第21話
本来ならば他家に嫁いでいる娘に、実家の家督相続に口を挟む権利は無い筈だが、何しろ私の母の北条政子は先代の鎌倉殿(源頼朝)の妻だし、それに母の性格が性格だ。
それに表向きは母の意向には逆らえないとして、現在の鎌倉殿になる私まで、北条家の将来の家督は頼時にすべきではないか、との内意を示しており、更に私の後継者になる善哉の合婿とあっては。
頼時の妻の実家になる三浦一族等までが早速、
「ここは鎌倉殿の内意に従い、何れは頼時殿こそが北条家の家督を継ぐべきだ」
と言い出している。
(尚、三浦義澄も伊東祐親の娘を娶って、三浦義村等が産まれており、そういった血縁から、現三浦家当主の三浦義村と北条頼時は従兄弟になるという重縁まである)
こうした状況に北条時政も北条義時も、
「北条家の家督は、北条家家中で決めること、他の家が口を挟まないで欲しい」
と不快の意を示して言っているが、私や三浦一族に言わせれば、
「それならば、まずは政子殿を黙らせてから言われるべきでは」
ということになる。
そして、母の政子が、時政や義時の意向で黙る性格かというと、下手に二人が言うと、逆に私の意向が間違っているというのか、と怒りだす性格だ。
こうしたことから、北条家の将来の家督は揉めていた。
更にこのことは、比企家にまで飛び火している。
比企家の女当主といえた比企尼にしても、実子の朝宗の娘の姫の前は鍾愛の孫娘だった。
そして、朝宗にできた唯一の男児が、乳児の頃に亡くなり、更に朝宗まで自分に先立ったことから、比企尼は甥の能員を養子に迎えて、比企家を継がせたのだが。
能員を養子に迎える際に、比企尼は朝宗の唯一の成長した子になる姫の前にも、それなりのことを何れはするように、比企尼は求めており、能員も了承している。
このそれなりのことというのが曲者で。
姫の前にしてみれば、本来は自分の兄弟が比企家を継ぐべきだったが、兄弟がいなかったので、父の従弟の能員が比企家を継いでいるだけだ。
もし、私の父が長命していれば、私の子の朝時らが、父の養子になって比企家を最終的に継げていたかもしれない。
そういったことから、比企家の財産の半分とまでは流石に言わないが、3,4割は朝時らが貰って然るべきではないだろうか。
と考えているのに対し。
能員にしてみれば、それなりのことというのはそれなりのこと。
1割以上は既に渡している筈で、もう十分すぎることではないか。
3,4割も寄越せというのは、余りの要求と顔をしかめている。
そして、本来ならこれを調整すべき比企尼が既に亡くなっていることや、姫の前やその夫の北条義時にしてみれば、頼時が将来、北条家を継ぐことになったら、朝時らの身を立てさせる必要があることから、比企家への要求をそう下げられない事情が起きつつある。
更には、これまた朝宗の実の甥になる安達景盛や平賀朝雅が、姫の前に同情して味方しており、比企能員は、こういった点でも不快感を示していた。
とはいえ、三浦一族もこういった点では人後に落ちない。
三浦義澄亡き後、分家だが三浦一族の長老と言える和田義盛と、本家現当主の三浦義村の仲が微妙になりつつあるのだ。
和田義盛にしてみれば、一族の長老の儂の意向を常に重んじろ、ということなのだが、三浦義村にしてみれば、本家の当主は自分だ、義盛は自分の意向に最後は従え、ということになる。
幸いなことに、三浦義澄が遺言で三浦一族の結束を訴え、又、善哉擁立や北条頼時支持という点では、和田義盛と三浦義村とは共闘関係を組んでいるので、そう深刻ではないが。
私としては、一部は自分が煽ったこととはいえ、御家人の内外の紛議には本当に頭が痛い日々を送っていた。
少し補足します。
安達景盛や平賀朝雅が姫の前に味方するのは、実は北条家に味方しているという事情もあります。
史実に詳しい人からすれば、自明の理かもしれませんが。
安達景盛の父、安達盛長は源頼朝に流人時代から仕えており、源頼朝と北条政子の仲を取り持ったとも伝わる等、実は安達家と北条家とは縁が深かったのです。
平賀朝雅に至っては妻の両親が、北条時政と牧の方になります。
こうしたことから、北条家に忖度もして、比企能員を二人は攻撃しているのです。
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