第46話
とはいえ、そういった準備が数日でできる訳もない。
何しろ前線から坂東に早馬を飛ばして、更にその連絡を受け取った側が、坂東各地から集めた食糧を船積みして、尾張の港へと船で運ぶ必要があるのだ。
更には港で下ろした食糧を前線の将兵の下へ届ける必要もある。
それこそ、不破関突破を図るための準備も含めればだが、10日以上の様々な準備行動が必要な話になってしまった。
勿論、こういった事態を多くの幕府方の御家人が面白く思う筈も無く、不破関に対する物見が多数行われて、隙があれば不破関を急襲して突破しようと逸ったが、朝廷方もさるものだった。
「どのように見る」
「それこそ一の谷や阿津賀志山のように不破関は固められており、容易に突破できるものではありませぬ。予め築かれていた柵等を更に強化すると共に、その前には堀も築きつつありますからな」
尾張にたどり着いてから数日後、私は叔父の源範頼とそう会話を交わしていた。
我が鎌倉方で最も実戦経験豊富な源範頼に、ここまでのことを言わせるとは。
我が弟ながら、怖ろしい軍才を持っているようだ、と素直に実朝を私は称賛したくなったが、叔父の範頼は別の意見を述べた。
「実朝を多くの武士が支えておるのでしょう」
「多くの武士だと」
正直に言って、私は鎌倉方の武士はともかく、朝廷方に立った武士について詳しくは知らない。
そのことに叔父は改めて気付いたようで、私に簡略な説明をしてくれた。
「私が思いつくままに上げますが、まずは近江の宇多源氏である佐々木一族ですな。先代当主の佐々木定綱殿は、それこそ石橋山の戦い以前から父上(の源頼朝)に仕えられた武士ですが、その嫡男で現当主の佐々木広綱殿は、従前の経緯や義兄弟の大江親広殿との関係から、此度は朝廷方についており、近江の佐々木一族の多くも同様のようです。その一方で、我が方には広綱殿の弟の信綱殿が味方しており、兄弟相克となっております」
「ふむ」
私は相槌を入れた。
「それから摂津源氏の名門と言える源頼茂殿とその一門。何しろ頼茂殿の祖父は、源三位頼政殿になります。代々内裏守護を務めて来られてきており、此度においても真っ先に朝廷方に馳せ参じたとか」
「源三位頼政殿の孫なれば、当然の行動だろうな」
叔父の言葉に、私はそういうしかなかった。
「そして、大江親広殿や三浦胤義殿といった鎌倉に縁の深い御家人の一部も、京在住の間に朝廷に懐柔されたか、それとも朝廷方に正義があると判断したのか、朝廷方に味方しております」
「それはある程度は止むをえまい。こちらも山田重忠殿らを幕府方に寝返らせている」
叔父の言葉に私はそう言ったが、叔父は更に言いたいことがあるような、だが、どうにも言いづらいような素振りを示している。
「何か言いたいことがあるのか」
私の問いかけに、叔父は面と向かって言った。
「三浦胤義殿が朝廷方に付いたのは、鎌倉殿のせいだとの風聞があります」
「私は特に何かした覚えはないが」
叔父の言葉に、私は反射的に言ったが、叔父は更に渋面を浮かべて言った。
「三浦胤義殿の妻子をお忘れですか」
その瞬間に、私は叔父の言いたいことが分かって、私の背中に冷や汗が噴出した。
確かに逆恨み的なところもあるが、恨まれても仕方がなかった。
三浦胤義の妻は、私の元召人で栄実の母になる。
そして、私は彼女を三浦胤義の妻にした。
私としては彼女にとってよかれ、と思ってしたが、三浦胤義にしてみれば、社長の元愛人を妻に押し付けられたようなものか。
更に栄実にしても、跡目争いを避けるために出家させたのだが、実母にしてみれば、他の異母兄弟は栄華に包まれているのにと不満を覚えたか。
私は自分の所業を反省した。
少し補足説明します。
この世界の栄実ですが、辻殿が引き取った家親や鞠子と異なり、栄実の実母の下で育って、7歳の時に栄西に預けられて出家しました。
栄実の実母にしてみれば、幾ら母の立場が違うとはいえ、出家させられた我が子が不憫で、夫が朝廷方に立つように積極的に勧めました。
又、源実朝に子が無い以上、甥になる栄実が後を継げるやも、という考えも三浦胤義夫妻にはあります。
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