告白
2020年4月某日。受付で手続きを済ませた普は、看護師の案内に従って清音の病室に足を運んでいた。
案内された病室の前で普は立ち止まる。一呼吸を置き、頬を両手で強く2回叩くと、笑顔を浮かべてからその扉を開けた。
「清音、おはよう」
普の声に、水永は声を返さなかった。ベッドの上で眠ったまま、普の来訪にも気が付いていない。この病院に運ばれたときからずっと、彼女は眠ったままだった。
「今日は天気がいいぞ。今朝桜の開花宣言も出たんだ。あ、今日もちゃんと持ってきてるからな」
言いながら、普は持ってきたスズランの造花を空の花瓶に差し込んだ。
「いやぁホントは本物持ってきたかったんだけどさ。治療の邪魔になったらいけないから、悪いけどこれで我慢してくれよ」
結局のところそれは独り言である。普にもその自覚は確かにあったが、それでも止めるつもりは無かった。止めるときがあるとすれば、それは彼女が目を覚ましたときだろう。
穏やかに眠る水永の寝顔を見つめながら、普はそっと彼女の手を握った。その手は相変わらず、春の訪れを感じさせる温もりを確かに持っていた。伝わってくる体温に、普は微笑みとも哀愁ともつかない表情を浮かべて、しばらくの間手を握り続けていた。
間も無くして病室の扉がまた開く。現れた来訪者に目を向けて、普は少しだけ目を見開いた。
「まぁ、いるよな当然」
普の姿を見て、病室に入った音切鳩は納得したように息を吐いた。
「ハト先生もお見舞いですか?」
「そんなところだ」
言って、音切は一通の手紙を花瓶の傍に置いた。ライオンの封蝋がされたその手紙から微かに漂ってくる香りに普は視線を向けるが、敢えて言及はせず、代わりに視線を音切へ移した。
「この間担当の先生に言われたんですよ。植物状態だそうです。治る見込みも、今のところは無いって」
「だが生きてる。そうだろ?」
「……はい」
普を遮るようにして音切は言った。なおも水永の手を握ったまま、普は言葉を呑み込んで頷いた。
「もう気付いてると思うけどよ。お前に、言わなきゃならんことがある」
煙草の代わりに飴を口に放り込んでから、音切は僅かにこう言った。
「俺が"メッセンジャー"だ」
普は大して驚いたような素振りを見せなかった。ただジッと、音切の目を見ながらこう言った。
「誰かに依頼でも受けたんですか?」
「コワ……なんで分かるんだよ」
「だって、依頼でもなきゃわざわざ"メッセンジャー"って名乗る必要ないでしょう?」
「はぁ……その通りだよ」
聞いて、音切は観念したように溜息を吐いた。
「依頼人は誰です? 兄貴ですか、それとも清音が予め予約してたとか?」
「いいや、水永玲央だ」
普は声を出さずに驚愕する。水永玲央の名前が登場することは、普の推測には一切無かった。
「『姉貴を頼む』ってさ」
託されたメッセージに普はただ、天を仰いだ。
「そんで俺からも個人的に言いたいことがある。大事なことだからよーく聞けよ」
間を置き、音切は普の心境を察しつつも沈黙を破る。普は目線だけを音切によこした。
「水永も言ってたが、この世界はひとつの巨大な物語だ」
「『故に我々の人生は物語によって定められたシナリオに過ぎない』……ですよね」
「そうソレ。ちゃんと覚えてたみたいだな」
「……やっぱり先生、ファミレスで俺たちのこと見てたんですね」
音切は鼻を鳴らすだけで答えなかった。
「実際水永の言ってることは事実でな、この世界は確かに物語だった」
「だった、ですか?」
「あぁそうさ。今はもう違うけどな」
少し笑いながら、音切は新しい飴を口の中に投げた。
「と言っても、元々崩壊寸前だったんだよ。『異能力者』がその証拠だ、お前も心当たりがあるんじゃないか?」
「……『異能力者』は……"神の視点"に映らない」
「その通り。なぜなら"作者の視点"は物語に存在しないものを観測できないからだ」
普の呟きを、音切は頷いて肯定した。
「最初こそ完璧な物語だったはずだ。全てが物語の通りに動く世界だった。それでも長い時間を掛けて蓄積した歪みや摩耗が徐々に物語を壊し始め、最終的に『異能力者』っていうエラーが生じるようになったってわけだ」
「……そのエラーを排除するために、清音も兄貴も事故に合ったってわけですか」
「あと水永玲央もその中に入るぞ。……だがまぁ、そういうことになるな。シナリオを無視して好き勝手動くヤツなんて、物語からすれば邪魔でしかない」
普の眉間にしわが寄った。理不尽に対する言いようがない怒りと憎しみがその目に宿っていた。しかし、ソレを音切に向けたところで意味がない。それを分かっているからこそ、空いている手で己の眉間をほぐした。
「だがな、物語にトドメを刺したのは『異能力者』じゃなくてお前だ」
「……俺が?」
「お前が水永に贈った栞だよ。華のバカに手伝ってもらったんだろ?」
普の表情が僅かに動く。水永の手を握る力が、また少し強くなった。
「じゃあ俺じゃなくて華さんのお陰でしょ」
