第55話
私としては、本音ではそんなことは言いたくなかった。
だが、この時代には神仏の罰が信じられている。
そうしたことからすれば、部下の御家人達が神仏の罰が下されるのではないか、と危惧することは当然のことであり、私としては、そんなことはない、と部下の御家人達の危惧を軽減する必要がある。
だから、あのように獅子吼したのだが、これはこれで激烈な状況を招いた。
「聞いたか。日吉大社や春日大社の神輿が、不破関の戦いで幕府軍に焼かれたそうだ」
「それで、どうなった」
「それが源頼家以下、特に神罰が下された気配がないらしい。源頼家は、延暦寺や興福寺等の行動は実は神慮に背いていたことが証明されたと叫んで、神慮に背いた行動を取った延暦寺や興福寺等を焼亡させ、全山の僧侶を皆殺しにすると叫んだとか。更に幕府軍の多くの面々も同意したとか」
「何と怖ろしいことを。しかし、確かに源頼家らの言葉も正しい気がするな」
そんな無責任な会話が、京の市中の庶民や、果ては公家の間にまで交わされたが。
その一方で。その言葉を聞き及んだ南都北嶺の寺社の多くにおいて、多くの僧侶の逃亡が相次いで起きることにもなった。
「儂は死にたくない。何とか逃げて生き延びるのだ」
本音ではそう考えつつ、口先では、
「将来、いつかこの寺を再建して、仏法を再興する必要がある。そのために儂は地方に落ち延びて、今は生き恥を晒すのだ」
と弁解して多くの僧侶が地方へと逃げて行った。
とはいえ、全ての僧侶が逃げられるだけの縁も無い。
余程の縁でないと、逃げた先で幕府方に通謀され、逆に殺される危険を考えねばならないのだ。
そうしたことから、一部の僧侶は止む無く、寺に残らざるを得なかった。
又、僧兵を中心とする一部の悪僧に至っては、神仏の加護を頼みとして、命が尽きる最後まで幕府方と戦おうとした。
文字通りに自らが入った寺に殉じる覚悟を固めたのだ。
だが、それが神仏に報われたかというと。
私が率いる幕府軍にしてみれば、最後まで寺に籠った僧侶らは、文字通り呪殺を行おうとした首魁とその一味であり、断じて許し難い存在だった。
こうしたことから、容赦なく火をかけて、全員皆殺しにしろ、と逸ることになった。
だが、それは数日が経った後のことになる。
何だかんだ言っても、幕府方の軍勢にしてみれば、北陸道からの軍勢とも合流した上で、京への進軍を図らねばならなかった。
そうこうしていると、地元の地の利を生かして、北陸道からの攻撃に備えていた朝廷方の軍勢が京防衛のために転進を果たす事態が起きることになる。
そうなると、幕府方の軍勢もそれに対応せざるを得ない。
又、瀬田方面から京への攻撃だけでは、朝廷方の軍勢の対応も容易になるので、宇治や大山崎方面からも攻撃を行うために、軍勢を迂回させた上での攻撃を幕府方の軍勢は図らざるを得ず、とそれこそ様々な連鎖反応が起こって、それなりの日時が掛かるのは、どうにもやむを得ない話だった。
そして、終にその日は来た。
不破関の戦いのときは雨は止んでいたのだが、その後は雨が降る日が多く、それぞれの渡河地点の多くで川は増水しており、幕府方の軍勢の渡河を困難にしていた。
とはいえ、時間が経つ程、西国の武士が朝廷方として駆けつけてくる危険を考えると、私を始めとする幕府方の軍勢の幹部は、増水した川を渡河する危険の方がまだマシであるとして、強引に渡河を果たして、京への侵攻を図る事態が起きた。
更に言えば、瀬田を攻撃する部隊については、比叡山延暦寺に対する攻撃まで併せて命じられた。
徐々に夜が明けて来た。
「者ども掛かれ」
「応」
瀬田に赴いた私の号令を受けて、私の部下の御家人達は攻撃を開始した。
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