たち
「良いニュースと悪いニュース、どちらを先に聞きたい?」
無表情でそう問いかけるこの男の顔を、ユーレはなんどぶん殴ってやりたいと思ったかしれない。
ほら早く言えよ――と言わんばかりに顔を見てくるレグルスの臑をとりあえず蹴飛ばして、「悪いニュースから」とユーレは口にした。
「悪いニュースか。うん、そうだな――お前の血のつながらない娘がマフィア崩れの男たちにさらわれていることか」
「分かってんだよそんな事ァ」
「そうか。じゃあ良いニュースを教えてやろう。ニルチェニアがさらわれたレストランにはこんなものがおいてあった」
レグルスがぺらんとコートから取り出したのは、一枚の札だ。金がどうかしたかよと半眼になったユーレに、「抜け目のないお嬢さんだよ」とレグルスはそれを差し出した。
歴史上の偉人の顔が印刷されている方を見てから、何もねェなと思いつつ、ユーレはそれをひっくり返す。返したところで「あいつ……」とユーレは顔をしかめた。
札に書いてあったのは「虫」の一言だけだ。
「虫。つまりあいつは盗聴器か発信器か、何かしらの小道具を持ってるんだろ?」
「“探偵業務”にも“情報屋”にも使い道のあるモノだからな。……ってことは」
「発信器なら間違いないし、盗聴器にしたって微妙な電波を拾えるだろ? だから後はそれを追えばいいし――そもそも」
「そもそも?」
レグルスは悪戯が上手く行ったときの悪ガキの顔をした。
「現場のレストランだが、俺の子会社でね」
「つまり、ルポーネのファミリーの持ち物ってわけか」
「ああ。だからさらわれた直後に連絡が入ったし、どこに向かったのかも分かってる。迎えにいこうと思うんだが、どうだ」
「行くよ。当たり前だろ」
まあそうなるよなとしたり顔のレグルスに、それにしたって何でさらわれんだよとユーレがぶつくさと文句を言う。
「お前の傘下のレストランで女をさらったりしたら、お前に喧嘩を売ってるようなもんだろ」
「売ってるんだろうな。巻き込んですまない」
珍しくしおらしげなレグルスに、他に情報はねェのかよとユーレがにらめば、レグルスは「十分だろ」と人間性の疑われそうな笑みを浮かべた。普段は表情に乏しいくせに、こういうときだけは表情で雄弁に物語ってくるのがレグルスだ。
「お前の娘はさらわれた。これは確かにいやなニュースだよな。でも、さらわれただけなんだよ。しかも相手は“マフィア崩れ”。つまりまあ――マフィアの体は成しているが」
目を細め、ゆっくりと愉しげにレグルスは口にした。
「それだけさ」
***
「さて、これからどうされたい? フィアールカ」
「帰らせて貰えるなら帰るところですけど、連れてこられたばかりで帰るのも味気ないわね」
縄や引きちぎった布で手足の自由を奪われ、乱暴に椅子に座らされていても、情報屋の女は表情を変えなかった。
銃を突きつけたところで「後々困ることになると思いますよ」と正論を吐くのみだ。優秀な情報屋がいなければ効率のいい仕事は出来ないのだと――それを知った上で口にしている女に、マフィアの男たちは舌打ちするしかなかったのだ。
「綺麗な顔の割には残念な口の効き方だよなあ、見た目通りに可愛い性格なら、もう少し対応も“良くできた”んだが」
「あらあら。指示通りに私をここまで連れてこられたのよ? 貴方たちにしては“よくできました”でしょ」
馬鹿にする女に男が平手をひらめかせる。ばしんと音が響いて、殺風景な部屋の中にこだました。
白い頬に打たれたあとが残ったが――女は特に気にする様子もない。女の扱い方に馴れていないの? と鼻で笑ったくらいだ。
「遊べるような見目でもないものね、配慮のない物言いでごめんなさいね?」
