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タダで読むのが丁度良い物語  作者: 聖域の守護者
第3章 〜やーーっとカイロキシア ちょっぴりイェンシダス????〜
PR
76/77

第75話〜開門〜

ーー

【カイロキシア 宮都 北門】

ーー


夜が明けるまで、あと僅か。

宮都を取り囲む城壁の上には、冷たい風が吹きつけていた。

門楼に集まった男たちは誰一人として口を開かない。

城壁の北側には、帝国軍の陣地が広がっている。

一定の間隔で並ぶ松明。

その明かりに照らし出される天幕に攻城兵器。

それらの隙間を幾つもの帝国軍兵士の小集団が縫うように移動している。

城壁の上から確認できる範囲だけでも、宮都に残る民兵を遥かに上回る数だった。

だが、帝国軍に動く気配はなかった。


「気味が悪いな。」


王政時代から城門を管理してきた古参の門衛が呟いた。


「奴ら、攻め込んでくるんだろうか。」


門衛の隣で座り込んでいる青年が訊く。

近隣地区から集められた軍務経験のない民兵だ。


「俺がそんなこと知ると思うか。」


古参兵が素っ気なく答える。


「この時間が一番おっかねぇ。

 奴らに臓物を握られているみてぇだ。」


門衛は腕を組み、僅かに白み始めた空を見遣る。

本来ならば、共和国指導部から派遣された監督官もこの場にいるはずだった。


『明朝まで北門を死守せよ。

 帝国軍の要求には決して応じるな。』


昨晩、監督官はそう言い残して門楼を後にした。

あいつは戻ってこない。

そして援軍も来ない。

そんなことは門衛にとって分かりきっていたことだ。


「人民殿へ送った者は?」


門衛が側にいた民兵団の代表へ尋ねる。


「まだ戻っていない。」

「もう三刻は経っているぞ!」

「人民殿で何かあったのかもしれん。

 今は吉報が来るのを待つしかない。」


結局のところ、代表を含めてこの場の者は誰も何もわかっていない。


「本当に援軍が来ると思うか?」


別の門衛が誰ともなく尋ねた。

だが、誰からも返事はない。


「人民殿には、まだ指導部がいるんだろう…?」


若い民兵が言った。

声が僅かに震えている。


「外政団も内政団も義勇団もいる。

 共和国を作った偉い人たちだ。

 俺たちに戦えと言った人たちが、自分だけ逃げるわけがない。」

「ならば、どうして誰も来ない?」

「反撃の準備をしているんだ。」

「反撃だと?この状況でどうやって奴らを撃退するんだ!?」

「それは……。」


若者は答えられなかった。

戦える者が何人いるのか。

どれだけの武器が残されているのか。

誰も正確には把握していない。

籠城しようにも、食糧があるのかすら分からない。

実のところ、王政府から奪った武器の多くは、義勇軍とともに宮都の外へ運び出されていた。

だが、向かったのは帝国軍が布陣する北ではない。

南。

イェンシダス方面だ。

共和国指導部は、帝国軍に対抗するための戦力移動だと説明していた。

宮都から南下した後に軍を再編し、反撃するのだと。

しかし、彼らが出発してから数日が経過しているにもかかわらず、帝国軍の後方や側面に姿を現したとの報告はない。


「私は自ら門を開けるべきだと思う。」


1人の老年が言った。

王政府の時代から、宮都北門の管理人を務めてきた男だった。


「正気か、爺さん。」


管理人とは長い付き合いの古参の門衛が問う。


「帝国軍に降伏するというのですか!?」


若い民兵が怒気をぶつける。


「そうだ、降伏だ。」


老人はあっさりと認めた。


「我々が門を開けば、帝国軍が宮都へ入る!

 そうなれば共和国は終わりだ!」


民兵団の代表も反対の声を上げる。

思わず古参の門衛が両者に割って入った。


「既にこの国は死んでいる。」


門衛の肩越しに管理人は告げた。

一瞬、門楼の中が静まり返った気がした。


「兵はおらず、指導者からの命令も来ない。

 怪我人を見る者もいなければ、昨日から街では井戸を巡って住民同士が争っている。

 これを国と呼べるのか?」

「それでも、俺たちは……。」

「何を守っている?」


老人は若者を見る。


「城門か?

 共和国か?

 人民殿にいる偉い者たちか?」

「宮都を守っているんです。」

「宮都とは何だ?」


若者は口を閉ざした。


「城壁か?

