memorial1 メモリー・ローズ 前編
夢というものは、不思議なものです。忘れたはずの景色を、鮮明に映し出すこともある。今宵も大切な夢へとご案内しましょう。
ここは駅から少し離れた路地にある、バー『Aube』。店内はオレンジがかった暖かい照明に包まれており、穏やかな雰囲気が漂っている。バーカウンターの前には背もたれのある椅子がいくつも並んでおり、奥には色とりどりのボトルが綺麗に並んでいる。休日や仕事帰りに一人でお酒を片手に物思いにふけったり、恋人と語りながら過ごしたり。ここに訪れる人は、日常を忘れ、ゆったりとした時間を楽しむ。
カランコロン。
扉が開き、一人のサラリーマンが入ってきた。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
「ありがとうございます」
彼は一番端の椅子に座り、手に持っていたキーケースをカウンターの上に置いた。
「お飲み物はどうされますか?」
白シャツに黒ベスト、首元には赤い蝶ネクタイ。高身長でスラッとした男性が物静かな口調で問いかけた。
「ウォッカトニックお願いします……」
「かしこまりました」
「お待たせいたしました」
「ありがとうございます」
彼はグラスを右手に持ち、口元へゆっくり近づける。一口含むと、大きくため息をつく。
左手の手のひらで頬を支え、カウンターに肘をつき、グラスを少し揺らしている。『カランコロン』とガラスと氷がぶつかり合う音色が聞こえる。
「お客様、可愛いキーホルダーですね」
彼はいきなり声をかけられ唖然とした表情をした。
「あ……。ありがとうございます。似合わないでしょ?」
「いえいえ」
「……。昔、笑顔が素敵な子に貰ったんです。名前も顔も分からないんですが……昔から持ってまして」
「大切なんですね」
「そう……みたいです」
彼はまた、お酒を一口飲み、肩を落とした。グラスの一点を見つめ無表情のまま黙り込んでいた。マスターとの会話も頭に入ってない様子だ。
「何かお悩みでも?」
マスターが優しく問いかけた。
「え?……いや……」
「よろしければ、私がお話相手になりますよ」
彼は両手を膝の上に置き、視線をグラスへと落とし、口を閉ざした。
しばらくして、再びグラスをゆっくりと片手に持ち、一口飲む。静かに息を吐くとようやく口を開いた。
「実は……。来月、彼女にプロポーズしようと思ってまして……」
「プロポーズですか!?おめでたいことですね」
「は、はい……」
「何をそんなに悩まれているんですか?」
「いや……。僕で良いのかな……。彼女を幸せに出来るのか不安でして……」
彼の言葉に一つ一つ丁寧に頷く。
「もちろん、彼女のことは愛しています。でも、何度もプロポーズをするチャンスがあったのに……。その一言が出なくて……」
「勇気が出ないと?」
「はい……。来月こそは……と思っているんですけど……」
「なるほど」
マスターはカウンターの中から物を取り出すと、男の前にゆっくり、一通の黒い封筒を差し出した。
「これは?」
「あなたへの招待状です。今夜二十二時、もう一度ご来店ください」
そう言うとマスターは他の接客へと行ってしまった。
時刻は二十二時。僕は黒い封筒を片手に再び店の前にやってきた。何が起こるのか不思議に思いながら店の扉に手を伸ばすと、そこには『close』の看板が掛かっていた。店の外灯も付いていない。
「お店やってない……よな?」
僕はマスターにからかわれたのだろうか……。何を期待してこんな時間にここまで来たのだろう……。
「本当に僕ってバカだな……」
少し笑った口調で呟いた。
息を大きく吸って肩を落とす。その拍子に手の力が抜け、持っていた黒い封筒が滑り落ちた。
僕は落ちた封筒に視線を落とす。
「何これ?」
封入口から白い紙が見える。封筒を拾い上げ、中身を確認すると『ドアを三度、叩きなさい』と書いてあった。
半信半疑で扉を三回ノックする。恐る恐るドアノブを回すと、扉が少しだけ開く。その隙間からは、月明かりのような青白い光がバーカウンターを照らしているのが見える。
「こんばんは……」
僕は昼間とは打って変わった店内の雰囲気に呑まれながら、ゆっくりと中へ入って行った。
「乾様、お待ちしておりました」
すらっとした長身、長い黒髪を後ろで一つに結んでいる男性がお辞儀をして、迎え入れる。服装は昼間と変わらないが、別人のような雰囲気を纏っている。
「あ、あの……なんで僕の名前を?」
「?」
男性はにこりと微笑みながらこちらを見ている。
「僕の名前、なんで知ってるんですか……?」
「昼間、教えてもらったので」
教えた記憶はないが、昼間はお酒も飲んでいたので思わず口を滑らせたのだろう。男性の言葉に納得した。
「こちらの席へどうぞ」
言われるがまま、男性の向かい側の席についた。
「改めまして、私はここのバーを営む、夢野透です」
「は、はぁ……」
「今宵は、あなた様へ特別なカクテルをご用意いたします」
「勇気づけるために呼んでくれたってことですか……?」
「いえいえ。私からの助言はありません」
「じゃあ、何で?」
「特別なカクテルをお召し上がりいただければ、自ずと答えが見えてくると思います」
そう告げると夢野は静かにカクテルを作り始める。僕はカクテルと昼間の会話に何の関係があるのか疑問に思いながら、夢野が作る姿を眺めていた。
「お待たせいたしました」
カクテルは、淡いピンク色で、グラスにはピンクのバラが添えられている。ほのかに甘い香りが漂う。
「メモリー・ローズです」
「メモリー・ローズ?」
「華やかなバラの香りの中に、優しさと、ほんの少しの酸味を閉じ込めました。」
「ありがとうございます」
「どうぞ、ごゆっくりお召し上がりください」
僕はゆっくりとグラスに口をつけた。バラの香りと共に、蜂蜜のような甘味とレモンの酸味が口いっぱいに広がる。何だか、昔飲んだことがある懐かしい味だ……。そう思っているうちに瞼が徐々に重くなり、意識が遠のいていった。
「今宵は大切な夢が見られますよ」
ザブーン……。ザブーン……。
波の音が聞こえる……。
どこか懐かしい潮の香り……。
(……海?)