顔に大きく傷の残った男。彼を苛立たせるように情報屋の女が口にすると、傷のある男は今度は拳を作り始める。即座に別の男が止めに入った。
「おい、顔はやめろよ。顔までキズモノにする気か」
「……チッ、胸くその悪い女だよ。おら、さっさと吐けるだけ吐いちまえ」
「貴方の顔に吐くのならいつでも出来るわよ、ゴミ箱みたいだもの」
「……っ、てめえ、自分の立場わかってんのか」
「あら、気に障った?」
椅子に座らされていた女を蹴り飛ばせば、女はいとも容易く床に転がり落ちる。打ちっぱなしの薄汚れたコンクリートの床に、雪のように白い髪が散らばった。
女は眠るように目を閉じていて、それが妙に艶めかしい。寝るんじゃねえと怒鳴られ、そっとあけた瞼から見える紫の瞳は、まるで宝石のようだった。
「腹開いて腸でごめんなさい、とでも書かせてやろうか、あ? 舐めたマネしたら分かってるよなァ? フィアールカ」
「それは“ごめんなさい”ね?」
ほんの少し口元をつり上げて、情報屋の女は言葉だけの謝罪を送り「開くなら足にしてちょうだい?」と甘えたような声を出す。
蹴り倒された瞬間に少しめくれたスカートに目を落とし、「縄が邪魔なの」と情報屋の女が口にすれば、めくれたスカートからのぞく白い太股に男たちの視線が刺さった。
ごくり、と誰かの喉のなる音が聞こえて――女はゆっくりと唇に弧を描いた。毒のある微笑みだと気づくものはいない。
「“女”まで使って、命乞いか――フィアールカ」
「ええ、まだ死にたくないですから。……だめ?」
床に倒れた無抵抗そうな女。
白い太股。
甘えるようなまなざし。
――男たちが縄に手をかけるのはそう遠い未来のことではなかった。
「……ね、きて……?」
そして、女の艶めかしい声も、また。
***
「虫ってのはそういう意味か」
何の変哲もないはずの札から聞こえてくる“室内”の会話に、レグルスが興味深そうに札を眺め回している。
「お前に見せるのだけは嫌だったんだけどな……!」
「嘘をついた意味はなくなったな、ユーレ。お手製の小道具とは……いやあ、器用だったんだな、お前」
こんなもの、現役時代には使ってなかったのに、とレグルスは札に付けられた小さなシールを見つめている。その小さなシールこそが“虫”であり、盗聴器だった。
「ニルチェニアに何かあったときにって持たせておいたんだよ。あいつのしてる指輪が盗聴器の発信する方で、こっちが受信する方。ただ、スピーカー代わりになるモノにはらないと意味が無くてな。基本的には音が響きそうなもの……空き箱とか、ピンと張った布に付けとけって話はした」
「成る程。愛のこもった父親からのプレゼントというわけか」
お守りにはぴったりだ――と笑いながら、レグルスは札から聞こえてくる会話に「危ない橋を渡ってるぞ、あの子」と札の向こうで艶めかしい会話をし始めたニルチェニアに顔をしかめた。
――“縄が邪魔なの……”
「女がそう簡単に体売るんじゃねえよ……」
「違うぜレグルス、俺の娘はそんなに生きるのに必死じゃないさ。俺たちがこのあたりまで来てるの、分かってんだよ」
シールと指輪の距離が近くなれば、指輪の石が段々と色を変えるんだよ、とユーレはひっそりと笑いながら、ニルチェニアが押し込められている部屋の前にそっと立った。
二人で忍び込むのはとくに問題もない。ユーレはその筋では有名な暗殺者だったし、レグルスは現在も似たような職業に就いている。“マフィア崩れ”の男たちがどれほど二人の前にいようと、物音をたてる前に命を絶つのはもはや食事するより簡単なことだった。
――“ね、きて……?”