 石畳か?

 焼け落ちた王宮か?」


青年へ語りながら杖の先で床を叩いた。


「宮都とは、そこに暮らしている者たちだ。

 この門の向こうにいる者を守るために、我々は門を守っている。」


老人は外へ目を向けた。

帝国軍の松明は、先ほどと変わらず静かに揺れている。


「門を閉じ続ければ、帝国軍は攻めてくる。

 奴らがどのような方法を使うかは知らん。

 だが、あの軍勢を見れば分かる。

 この城壁だけで止められる相手ではない。」

「だから戦わずに降伏しろと?」

「君はまだ若い。

 生きるんだ。」

「奴らは侵略者だ!」

「そうだな。」


老人は否定しなかった。


「帝国軍は我々の国境を越え、村々を占領し、ここまで来た。

 それは間違いない。

 だが、共和国の指導者も、我々をここへ残して黙りを決め込んでいる。」


老人は1人1人の顔を見る。


「そのどちらが正しいのか、私には分からん。

 今の私に分かるのは、このまま門を閉じていれば、無用な血が流れ、街の住民が大勢死ぬということだけだ。」

「帝国軍が約束を守る保証だってないぞ!!」


代表が言う。


「門を開けた途端、兵士が雪崩れ込んできて、略奪を始めるかもしれない。

 男は殺され、女や子供は連れ去られるかもしれない。」

「そうなる可能性もある。」

「だったら!」

「門を閉じていれば、そうならない保証があるのか?」


代表も黙り込む。

帝国軍は前日、使者を通じて降伏条件を伝えていた。

日の出までに門を開き、全ての武器を捨てること。

抵抗しない者の生命と財産は、帝国軍が保護すること。

食糧の配給は帝国軍が行うこと。

共和国指導部と武装組織の幹部については、帝国軍へ引き渡すこと。

要求を拒否した場合には、宮都全体を敵対都市と見做すこと。

最後の一文が何を意味するのか。

理解できない者はいなかった。


「決を採ろう。」

「ここにいる者だけで決めて良いことではありません!」


古参の門衛が提案に代表が食ってかかる。


「ならば、誰に決めてもらう?」


誰からも返事はない。


「王は死んだ。

 監督官とかいう男は帰ってこないし、人民殿からは何の命令も来ない。

 ここに残っているのは我々だけだ。

 誰も決めないのならば、夜が明けた時、帝国軍が我々に代わって決めることになる。」


門衛はその場の者を見渡す。

旧知の老翁以外、皆、一様に俯いている。


「鐘を鳴らせ。

 白旗を上げろ。

 開門の準備だ。」




ーー

【カイロキシア 宮都中心部 人民殿】

ーー


かつての王座は、既に取り払われていた。

広間の最奥。

王が座していた高壇には、カイロキシア共和国の旗が掲げられている。

しかし、その旗を見上げる者はいない。

人民殿の中では、多くの者が慌ただしく動き回っていた。

書類を運ぶ者。

木箱を積み上げる者。

壁に掛けられた地図を外す者。

床へ油を撒く者。

彼らの動きに混乱はない。

帝国軍が宮都を包囲している最中だというのに、その顔から焦りは感じられなかった。


「外政団の記録は?」


広間の中央でチダンが尋ねた。


「必要な物は全て運び出しました。

 残りは指示通りに分類しています。」


部下が答える。

広間には幾つもの机が並べられている。

机の上には外政団、内政団、義勇団が作成した書類が山のように積まれていた。

その全てを持ち出すことはできない。

持ち出す物。

焼却する物。

帝国軍に発見させる物。

三つに分ける必要がある。


「イェンシダスとの接触記録は残せ。」


チダンが指示する。


「よろしいのですか?」

「構わない。

 ただし、我々が共和国政府として、イェンシダスへ亡命を要請したことにしろ。」

「亡命ですか?」

「そうだ。

 共和国政府は帝国軍の侵攻によって宮都を維持できなくなり、友好国イェンシダスへ逃れた。

 義勇軍は政府関係者と避難民を護衛するため、南下した。

 そういう筋書きだ。」


部下は手元の紙へ指示を書き込む。


「エリナス方面に関する記録は?」

「全て焼け。

 王子に関する物もだ。

 今の段階で、帝国にエリナスとの関係を疑わせる必要はない。」

「承知しました。」


部下が離れていく。