ぼんやりと景色が映し出された。どこかで見た風景……。ここどこだっけ……?
半袖、短パンの男の子が海の胸壁に座り、ぼんやりと海を眺めている。
(見覚えのある服装……)
何を思ったか、男の子は立ち上がり、僕に背を向け、両手を広げると胸壁を一本橋のように進み始めた。
「あ、ぼく、危ないよ」
思わず声が出てしまった。しかし、男の子は周りを気にせず、一歩、また一歩と足を進める。
「だから、危ないって!!!」
大きな声を出した。だが、男の子は振り向こうともしない。
(僕の声……聞こえてないのかな?)
「ねぇ、君、そんな所乗ったら危ないよ?」
声が聞こえ、僕の視界の中にセーラー服を着た黒い髪が長い女の子が入ってきた。男の子は女の子の声に反応して振り向いた。
(あれ……僕……だよね?)
「こんな所で何してるの?」
女の子は笑顔で問いかけた。
「なにって……ひまつぶしー」
「お父さんとお母さんは?」
「海の家ー。手伝ってるのー」
(海の家……?確か小学生の頃に一回だけ親に連れられて行ったっけ)
僕は二人の会話を眺めていた。
「そうなんだ!」
「お前は?」
「学校帰りよ」
「へー夏休みなのに学校ってあるんだなー」
「部活よ」
「何それ?」
「うーん。クラブ活動って言えば分かるかな?」
「へー」
「君は何年生?」
「小五ー。お前は?」
「中学二年生よ」
「へー」
「それより、君、『お前』じゃなくて私にも名前はあるのよ」
「そんなの知らないもん」
「私の名前は葛城花!花って呼んで」
女の子はにこりとした。
(カツラギ ハナ……。この口角を上げてクチャっとした笑顔……。見覚えがある)
「へーボクだって、『君』じゃなくて、ゆうたって名前あるもん」
「ゆうたくん!よろしくね」
それから二人は日が暮れるまで、胸壁の上で話していた。
僕はそんな二人の会話を近くにいるようで遠く感じながら眺めていた。
ぼーっとしながら、ふと瞬きをすると景色が変わっていた。
(ここはどこ?)
あたりを見渡すと民宿のような雰囲気の場所。畳が敷いてあり、テレビが一台、和室のようだ。布団が綺麗に二つ畳まれている。よく見ると布団が一つ敷いてあり僕がお腹を出して、枕とは反対方向に寝ているのが見える。布団はあらぬ方向に投げ捨てている。
(僕、こんな感じに寝てたんだ)
子どもの頃、寝相が悪かったと両親から聞かされていたが、いざ目の前で見ると面白くなってきた。
もっと観察したいと思い、寝ている彼のそばへ近づく。ふと、横の鏡に視線が入った。
「え……」
鏡を見た瞬間思わず声が漏れた。
「何で?どーゆーこと?」
鏡には部屋の家具などがハッキリ写っている。しかし、僕の姿だけは写っていなかった。
恐る恐る、鏡に手を伸ばすと確かに指先に鏡が触れている感触はある。
「僕……ここにいるよね?」
全身を見渡すと足も手もある。だが、鏡を覗くと僕の姿は映し出されない……。
もう一度部屋を見渡した。
敷布団では彼が静かに眠っている。
(こんなに大きい声を出してるのに何故彼は起きない……?注意した時も彼は気づいていない様子だった……)
「まさか……」
僕はようやく気づいた。
「これって夢!?僕の過去の記憶ってこと?」




