第63話
連続投稿になります。
私が母の政子の見舞いの為に、急きょ京から鎌倉に向かった時だが。
私にしてみれば、忙しさにかまけて、自分の気が付けばという感じで、1225年の夏が来ていた。
それこそ承久の変の決着が着いてから、ほぼ4年が経っていたのだ。
そして、その間に和田義盛が病死し、又、北条義時も病死した。
更に大江広元や、私の母の政子まで重病の床に付いていたのだ。
私は改めて歳月の流れの速さを痛感せざるを得なかった。
私が鎌倉に到着した際、母はとても床から自力では起き上がれる状況ではなかったが、まだまだ意識ははっきりしている状況にあった。
だから、私達は末期の会話を交わすことができた。
「従一位摂政太政大臣が仕事を放り出して、鎌倉まで来て良いのですか」
「母の死に水を取りに参るのに、仕事を気にして等はおられません。仕事どころではありません」
母のからかうような口調に、私は生真面目に答えた。
「貴方は子どもの頃から考えてみれば、そうでしたね。本音では仕事がどうでもよくて、どこかへいつも逃げ出したがっていた。それなのに、結果的には仕事をせざるを得なくなって、更に重職を務めあげることになって、位、人臣を極めることになった。私の息子、長男に産まれない方が、本当は貴方としては良かったのかも」
母は長く話すのがつらそうなのに、そこまで無理して述べた。
私は黙って、母の言葉に耳を傾けた。
「ところで、貴方の義祖父(私の正室の辻殿の祖父)の源為朝が、様々な航海用の帆や器具をもたらしたというけど、本当は貴方の考えなのでは。貴方は、自分の立場から逃げ出したくて、そんなものを考えついたのでは」
母はどこか透徹したような口調で言った。
私は母の勘に驚かざるを得なかった。
正確に言えば違うが、かなり正確に母は真実を見抜いている。
「考えてみれば、貴方も40歳を過ぎましたね。隠居するには若い気もしますが、色々とあり過ぎて疲れたでしょう。子どもらも皆、無事に育ったのですから、隠居したいなら隠居しなさい。そして、自由になりなさい。これを母の最期の言葉と思って聞きなさい」
「母上」
私は母の言葉にそれ以上の言葉がどうにも出なかった。
真実を明かしたい。
自分には前世の記憶があり、母や叔父が怖くて、この地から逃げ出したかったのだと。
でも、そう内心では思いながら、どうにも自分の口が動かなかった。
この場には、自分と母しかいないと言っても間違いない。
だから、秘密が漏れる心配等は皆無と言ってよいのに。
何故、自分の口は動かないのだろう。
そう考える間もなく、母は更に末期の言葉を紡いだ。
「娘二人に先立たれた際には、息子二人にも先立たれるのでは、と不安に駆られました。結果的には息子二人が争い、孫が息子を討つという哀しいことがありましたが。何とか息子1人に最期を看取ってもらうことができました。それをせめてもの人生の慰めとしましょう。息子が位、人臣を極めたことよりも、又、孫娘が皇太后となり、曾孫が帝になった事よりも、その方が私は嬉しい気がします」
それが、事実上は母の末期の言葉になった。
その後も、それなりに母は話をしたが、意味が通らなかったり、どうにも聞き取れなかったり、単なる返答だったり、ということばかりで、体は徐々に弱っていって、私との末期の会話を交わして、丸2日も経たない内に、母はあの世へと旅立った。
私は母との末期の会話を思い起こした。
母は私の知る史実よりも、遥かに幸せな最期だった筈だ。
私は位、人臣を極めたし、孫娘は皇太后、曾孫は今上陛下になられたのだ。
それなのに、何故に母はあのようなことを言ったのだ。
考えてみれば、母は人生に不満を抱えて亡くなったのではないか。
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