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異邦審判官と聖女の天秤 〜偽りの判決を砕く召喚者〜  作者: セルヴォア


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再審の朝

朝の法廷は、昨夜とは別の顔をしていた。


同じ赤黒い石床、同じ高座、同じ火皿。だが観衆の数は半分以下で、代わりに空気が張りつめている。眠気を削って集められた貴族、役人、神官、近衛たちは、何が始まるのか分からないまま椅子へ座っていた。


分からないからこそ、噂が先に走っている。


異邦人がまた裁く。


聖女が立ち会う。


第一皇女が止めていない。


それだけで十分だった。


真琴は円形台の脇に立つ。背後にはヴァレリア、横にはマティアスが書板を抱え、少し離れてシュリアがいる。白い衣は変わらないが、今朝の彼女は祈るためではなく見届けるためにそこへ立っていた。


上座ではアルセリアが頬杖をつき、法廷全体を面白くなさそうな顔で眺めている。


面白がっているときの顔だ、と真琴はもう分かる。


「縮小再審を開始します」


マティアスが声を張る。


昨夜まで書庫の煤だらけだった男とは思えないほど、声は通った。


「対象は、ロアン・ベルンおよびバシュレル・サンテスに対する反乱扇動、穀倉横領補助の件。また、関連する徴税命令の真偽、身柄移送命令の適法性を併せて審理します」


ざわめきが広がる。


前へ出されたロアンは、初日のように縛られてはいなかった。頬の痣は残っているが、目には昨日よりも強い光がある。バシュレルは顔色こそ悪いものの、神殿の保護房で少しは休めたのか、足元が前より安定していた。


対する相手側には、昨日の黒法衣の老人ではなく、評議会付きの老判官が座っている。より慎重な顔だ。ここで露骨に押し通せば、逆に自分たちの傷になると分かっている顔でもあった。


