第64話
母の政子との末期の会話を交わした前後、大江広元も亡くなった。
気が付けば、私が将軍になった際の13人の宿老衆は皆、あの世へと赴いていた。
私が承久の変の際等に頼りにした源氏の重鎮といえる源範頼叔父にしても、先年に亡くなった。
敢えて突き放した言い方をさせてもらえばだが、承久の変という日本を二分する国難を完全に乗り越えられたのを見届けたかのように、母の政子も大江広元も(更に叔父の北条義時も、源範頼も皆)あの世へと赴いていたのだ。
そのことに気づいた私は、今後のことについて、改めて様々な考えに耽った。
そして、私は、粛々と母の葬儀の準備をして、母の葬儀を執り行ったが。
その陰で、まずは息子の源頼貞だけを密やかに呼んで、話を交わした。
「幾つになった」
「(数えなので)26になります」
「そうか」
私は敢えて暫く黙って考え込む振りをした。
予想通りというのも何だが、頼貞の方が沈黙を破った。
「何をお考えですか」
「そうやって、沈黙を破るものではない。言いたくない者を急かせてはならぬ」
「それは考えが及びませんでした。しかし、どうにも耐えかねました」
私の注意に頼貞は素直に謝ったが、言い訳をしてくる。
全く若い者は、と私は考えて、自分が年老いたことに改めて気付いた。
そうか、そういうことか。
「今後、公式で単に源を名乗るのはお前と、その子孫だけにしたい。家朝は六波羅家を、家経は大弐家を公式には立てさせたいと考える。賛同してくれるか」
「それは私が兄弟の中でも特別ということが分かります故、賛同しますが。何故にそんなことを」
「決まっておる。今後の家のことがあるからだ」
私と頼貞は更なる密談をした。
「儂の跡取りは、お前と完全に決めておるが、だからといって兄弟間の争いが無くなるとは限らん。それは重々分かっておるな。儂と実朝が良い例だ」
「はい」
「更に言えば、家朝と家経の間が微妙だ。家経は正室の子だが、家朝は皇太后鞠子の同母兄になる。更に言えば、宮中や公家との関係から儂が家朝を優遇したからな。家朝は、間もなく従二位に上がり、大臣と呼ばれるようになるだろう。そうなると完全に(従三位で太宰大弐の)家経よりも格上になる。家経にしてみれば、正室の子の儂の方が格上なのに、と考えて陰で色々と動きかねん。歳だけ言えば、家朝の方が家経よりも上なのだがな。更に言えば、共に正室の下で育った兄弟なのだが」
「確かに言われてみれば」
私の詳細な説明に、頼貞は徐々に現実が見えて来たようだ。
「ともかく兄弟の間と言えども考えねばならぬことがあるということだ。これが御家人間のこととなれば、更に悩みが酷くなる。幕府で一の御家人と言える北条家も、比企朝時との関係等があり、一枚岩とは程遠い。三浦家も和田家と確執を抱えている。他にも千葉家や小山家、足利家等、余り鎌倉での動きに関心を持っていないが、その地方では有無を言わせぬ大御家人もいるのだ。そういったことの調整等をしてきたところに、承久の変という一大事があった。幸いなことに勝てたが、儂は一時だが、摂政太政大臣に征夷大将軍を兼ねることになった。1年程で、征夷大将軍をお前に渡せて、心から感謝している。お陰で少なからず楽になったからな」
私は頼貞にやや長い述懐をした。
頼貞は何時か、私の言葉に耳を傾けている。
それを確認した上で、私は自分の今後のことを言った。
「まだ若いと言われそうだが、色々と疲れた。母の葬儀を終えたら、上京して帝に骸骨を乞おうと考えている。つまり、隠居して全ての官職を辞職するということだ。摂政は近衛家実にして、後は大臣を順次昇進させ、家朝を内大臣にしようと考えている。お前はどう考える」
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