代わるように、アーミルがチダンの近くへ歩いてきた。


「随分と親切だな。」

「何がだ?」

「帝国軍に、我々の行き先を教えてやるんだろう?」

「見当違いの場所へ行かれても困る。」



チダンは机の上の地図を見る。

宮都から南へ延びる街道。

その先には、イェンシダスとの国境がある。


「我々はイェンシダスへ向かう。

 帝国にもそう考えてもらった方が都合が良い。」

「帝国軍までイェンシダスへ引き込むつもりか?」


アーミルの問いに、チダンは僅かに笑った。


「帝国がどこまで追ってくるかは知らない。

 だが、イェンシダスが共和国政府と武装した残党を受け入れたと判断すれば、両国の関係は悪化する。」

「難民もいる。

 義勇軍もいる。

 そこへ帝国軍まで来れば、確かに愉快なことになりそうだ。」

「何より、帝国は既にカイロキシアへ侵攻した。」


チダンは指先で地図上の東部から宮都までをなぞる。


「一度動き始めた軍は、簡単には止まらない。」


2人の会話を聞きながら、イルファは椅子に座って剣を磨いていた。


「そんな回りくどいことをしなくても、帝国軍をここで叩けば良かったんじゃないか?」


イルファが顔を上げる。


「ここには城壁がある。

 武器もある。

 民衆もそれなりに残っている。

 上手く使えば、帝国軍に損害くらいは与えられたはずだ。」

「何のために?」


チダンが尋ねる。


「帝国軍を殺すためだ。」

「それで我々に何の利益がある?」

「楽しい。」


イルファは即答した。

アーミルが呆れたように息を吐く。


「お前の楽しみのために計画を変更できるか。」

「分かってるよ。

 だから大人しくしているんじゃないか。」


イルファは再び剣へ視線を戻す。

その時、広間の大扉が開いた。

数名の部下を連れたエシュラが入ってくる。


「準備は?」

「予定通りだ。」


チダンが答える。


「重要文書と資金は昨夜のうちに運び出した。

 残す書類の偽装も、間もなく終わる。

 人民殿に残る人員には、日の出と同時に各自で逃げるよう伝えてある。」

「地下水路は?」


アーミルが報告を引き継ぐ。


「入口は確保した。

 王宮の地下から真っ直ぐ南へ延びている。

 城壁の下を通り、都の外にある水車場へ繋がっている。」

「帝国軍に発見される可能性は?」

「低い。

 古い王宮の設計図にも記されていなかった。

 王族と一部の侍従しか存在を知らない避難路だったらしい。」

「その侍従は?」

「死んだ。」


アーミルは興味なさそうに答えた。

エシュラは広間を見回す。

王宮だった頃の面影は、ほとんど残されていない。

王家の紋章は剥がされた。

歴代国王の肖像画も撤去された。

代わりに飾られた共和国旗。

壁に書かれた革命の標語。

民衆による民衆のための政治を行うと宣言した布告。

僅かな期間しか存在しなかった国家の痕跡だった。


「短かったな。」


エシュラが呟く。


「共和国のことか?」


チダンが尋ねた。


「ああ。」

「最初から長く続けるつもりなどなかっただろう。」

「そうだな。」


エシュラは共和国旗を見上げた。


「だが、もう少し時間がかかると思っていた。

 王を殺し、国を壊し、民衆に武器を持たせ、逃げ道を示す。

 もっと手間取ると思っていたが、人間は案外素直なものだ。」

「不満を抱えた民衆に、敵を与えてやっただけだ。」


アーミルが言う。


「貧しいのは王のせい。

 家族が死んだのは貴族のせい。

 明日の希望がないのは帝国のせい。

 そう信じた方が、自分で物事を考えなくて済む。」

「王を殺した後は、共和国が全てを解決してくれると思い込んだ。」


チダンが続ける。


「我々が国を捨てるなどとは、考えもしなかっただろうな。」

「捨てる?」


イルファが剣を鞘へ納める。


「俺たちは何も捨てていないだろう。」

「その通りだ。」


エシュラがイルファを見る。


「ここは我々の国ではない。

 最初から、捨てる国など存在しない。」


広間にいた部下たちは黙っている。

彼らの多くはカイロキシアの出身ではない。

それどころか、互いの出身地すら知らない者もいる。

彼らにとって国籍は意味を持たない。

血筋も。

身分も。