「ほら、行くぞレグルス」
それが養父に向けたニルチェニアの合図だと知り、レグルスは扉を蹴破る。蹴破った瞬間に目にしたのは――
「法を守らない人間が、法に護られるだなんて思わないでね?」
縄を解かれた足を思い切り開いて男の急所に蹴りを叩き込むニルチェニアだった。
もんどり打って床に転がった男に何となく同情しつつも、レグルスは急に乱入してこられて戸惑っている男を二人撃ち抜く。
その間にユーレがニルチェニアを抱え上げ、部屋の入り口に戻ってくるついでに、床に倒れている顔に傷のある男を踏みつけながらレグルスの後ろにとニルチェニアを隠した。
「ニルチェ、無事か」
「大丈夫よ、お父さん。顔を叩かれたくらい。あとは何も。……お札、届いたのでしょう?」
「ああ。……そっか、よかった……くそ、嫁入り前の娘に何してくれやがんだあいつら」
舌打ちをしながらてきぱきと娘の縄を切る男に、「すっかり父親の顔だよな」とレグルスは笑って、銃を抜こうとしていた男をまた撃ち殺す。「俺も鉛玉で顔を打ってみたよ」と愉しそうに笑うレグルスに、「気持ち悪いモノを見たわ」とニルチェニアが平然と飛び散る血液に目を向けた。
「じゃあ、あとは俺が……娘の顔に平手打っといて只ですむと思うなよ」
娘には到底見せられない顔をした養父を、血みどろな部屋に残し、レグルスはニルチェニアを引き連れて部屋の外に出ようとその手を引く。部屋の外にまで死体の転がる光景を一度目にして、「随分派手にやったのね」とニルチェニアは淡々と口にした。それから、これから悪夢のような時間を過ごすであろう男たちに笑顔で告げる。
「信心深い裏社会の人たちに教えておくわね。――女と神は信用しない方がいいわ」
よく分かったでしょう? と芋虫のように床に転がる男に、ニルチェニアは色っぽく微笑む。その男の目がレグルスの顔に釘付けになっているのを確認して――「ね?」とニルチェニアはネズミをいたぶる猫のような笑みをレグルスに向けた。
「……可愛くない女だな」
「可愛いだけではやっていけませんもの。ねえ、“ゴッドファーザー”?」
打ちっぱなしのコンクリートの床を赤く染め始めたユーレをその場に、レグルスとニルチェニアは遺体の転がる廊下を歩いた。
「どこから気づいてた?」
「レストランでさらわれたあたり。私の情報だと、あそこは貴方のファミリーの管轄しているレストランでしょう? 貴方は私にそれを隠していたけれど、お見通しよ」
巨大なルポーネファミリーに喧嘩を売るマフィアはこのあたりにはいませんものね? とニルチェニアは続ける。
「それから、貴方が粗相をしでかした部下を始末したがっているのも知ってましたよ。あれだけ大きな傷を抱えた男、貴方のアジトで一度でも顔を見れば覚えるわ。あとそれから――一番大きいのは、私をこの業界から抜けさせたかったのでしょう?」
「……知ってたのか」
「フィアールカですもの。……怖い目にあったら、私がこの世界から足を洗うとでも?」
「洗ってくれないかなとは考えていたが、無理そうだな」
つくづくどうしようもない女だなあとため息をついたレグルスに、「どうしようもなくなるのは貴方のほうなんじゃない?」とニルチェニアが満面の笑みを浮かべた。
「……レグルス……てめえ……!!」
地を這うような低い声にレグルスが振り返れば――。
そこには、「虫」と書かれた札を持ったユーレの姿。血塗れの姿は見慣れていたが、翡翠色の眼に宿る殺意を向けられたことは初めてだ。助けてくれとニルチェニアに応援を求めようとして――。
「お父さん、ほどほどにね?」
少女のように笑ったニルチェニアは、左手に品良く収まった指輪をきらりと光らせる。
本当にどうしようもない女だと、レグルスは殴りかかるユーレの拳をいかによけるかを考え始めた。