「いいや、お前だ。お前がサプライズを計画してなかったらあの栞は生まれなかった。────お前が水永の命を救ったんだ。だからよ、少しくらい泣いたっていいじゃねぇか」
音切の言葉を受けて、普は水永の顔に目線を落とす。
「それも結局、結果論じゃないですか……」
普の慟哭のような嘆きが沈黙の中に溶けた。
「1年もあったんですよ……? 365日です。それだけ時間があれば清音が事故に合わない未来だって掴めたはずなのに……俺は最後まで、見てるだけだった」
「そうなるように水永が仕組んだことだ。お前の責任じゃない」
「だったらなんなんですか。清音が助けられることを望んでいなかったとしても俺は助けるべきだったんだ。もっと早くに清音の思惑に気付いて、積極的に行動していればこんなことにはならなかった」
頑なに譲らない普の態度に音切は飴をかみ砕く。感情を静めるように深い呼吸をしてから、普に鋭い目を向けた。
「────自分は周りよりも優れているという純然たる事実に裏打ちされた馬鹿みてぇな過信と傲慢、その癖失敗したときは過剰なくらい自分を責める……これだから頭の良い生徒は面倒なんだ」
その声には教師としての万感、疲労と諦念と形容すべきものが籠っていた。
「より強く、より賢く、より完璧に。失敗するたびに次こそはって自分を痛めつける。自傷行為を成長と呼ぶから、生きる意味が分からなくなるんだ」
最後には叱責に形を変えたその声に普は目を向けなかった。
「最初から自分も助かる可能性を諦めたのはこの阿呆だ。理由は知らんが、お前に告白して助けを求めておきながら最後まで頼らなかったのもこの阿呆だ。お前に責任があるというなら、此奴にも相応の責任がある────」
「泣いて、清音が目を覚ましてくれるんですか?」
雷のように唐突に被せられた声に音切は言葉を詰まらせる。溜息を吐いた普は、座っていた椅子の背もたれに身体を投げ出すようにしてもたれかかると、力ない様子で声を発した。
「ずっと疑問だったんですよ。なんで俺のことを頼ってくれないんだろうって。付き合い始めたのだって、元々は自分が死なないために協力しようってアイツの方から言ってきたのに。コイツ……何故か知らねぇけど、全然そういう話してくれなかったから。俺ってそんなに頼りない彼氏なのかなって、思った時もあったけど、全然そんなんじゃなかった。────コイツ多分、カッコつけてただけなんですよ」
聞いて、音切は眠る水永に目を向けた。
「好きな人の前でカッコつけたかっただけなんだなぁって……。それにコイツ、俺の事をデカい弟かなんかだと思ってるみたいで……事故で弟も死んでるし、だからお姉さんっぽく振舞いたかっただけなんじゃないかなって……途中から分かってたけど、指摘するのも野暮だと思って言わなかったんです。それにコイツは、こういう頭良いくせにバカみたいなところが可愛いから」
言っている途中で感極まったのか、普の声は段々と喉から絞り出したようなか細い声に減っていく。ハハと微笑する声は吐息と変わらず、もはや声にすらなっていなかった。
「ほんと、バカですよねぇ。どうしようもないバカ野郎です。それで死んじまったら意味ねぇのに」
ソレが深い後悔と自責の念から来るものであることに音切は気付いていた。気付いていたからこそ、敢えて指摘するような野暮はしなかった。
「だから決めたんです。このバカが起きるまでは絶対泣かないって。そんでコイツが目ェ覚ましたときに思いっきり泣いてやるんです。俺がどれだけ心配したか分からせるために」
「このバカ者夫婦め」
音切が呆れ笑いを浮かべながら言うと、普は鼻を鳴らして微笑した。その様子を見て音切は役目を果たしたことを確認して席を立った。ソレは教師としての役目なのか、"メッセンジャー"としての役目なのかは本人にしか分からない。扉を開き、病室を去る間際に音切は立ち止まった。
「油断するなよ普。こっからはお前が物語を紡ぐ番だ」
間も無く音切は病院から立ち去った。水永と共に病室に残された普は椅子から立ち上がって窓を開けた。麗らかな青空、春の到来を告げる温かな風が室内を陽気で満たしていく。
『同じクラスになれて嬉しいです』
普は覚えている。かつて教室で水永と感じたこの風の温もりを。彼女と過ごした日々の記憶、スズランの香りに満たされた思い出を。
『この期に及んでまだ玲央の顔を思い出してる!!』
『遠くない未来で必ず傷つくことになりますよ。それでもいいんですか?』
『10月26日です』
『はい、三葉君。あーん』
『騙されましたねぇ三葉くん。女の涙は謀なんですよ?』
『三葉くん。少しお時間いただけますか?』
いつまでも覚えている。時が流れ、季節が廻り、風が吹き、そして花が枯れたとしても、ソレは思い出の中で咲き続ける。
チラリと、普は水永の顔を見た。
「寝ぼけて、俺の事忘れてたら結婚するからな」
その顔は僅かに微笑んでいた。
あと1話です。