信仰も。

彼らを結び付けているものは、ただ1つ。

彼らが考える大義だけだ。


「歌姫様から新しい指示は?」


イルファが尋ねた。


「まだない。」


エシュラが答える。


「これまで通り、計画を進めろとのことだ。

 次はイェンシダスだ。」

「魔導協会が動き始めたという話もあるが。」


チダンが言った。


「各国へ協力を求めているらしい。

 冒険組合とも接触した。」

「構わん。」


エシュラは即答する。


「魔導協会が動くことも、冒険組合が動くことも想定内だ。

 むしろ、奴らには1つの場所へ集まってもらった方が良い。」

「まとめて始末できるからか?」


イルファが嬉しそうに尋ねる。


「それだけではない。」


エシュラは高壇へ上がる。

共和国旗の前に立ち、その布へ手を触れた。


「世界中が1つの脅威へ目を向ければ、それまで隠されていたものが表へ出る。」


エシュラは共和国旗を引き下ろした。


「世界の底に潜んでいる者たちさえ、動かざるを得なくなる。」


旗が床へ落ちる。


「我々はそれを目にする。」


遠くから鐘の音が聞こえた。

広間にいた者たちが一斉に音のする方向を見る。

一度。

二度。

三度。

一定の間隔で鳴らされる鐘。


「北門の鐘だ。」


チダンが言った。


「少し早いな。」

「夜明けを待つ度胸もなかったんだろう。」


アーミルが窓へ歩み寄る。

空は既に水色へ変わり始めている。


「幕引きだ。」


エシュラは高壇から下りた。


「火を放て。

 全焼させないように注意しろ。」

「随分と難しい注文だな。」


イルファが言う。


「そのために油を撒く場所まで決めたんだろう。」


アーミルは部下に目配せする。


「始めろ。」


広間の各所で松明が床へ落とされた。

油へ火が移る。

炎は細い道を描きながら、壁際へ伸びていく。


「行くぞ。」


エシュラたちは燃え始めた人民殿の奥へ進んだ。



ーー

【カイロキシア 宮都北方 帝国軍陣地】

ーー


「北門の上に白旗!」


斥候の報告が前線指揮所に響いた。

カイロキシア方面派遣軍司令官、アレクセイ・ミハイル・ヴォロノフ陸軍中将は、机の上に広げられていた地図から顔を上げた。

年齢は五十を僅かに超えている。

灰色がかった短髪。

こめかみに混じる白髪。

大柄な軍人の多い帝国軍将校の中では、痩身な部類に入る。

軍服にも目立った装飾はない。

胸元に並ぶ勲章も、必要最低限のものしか身に付けていなかった。

ヴォロノフは椅子から立ち上がり、指揮所の外へ出る。

歩き始めた際、左脚が僅かに遅れた。

若い頃、国境戦で負った古傷によるものだった。


「開門の合図でしょうか。」


副官が尋ねる。

ヴォロノフは直ぐには答えなかった。

城壁の上で揺れる白旗。

その周囲にいる人影。

門楼の動き。

静まり返った市街。

1つずつ確かめるように眺める。


「先遣隊だけを前へ出せ。」

「はっ。」

「罠の有無を確認するまで、本隊は動かすな。

 弓兵と魔導師は現在位置で待機。」

「しかし、敵は降伏を――」


ヴォロノフは副官を見る。


「彼の国は統制が崩壊した集団だ。

 降伏したのは目の前の彼らだけかも知れん。」


副官は姿勢を正した。


「失礼しました。」

「謝る必要はない。

 だが、勝利したと思った時が一番危険だ。」


先遣隊として選ばれた重装歩兵が陣地を出る。

盾を構え、ゆっくりと北門へ向かう。

やがて、城門の内側から鈍い音が聞こえた。

巨大な閂が外される音。

1つではない。

幾つもの錠と閂が、時間をかけて外されていく。

魔導師が見せている現場の様子にヴォロノフたちは食い入った。


「本当に開くようです。」


副官の所見にヴォロノフの表情は変わらない。

門が僅かに動く。

隙間が広がる。

その奥に、宮都の大通りが見えた。

人影は少ない。

だが、建物の窓や路地の奥から、無数の視線が帝国軍へ向けられていた。

門が完全に開く。

1人の老人が、両手を上げて外へ歩み出た。

帝国兵たちが槍を向ける。

老人の足が止まった。


「カイロキシア宮都北門を開放する!」


老人は声を張り上げた。


「我々は帝国軍の降伏条件を受け入れる!

