがオレたちの新しい世界だよ」
二人の門出を祝福するかのような夜明けであった。
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
頑なだった月讀命の誤解も解け、邪神たちの処分も決まりました。邪神戦役の完全なる終結です。ここまでお付き合い頂きありがとうございました。計算したわけではないですが、序章を含めてちょうど100話での区切りとなりました。
次話からは、外伝「太陽の子」を投稿します。本編物語の続きなのですが、主役が変わりますので外伝扱いとします。本編は彼らが帰ってきてからのお話となります。それまで外伝にお付き合いください。
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