「発議人は異邦人か」


老判官が言う。


「法に名を持たぬ者が、継承審問の場を何度も乱してよいと思うな」


真琴は答える。


「乱したのは偽命令と偽証のほうだ」


「証明は」


待っていた問いだった。


真琴は机上の命令書を示す。


「まずこれが、昨夜バシュレルを保護房から連れ出すために使われた移送命令だ」


マティアスが補佐官ルデックの名を読み上げ、命令文を記録官へ回す。次に、偽の徴税命令写し。さらに、焼け残った徴税帳の該当頁。


老判官が鼻を鳴らした。


「断片ばかりだな」


「十分だ」


真琴は言い切る。


「紙が途切れても、手癖までは途切れない」


周囲の何人かが顔をしかめた。字の癖で裁くつもりか、という顔だ。だがそれでいい。疑いが集まるほど、次の一手が効く。


「バシュレル」


真琴が呼ぶと、中年の会計係は喉を鳴らして前へ出た。


「この命令書を見ろ。お前が受け取った徴税命令と同じ書き方か」


「……はい」


声は震えていたが、逃げなかった。


「数字の脇に小さく墨が溜まる癖があります。同じ筆運びです。北方から来た使いの紙と」


「ロアン」


「欠けた印影も近い。輪の右下がわずかに削れている」


ロアンは迷わず答えた。


北方で処刑寸前まで追い込まれた男の声とは思えないほど、まっすぐだった。


評議会側の席で誰かが舌打ちする。


老判官が言う。


「同じ印を模しただけかもしれん。証拠としては弱い」


「だから人も出す」


真琴が合図すると、兵に挟まれたルデックが連れてこられた。腕は拘束され、顔色は土のように悪い。


場内がざわつく。


「評議会補佐官に何を」


「昨夜、聖女の保護命令を無視してバシュレルの移送を図った」


シュリアがそこで一歩前へ出る。


「その点は、私が保証します」


静かな声だった。だが聖女の保証というだけで場の重みが変わる。


老判官の眉がわずかに動いた。


「聖女様まで」


「偽命令に神殿の封印が踏みにじられた以上、私は関係がある」


退かない返答だった。


真琴はルデックを見る。


「誰の指示で動いた」


「……」


「ここでも黙るなら勝手にしろ。ただし、その沈黙ごと記録する」


ルデックの喉元で黒い脈が膨らむ。


命を惜しんでいるのではない。家の報復を恐れている脈だ。


真琴はそこへ踏み込む。


「お前一人の判断じゃない。徴税命令、移送命令、記録庫襲撃。三つとも同じ側の都合で動いてる」


ルデックの唇がひきつる。


「知らん」


「なら言い換える。お前が守っているのは、自分か。家族か。家名か」


そこで、空気が沈んだ。


法廷の石床へ、淡い銀線が走る。


昨夜ほど強くはない。だが確かに、場が寄ってきた。


小さな裁定場だった。


観衆の何人かが息を呑む。ルデックははっきりと震えた。


偽証を縛る圧だけで十分だ、と真琴は思う。


「家名……」


ルデックの口から、こぼれるように落ちた。


「私は命じられただけだ。北方の件を継承審問へ近づけるなと。台帳を押さえろ、証人を戻せ、焼け残りも探れと」


「誰に」


「家令長だ」


場内が騒然となる。


どの家の、と誰もが思ったはずだ。だがルデックはそこで口を閉ざした。これ以上は切れない。切れば終わると分かっている。


それでも十分だった。


ヴァレリアが低く言う。


「続けるなら、続きは兵の詰所で聞きます」


老判官は渋い顔のまま、しかし反論しなかった。


真琴は一歩進む。


「ロアンとバシュレルの件は、少なくとも即日有罪で処す内容じゃない。偽命令、偽印、移送妨害まで出た以上、執行停止と関連台帳の差し押さえが先だ」


「越権だ」


評議会側の誰かが叫ぶ。


それに答えたのはアルセリアだった。


「では、誰が今この場で責任を取るのかしら」


気だるそうな声なのに、場が凍る。


「偽命令を通し、証人を消しかけ、なお即日執行を押す者がいるなら、名乗り出なさい。私はその名を忘れない」


名乗れる者はいなかった。


老判官は長く息を吐く。


「……被告ロアン・ベルン、バシュレル・サンテスの執行を停止。関連命令文、徴税台帳、押印台帳の提出を命ずる」


場が揺れる。


真琴はそこで初めて、肩の力をわずかに抜いた。


まだ勝ち切ってはいない。だが処刑の流れは止めた。


マティアスが記録官から一冊の大きな原簿を受け取る。継承審問の出席と押印をまとめた正本らしい。革表紙は古く、金具は擦り減っていた。


「提出されました」


差し出されたそれを、真琴は受け取る。


重い。


北方徴税の台帳よりずっと重いのに、嫌な軽さがあった。開いた瞬間、その理由が分かる。


署名欄の一部だけ、紙肌が不自然に薄い。


削っている。


しかも削ったあとで、別の墨を重ねている。視線を滑らせると、追記欄にも同じ細工があった。記録庫で見た継承審問名簿の癖と繋がる。


「どうしました」


シュリアが小さく問う。


真琴は原簿の一頁を彼女へ傾けた。


「ここ」


シュリアは目を凝らし、すぐに息を止めた。


「紙が削られています」


ヴァレリアも覗き込む。


「追記欄まで」


真琴はゆっくり頁を閉じた。


北方の不正は枝だ。


幹は、もっと高い場所にある。


「継承審問の記録そのものが書き換えられてる」


口にした瞬間、場のざわめきが一段深くなった。


アルセリアは笑わなかった。ただ、ひどく静かな目で真琴を見ていた。


シュリアは白い指で原簿の端を押さえたまま、離さない。


ここから先は、ただの冤罪再審では済まない。


真琴はそれを、ようやくはっきり自覚した。

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