 城内に残る民兵には、武器を捨てるよう命じた!

 市民に抵抗の意思はない!」


先遣隊の隊長が前へ出た。


「共和国指導部はどこにいる?」


問われた老人は首を振った。


「分からない。

 人民殿にいるはずだが、昨日から命令は届いていない。」

「城内の兵力は?」

「分からない。」


先遣隊長が眉をひそめる。


「分からないだと?」


老人は視線を逸らさなかった。


「この都に、軍と呼べるものはない。

 武器を持つ者はいる。

 だが、その数も、所属も、命令する者も分からない。」


隊長は老人の服装を見る。

豪華ではない。

軍人でもない。


「名は?」

「北門の管理人、エルマン・サウロ。」


隊長は一歩前へ出る。


「北門の管理者、エルマン・サウロへ告ぐ。

 帝国軍は約定に従い、抵抗しない者の生命と財産を保護する。」


老人の表情が僅かに緩む。


「ただし、城内で武器を持つ者は全て敵兵と見做す。」

「承知した。」


隊長は後方へ視線を向ける。


「全員、入門!!

 門楼と周辺の建物を確保!!

 魔導師は罠がないか確認しろ!!」


盾を構えた重装の先遣歩兵たちがゆっくりと門を進んでいく。

周辺は魔導師が警戒を続ける。


「我々も出るぞ。」


ヴォロノフが天幕の外へ向かいながら指示を出す。

愛馬に跨った彼らが北門へ到着した頃には帝国軍が周囲の接収を終えていた。


「司令官。

 無事に北門及び周囲を制圧。

 今の所、抵抗は確認されておりません。」


ヴォロノフを待ち構えていた先遣隊長が報告する。

この瞬間も続々と帝国兵たちが北門を潜っていく。

エルマンと古参の門衛はその光景を黙って見ていた。

自分たちが守り続けた門を、異国の軍隊が通過していく。

昨日まで掲げられていた共和国旗とは違う。

その前に掲げられていた王家の旗とも違う。

彼らを撫でる朝風にひらめくは帝国軍の旗。


「あの。」


先ほどまで開門に反対していた若い民兵が近付いてきた。

剣は腰から外され、地面へ置かれている。


「これで良かったんでしょうか。」

「分からない。」


エルマンは答えた。


「分からない?」

「ああ。」


帝国兵たちは周囲の建物を一軒ずつ確認している。

住民へ外へ出ないよう命じる声。

武器を捨てるよう繰り返す声。

泣き出す子供。

戸を閉める音。


「正しかったかどうかなど、私には分からん。

 これで良かったと信じる他あるまい。」


エルマンは開かれた門を見上げた。


「だが、選んだ以上はこの先に起きることを見届けるしかない。」



ーー

【カイロキシア 宮都 人民殿地下】

ーー


人民殿の地下。

石造りの階段を下りた先には、王宮の建物とは明らかに異なる空間が広がっていた。

湿った石壁。

低い天井。

足元を流れる浅い水。

地下水路。

かつては宮都中心部に降った雨水や、王宮周辺から出る汚水を都の外へ流すために使われていた。

しかし、王宮直下から南へ延びるこの水路には、もう1つの役割があった。

敵軍によって王宮が包囲された際、王族を密かに都の外へ逃がす避難路。

その存在を知る者は、王族と一部の侍従だけだった。


「臭いな。」


水路へ入ったイルファが顔をしかめた。


「避難路にしては随分と汚い。」

「敵に発見されないためだ。」


先頭を歩くアーミルが答える。


「豪華な地下道を造れば、存在を隠せない。」

「王族も、ここを歩いたのか?」

「実際に使われた記録はない。

 少なくとも、最後の王は使う前に殺された。」

「可哀想に。」


イルファの言葉に同情の感情はない。

一行は、水路を南へ進んでいた。

水路の幅は、三人が並んで歩ける程度。

天井は低く、背の高い者は少し頭を下げなければならない。

水路は緩やかに南へ下っている。

流れる水も、彼らと同じ方向へ進んでいた。

水路の途中には、幾つもの横穴があった。

だが、その大半は鉄格子で閉ざされている。

王宮周辺の排水路へ繋がっているらしい。

アーミルは迷うことなく、中央の水路を進み続ける。

彼らは王宮の地下を抜け、市街の地下へ入っていた。

時折、上部から微かな振動が伝わってくる。

荷車の車輪とそれを曳く馬。

