第20話
前話から時が流れており、作中には明記していませんが、1203年になっています。
浅草寺の大仏建立が決まってから、数年が経っていた。
予定通り(?)に、私の正室の賀茂氏の娘は私の息子を無事に産み、善哉(史実でも公暁の幼名)と名付けられた。
そして、三浦義村の娘らが乳母となり、善哉は順調に育っていた。
更に三浦義村の娘にして、北条頼時の妻の妹と善哉は婚約してもいた。
(もっとも二人共に満3歳にもなっておらず、おままごとにも程がある婚約だった)
(少なからず横道に入る補足説明をすると。
この時代では乳母は複数いるのが恒例。
源頼家にしても、比企能員、河越重頼、梶原景時の妻が乳母になっている。
善哉にしても乳母は複数いるが、源頼家の第一の乳母夫が比企能員であるように、善哉の第一の乳母夫は三浦義村になる、ということになる)
そして、北条家の家督を巡る争いは、こういった背景から混沌極まりない状況になっていた。
北条時政の後継者は北条義時か、北条政範か。
そして、北条義時が後継者になった場合、北条頼時か、北条朝時か、という事態が引き起こされた。
尚、そういった原因を作り出したのは、私だった。
そもそもの発端と言えるのは、北条頼時が北条泰時と改名したい、と言い出したことだった。
北条頼時の名は、私の父の源頼朝から賜ったモノだが、頼の字を賜ったのは、私と頼時だけだ。
それ以外の面々は、父の下の名の朝を賜っている。
こうした状況から、頼時は自分が特別扱いされているとの周囲の空気を察して、自らの母方伯父になる河津祐泰から一字を貰って泰時と改名したい、と私に言上したのだ。
それに対して、私は(わざと噓泣きしてまで)嘆いた。
「私の父から賜った名前を変えたいと。そんなに頼の字が嫌なのか」
「そんなことはありませぬ。唯、頼家殿と同じように頼の字を賜っていることが畏れ多いと感じます」
頼時は、私にそう言った。
「畏れ多いと。そなたは伊東祐親の娘の八重の息子ではないか。何の問題があろうか」
そう大声で私は言った後で、そっと頼時にささやいた。
「父の先妻の八重殿の実子として、頼の字をそなたが賜るのは極めて自然なことだ。更に言えば、北条家の家督を継ぐべきなのは、そなたなのだ。胸を張って、頼時と名乗るが良い」
「ははっ」
流石に私にそこまで言われては、頼時は畏まって頼時の名を使い続けざるを得ない。
更に私は、私の実母の政子もそれとなくそそのかした。
「北条家の家督を継ぐのに、最もふさわしいのは朝時だと考えますが、如何でしょうか。ここは比企家の血を引く朝時こそが、北条家の家督を継ぐべきかと」
私の言葉を聞く内に、母のこめかみが徐々にひきつり、私は叱り飛ばされた。
「北条家の家督を継ぐのは、頼時です。頼時は私の従弟にもなります。頼時が家督を継ぐべきです」
予想通り、私は腹の中で舌を出して笑った。
北条家の家督を最終的に継ぐのは、北条時政と牧の方の間の唯一の息子の政範か、それとも北条義時と八重の間の頼時か、北条義時と比企氏の娘になる姫の前の間の朝時か。
北条家内の意見は割れている。
北条時政と牧の方は政範を推し、北条義時と姫の前は朝時を推している。
だから、頼時の目は無い筈なのだが、私の母は牧の方嫌いと姫の前嫌いが相まって頼時推しなのだ。
それに頼時の実母の八重は、政子の叔母にもなる。
私の聞くところによると、八重が義時と再婚したのは、母政子の猛烈な運動によるものらしい。
八重と私の父頼朝が縒りを戻すのを懸念して、八重も義時も余り気乗りがしない結婚をさせたのだ。
その結果、産まれたのが頼時だ。
尚、頼時を産んですぐに八重は亡くなっている。
今頃になって、母政子はこの件を後悔しており、その贖罪もあって、頼時を北条家の家督と考えて主張している。
少し補足します。
この小説中で、政子が牧の方と姫の前を嫌っているのは、単に感情的な問題からで、特に政治的な意図等から嫌っているわけではありません。
牧の方については、私より年下の癖に義母になって、本当に父はもう少し考えて結婚すれば良かったのにという事情から、政子は嫌っています。
又、姫の前は政子からすれば弟の嫁で、嫁と小姑が基本的に仲が悪くて、お互いを嫌うのは、世界中で古今東西変わらない現実なのです。
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