第54話
とはいえ、そんな光景を他人、特に他の御家人達に見せるわけには行かない。
何しろ親子兄弟が敵味方に分かれて戦う事態が、この戦(承久の変)では多発しているのだ。
そして、部下の御家人に対して、
「親子兄弟と言えど、敵になった以上は容赦なく討て」
と私自身も言っている以上、私も頼貞もそっと涙を零して、真情を押し隠すしかなかった。
そして、涙が収まって暫く経ち、朝駆けを行った日の太陽が完全に西に傾いた頃、私は部下の御家人の有力者を改めて集め、今後の朝廷軍との戦等について会議を開いた。
尚、その間にも物見が行われたり、北陸方面軍への伝令が出発したりと言うことが行われている。
「不破関を完全に破った以上、(琵琶)湖東方面の朝廷軍は退却するしかあるまい。その状況に基づき、北陸道方面軍の主力を湖東方面へと進ませて、幕府軍主力を全て集中し、その総力をもって京攻略を図ろうと考えるが如何か」
私は部下の面々に対して問いかけた。
「特に問題ないと考えます。尚、確認しますが、京攻略に際しては、瀬田や宇治、大山崎等へと京周辺を包み込むように攻撃を加えるのでしょうか」
「かつての源平合戦の際等のことを考えれば、そうすべきと考えるがどうか」
「私も同様です」
北条頼時と私は、そうやり取りをして、そのやり取りを聞いた他の御家人も相次いで同意した。
「ところで、此度の戦においては、延暦寺や興福寺等の僧兵も参戦しておりました。そういった者達の一部は捕虜になっており、その者達に対して、(土御門)上皇や邦仁王の呪殺を図っているとは本当か、と問いただしました」
畠山重忠が横から口を挟んできた。
「どのように答えた」
「はっ。素直に認めぬ者もおりましたが、厳しく詮議したところ、殆どの捕虜がそれは本当だ、と自白いたしました。中には腹を括ったのか、素直に全員が朝廷に降伏しろ、そうしないと全員が神仏の罰を受けるぞ、と豪語した者までおります。尚、日吉大社や春日大社の神輿を、この場に持参しており、それらはお前らの攻撃で焼失した、神罰てき面の目に遭うとも言っております」
私の問いに、畠山重忠は更に答えた。
「ふむ」
それだけ言った後、私は黙って少し考えた。
畠山重忠は、単に厳しく詮議したとしか言っていないが、実際には様々な拷問が加えられたのではないだろうか。
それこそ小説や漫画等では、厳しい拷問に平然と耐える話がよく出てくるが、実際には9割以上の者が拷問に耐えかねて、少しでも拷問を軽くして貰おうと嘘を吐くと私は聞いたことがある。
そうしたことからすれば、畠山重忠の報告はどこまで信用できるだろうか。
だが、その一方で、日吉大社や春日大社の神輿を焼いたというのは大問題だ、という考えも私の頭の中で過ぎった。
何しろ、神仏の罰が信じられている時代に、神輿に矢を射かけるどころか、焼いてしまったのだ。
私は暫く考えた後で、改めて口を開いた。
「日吉大社や春日大社の神輿を焼いたのは大問題だが。それならば、すぐに神罰が私に下されよう。それが下されていないということは、此度の南都北嶺の寺社の行動は、神仏の意思に実は背いているということだ。このような神仏の意思に背く行動をするような寺社を許せるか。者ども」
「応。断じて許せませぬぞ」
和田義盛が即答し、他の者も同意の言葉を相次いで挙げた。
「我らを攻撃したことで、南都北嶺の寺社が(土御門)上皇や邦仁王を呪詛したこと、更に神仏の意思に背いたことは明白となった。このような神仏の意思に背く行動をした者どもを根絶やしにし、全山焼亡させよ。それが神仏の真意だ」
私は御家人達に吠えた。
「応。その通り」
その場にいた御家人全員が挙って吠えた。
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