大勢の足音。


「帝国軍がもう南側まで入ってきたか。」


チダンが呟く。


「かも知れないな。」


アーミルが答える。

更に進むと、水路の幅が僅かに狭くなった。

天井も低くなる。

空気の流れが変わった。

湿った地下の空気に、外の冷たい風が混じり始める。


「出口が近い。」


アーミルが言った。


「どれくらいだ?」

「この先で城壁の下を通る。」

「崩れないのか?」

「何百年も崩れなかった。

 今日だけ崩れることはないだろう。」

「楽観的だな。」

「黙って歩け。」


城壁の下のあたりを抜けると、微かに遠くから光が見えてくる。


「もう都の外だ。」


アーミルが言う。

ここからは進むだけ光が大きくなっていく。

やがて水路の行き止まりに辿り着くと、錆が浮かんだ大きな鉄格子が現れた。

その向こうからは朝の光が燦々と差し込んでいる。

脇の壁には、古い操作輪が取り付けられている。

アーミルが部下へ合図した。

2人がかりで操作輪へ手を掛ける。


「回せ。」


金属が擦れる音。

長く動かされていなかった仕掛けが、軋みながら動き始める。

鉄格子が少しずつ上がっていく。


「外の確認を。」


数名が身を低くして格子の下を潜る。

水路の出口は、宮都南側の城壁から少し離れた場所にあった。

背の高い草木に覆われた窪地。

脇には、長年使われていない水車場の廃屋が建っている。

宮都の城壁は、木々の隙間から辛うじて見える距離にあった。


「問題ありません。

 周辺に人影はなし。

 馬車も予定の場所に到着しています。」

「行くぞ。」


最後の者が出たところで、アーミルは操作輪を回し、再び鉄格子を下ろした。

廃屋の裏には数台の馬車が用意されていた。

馬車の車輪には、街道以外の地面でも進めるよう幅の広い輪が取り付けられている。


「帝国軍の様子は?」


アーミルが待機していた男へ尋ねる。


「北門から入城を開始しました。

 現在は南部地区を制圧中です。」

「他の門は?」

「まだ閉じられています。

 ですが、北門が開いた以上、時間の問題かと。」

「南門の周辺に帝国軍は?」

「斥候が数名。

 大部隊はいません。」


アーミルは頷いた。

北から宮都へ入った帝国軍が、南側の城壁外まで完全に押さえるには時間がかかる。

水路の出口を知らない限り、帝国軍が彼らを発見することはできない。

人民殿の方角から黒煙が上がっている。

イルファが口笛を吹く。


「革命が終わったな。」

「革命など始まっていない。」


チダンが言った。


「王を殺した時点で始まっただろう?」

「王が別の者に置き換わっただけだ。

 民衆が自ら国を動かした瞬間など、一度もない。」

「夢がないねぇ。」

「夢を与えるのが我々の仕事だった。

 我々が見る必要はない。」


エシュラは宮都を見つめていた。


「名残惜しいか?」


イルファが尋ねる。


「まさか。」

「では、何を見ている?」

「空虚な存在だ。」


エシュラは答える。

朝日に照らされる宮都。

土色の城壁。

中心部から立ち上る黒煙。

ほんの少し前まで王国だった都。

昨日まで共和国を名乗っていた都。

そして今日からは帝国の占領統治下に置かれる都。


「出発するぞ。」


馬車が動き始める。

1台。

2台。

3台。

車列は街道を避け、南方の丘陵地帯を進んでいく。

正規の街道には、既に大勢の難民がいる。

共和国の旗を掲げた義勇軍も。

彼らは、自分たちが国を取り戻すために移動していると思っている。

イェンシダスが助けてくれると信じている。

誰一人として、自分たちが別の国を壊すために送り込まれているとは知らない。




ーー

【カイロキシア 宮都 北部地区】

ーー


北門から入った先遣隊は、大通りを南へ進み、要所ごとに兵士を配置していく。

いずれも抵抗を受けることなく確保された。

市民の多くは家に閉じこもっている。

外へ出ている者も、道の端へ座り込み、帝国軍が通過する様子を見守るだけだった。


「宮都は帝国軍の管理下に置かれる!!

 武器を持つ者は、直ちに武装解除するように!!」


兵士らが繰り返し布告する。


「抵抗しない者には危害を加えない!!

 指示があるまで住居から出るな!!

 帝国軍の許可なく移動した者は拘束する!」


大通りの中央には、放棄された荷車が残されていた。

商店は扉を固く閉ざしている。

小さな広場には、共和国指導部が配った槍や剣が積み上げられていた。

民兵たちは武器を捨て、順番に帝国兵の確認を受けている。


「名前は?」

「ホセ・ダリオ。」

「所属は?」

「北部民兵団です。」

「指揮官は?」

「分かりません。」


帝国軍士官が顔をしかめる。


「分からない?」

「前の指揮官は2日前に宮都を出ました。

 その後は、誰が指揮官なのか……。」

「どこへ向かった?」

「南です。

 イェンシダス方面だと聞いています。」


士官は記録係へ目を向ける。

同様の証言は既に何人からも得ていた。

宮都にいた武装組織の主力は、帝国軍が到着する前に南下している。

単なる逃亡ではない。

数千人規模の集団が、武器を持ったままイェンシダス方面へ向かった可能性がある。


「次。」


民兵が連行され、別の男が士官の前へ進む。

並行して、大通りの反対側では、帝国軍の行政官が壁へ布告を貼り出していた。

1つ。

帝国軍は宮都及び周辺地域を占領統治下に置く。

1つ。

全ての武装市民は武器を放棄し、投降すること。

1つ。

日没後の外出を禁ずる。

1つ。

食糧、水、薬品の私的な占有を禁ずる。

1つ。

王政府及び共和国政府に勤務していた者は、三日以内に出頭すること。

1つ。

略奪、暴行、放火を行った者は、所属を問わず厳罰に処す。


「税はどうしますか?」


行政官の1人が尋ねる。


「当面は徴収を停止する。」


上官が答える。


「土地台帳も住民台帳も残っているか分からん。


 今、無理に徴収すれば反発を招くだけだ。」


「配給に必要な食糧は?」

「城外の補給部隊から運び入れる。

 宮都の倉庫も調査しろ。」

「共和国が持ち出している可能性があります。」

「全てを持ち出せるはずがない。

 残っている物を確認し、食べられる物から配れ。」


帝国軍は大通りを南へ進む。

目的地は宮都中心部。

人民殿。

そこに共和国指導部が残っている可能性は、既に低いと考えられていた。

それでも、国家の中心を確保しない限り、宮都を占領したとは言えない。



ーー

【カイロキシア 宮都中心部 人民殿前】

ーー


「火災を確認!」


先行していた兵士が叫んだ。

人民殿の窓から、黒煙が上がっている。

ヴォロノフは馬上から建物を見上げた。


「消火部隊を前へ。」

「はっ!」

「周辺を封鎖。

 逃げる者がいれば拘束しろ。

 ただし、武器を持たない者をその場で殺すな。」


人民殿前の広場には人影がない。

革命政府が共和国の成立を宣言した場所。

王の死を祝う群衆で埋め尽くされていた場所。

今は紙切れと壊れた武器が散乱しているだけだった。

帝国兵が扉を破り、内部へ突入する。

正面広間では炎が壁を這っていた。


「水を持って来い!」

「魔導師を先頭に、東側へ回れ!」

「2階を確認しろ!」


兵士たちは消火と捜索を同時に進める。

魔導師が鎮火させていき、歩兵が次々と探索を進めていく。


「誰もいません!」

「西棟も無人です!」


時が進み、報告が相次ぐ。

ヴォロノフは左脚を僅かに引きながら広間へ入った。

副官が後に続く。


「遅かったようです。」

「初めから待ってはいなかったのだろう。」


ヴォロノフは燃え残った書類を見る。


「共和国指導部は逃亡したと考えるべきでしょう。」

「どこへ?」

「民兵の証言では南。

 イェンシダス方面です。」


ヴォロノフは直ぐには答えない。


「証拠を探せ。

 回収できる物は全て回収して指揮所へ持ってくるんだ。」

「はっ!」


水を掛けられた書類。

机の中に残された手紙。

壁から外された地図。

焼却を免れた帳簿。

それらが集められる。


「司令官!」


書類を調べていた兵が声を上げる。


「イェンシダス国家評議会宛てと思われる書簡です。」

「読め。」


副官が促す。


「共和国政府は帝国軍の不当な侵略を受け、宮都の維持が困難となった。

 友好国イェンシダスへ政府機能の一時移転を要請する。

 共和国義勇軍は政府関係者及び避難民を護衛し、南方国境へ移動する……。」

「他には?」

「イェンシダス方面の地図が複数。

 避難民の移動経路と思われる線も記されています。」


副官が地図を覗き込む。


「やはりイェンシダスです。

 直ちに追撃部隊を編成すべきかと。」


副官はヴォロノフを見る。


「斥候を出す。」

「部隊は?」

「動かさない。」


副官の表情が僅かに曇る。

ヴォロノフは地図から目を離した。


「ヴォロノフ司令官。」


副官が声を落とす。


「随分と慎重ですね。」

「臆病に見えるか?」

「いえ。」


副官は言葉を選んだ。


「ですが、宮都は既に我々の手にあります。」

「まだ我々の手にあるとは言えんだろう。」


ヴォロノフは答える。


「一部を占領したに過ぎない。

 大変なのはここからだ。」


彼は壁に貼られた宮都の地図を見ながら続けた。


「敵兵をただ倒すだけなら、軍人であれば誰でもできる。

 だが、私に与えられた仕事は1つの都市を明日も生かしておくことだ。

 そのためには何が必要かわかるか?」


上官の問いに即座に回答できない。


「統制を確保し、衣食住を与えることだ。」


ヴォロノフは首だけ副官へと向く。


「この局面で部隊を動かしたらこちらの接収計画にも影響が出てしまう。

 まずは与えられた文官・武官を適切に運用し、速やかに全域の占領を完了し、施政を安定させることが先決だ。」

「…、御意。」


副官は、ただ頭を下げた。


「とはいえ、この状況は東部にいるメゼンツェフ伯爵の耳には入れた方が良かろう。」


ヴォロノフは伝令兵を呼び、占領地執政官のメゼンツェフ伯爵宛の報告書の作成を命じる。


「伯爵のことだ、応援部隊くらいは寄越してくれるだろう。」


伝令を見送り、ヴォロノフはそう言って指揮所を後にした。



ーー

【カイロキシア南部 イェンシダス方面街道】

ーー


街道を埋め尽くすように、人々が歩いていた。

老人。

女。

子供。

荷車を引く男。

僅かな家財を背負う者。

負傷者を板に乗せて運ぶ者。

その横を、共和国義勇軍が進んでいる。

彼らは武器を持ち、共和国旗を掲げていた。


「もうすぐ国境だ!」


隊列の先頭にいる男が叫ぶ。


「イェンシダスへ入れば安全だ!

 魔導大国が我々を守ってくれる!」


難民たちの間から安堵の声が上がる。

誰が最初に言い出したのかは分からない。

イェンシダスは難民を受け入れる。

帝国軍が追ってきても、強力な魔導師たちが守ってくれる。

共和国政府も既にイェンシダスへ向かっている。

その話は、いつしか疑いようのない事実として広まっていた。


「本当に入れてもらえるんだろうね?」


1人の女が義勇軍兵士へ尋ねる。


「当然だ。

 同じ人間を見捨てるはずがない。」

「国境を閉ざしているという話も聞いたぞ。」


女の夫が不安そうな顔で言う。


「帝国が流した嘘だ。」


兵士は迷わず答える。


「イェンシダスは我々の味方だ。」


彼自身も、誰かからそう聞いただけだった。

だが、それを疑ってはいない。

疑えば、行く場所がなくなるからだ。

彼らのいる街道の遥か先。

イェンシダス国境の方向に、幾つもの塔が見え始める。

国境防衛の前線施設である警備塔の上では、イェンシダスの魔導師たちが隊列を監視していた。


「また増えたぞ。」

「後方が見えないな。」


魔導師たちの1人が遠見の術を発動した。


「避難民だけではない。

 武装した者が混じっている。」

「共和国の義勇軍か。」

「恐らくな。」

「本部からの命令は?」

「1人も通すな、越境を試みた場合は排除せよ、だと。」


魔導師は街道を埋める人々を見る。


「これを全部か?」

「命令だ。」

「子供もいるぞ。」

「分かっている。」

「本当に攻撃するのか?」


問いかけを受けた魔導師は答えなかった。

国境の向こう側では、難民たちが救いを信じて歩いている。

こちら側では、彼らを通さないために魔導師が集められている。

両者の間にある距離は、もう僅かしかなかった。


まだまだちゃんと続けますよ…。

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